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雑な女医とゴシップ記者

 ジャンヌの診療所はすぐそこだし、緊急なら深夜でも診てくれることは知っている。 

 貴族のご令嬢は見知らぬ男に触れられるなんて怒り心頭だろうが、非常事態ということで勘弁してほしい。


 それに、ジャンヌは女医というだけでも珍しいが、実は、貴族の家の出だという噂だ。

 爵位のある家に生まれた令嬢の仕事は同じ貴族に嫁ぎ、子をもうけること。外で働くなどもってのほか。「医師を志すなどとんでもない」と家族に猛反対されたジャンヌは家を出て、貴族籍も抜けたらしい。


 あくまで噂で本人は否定も肯定もしないが、ふとしたときに垣間見える品のある仕草などから、事実だろうとレオは思っている。

 もっとも、今のジャンヌしか知らない人は、きっぷの良すぎる雑な女医が元ご令嬢だなんて信じないだろうが。


(……目を覚ましてヒステリーでも起こされたら、ジャンヌに丸投げしよう)


 同性で、元だが同じ貴族だ。それでも騒ぐようなら見限ればいい。

 そこまで考えて、レオは水に浸かった令嬢を水から引き上げることにした。


「連れて行くか……うわ、重っ!」


 たっぷりと水を吸った服の重さでぐらりとよろける。意識のない人間と濡れた服が、これほど重いとは想定外だ。

 華奢な女性に見えるのに、ずっしりとまとわりつく布地のせいで、屈強な大男でも引き上げている気になってくる。


 それでもどうにか全身を川から引き上げると、濡れたドレスの裾をぎゅうと絞る。いっそ脱がせてしまいたかったが、さすがにそれはやめておいた。

 荷物のように背中におぶると、また足元がぐらつく。


(撮影機材、一式を、担いで山に登った、とき……より、しんどい、な!?)


 息を切らしながらどうにかジャンヌの診療所に着くと、ふらつきついでに頑丈な木戸を体当たりをしてノック代わりにする。


「ジャンヌ、起きろ! 患者だ!」


 近所に民家はない。深夜でも誰に遠慮することもなく呼び続けていると、やがて軋む音を立てながら木戸が開いた。

 ナイトウェアに白衣を引っ掛けて、寝乱れた黄褐色の髪を掻き上げながら、ジャンヌ――気の強そうな美人で、自分と同年代か少しだけ上に見えるが、実年齢はいまいち分からない――が心底面倒くさそうに姿を現した。


「レオ? うるっさいわねえ。何時だと思ってんのよ」

「悪いね、急患だ」

「はぁ……奥に運んで」


 レオの一言に顔を顰めてちらりと患者を窺うと、中に入るように促される。

 今も目を覚さない令嬢を診察室の治療台に横たえると、疲労困憊のレオもその脇にどっと腰を落とした。


「だぁー、疲れた!」

「はいはい、ご苦労さん。で、なに。二人で一緒に水浴びでもしたの? 夏はまだだっていうのに、気が早いわねえ」

「んなわけないだろ」


 ぐっしょり濡れて荒い息でへたり込んだレオに、ジャンヌはタオルを投げてよこしながら呆れたように言う。

 手際よく診察を始めたジャンヌは、顔色ひとつ変えない。急を要する症状は見られないのだろうと少しほっとして、レオも軽口で返す。


「そこの川に落ちてた」

「知らない人ってこと? それじゃ治療費は誰が払うのよ」

「いきなり金の話か」


 体を拭きながら、レオは発見からここに来るまでの一連を話す。

 ジャンヌは身元不明の令嬢が川で発見されたことよりも、支払いのほうが気になるらしい。


「タダ働きはしない主義だから。そうね、いいとこのお嬢さんっぽいし、実家からふんだくろうかしら」

「そうしてくれ……おい、それ血か?」


 ジャンヌが女性の髪を拭いたタオルには、泥汚れにまじって赤い染みがついた。暗い外では気づかなかったが、耳の上あたり に怪我をしていたらしい。


「濡れているから多く出血しているように見えるけど、掠った程度ね。縫合の必要もないし、心音も呼吸音も問題ないから、じきに目も覚めるでしょう」

「大丈夫なんだな? あー、ほっとした……! これで死なれたら堪ったもんじゃない」


 聴診器を当てたり、体温を測ったりしながらのジャンヌの言葉にようやく安心して立ち上がると、診察台に横たわる令嬢を初めてまともに見おろした。

 濡れて乱れた長い髪は、淡い金茶色。今は閉じられた瞳の色は分からない。

 今もまだ血色が戻っていない頬が寒そうで痛々しいが、それよりも。


(……細いな)


 肉体労働をしないご令嬢らしく、血色のない首元に鎖骨が浮き出ている。

 値が張りそうだが流行遅れだと分かる古くさいデザインのドレスには、川に浮いていた花びらや葉がまだ貼り付いていた。


「濡れたままにしておくわけにいかないから着替えさせるわ。その間に レオは〈ミシェルの店〉に行ってコーヒーを買ってきて」

「はあ?」

「はあ、じゃないわ。せっかくいい気分で眠っていた私をこんな時間に叩き起こしたんだから、それくらいしなさいよ」

「わ、分かったよ」


 ここでごねると、じゃあ勝手にしろと患者ともども追い出されるのは目に見えているし、緊急とはいえ深夜に担ぎ込んだのは事実だ。

 面倒だとは思ったが、迷惑料の代わりだと納得して診療所の外に出る。


 夜風に吹かれた服が肌に貼り付いて、まだ濡れていたことに気がついたが、歩いているうちに乾くだろうと考えることを止める。

 はあ、と深く息を吐いて川に目を落とす。

 闇に包まれ月明かりに照らされた水面はあまりに平和で、令嬢が半分沈んでいたとはとても思えない。


 予想外の事態が一段落した安堵で脱力しつつ、見るともなく眺めていると、小枝と花が川に運ばれていった。

 ――あの令嬢も、こうして流れてきたのだろうか。


(花と一緒に、か。それこそ悲劇(オフィーリア)だな)


 クレマンにチケットを渡された演劇が頭に浮かぶ。ガラでもないと頭を振って、レオはまた歩き出した。





〈ミシェルの店〉は診療所の近くにある夜間営業のカフェだ。

 酒は置かず、コーヒーや軽食といった普通のメニューを提供している。

 深夜でも焼きたてのパンや淹れたてのコーヒーが味わえることから、王都の夜型人間に重宝されている店のひとつだ。


 いつも通りに混雑しているカウンターで注文をしたところ、後ろから肩を叩かれる。

 振り返ると、よく知った人物がいた。


「よっ、レオ」

「なんだ、マクシムか」


 こんな時間だというのに溌剌とした笑顔を浮かべているのは、マクシム・ドゥーセ。昼間に行ったゴシップ誌の編集者である。

 撮影の仕事を請け負った最初に一緒に仕事をしたのがきっかけで知り合い、それ以来コンビを組んで取材に行っている。


 年齢も同じ27歳。やたら人懐こいマクシムに巻き込まれるようにして、今では腐れ縁の友人という間柄だ。

 平均より背が高いレオよりさらに上背があり、がっしりとした体つき。

 明るい性格で行動力もあり、むしろ取材をされる側のスポーツ選手だとでもいったほうがしっくりくるが、これでもガゼット社で一、二を争う辣腕記者で、何度もスクープをものにしている。


 元は一流新聞社の記者だったが、貴族院の大物政治家の醜聞をすっぱ抜こうとして本社の役員に睨まれクビになり、今の三流娯楽誌に流れ着いたという変わり種だ。

 そのマクシムは今夜もどこかの取材帰りなのだろう。いつものシャツにベストで、ネクタイは少し緩めてある。


「背中、濡れてるぞ。水浴びにはまだ早いだろ、なにがあった?」

「……事故だ」

「へえ、事故ね」


 川で令嬢を助けたことを隠す義理はないが、人の多い店内で話す必要もない。言葉を濁すと、マクシムの焦げ茶の瞳がきらりと光った。

 ゴシップ記者にとって、トラブルと厄介ごとは飯の種。記事にできそうな気配を感じたのだろう。

 そのマクシムは、カウンターから飲み物を受け取るレオの手元を興味深そうに眺めている。


「レオが夜中にコーヒーなんて珍しいじゃないか」

「ジャンヌに頼まれた」


 これから診療所に戻るのだと言うと、マクシムの表情が仕事用からプライベートのそれにパッと変わった。


「ちょっと待て、僕も行く」

「言うと思ったけどな。『急患だ』って叩き起こしたから機嫌悪いぞ」

「ジャンヌは怒った顔も魅力的だから問題ないね」


 マクシムはジャンヌに惚れていて、かなり前からこまめに通って熱心に口説いている。

 残念ながら先方にその気はないらしく、あの調子で右から左に流されて、マクシムの恋が実る気配はない。


(……マクシムなら、あの令嬢のことも知っているかもしれないな)


 仕事上だけでなく、私生活も社交的で顔が広いマクシムは、ゴシップ以外の様々な情報に通じている。連れて行けばなにか分かるかもしれない。

 彼女が目を覚ましたら、それで終わりの関係だ。しかし、素直に名前や事情を話すとは思えないし、後で因縁をつけられても叶わない。

 保険として身元くらいは判明させておいたほうがいいだろう。


 診療所への同行を許すと、ジャンヌに会える口実を喜んだマクシムに引っ張られる勢いで来た道をまた戻った。


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