留守の間、それぞれ
なかなか更新できず、申し訳ありません。
間が空いてしまいましたので、ここまでの簡単なあらすじ。
生活のためにゴシップ誌のカメラマンをしているレオ。仕事がうまくいかず荒れた晩、裏町を流れる川で気を失っている令嬢を見つける。
馴染みの診療所で意識を取り戻した伯爵令嬢ソフィアから事情を聞いたところ、彼女は叔父一家に命を狙われているらしいことが判明。
家に帰すと危険なため、ソフィアを匿うことになったものの、根っから庶民のレオと隔離されて育った令嬢の同居は前途多難なようで――。
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(……これからどうしよう)
レオが出ていってしばらく。とりあえず体調は大丈夫そうなので、教えられたバスルームで顔を洗い、ジャンヌにもらった服に着替えた。
ジャンヌの大人っぽい服は細身のソフィアに似合わないが、軽く、動きやすいのには驚いた。自宅で着せられていた、流行遅れのもっさりしたドレスとは大違いである。
ふうと一息ついて、部屋を見回す。
匿ってもらえることになったレオのアパートだが、寝込む前と同じく非常に散らかっている。ベッドからバスルームにいくのにも、床に置いてあるあれこれを踏まないようにかなり気を使った。
そんなふうに雑多な物がある部屋でも、やはり目を引くのは壁に貼られたたくさんの写真だ。
ソフィアは見たことのない、けれど行きたくなるような景色や、季節を感じる風景が写っている。
(……レオは風景を撮るのが好きなのね)
ゴシップ誌のカメラマンだと言っていたはずだ。普段は記事にする人物や催しを撮っているのだろうから、こちらは趣味だろうか。
仕事用ではないにせよ、どこか惹きつけられるような写真ばかりで、つい見入ってしまう。近寄って、一枚一枚じっくり見る。
(きれい……こんなふうに風景を撮るなら、人物写真も素敵なんだろうな)
なんてことない街角のスナップも、そこに行きたくなるような雰囲気がある。ずっと見ていたい写真ばかりだ。
レオの撮るポートレートが気になったが、壁に貼られた写真には人間がいない。残念に思いつつ振り返ると、物が山盛り載ったテーブルがあった。
適当に食事を摂れとも言われたが、テーブルの上がこれではコップひとつ置けそうにない。
(少しなら、片付けてもいいかな……?)
レオは持ち物を勝手に触られるのは嫌かもしれない。けれど、間違ってぶつかったり踏んだりして壊してしまったら、それこそ申し訳ない。
もう一度部屋を見渡して、少し迷って、ソフィアは袖を捲った。
――どのくらい片付けていただろう。ぐぅと鳴ったお腹の音に顔を上げると、窓の外はすっかり暗くなっていた。
かなり回復したがまだ病み上がりの体調なので、何をするにも動きはゆっくりだ。
床に置かれた本をまとめたり服を畳んだり、途中に何度か休憩を挟んでまた壁の写真を眺め、古い新聞をくくったりするだけでこんなに時間が経っていたのには驚いた。
「わたし、お腹がすくくらい元気になったのね」
なんだか久し振りに食欲を感じた気がする。
叔父たちと暮らしているときは常に気詰まりを感じていて、特に一緒に囲む食卓はつらい時間だった。
彼らはソフィアの持ち物を奪い行動を制限したが、食事を抜いたりはしなかった。
むしろ夕食には必ずソフィアを同席させ、叔父たちにしか分からない話をして疎外感を与えたり、ソフィアの両親の悪口を言ったりするのだ。
(あの家では、なにか食べたいとか思わなかったのに……)
片付けの手を止めて、ソフィアは小さなキッチンに行く。
寝込んでいた間、水や薄味のスープなどを飲ませてもらった記憶が朧気にある。だが、固形物は食べられていない。
(好きにしていいって言われたけど)
部屋のほかの場所に比べて、シンクまわりは散らかっていなかった。最低限の食器や調理器具もある。そして冷蔵庫には卵や牛乳、ハムなどが入っていた。
だが、そのまま食べられそうなものは缶詰と、少し固くなったバゲットくらい。どうやら、自分で作らなくてはならないようだ。
(卵……オムレツとか?)
ほかほかと湯気を立てる皿を思い浮かべて、またお腹が鳴る。
フライパンを取り出すと、ソフィアはよしと意気込んだ。
§
家を出たレオは、大通りにある一軒のブティックに向かった。何度かカタログ撮影をしたことがある、やり手の女性オーナーが切り盛りしている流行の店だ。
雑誌社に持ち込んだ写真はボツになって当てにしていた収入がなくなってしまったが、次の納期はまだ先だ。
食い扶持を探して馴染みの店に営業を掛けたところ、写真ではないが臨時の仕事があるという。
その結果、こうしてブティックのバックヤードで大量の荷物を仕分けすることになった。
ファッション業界は季節先取りだ。盛夏の前から早々に秋物を店頭に並べるための、入れ替え作業の手伝いである。
服だけなら大した苦労もないが、今回は什器や照明も一部変えるとかで、その組み立てと搬入も任されている。ちょうどよかったと喜ばれた。
「レオも大変よねえ。従姉妹ちゃん、預かって早々にお熱だなんて」
「あー、まあな」
店主はレオの母ほどの年齢だ。面倒見はいいがゴシップ好きで口が軽い。相槌を打って、適当にあしらっておくに限る。
ソフィアを匿うことになったレオだが、マクシムのアイデアで「郷里の親戚をひと月ほど預かっている」ということにした。
下町は噂が回るのが早い。ソフィアだってまさかずっとレオのアパートに引きこもらせるわけにはいかず、買い物などでも出歩くだろう。
突如現れたレオの同居人について変に詮索されるより、先にこちらから適当な情報を流してごまかそうというわけだ。
レオが田舎から上京してきたことは事実だし、従姉妹もいる。その従姉妹が、親戚のレオを頼って首都見学にやってきた――ということにしたのだ。
タイミング良く、ちょうど半月後には城下一帯で大きな祭りがある。
年に一度の、花祭りだ。
リュノール王国は花の生産国でもあり、特にこの時期に咲き始めるラベンダーの歴史的産地になっている。
そのアピールの一環である花祭りは、郊外に広がるラベンダー畑からこの城下までを多くの花で飾り、様々な催しが行われる一大イベントである。
王宮庭園も開放される大きな祭りを一度は眺めたいと、遠くからの観光客が増える時期で、だからこそ「田舎から出てきた親戚」という設定はスムーズに受け入れられた。
(マクシムの奴、よくもまあ考えが回るな)
なにか訊かれたら、実際の従姉妹の情報を話せばいい。
従姉妹とはもう十年以上も会っていないが、王都では誰もそんなこと知らないし、もっともらしい設定を考えるより気が楽だ。
「ねえ、レオだけで大丈夫? あたしが看病に行きましょうか。子守歌とか歌ってあげるわよ」
しかし「無愛想なレオが、親戚の女の子の面倒を見る」ということが面白がられてしまい、こうして揶揄われている。
積まれた荷物を移動させながら、レオはやれやれと肩をすくめた。
「熱は下がったし、子守歌なんて喜ぶ歳じゃない。もうすぐ二十歳だぜ」
「あーら、従姉妹ちゃんもレオも、あたしから見たらみんな赤ちゃんみたいなもんよ。可愛がらせてくれてもいいじゃない」
「あのなあ……」
「あはは! 店長、ダメですよー。レオってノリ悪くて、冗談とか全然通じないもん」
バックヤードに店頭から夏服を下げて来た若い女性店員も話に加わる。
「何回誘ってもちっとも遊んでくれないし。カタいよねー」
「余計なお世話だ」
「ほらまたそう言うー。今度デートしてよね!」
きゃはは、と明るく笑って戻っていく店員に、レオは盛大に溜め息を吐いた。
「レオ、溜め息は幸せが逃げるって言うわよ?」
「そんなもん。どうせ最初から逃げられまくってるし」
「もう、面白くない男ねえ。さ、そこ終わったら向こうの棚を組み立てて!」
適当に返事をしつつ、それでも仕事だけはきっちりと済ませてレオが店を出たのはとっぷりと日も暮れてからだった。
(……こんなもんか)
手に提げた大きな紙袋をちらりと眺めて、レオは家へ急ぐ。
夜までかかると言ってあるが、慣れない場所で留守番をさせていることになんとなく気が咎めたし、第一ソフィアは病み上がりだ。
顔色は良くなったが、また具合が悪くならないとも限らない。
少し良くなってはまた悪化して……を繰り返し、結局亡くなった弟がいたから、どうしても気になってしまう。
足早に夜の街を抜け、アパートに向かう。
いつもは真っ暗な自分の部屋の窓から、カーテン越しに明かりが灯っているのが見えた。
(……人がいる家に帰るなんて、何年ぶりだ?)
期間限定の同居人に対して、面倒だという思いはまだある。
けれど、十数年ぶりの誰かとの暮らしに、なんともいえない不思議な気持ちになった。
(いや、絆されてるわけじゃねーし!)
写真で身を立てることはできないまま、故郷に戻ってこいという両親の声を無視しているうちに疎遠になった。
今さら家庭的な郷愁なんてない。
だから、そんなことを思った自分がありえなくて、わざと乱暴に鍵を回した。
「大人しくしてりゃいいけど……って、なんだこの煙!?」
「レオ! こ、これ、どうしたらいいのっ」
扉を開いたとたん、もくもくと立ちこめた煙にぎょっとする。
目を凝らすと、キッチンスペースにソフィアがいて、途方に暮れた顔でフライパンを火に掛けていた。




