自分にできること
「だから『困ったことになる』って言ったろ」
「だってレオ、そう言われても」
ブティックを出て、いったんアパートに戻ったレオとソフィアは、今度はジャンヌの診療所へ向かっていた。
予定外の収入でサイズに合った寝間着を買ったので、借りていたちょっときわどいネグリジェを返却に行くのだ。
道々、写真を見せたときのヴァネッサやオーナーの反応は予想通りだったとレオは言うが、ソフィアは今もどこか信じられない気持ちでいっぱいだ。
「絶対、気に入ると思った」
「ほかの写真のヴァネッサさんも綺麗だったよ?」
「あれだけ違うんだ。写された本人が一番よく分かっている」
そう言ってもらえるが、不安は不安だ。
(だって、昨日の写真が気に入ったからって、明日の写真も同じように気に入ってもらえるかどうか分からないもの)
なのに、そのたった一枚で、大きな事務所に採用されるかどうかヴァネッサの未来が決まるのだ。
「……本当にわたしでいいのかな」
「駄目でもまた別なところに応募するだけだ。気にしないで、昨日みたいにしてやればいい」
「それしかできないけど……でも、なにが良かったんだろう?」
「気づいてないのか?」
「なにに?」
レオが言うには、ソフィアがちょっと手を添えてほんの少し角度を変えるだけで、ポーズの印象がガラリと変わったのだという。持たせる小物の選択も良かった。
「ソフィアはそんなことないって言うだろうけど、ああいう違いが分かるのは、やっぱり生粋の貴族なんだな」
「それは、ぜったい違うと思う」
ソフィアはろくに淑女教育を受けていない。見よう見まねと記憶に頼るだけで社交もおぼつかない自分には「生粋の」なんて言葉は似合わない。
けれどやはり、庶民とは違うのだとレオは言う。
そこに拒絶は感じないが、隔たりを明言された気がして、なんとなく落ち込んでしまう……表には、出さないが。
レオは貴族が嫌いだ。ソフィアの叔父のことや、婚約者のクロードのことを話すときに滲む嫌悪感から、早くにそう気がついた。
幸いにも、ソフィアのことは貴族ではあるが今現在保護対象として見てくれているらしく、憎しみよりも困惑のほうが出ることが多い。
長年息を潜めて他人の感情を窺って生きてきた弊害か、ソフィアは人付き合いが少ないにも関わらず、相手の心情を推し量ることがかなり正確にできた。
(レオが貴族を嫌ってるなんて、本当は知りたくなかったな)
貴族という属性に含まれる以上、最終的にはソフィアのこともレオは嫌うのだろう。自分ではどうしようもないそのことが、いやに気持ちを重くする。
そんなソフィアの心には気づかず、レオは話を続ける。
「今までのヴァネッサは服を着るだけのモデルだった。ちょっとスタイルはいいけど、それだけだ。そんなモデル掃いて捨てるほどいる。けれどソフィアにアドバイスをされたあいつからは、自信みたいなものが見えた」
奢りやプライドではなく、ファインダーの向こうに芯のようななにかが感じられたのだそう。
ほんの少し、僅かな角度や向きの違いでそこまで印象が変わるなら、これまで漫然と取ってきたポーズはどれだけ違うものになるだろう。
それに賭けてみたいと思って当然だと、レオは言う。
「失敗しても次があるんだから、いて欲しいって言うんだからいてやればいい。俺はそれを撮るだけだ」
「……うん」
レオの話の全部には納得できなかったが、たとえ明日の撮影が上手くいかなくてもソフィアのせいではないと伝えてくれていることは分かった。
なんにせよ、レオが支払われる撮影代金はソフィアの働きとは別勘定だと断言されて、ようやく心が安まった。
「ジャンヌさんからも、なにかアドバイスがもらえるかな」
「ジャンヌか……アイツからは『好きにしろ』以外なにもないぜ」
「そうなの? でも、そうかも」
自信たっぷりできっぷの良いジャンヌを思い出して、ソフィアも頷く。そしてすぐに、その予想も当たっていたことを知る。
返さなくていいのに、と言いながら、差し入れのクロワッサンとともにネグリジェを受け取ったジャンヌは忙しそうだ。
訪れたのは患者が途切れた隙でタイミングは良かったが、ヴァネッサに頼まれたことについて助言を請うと怪訝そうな顔をされてしまう。
「撮影の手伝い? やりたきゃやればいいし、やりたくなければ断ればいいだけでしょ」
なにをくだらないことで迷っているのだと一蹴されてしまった。
「ジャンヌさんが想像通りすぎる」
「当たり前じゃない。自分のことは自分で決めていいんだから」
「自分で……そう、ですね」
「あのね、ソフィア。あなたは今、どこに誰といるの? 離れてまで叔父さんに縛られるのはやめなさい」
(そうだ、わたし……自分で勝手に、なにもしちゃいけないって思い込んでた)
選択肢を取り上げられていたこれまでならともかく、今のソフィアを束縛する人はいない。
叔父に見つからないために行動に慎重さは必要だが、警察にそれとなく探りをいれているマクシムの情報網にも、ソフィアを捜す手が増えたとの話もない。
ならば、警戒心を持ちつつ、多少自由に過ごしても大丈夫なはずだ。
そしてそれを肯定してくれるひとがいる。
――あの夜会の日から初めて、本当の意味で目が開けた気がする。
いろいろなことが起きて、いろいろなことを考えた。
これからもっと、自分だけの力でやらなければならないことがあると今のソフィアは分かっている。
(だったら、今からがんばってみたほうがいいよね)
成人したら叔父の後見は必要なくなる。それは同時に、ソフィアが独り立ちをしなくてはならないという意味でもある。
それこそ、ろくな教育も受けていない。継承権は男女関係なくあるからソフィアが爵位を継ぐことはできるが、それを維持できるかどうかは別の問題だ。
(叔父様から逃れることでいっぱいだったけれど、その後のこともちゃんと考えなきゃ)
前途は多難だが、未来を考えられるようになっただけ進歩かもしれない。
そんな気持ちで見上げると、「ほらな」とでも言いたげなレオを目が合った。
「言った通りだったろ」
「うん」
顔を見合わせて頷き合っていると、暇じゃないからもう帰れと追い出されて、二人でアパートに戻った。
§
迎えた翌日。指定された時間より早く着いたのに、撮影場所である貸しスタジオの前では、ヴァネッサが既にソフィアたちの到着を待っていた。
ソフィアと目が合うと、膝が崩れるほどに安心した顔をする。
「珍しく早いな?」
「もう、あのときは悪かったわよ、謝るから! だって……レオは心配してないけど、ソフィアに気が変わられたらどうしようって、気が気じゃなかったんだから」
そんなに気がかりだったとは。昨日の煮え切らない自分の態度が申し訳ない。
だがヴァネッサの肌艶はよく、聞けば昨晩は意地でも睡眠時間は死守してコンディションを整えたのだという。
「いつもそうすりゃいいのに」
「レオ、うるさい! 飲まなきゃやってられないときだってあるでしょ!」
「それで仕事ボツになったら世話ないぜ」
「いちいち腹立つ男ね……!」
「あの、二人とも」
口喧嘩を止めかねておろおろするソフィアだが、そこにこちらも昨日と同じメイク担当の女性がやってきてようやく言い合いが収まった。
「揃ったわね。さあ、渾身の一枚を撮るわよ!」
「なにをどう撮ったって、ヴァネッサにしかならねーよ」
「ちょっとレオ、撮る前からそういうこと言うのはやめてよね」
やはり揉めながらスタジオに入り、撮影が始まる。
昨日と同じように、いや、それ以上に丁寧に、ソフィアはヴァネッサのポーズを整える。ときには、より魅力的に見えるように髪型にも手を入れた。
(もっと、ヴァネッサさんが一番綺麗に見えるように)
ポーズの指示には、幼い頃に一通りならった作法が役に立った。
母と一緒にカーテシーの練習をしたことを思い出して、目の奥が熱くなる。本当はもっといっぱい教えてくれるはずだっただろうし、ソフィアももっと教えてもらいたかった。
それはもうできない。
機会を奪われたソフィアは、あれ以上の教えも受けていない。
それでも、こうして誰かになにかをしてあげられるのは、母のおかげだ。
(お母様、ありがとう)
ソフィアを愛してくれた両親は、叔父に虐げられていたと知れば悲しむだろう。
髪を切っても、こうして自分の意志で動いているほうが喜んでもらえるに違いない。笑っている姿を見せたくて、ソフィアは懸命に撮影助手をこなした。
その日、レオは淡々とシャッターを切った。
どれもよく撮れていたが、そのうちの一枚をヴァネッサは大手事務所に送った。
ブティックの撮影会のメンバーで集まって、ダイレクトメールとポスターの完成披露会をやっているときにその結果が届いて――祝う名目がひとつ増えて、全員が喜びの声を上げた。
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私の他作品『運命の恋人は期限付き』小説第3巻が12/24に配信となります!
挿画は引き続き篁ふみ先生、書籍詳細は作者マイページ・活動報告やSNSなどで順次公表。どうぞよろしくお願いいたします。




