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ソフィア・フォルジュの事情

(……逃げ出せなかったら、あのまま殺されていたわ)


 今、こうしている時間がもしかしたら無かったかもしれない未来だと思えば、心にあることを吐き出してもいい気がした。


「少し、長くなりますが」

「構わないわ。すっかり目も覚めちゃったしね」 


 肩に掛けたままのタオルにぽたりと髪から雫が落ちる。夏が近いとはいえ川は冷たく、無防備に落ちたソフィアは体温を容赦なく奪われた。

 手の中のコーヒーの温度をもう一度確かめてから、口を開く。


「……今日の夜会は、王子殿下の立太子を祝うものでした。わたしの両親は亡くなっていますので、叔父一家と一緒に王城へ参りました」


 次期国王を寿ぐための祝宴を欠席することは、次期王太子を認めないとみなされてしまう。そのため、今夜は王都にいる貴族のほぼ全員が集まることとなった。

 そうでなければ、ソフィアはいつものように家で留守番だっただろう。そんな説明をはさみつつ話していく。


「待って、いつも留守番なの?」

「今のわたしは叔父に面倒を見てもらっている立場なので、公の場には出ないように言われているのです」

「なによそれ……」


 ソフィアの答えにジャンヌもマクシムも奇妙そうにするが、実際にそう言われて外出を禁じられていた。今夜のように多くの人が集まる場に叔父公認で出かけたのは、実に三以上年ぶりである。


 ――九年前、ソフィアが十歳になる日を目前にして、両親が馬車の事故に遭って帰らぬ人となった。

 フォルジュ伯爵夫妻の子どもはソフィアだけ。

 祖父母も他界していたため、一番の近親者である父の弟――叔父のエクトルが後見人となった。


 リュノール王国は男女を問わず、当主が決めた嫡出子が継嗣となる。フォルジュ家では一人娘であるソフィアが後を継ぐことになっていた。

 そのソフィアが家督を相続する二十歳になるまでという期間限定で、叔父が伯爵家の当主代理として収まることになったのだ。


「ああ、まあよくある話ね」

「はい。ですので、手続きも問題なく終わり、叔父たちと一緒の暮らしが始まりました。ですが……」


 穏やかな性質の兄と違って、弟のエクトルは野心家だった。

 常に自分が優れていると主張し、一年だけ先に生まれただけの兄よりも自分のほうがフォルジュ家の当主としてふさわしいと、若いころから訴えていたという。


 たしかに叔父は頭が良く、学校では何度も主席を取ったそうだ。

 優秀な人材であることは確かである。父と叔父の親であるソフィアの祖父母は柔軟な思考を持っていたから、彼らが認めれば次男の叔父が当主になったかもしれない。


 だが一方で叔父は権力志向が強く、目下の者に対する処罰では残忍性も高かった。祖父母は上に立つ者としてその人間性を不安に思った。

 その結果、「勉学の成績だけでは当主にできない」と、兄であるソフィアの父を後継者として定めて動かすことはなかった。


 叔父はいつまでも諦めず、逆に年々不満を募らせた。

 兄である父が歩み寄ってもうまくいかず、兄弟の仲はずっとぎくしゃくしていたという。あまりに頑なな叔父に、父も和解を諦めていた。

 ぽつぽつと話すソフィアに、マクシムが相槌を打つ。


「兄弟間の溝かあ、それもよくある話だね」

「ええ。祖父母が亡くなって、父が当主になってからはほとんど叔父は家にも寄りつきませんでした」


 叔父は、暫定とはいえ念願の当主の座を得たとたん「間違っていたこれまでの不当な扱いを正す」と宣言し、まるで元からの当主のように振る舞い始めたのだ。

 領地の運営、家内の差配のほか、当然、遺児である(ソフィア)に対しても、叔父の強権は発動された。


 それまでソフィアがフォルジュ家嫡子として享受していた全て――不自由のない生活、華やかなドレスや令嬢教育、仲の良い友人、気心の知れた使用人など――を、叔父は残すところなく取り上げた。


 ソフィアの外出を禁じ、対外的には「両親の死により心に傷を受け、引きこもってしまった姪」をかいがいしく支える叔父一家としてアピールしつつ、家内では狡猾にソフィアを迫害し始めた。


 地味な服を着せて身だしなみもろくに整えさせず、一歳下の従姉妹コリンナの引き立て役としてのみ存在させたのだ。

 ただ伸ばすだけ伸ばし続けた髪はその一部だ。辛気くさい素顔をさらけ出すなと命じられるため、厚ぼったい長い前髪の隙間からしか外を窺えない。


 それまでの暮らしだけではなく、婚約者も奪われた。

 フォルジュ家と領地が近いベルトラン伯爵家のクロードとは、生まれてすぐに婚約を決められていた。

 とはいえ二人には四歳の差があり、クロードはまだ幼いソフィアに興味がなく「たまに会う幼なじみ」の域を出なかった。


 婚約者としての付き合いが始まるのはお互いにもう少し成長してからのはずだったが、その前に両親が亡くなり、引きこもったことにされたソフィアはクロードと会う機会を減らされた。

 クロードからの手紙や贈り物はソフィアの手に届かず、ソフィアからの手紙もクロードに届くことはなかった。


 容姿も良く、さらに次男ということでクロードは両親からプレッシャーの代わりに偏愛を注がれて育った。

 自信家でプライドが高く、軽視されることをひどく嫌う性格のため、あっという間にソフィアへの悪感情を募らせ、誤解を解く隙もなかった。


 すれ違いと不義理で二人の間にできた溝を利用したのはコリンナだ。

 金茶の髪が美しいコリンナは目を引く容姿でスタイルも抜群という、男性が連れて歩きたくなるようなタイプである。

 他人に甘えるのも、純真無垢に見えるような言動も上手いため、人気もある。


 そんなコリンナとクロードはまるで恋人同士のように二人で堂々と外出し、パーティーにはソフィアではなくコリンナを伴っている。

 ソフィアが本来の婚約者だったということを知る人は少なく、コリンナとクロードが結婚するのだと認識している者も多い。


「あらあら。いいの?」

「わたしは……今の彼が苦手で。だから婚約がなくなるのは構わなかったのです」


 たまに顔を合わせれば厭味と罵倒ばかりのクロードに、恋心なんて持っていない。

 だから、婚約が正式に破棄されるのも近いだろうと思っていたし未練もないが、さすがに王家主催の夜会でまでクロードの隣に立つのがコリンナだったのには驚きを通り越して呆れてしまった。


 髪飾りひとつなく、流行遅れのドレスを着せられた野暮ったいソフィアと、豪華な装いのコリンナが並べば、どうしたって比較される。

 しかもコリンナが着ているのは、クロードと色を揃えて新しく仕立てた服だ。


 クロードの両親であるベルトラン伯爵夫妻がどう思っているかは分からないが、社交と口がうまい叔父夫婦がソフィアの不出来を詰り、コリンナの株を上げていることは知っている。

 それに、クロードはソフィアを蔑ろにしてコリンナを優遇していることを隠していない。

 息子の行動を咎めず、目の前のソフィアすらいないように扱うのだから、それが答えなのだろう。


 ソフィアも、叔父たちに抵抗しようと思わなかったわけではない。

 だが、まだ幼いうちは力も知恵も足りず、長じてからは機会をことごとく潰された。 

 直接の暴力はないものの、精神的に叔父夫婦とコリンナから貶められ続け、婚約者のクロードからも見下される九年の日々は、ソフィアから反抗の意志を奪うのに十分だった。


(それでも、二十歳になれば後見人を置かなくてよくなるから)


 待ちわびたその日まではあとひと月もない。それまでの我慢だと、どうにかやり過ごしていた矢先の今夜だった。


 久し振りの社交場では、当然のように周囲から奇異な目で見られ続けた。

 これみよがしな陰口を聞き流していると、コリンナとのダンスを終えたクロードが近寄ってきて、飲み物の入ったグラスをソフィアに差し出してきた。


 断る間もなく強引に飲まされたとたん、喉が焼けるように熱くなり、酷い目眩と吐き気に襲われた。息もうまくできず立っていられない状態になったソフィアに、彼らは驚きも心配もしなかった。


『これっぽっちの酒で酔ったのか? 情けないな。醜態をさらす前に帰れよ』

『そうですわ、ソフィアお姉様。馬車を呼びますから、お帰りになって休まれたほうがいいわ』


 親切そうに嘲笑う二人に追い立てられて広間を後にし、家に戻るために乗った馬車で、何者かに襲われたのだった。


「なるほどねー……襲ってきた相手の顔は見た?」

「いいえ、仮面のようなものを着けていました」

「わざわざ仮面を準備してたってことか。それに、婚約者と従姉妹からは妙なものを飲まされたんだろ? 計画的じゃん」

「……やっぱり、そうなりますよね」


 ソフィアと同じことを、マクシムたちも思ったらしい。


「それにしても、童話にでもありそうな境遇ねえ」

「呑気な言い方だな、ジャンヌ」

「珍しくはないってことよ」


 これまで黙っていたレオが窘めてくれるが、心の中でジャンヌに同意する。


(童話と違うのは、助けてくれる魔法使いも白馬の王子もいないことね)


「こういうことはこれが初めて? これまでに身の危険を感じたことはあったかい」

「いいえ。扱いはよくありませんでしたが、食事を抜かれたり、暴力を振るわれたりはしませんでした」


 マクシムに訊かれて首を横に振る。

 叔父はこのまま、永久に自分がフォルジュ家当主で居続けることを熱望していた。優秀で、実行力も手に入れた叔父が手をこまねくだけの人ではないと知っていた。

 しかし狡猾ゆえに抜け目がなく、証拠が残るようなことはしない。ソフィアが自死を望むように追い詰めることはしても、直接攻撃してくることはないと思っていた。


 だから、まさか殺されそうになるとは予想外だった。


 体調の悪さを堪えながら乗っていると、自邸ではなくどうやら郊外に向かっていることに気がついた。

 出ない声でなんとか馭者に問いかけようとしたところ、突然馬車が停まり、顔を隠した男が乗り込んできたのだ。

 反対の扉から必死で逃げて、川面に打ち付けられる寸前。空に輝く月がひときわ大きく明るく見えた。そのまま意識を手放して、気づいたら診療所にいたのだった。



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