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マクシムの算段

 診療所に着くと、「往診だ」のひと言でジャンヌを引っ張り出す。

 治療の終わった患者となにやら話し込んでいたマクシムまでついてきたのは誤算だが、拒否するのも面倒で好きにさせた。

 道々、ソフィアの状態を説明するが、ジャンヌに驚いた様子はない。


「熱ねえ。まあ、そうなるだろうとは思ったわ」

「はあ? それなのに俺の家に行かせたのか?」

「怒らないでよ。診療所(向こう)にあるのは狭い簡易ベッドの診察台よ? ずっと寝せることなんてできないし、第一ほかの患者が来るじゃない」

「それはそうだが……」


 診療所に入院の設備はない。分かっていても、文句のひとつも言いたくなる。


「外傷は深くなかった。消毒も手当てもしたし、緊急に処置が必要な症状もないと判断したから帰したの。でも、殺されかけて川に落ちたのよ? ショックも受けただろうし、レオが見つけるまでしばらく水に浸かっていたでしょう。熱くらい出るわ」

「むしろ、レオの家に着くまでよくもったと思うよ」

「マクシム」


 不満そうなのはレオだけらしく、マクシムまでジャンヌの肩を持つ。いや、今も嬉々としてジャンヌの診察鞄を持つマクシムは、いつだって彼女に賛成するのだが。


「考えてもみろよ。普段馬車に乗ってばっかりのご令嬢にとっては、診療所からレオのアパートまでの距離を歩くのだってかなりキツいって」

「普通に歩いていたぞ?」

「無理してたに決まってるだろ。でなければ、事件のあれこれでハイになってたか。家についてちょっと落ち着いて、その反動がきたんだろうな」

「そういうものか?」

「そういうもの」


 二人にうんうんと頷かれて、レオは反論を引っ込めた。


(無理をしていたならそう言えば、歩く速さくらい合わせたのに)


 ソフィアが「疲れた」と言い出せないほど、自分の態度は酷かっただろうか。

 そうではないと思いたいが、もともと愛想が悪い自覚はあるし、話しかけやすい雰囲気ではなかっただろう。


 アパートに着いてからも、こちらからソフィアの体調を窺うこともしなかった。

 レオにとっては突然の急変だが、ソフィアの中では徐々に具合が悪くなっていて、とうとう我慢しきれなくなったのかもしれない。

 チリ、と胸が煩わしい音を立てる。久し振りに味わう罪悪感に心の中で舌打ちをした。


「ちゃんと診るからそう心配しないでいいわよ、レオ」

「……心配なんかしてないが」

「ははっ、どの面下げて言うんだか」

「マクシム?」

「えー? なんでもなーい」


 言い合っているうちに、三人はアパートへ到着した。

 ソフィアはレオが出たときと同じ姿勢でベッドに丸くなって、苦しそうな息をしている。戻ってきたことには気づいているようだが、熱がつらいらしく顔は上がらない。


 部屋の散らかりぶりには触れず、ジャンヌがまっすぐソフィアのもとへ向かった。

 取り出した聴診器や血圧計などで手早く診察を始めるのを、遠くから見守る。弱々しくジャンヌの質問に答える声も、時折聞こえた。


「――呼吸音も心音も正常。熱だけね。想定通りってとこかしら、深刻な症状は今のところないわ」


 ややあって、特に問題はないとジャンヌは判断を下した。


「本当か?」

「風邪と同じ。安静と保温、それに栄養が一番効く薬よ」

「やあ、よかったね。たいしたことないって!」


 マクシムの明るい声に、ソフィアはかすかに頷く。


「すみません、またご迷惑を……」

「謝る必要はないわ。それより、ゆっくり休んで早くよくなって、レオを安心させてあげて」

「おい、ジャンヌ」

「せっかく一緒に暮らすのに、初っぱなから体調崩されて残念ね?」

「揶揄うのもいい加減に――」

「そういえばさ、レオ。病人が食べられる物とか、この家にあるのか?」


 ジャンヌの軽口を咎めようとしたレオをマクシムが遮った。

 指摘されたのは心配されて当然のことで、同じく「そういえば」とレオはキッチンの棚の中身を思い出す。


「……ないな」


 買い置きは缶詰とシリアルだけだ。しばらく自炊もしていないから牛乳や卵もないし、酒はあっても病人には関係ないだろう。

 そんな返事に、ジャンヌはやれやれと肩をすくめた。


「用意していらっしゃい。そのくらいの時間なら留守番していてあげるから」

「僕も一緒に行くよ。荷物持ちがいたほうが助かるだろ?」


 昨夜から、レオに拒否権はないらしい。追い出されるようにして、マクシムとレオは家を出た。





 馴染みの食料品店はまだ開いていない。

 少し遠くにある朝からやっている市場へ行き先を決めると、しばらくは言葉少なに並んで歩いていたが。


「……マクシム。なにを企んでる?」

「んー? レオの想像通りだと思うけど」


 マクシムの飄々とした態度はいつものことだ。はあ、と苛立ちの籠もったため息が溢れたレオの顔を、面白そうに覗き込んでくる


「お家乗っ取りのために殺人未遂、しかも被害者は若い令嬢……いいスクープだな? 同情して大騒ぎする民衆の声が聞こえてくるようだよ」

「そう言うと思ったけどな」


 マクシムは元・一流新聞社の記者で、現・社内で一番多くスクープを取るゴシップ記者だ。記事に値する情報を嗅ぎ分ける能力は折り紙付き。

 昨夜、カフェで会った段階で多かれ少なかれこうなるだろうことは想定済みだ。


(しかし、どの程度入れ込む気だ?)


 マクシムが興味を示す度合いが高ければ高いほど、面倒ごとも多くなると経験上レオは知っている。

 侵入捜査に付き合わされて酷い目に遭ったり、狙う相手が大物でこちらのほうが身の危険を感じたりしたこともあった。

 しかも今回は――。


「相手は貴族だぞ?」

「しかも、身内を陥れようとするお貴族様だ。怖いねえ。まあ、ラ・ガゼットとクレマン編集長がどうにか盾になってくれるだろ」


 レオに駄目出しをした編集長は以前にも、自分に都合の悪い記事を書いたマクシムを引き渡せと言う業者の脅迫を最後まで突っぱねた実績がある。あれでなかなか部下思いなのだ。


「お気楽だな。それに、ソフィアの話が本当かどうか分からないじゃないか」

「僕の見立てでは、あの子は嘘を言ってない。もちろん裏は取るけどね」


 ここまで言うということは、引く気はないということだ。こうなったマクシムは説得するだけ無駄である。

 巻き込まれるのは面白くない。

 けれどマクシムはゴシップ誌の記者で、レオはその嘱託社員。そんなところに事情を抱えて現れたソフィアは、まさに格好のターゲットだ。

 分かってはいても不満そうなレオに、マクシムは声を潜める。


「貴族の醜聞は世間の反応がいい。大きな記事になるぜ、報酬もきっと段違いだ」

「結局、金かよ」

「当たり前だ。金は必要だろ?」


 否定できない。実際に現在進行形で困っている。

 レオの懐具体を知っているマクシムは、人好きのする笑みを向けた。


「快く協力してくれるなら、当面の生活費も折半にしよう。それにレオ、ジャンヌに払う薬代はある?」


 ――負けだ。

 両手を上げて降参だと伝えると、マクシムは満足そうに前を向いた。


「それで、俺になにをさせる気だ?」

「フォルジュ家の裏取りが先だからね、とりあえずはなにもしなくていいよ。ただ、あの子の言ったことやしたことを僕に教えてほしい。実家に関係することはもちろんだけど、そうでないことも全部。それと、どこかに出かけたら、その場所や時間も」


 マクシムが言うのは取材相手に対する最低限だ。もっと突っ込んだ聴取をさせられると構えていたレオは、肩透かしを食わされた気分になる。


「それだけか?」

「すでに証人の身柄を確保してくれてるからね。あとは、まあ、逃げ出そうなんて思わないように優しくしておいて」

「はあ? なんだそれ」

「はは、冗談。色仕掛けはレオの一番苦手な分野だもんな、無理だって分かってる!」


 揶揄いの言葉とともに、ぱんと背中を叩かれる。

 レオの顔は女性が好むタイプらしくよく話しかけられるのだが、その後が続かない。むしろ無意識に威圧してしまうようで逆効果である。

 これまで何度も言い合ったが、結局、レオの顔で足を止めさせ、取材自体は口が上手くてサービス精神が旺盛なマクシムが担当するのが一番効果的で効率がいい。


「分かってるなら言うな」

「いやでも、逃げ出さないようにってのは本気だから。最終的にどんなスキャンダルが出て、どんな記事になるとしても、あの子がいなかったら効果は半減だ」


 だからレオの元にしっかりとどめておけ、と釘を刺される。


「俺としては出て行ってくれたほうが助かるんだが」

「だーめ。ぜったい駄目。本人が出ていくって言っても引き止めて」


(出て行かれるのは構わないが……)


 昨晩からのソフィアが思い浮かぶ。

 蒼白な顔で水面に浮かび、診療所で消沈したと思ったら潔く髪を切り、仏頂面のレオにさっぱりとした笑みを見せたソフィアは――今は熱にうなされている。

 少なくとも熱が下がって普通に暮らせるようになるまでは、レオのもとに嫌でもいるだろう。

 その後のことは、今はなんとも言えない。


「レオ?」

「……善処する」

「お、いいねえ、その貴族っぽい言い方!」


 肘で小突き合いつつ、二人は当面の買い物を済ませた。


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