1 妖狐の村:跡地
燐太郎が暮らしていた、《マギアレープス》だけの村――その跡地に来たよ。
ゲートをくぐり抜けて、私は息を呑んだ。
そこには襲撃の激しさを物語る、凄惨な光景が広がっていた。
村の周囲は、森に囲まれている。『隠れ里』という言葉が似合うような、静かな場所だったのだろう。点在している家屋は、見るも無残に壊されていた。
森の静けさがその惨状を際立たせる。風が通り抜けるたび、壊れた木材を揺らし、かつてここにあった生活の痕跡をもの悲しげに浮きだたせた。
誰かの気配も、誰かの声も、どこにもない。
元の村を知らない私でさえ、胸が痛くなるよ。燐太郎の心痛は計り知れない。
しかし、燐太郎は気丈にも、ぐっと口を引き結ぶ。足を踏み出して、辺りの散策を始めた。
「りん、この村に住んでいた【マギアレープス】は、どれくらいいた?」
クラトスが尋ねると、燐太郎は冷静に答える。
「全部で30人くらいだよ」
「【マギアレープス】は長生きの種族だ。それに、周囲が結界や幻術で守られていたのなら、危険もなかったはず。増えることはなかった?」
「ずっとその数を保ってきたみたいだ。大人になった妖狐は、外に出たまま戻らないこともあったから」
「戻らない?」
「ここでの暮らしが窮屈だったんだろう。オレもそうだよ。『外に出ちゃいけない』なんて言われたら、外の世界が気になる」
私たちも燐太郎に続いて、村の中を歩いていく。
クラトスは質問を続けた。
「村を束ねているヒトはいた?」
「うん。オレが生まれるずっと前から……長は煌斗さんだった。兄ちゃんの幼馴染で、仲がよかったんだ」
「……ということは、九尾?」
「そうだよ」
九尾というのは、しっぽが9本に分かれた【マギアレープス】のことだ。すごく強い力を持つっていう。
楓弥は強かったから、煌斗という人もそれなりの実力者だったにちがいない。
「村を襲撃したのがヒョウガで、その正体が楓弥だったのだとしたら……他の【マギアレープス】たちが束になっても敵わないというのはわかる。だけど、その時、もう1人の九尾は何をしていた?」
「オレも覚えてないから……。でも、煌斗さんだったら、きっと、村のみんなを守るために戦ってくれたはずだよ」
燐太郎が突然、足を止めた。
崩れた家屋を見て、悲しそうに狐耳を垂らす。
「ここ……。オレと兄ちゃんの家」
その言葉に、私たちは息を呑んだ。
無残に破壊された家。それは人間たちの蹂躙の痕だ。
「オレの母ちゃんと父ちゃんは、オレが生まれたすぐ後に、病気で死んじゃったからさ……それからはずっと、兄ちゃんが親代わりだった」
燐太郎は思いを馳せるように、その残骸を眺めている。
「あの日……オレは怖くて、この家の裏に隠れていた。ハンターたちが村を壊す光景を、ただ震えて、見ていることしかできなかった……。今でも信じられない……あの時のアイツが、兄ちゃんだったなんて……!」
私は燐太郎の記憶を思い出していた。
あの時、ヒョウガは楽しそうに村を蹂躙していた。
ヒョウガは幻術で作り出された幻だ。あれを操っていたのは、本当に楓弥さんなの……?
燐太郎は自分が隠れていたという場所を見つめている。
すると、突然、頭を抱えてうずくまった。
「う、……」
「りんくん……! 大丈夫!?」
私は慌てて、彼に近寄る。燐太郎は首を振りながら、何かに耐えるような表情を浮かべていた。
「……あの日……」
その目が途端にうつろになる。そして、うわごとのような言葉を呟いた。
「ハンターに襲われて……。それで、オレは……っ」
「りんくん……どうしたの!?」
クラトスが冷静に言う。
「あの日のことを思い出しているのかもしれない」
私の胸は、ぎゅっと苦しくなる。
あの日のことって……燐太郎にとっては、何よりもつらい記憶のはずなのに。平和だった日々が、終わりを告げる瞬間。大切なものが、目の前で壊されていく恐怖。
そんな記憶をもう一度、辿るなんて……。燐太郎に、そんな苦しい思いをさせたくはない。
だけど、気になることがある。
あの日、この村で何が起きたのか。燐太郎はどうして1人だけ助かったのか。
りんくん……がんばって。
私は少しでも燐太郎を楽にしてあげたくて、彼の前で指を絡ませた。
「りんくん……大丈夫だよ。《ペタルーダ様の祝福を》」
淡い光が燐太郎を包みこむ。すると、燐太郎の表情が和らいだ。祝福がうまくいったみたい。
……同時に、私の頭にはこんな光景が流れこんできた。
◆ ◇ ◆
それは悪夢みたいな光景だった。
ヒョウガの作り出した炎が、次々と家を焼き払う。幻術で隠れていた妖狐たちも、あいつが指を鳴らすと、その幻術が解かれてしまう。
そして、大切な仲間たちが1人、また1人と捕まっていく。
……オレも見つかるのは、時間の問題だ。
人間に捕まったら、どうなるのだろう。
煌斗さんが話してくれたことがある。『人間は残虐だ。もし人間に捕まったら、死ぬよりも恐ろしい目にあう』って。
こわい……こわいよ。
助けて……兄ちゃん……。
全身の震えが止まらない。あのヒョウガってやつが……徐々にこちらに近づいてきている。
もう終わりだ……! オレも……オレも捕まる……。
あまりの恐怖に、オレの頭の中が真っ白になる。幻術の維持ができなくなって、その場に倒れかかった。
その時。
「……りん……!」
誰かがオレのことを、優しく抱きとめた。
ぼやけた視界で、オレはその姿を見上げる。
ああ……会いたかった……。
心の中で、ずっと名前を呼んでいたよ……。
やっぱり、助けに来てくれたんだね。
楓弥兄ちゃん……。
楓弥兄ちゃんはオレを強く抱きしめながら、くしゃりと顔を歪める。
「りん……大丈夫だ」
そして、何かを決意するように顔を上げる。兄ちゃんが睨みつけた先には、ハンターたちの姿。
ヒョウガが楽しそうな様子で、空中に浮かんでいた。
兄ちゃんはオレを抱く手に力をこめながら、確かな声で言った。
「私が必ず、お前を守る」
◆ ◇ ◆
今の光景……!?
私は顔を上げる。すると、燐太郎も私のことを見ていた。頭痛は止んだらしく、はっきりとした表情でつぶやく。
「兄ちゃんだ」
「私も見えたよ……今の記憶」
その瞬間、燐太郎はぴんとしっぽを伸ばして、嬉しそうに言った。
「兄ちゃんだったんだ!! あの日、オレを助けて、村から逃がしてくれたのは、兄ちゃんだった!」
すると、ミュリエルはきょとんとした顔をする。
「どういうこと!? ヒョウガの正体は楓弥だったんじゃないの?」
「そのはずだけど……でも、今、見えたりんくんの記憶では、ヒョウガと楓弥さんが別に存在していたよ」
「そうか。……2人いるんだ」
クラトスが気付いたように告げた。
「ヒョウガの姿は、幻術で作り出されていた。ヒョウガを作り出せる術者が、2人いるんだ。そのうちの1人は楓弥。そして、もう1人は村を襲った張本人」
「それじゃあ……村を襲ったのは、兄ちゃんじゃなかったってことか?」
「少なくとも、その時点でヒョウガを操っていたのは楓弥じゃない――エリンの見えた記憶では、そうだったんだろ?」
「うん。むしろ、楓弥さんはヒョウガから、りんくんを守ろうとしているように見えたよ」
「でも、それだと、おかしいわ! どうして今の楓弥は、幻獣ハンターなんてやっているの?」
そうなんだよね……。
村を襲われた時、彼は燐太郎を守っていたはずなのに。
お祭りの時に現れた楓弥は、まるで別人のようだった。
あの時、楓弥はこう言っていたっけ。
『どれが本当で、どれが嘘か……。りん、お前には区別がつくのかい? あの村で、お前と過ごしていた私こそが、偽りだったとすれば……。その場合は、こちらこそが本来の私と言えるのではないか?』
優しい楓弥と、冷たい楓弥。
どっちが彼の本当の姿なんだろう?
私は甘いかもしれないけど……楓弥の本性は、温かいものであってほしいと願う。
「楓弥さんには……何か、そうしなきゃいけない理由があるんだと思う」
それは今の時点では、希望的観測にすぎないのかもしれない。
でも、燐太郎の知っている優しいお兄ちゃんが、すべて偽りだったなんて、私は思いたくないよ。
燐太郎の記憶を私は思い出した。
楓弥の温かな雰囲気、温かな声。
そして、燐太郎を守ろうとした姿。
その彼が今はなぜか、幻獣ハンターをしている……。
――その理由を知りたい。
私の力で、どうにか読みとれないかな?