助言
今回は何種類かの衣装で写真を撮り、最終的にはオーナーが気に入った一枚が採用されることになっているそうだ。
(わあ……!)
流れるように姿勢を変えてはピタリと止まるヴァネッサの動きにも目を見張ったが、驚いたのはレオの雰囲気だ。
撮影が始まると口数はさらに少なく、指示は多分最低限だろう。
それでも、普段のどこか投げやりな態度は跡形もない。真剣な眼差しでファインダーを覗き、的確なタイミングでシャッターを切るレオは――。
「ああやって写真を撮っていれば格好いいのにね」
「あはは! レオはねー、そうよねー」
(……っ、わ、わたしってば!)
店員の女性が小声で評するのを耳に挟みながら、同じことを考えていたソフィアは顔を赤くする。
(レオは真面目にお仕事をしているのに)
格好いいとか格好よくないとか、そういうことは不謹慎だ。音がしないように火照った頬を叩き、浮ついた心を落ち着かせると、また撮影を眺め始めた。
――同じ衣装で、店内と店の前でポーズを変えてそれぞれ数カットずつ撮り、フィルムを替え、次の衣装へ着替えることを繰り返す。
完成したものしか見たことがないソフィアは、初めての工程に興味津々でずっと目が離せない。
熱心なギャラリーを得たヴァネッサは満更ではない様子でポーズを決め、撮影は驚くほどスムーズに進んだ。
前回の苦労はなんだったのかとレオが首を傾げるほどだったが、最後の衣装の段になってオーナーから指摘が入る。
「うーん、ちょっと違うのよね。もうちょっとこう、なんていうか……なにかが足りないのよ」
「駄目だって言うなら、その『なにか』が知りたいんだが」
今日は秋物の撮影だ。初夏の今には合わないこっくりとした濃い色や厚い生地を着こなし、立っているだけで秋を感じさせるヴァネッサに感心して眺めていたソフィアも一緒に首を傾げる。
(綺麗だと思うけど……)
ダークブラウンのウールを柔らかく起毛させたフランネルのスーツは、シルエットも美しい。被る帽子も似合っていて、とても素敵に見える。
けれどオーナーはそれだけでは足りないと繰り返す。
「んー、あのねえ。これはさっきまでの服と違って、もっとクラシックな感じでしょ」
「そうだな」
「だからなんていうか……重厚感? クラス感? そういうのがほしいのよ」
「クラス感ねえ。つまり、貴族っぽくってことか」
「あ、そうそう! でもね、本物のお貴族様じゃなく、あくまで『貴族っぽく』って感じで!」
「どんなんだよ」
なかなか無茶な注文をつけられて、レオだけでなくヴァネッサも眉を寄せている。
貴族という単語に一瞬肩を揺らしたソフィアだが、それに気づいた者はいないようでほっとした。
ソフィアは貴族だが、貴族らしく育ったとは言い難い。身分を持たない人は、貴族にどんなイメージを持っているのだろうと考える。
亡くなった両親、それに叔父一家を思い浮かべているうちに、撮影は再開されたようだ。
しかし相変わらずオーナーはしっくりこないようで、シャッターを切る音ばかりが増えていく。
フィオルの残りも少ないようで、いい感じで進んでいた撮影に気詰まりな雰囲気が流れ始めた。
(貴族っぽく……貴族……)
「……あ、もしかして」
「ん? ソフィアちゃん、なにか思いついた?」
思いつきが声に出ているとは思わなかった。隣にいた店員女性の一人に聞き返されて、注目を浴びてしまう。
「えっ、その、ええと」
「ソフィア、この際なんでもいいから言ってみろ」
誰もが突破口を探していたのだろう。レオにまでそう言われて、ソフィアはおずおずと口を開く。
「あの……座ったらどうかなって」
「椅子に?」
「うん。貴族っぽくってことでしょう? それで、貴族の肖像画って上半身だけだったり、座っていることが多いから、似せたらどうかなって……」
言いながら、だんだん声が萎んでくる。
撮影はずっと立ち姿で行われていた。衣装を見せるための写真なのだから当然で、そんなことも分かっていないのかと怒鳴られても仕方がない意見だろう。
だが、申し訳なさそうに肩を小さくするソフィアとは裏腹に、店員の一人がパッと動き出す。
「ねえ、あの椅子どう?」
そう言って、バッグをディスプレイしていた椅子を店の隅から引っ張り出してくる。
猫足の椅子は、黄金色のベロア生地のアンティークスタイルだ。それにヴァネッサが腰を下ろすとレオはハッと息を呑み、オーナーは目の色を変えた。
「……いいじゃない」
「だな。ソフィア、姿勢はどうする?」
「ど、どうって……あの、視線はまっすぐで、首の角度はこう……」
フォルジュ家にある肖像画を思い出し、その中でも威厳たっぷりの曾祖母をお手本にヴァネッサの姿勢を整えていく。
細かいところまで神経を使う面倒なポジション指示に、ヴァネッサは付き合ってくれた。
「指輪が見えるように手の角度を……そうです、綺麗です」
「うわあ、ヴァネッサが本物の貴婦人みたいよ」
「なんでもいいから早く撮って、キツいのよこの格好!」
悲鳴を上げだしたヴァネッサも、レオの指がシャッターボタンに掛かればさっと表情を改める。本当にどこかの貴族がお忍びで店に現れたかのようだ。
まじまじと撮影を眺めながら、オーナーがソフィアに話しかけてくる。
「ねえソフィアちゃん。外で撮るときも椅子を出して座ったらいいかしら」
「そうですね……外なら座らないで、お花を持って少し体を斜めにする感じはどうでしょう」
肖像画は大抵の場合室内が舞台だが、背景の一部に庭園が描かれることもある。それを連想させるには、花があればよさそうだ。
そう薦めてみれば、オーナーは手を打って喜んだ。
「良さそうだわ! レオ、ヴァネッサ、聞いたわね?」
「……付き合うわよ」
「撮ればいいんだろ」
カメラマンとモデルはいささか投げやりだが、二人とも口元が僅かに上がっている。どうやら撮影に手応えを感じているらしく、思いつきを口にしてしまったソフィアはほっと胸をなで下ろした。
結局、外での立ち姿もソフィアが手指の角度まで指示をして、その日の撮影は終わった。
ただの見学者の自分が出しゃばりすぎじゃないかと不安になったのだが、オーナーは馴染みの店に連絡をして夕食の手配までしてくれたし、最初に予定していた靴や帽子だけでなく、さらに服も何枚か渡してきた。
遠慮しようとしたが、あんな満面の笑みで持たされたら突き返すのも失礼だ。
恐縮しつつ受け取って、初めての外食を楽しんで帰る頃にはとっぷり日も暮れていた。
最後の撮影から食事の間も言葉少なだったレオは「今日中に現像してしまうから」と帰るなり暗室に入ってしまう。
(……楽しかったな)
閉まった扉を眺めながら、ソフィアは盛りだくさんだった一日を振り返る。
今日行ったところはどこも活気に溢れていて、これまで過ごしてきた環境とはまったく違っていた。
イレギュラーな生活をしてきたソフィアは、これが普通なのかどうか分からない。けれど、ここ十年ほどで一番充実していた一日だったことは確かだ。
(どんなふうに撮れただろう)
自分も関わった写真の出来が気になったが、久しぶりの外出で体力を使い果たしたらしく、シャワーを浴びたソフィアは先に眠ってしまったのだった。




