1 クラトスの答え
燐太郎の体にある、【隷属石】……! それをとり除かないと、燐太郎の命が危ない。
私はペタルーダ様に祈りを捧げる。
すると、
『エリン』
どこからか声が聞こえた。
『【隷属石】……この者の体の中で、すでに融合しています。それをとり除くことはできません。わたくしだけの力では……』
そんな……。
それじゃあ、燐太郎を助けることは無理なの……?
どうすればいい? どうしたらいい……?
私が悩んでいると、外から声が聞こえた。
「なぜ俺たちの邪魔をする? 人間」
展望台は楓弥に壊されたせいで、ガラスに穴が開いている。そこから風が吹きこんできていた。
外ではクラトスが、楓弥・煌斗と戦っていた。
時刻は夕暮れ時。
朱色に染まった空は、まるで燃える焔のようだった。
鋭い稲妻が走る。クラトスの雷だ。紅の空を裂くように飛んで、煌斗の下へと向かった。
煌斗は9本のしっぽをゆらめかせながら、その雷を回避しようとする。しかし、雷は煌斗の後ろをぴったりとついていく。
そのことに気付くと、煌斗は素早く楓弥へと接近。彼の体を引き寄せて、盾代わりにしようとした。
クラトスはぐっと眉を寄せて、手を振る。すると、楓弥に当たる直前で、雷は消え去った。
煌斗はにやりと笑いながら、楓弥の後ろから出てくる。
「はは、なぜ攻撃を解除した? この男に、同情でもしているのか?」
クラトスは冷たい瞳で、煌斗を睨みつけている。
何も言わなかったけど……クラトスの気持ち、私にはわかるよ。
楓弥は燐太郎を人質に取られて、仕方なく戦っている。そんな相手を、クラトスが傷つけられるわけがないんだ。
クラトスは自分がたとえ傷つこうとも、ボロボロになろうとも、幻獣を助けようとする人だ。初めて会った時だってそうだった。自分の指を折ってまで、幻獣の命をつなぐことを優先していた。
(今のままじゃ……クラトスは本気で戦えない)
この状態が続けば、クラトスが危ない。私の胸が早鐘を打つ。
卑怯な煌斗のことだ、クラトスの弱点に気付けば、そこを必ず利用してくるだろう。
煌斗は悠然とした態度で、高度を上げた。クラトスや楓弥を見下すように、にやにやと問いかける。
「もう一度、聞くぞ、人間。なぜ俺たちの邪魔をする?」
「世の中の幻獣たちが、理不尽な扱いを受けずに済むように……。幻獣たちの力になりたい。それは僕の責務でもある」
クラトスの答えを煌斗は笑い飛ばし、楓弥は癪に障ったように憤った。
「人間が……力になりたいだと……!?」
次の瞬間、楓弥の手からすさまじい冷気が生まれた。周囲のすべての空気を凍らせようとでもするかのようだった。ぴし……ぴし……、と何かがひび割れるような音が響く。
「私がいつ、あなたに助けてくれなどと願った!?」
咆哮するほどの声。――私には、まるで泣いているかのように聞こえる。凍りつき、ひび割れていく空は、まるで楓弥の心を表しているかのよう。
周囲の凍り付いた空気が、一斉に氷の結晶と化した。クラトス目掛けて降り注ぐ。
無数の結晶が夕日を反射する。光が辺りに飛び散った。
クラトスは冷静に呪文を詠唱している。炎で蹴散らすのではなく、対抗呪文で楓弥の魔法を消し去ることにしたようだ。
氷の結晶が、クラトスに到達する直前で。
ぱん――っ!
それらは一斉に砕け散った。きらきらとした粒子となって、舞い落ちていく。
しかし、その直後……!
クラトスの背後から、炎が襲いかかった。今度は煌斗の魔法だ……!
クラトスは咄嗟に避けようとするけど、間に合わない。彼の腕が炎をかすめ、じゅっ……と嫌な音が聞こえてきた。
「クラトス……!」
クラトスは少しよろめいたけど、すぐに体勢を立て直して、煌斗と向き直る。
やっぱりだ……楓弥を傷付けることができないから、クラトスは本気を出せていない。今の攻撃だって、別の方法で防ぐこともできたはずなのに……。
煌斗は笑いながら、炎の弾を次々と撃ち出していく。
「はははは! 楓弥の怒りは、もっともだ! 責務だか、歪んだ正義かは知らぬが、思い上がりも甚だしい!」
クラトスは炎の隙間を縫って飛行し、軽やかに攻撃を避けた。
「それに、知っているだろう? 俺も楓弥も、幻獣ハンターだぞ? 幻獣を傷つける側の立場だ! お前は幻獣の味方気取りでいるのだろう? いったい、どちらの味方をするんだ?」
煌斗と交戦するクラトスを、後ろから楓弥が狙う。それをすかさず察知し、クラトスは上昇した。
中央で、煌斗の炎と楓弥の氷が衝突した。
燃え盛る炎と、凍りつく結晶は交錯し、夕焼けの空に溶け合っていくようだった。
クラトスが空中で停止して、口を開く。
「――僕にとっては変わらない。どちらも救うべき対象だ」
「何……っ?」
「今の時代に、『幻獣ハンター』がのさばるようになってしまったのも……すべて僕の責任だ。君たちがその道に堕ちてしまったこともそうだ。『幻獣ハンター』という存在さえいなければ、君たちがそうなることもなかった」
「何を言っている!? この偽善者め……!」
自分が望んだ答えではなかったのか、煌斗は顔をしかめた。
彼にはクラトスが何を言っているのか……クラトスの決意がどれほどのものなのか、理解できないだろう。
でも、私はじんと胸を震わせていた。
クラトス……答えを出したんだね。
『どちらも救うべき対象』
今の時代を、この世界を作ったのは、エヴァ博士――クラトス本人だから。それが自分の責務だと思っているんだ。
そして、それはとてもクラトスらしい答えだった。
私は……どうだろう?
星空の下、クラトスと話した時から私もずっと考えていた。
私は幻獣を助けたい。だけど、その助けようと思っている相手がもし、どうしようもない悪いヒトだったら、どうすればいいのだろう?
……それでも、私は、そのヒトのために祈ってあげられる……?
クラトスの言葉が胸を打ったのは、私だけではなかったようだ。
楓弥が呆然と動きを止める。
「……弟を守るためとはいえ……口にはできないようなことに手を染めた。同族にも、祖先にも、とても顔向けができない……」
罪の重さに押しつぶされそうになっているように、楓弥はうなだれる。
「そんな自分を私は許せない……。だが……そんな私でも、あなたは救うべき対象だと……?」
クラトスは真摯な表情で頷く。
「エリンと僕で、君を助ける」
「…………っ!」
そこで楓弥の鉄仮面のような表情が崩れた。悲しそうに顔を歪めている。
「楓弥! なぜ手を止める!? 燐太郎が死んでもいいのか!?」
煌斗の声で、楓弥はハッとして唇を噛みしめた。
堪えるように眉を寄せる。そして、掌をクラトスへと向けた。
「……すまない……! 私は……、それでも私は……!」
震える手で、氷の刃を撃ち出す。
(……楓弥さん……っ)
まるで……泣いているみたいだ。
そんな顔を見たら、ますます力になってあげたいと思う。
――助けたい。
私の目の前で、苦しそうに息をしている燐太郎のことも。
自分の心を傷つけながら、戦い続ける楓弥のことも。
絶対に、助けたい……!
その時、燐太郎がか細い声で呟いた。
「……リコス様……。兄ちゃんを助けて……。お願い、リコス様……」
その言葉で、私はハッとする。
そうだ……ペタルーダ様は言っていた。
『わたくしだけの力では……』って。
それなら、他の七神の力を借りたら……!?
【マギアレープス】が崇めていたのは、山神リコス様だ。
私は胸の前で指を絡ませて、祈るポーズをとる。
そして、心から願った。
「リコス様……! お願い、りんくんと楓弥さんを助けたいの! 力を貸して!!」
その声に応じるように――。
手に光が宿った。
次の瞬間、私の視界は真っ白に塗りつぶされた。
◆ ◇ ◆
◇ ◆
◆
◇
私は真っ暗闇の中にいた。
上も下も、右も左もわからない空間で、宙に浮いている。
この場所……! 知っている!
ペタルーダ様が私と話してくれたところだ。
目の前に誰かがいる。顔を上げると、そこには大きな狼がいた。白銀の毛並みが、神々しくゆらめいている。
――何て綺麗な狼なんだろう。