4 楓弥の思い
祝福の光が、楓弥に降り注ぐ――!
すると、彼の記憶が私に流れこんできた。
◆ ◇ ◆
私は煌斗を村から連れ出し、森の奥へとやって来た。
他の村人には、この話を聞かれたくない。
どうか……私の思い違いであってほしい。
そう願いながら、口を開く。
「煌斗……。以前から、気になっていた。村を出て行ったまま、消息を絶っている村人が何人もいる」
煌斗は私の幼馴染だ。彼のことはよく知っている。
彼はいつも通り、爽やかな笑顔を浮かべながら答えた。
「楓弥は心配性だなあ。便りがないのは、息災の証拠だって言うじゃないか」
その笑顔を見ながら、私はまだ迷っていた。
ずっと隣で、彼のことを見てきた。彼のことを信頼していた。だからこそ、彼が村の長となった時も、異論はなかった。
そんな彼のことを……私は疑おうとしている。そのことに罪悪感を覚えながらも、言葉を継ぐ。
「私は村の外で、彼らの調査をずっとしていた。そして、そのうちの1人を最近になって見つけた」
煌斗は首を傾げながら、私の話を黙って聞いている。彼の頭の上で、黒い狐耳がぱさりと揺れた。
「その者は……人間の奴隷となっていた。私は彼を助け出した。しかし、彼はまるでそれが自分の意志であるかのように……人間の下に戻ることを望んだ。私が何を言っても、聞き入れてはくれなかった」
「…………」
「あの者は……この村で生まれた。そして、あなたの言う『儀式』を受けていた」
煌斗……なぜ何も言ってくれない?
なぜこんな話を聞いて、平然としていられる……?
村の者が、人間にいいようにされているのだぞ……!?
私と同じように、激しい怒りを感じてくれるのが普通じゃないのか……!?
この時、私はすでに悟っていた。
そして、胸の奥がざわついていた。
まさか……! やはり……この男は……!
「正直に答えてくれ……! あの手術は、リコス様の祝福を得るためではないのだろう? あなたは村の子供たちの体に、いったい何を埋めこんでいる……!?」
煌斗は今度は、反対側に首を傾げた。
どこまでも呑気な様子を見せている。
そして、ふと……唇を吊り上げた。
「……なーんだ。もう、そこまで気付いちゃったのか」
その時、私は驚きすぎて、心臓が止まるかと思うほどだった。
煌斗が浮かべたのは……闇の底から這い上がるような、邪悪な微笑だった。
この男は、誰だ……!?
よく知る幼馴染の、まったく知らない一面に、私は凍り付いた。
◇
その後、煌斗は空間転移で姿を消した。
私は底知れない不安に駆られていた。
私はまさか……深く封じられた闇の扉を、開けてしまったのだろうか……。
彼はいったい、何をするつもりなんだ……?
その晩のこと。
村が人間たちに襲われた。私が気付いた時には、すでに妖狐が何人も人間たちに捕らわれていた。
私は家の裏で隠れていた燐太郎を見つけた。その体を抱きしめる。燐太郎はよほど怖い思いをしたのか、すぐに気を失ってしまった。
空中に、人影が浮かんでいる。狐の面をつけた男だ。
これは幻術で作り出された幻か。
私はその姿を呆然と見つめていた。
「……煌斗……なのか……?」
仮面の三日月形をした口から、ふふ……と声が漏れた。
その声に私は戦慄していた。
ああ……やはり……信じたくはなかったが、この現状を見れば、信じざるを得ない。
この男は……! 村の長を任されながら、このような下劣なことに手を染めていたのだ……!
仮面の男は楽しそうに、空中であぐらをかいた。そして、私の反応を観察するように、ねっとりとした声で言う。
「楓弥の知りたがっていた答えを、教えてあげよう。村の子の体に埋めこんでいるのは、【隷属石】と呼ばれるものだ。子供の時に体内に入れることで、その者の魔力と混ざり合う。そうすると、どうなると思う? そうだ、実践してみようか」
男……ヒョウガと呼ばれていた幻は、私へと手を伸ばす。
「燐太郎……『こちらに来い』」
その瞬間、私の腕の中で燐太郎が目を開く。しかし、そこに理性は感じられない。
うつろな目をしたまま、私の腕の中から飛び出した。
「りん……! りん、どうした……!?」
私の声には応じない。燐太郎はヒョウガの方へと歩み寄った。
「りん……意識がないのか……?」
「あははは、面白いだろう?」
ヒョウガが手に何かを握っている。小さな石の欠片だ。それを弄ぶように、上へと放りながら彼は話を続けた。
「これは、燐太郎の【隷属石】と呼応する石。これを持つ相手に、燐太郎は決して逆らえない。その上、どこに逃げようとも、その位置が俺にはわかる。人間が幻獣をペットにする時に、使う方法なんだってね」
「では、やはり……! 村の妖狐を、あなたは人間に売り払っていたのか……!?」
「楓弥も、外の世界を見ただろう? 幻獣ハントは、もはや一大ビジネスだ。俺も一枚噛んでみたくなったのさ。特に妖狐は最高の商品だ。これ1匹に、どれくらいの値段がつくのか、知ってる?」
そこで男は足を下ろして、直立の姿勢をとった。
楽しそうに両手を広げる。
「実は最近、商売を広げすぎてしまってね。俺1人では手が回らなくなってきたのさ。よければ、お前も手伝ってはくれないか? あ、心配しなくても、分け前は半々にしてやるよ」
嬉々とした声は、どこまでも私のことを馬鹿にしていた。
もう感情の制御が利かない……! この男の喉笛を、今すぐ食いちぎってやりたい!!
「煌斗……! 貴様ぁ……!!」
私はすかさず、氷のつぶてを撃ち出した。相手が幻であることも考えられなかった。
撃ち出した攻撃は、ヒョウガの姿を通り抜けていく。彼は未だに平然とした様子のまま、宙に浮かんでいる。
そのことがなおさら、私の怒りを駆り立てた。
彼は笑いながら、あごに拳を当てる。
「お前の可愛い弟……燐太郎。この子には、いくらの値段がつくかな?」
「何を……!?」
ヒョウガが迫って来る。気が付けば、私の眼前に浮かんでいた。
無機質な狐の仮面が、悦と邪悪に染まったように見えた。
「どこに逃がそうと、隠そうとも、無駄だよ。だって、【隷属石】が埋めこまれている限り、俺には燐太郎を見つけ出せる」
私は息を呑んだ。
燐太郎の姿を見る。彼は直立不動の姿勢のまま、ぴくりともしない。まるで……次の命令を待ち望んでいるかのように。
ヒョウガは楽しそうに言葉を続ける。
「そういえば、このくらいの年ごろの妖狐を欲しがっている、変態貴族が俺の知り合いにいたな……。ちょうどいいのが手持ちにいると、連絡してみようか?」
りん……燐太郎……。
私の唯一の家族……。
幼い時から、燐太郎は私のことを慕ってくれていた。いつでも私の後をついて回った。『どうしたら、兄ちゃんみたいな九尾になれる?』無邪気な彼の眼差しを、私は思い出していた。
「…………やめてくれ……」
しぼり出すように私は言った。
「りんは……、弟だけは……っ」
ヒョウガが、ふふ、と笑う。
その声は、ねっとりと絡みつく闇のようだった。
◆ ◇ ◆
胸が……苦しい。
怒りと、悲しみと、途方もない後悔の念が、楓弥の記憶からは流れこんできた。
ああ……やっぱりそうだったんだ。
あなたは本当は、心優しいお兄さん。本当は、幻獣ハンターなんてしたくなかった。
ずっと、苦しんできたんだね。
私は泣きそうになりながら、楓弥を見る。
祝福を浴びて、怪我は綺麗に治っている。彼は驚いたように私のことを見上げていた。
「楓弥さん……。りんくんの体に埋めこまれている、【隷属石】。私が必ず、とり除きます」
「なぜ、それを……!?」
「だから、これ以上、自分の心を傷つけないで……。あなたは本当は、幻獣ハンターなんてしたくない」
記憶の中の気持ちに同調しすぎたみたい。胸が苦しくてたまらない。私は力が抜けて、掌を床につけた。
「りんくんのために、傷つくのはもうやめて……」
「…………私は……」
楓弥がじっと私の顔を見ている。
その表情は、今も氷のようだ。きっと本当の気持ちを封じこめすぎたのだろう。そうでもしなければ、耐えられなかった。
誰かを守るために、誰かを傷つける。
そんな自分勝手な行為を、楓弥自身が誰よりも許せなかったにちがいない。
彼はまだ、私の顔を見つめている。何かの答えを探すように。
やがて、ぽつりと呟いた。
「……本当に……りんを支配から解放してあげられると……? あなたなら……」
その時だ。
「――そんなことはね、不可能だよ」
もう1人の声が響いた。
展望台の外……! 空から降ってくるように、黒い影が現れる。
もう1人、いるのはわかっていた……。
だって、私たちが楓弥に構っている間も、クラトスはずっとヒョウガと戦っていたんだもん。そのヒョウガを作り出している術者が、もう1人――煌斗も、いるってことだ。
現れたのは、黒い【マギアレープス】だった。楓弥と同い年くらいに見える。
知的そうな楓弥と比べると、その男は狡猾そうという表現がよく似合う。
黒い狐耳と、9本に分かれた黒いしっぽ。切れ長の目は吊り上がっていて、狐のような顔立ちだ。
「【隷属石】は、魔法石から作られる。幻獣の体内に埋めこむことで、その者の魔力と溶け合って、体の一部になるんだ。それをとり除くことは、絶対にできない」
男はにやにやとしながら、展望台の中を覗きこんでいた。
「つまり、お前の大事な弟は一生、俺の――そして、人間どもの可愛い玩具だよ」
「あなたが煌斗ね」
私は立ち上がって、楓弥を守るように前に出た。
「幻獣でありながら、幻獣を売り飛ばすなんて……! どうして、そんなことをするの!?」
「楽しいから。金が欲しいから。……自由が、欲しいから」
まるで歌うように、煌斗は理由を並べ立てた。
ああ……この人は……。
私の反応を見ている。どの言葉で私が怒り出すのか、試しているんだ。そして、それを楽しんでいる。
「この答えで、満足かい? お嬢さん」
煌斗は首を傾げた。黒い狐耳がふわりと揺れる。
三日月形に開いた口は、狐のお面よりも冷酷で恐ろしかった。
やっぱり、そうなんだね。
世の中には、いるんだ。
心優しい幻獣がいるように。
――邪悪な心を持つ、幻獣だって。