5 妖狐の赤ちゃん
幻獣ハンター・ヒョウガの正体は、楓弥さんだった。
私たちは幻獣を助ける活動をしている。だけど、悪いヒトが幻獣だった場合は、どうしたらいいんだろうね?
次の日、私たちの間にはまだ重苦しい空気が漂っていた。ミュリエルにもいつもの元気がないし。
2人で階下に向かう。そこで燐太郎と会った。
「あ……りんくん、おはよう」
「…………ん」
燐太郎も沈み切っている。
無理もないよ。私もどうやって励ましたらいいかわからない。
すると、2階からディルベルとマーゴがやって来た。
「おう。昨日は、どうだった……って、うお!? 何だよ、このずっしりと重い空気は! やめろ、俺の翼が湿気るだろうが」
ごめん、ディルベル。
今はそんな軽口に付き合ってる余裕がないの……。
私はぼんやりと頷く。
「うん……そうだね」
「おい、エリン……? 何があった?」
「えっとね……。いろいろとあったんだけど……。幻獣ハンターのヒョウガと接触して……」
「おお! 現れやがったか! それで、そいつをぶっ飛ばしてきたんだよな?」
「……楓弥さんだったの」
「ん?」
「ヒョウガは、りんくんのお兄さん。楓弥さんだったの」
「んん?」
なるべく声を潜めたんだけど、幻獣の耳はいいんだった。燐太郎の狐耳がぴくりと動く。そして、泣きそうな顔で俯いた。
「…………兄ちゃん…………」
「おおう……あー……なるほど?」
ディルベルはいろいろと察したらしい。
「マーゴ、パンケーキだ!」
「うにゃ?」
「つべこべ言わずに、パンケーキだ! こいつら、あれを食うと、やたらと嬉しそうにしやがるからな」
「にゃるほど~。ディルベルは、みんなに元気を出してほしいのにゃ?」
「あ? ちげえよ。このだるい空気を、どうにかしたいだけだ」
「うにゃあ~、いつだか、燐太郎に言ってた言葉をそのまま返すと、『素直じゃねーの!』にゃ」
「うるせえ! いいから、早く用意しろ」
「でも、マーゴはお肉料理しか作れないのにゃん。ディルベルもお手伝いしてにゃ」
「俺が!!?」
その後、私たちはディルベルに無理やり食堂に集められていた。
今はパンケーキを食べたいって気持ちじゃないんだけどなあ。
でも、抵抗する気力もないというか……もう言われるがままだよ。
そして、待つこと数分後。
……何かすごい変な臭いが漂ってきた。
マーゴがしっぽを垂らしながら、食堂に入ってくる。
「ごめんなのにゃん……。もう、マーゴの手には負えなかったのにゃ……」
続いて、仏頂面のディルベルが現れる。
手に持った皿には、とんでもないものが載っていた。
それを食堂のテーブルに、どんっ! と置く。
……これは何?
黒く焦げ付いているだけなら、まだしも……。
パンケーキでは、ありえない色と形状をしている。
甘くしようとして、果物を入れた? それも真っ黒に焦げてるけど。パンケーキからぼこぼこにはみ出していて、不格好だ。
果物は、焼かなくていいんだよ。
「ディルベル……」
もう私には、何も言えることがない。
「偽物のパンケーキだ」
見ればわかることを、クラトスは研究者顔で断定する。
「あたしのよりひどいわ!!」
ミュリエルは大げさなほどに嘆いた。
一斉に非難を浴びて、ディルベルは怒り出す。
「うるせっ! 料理なんてしたことねえんだよ!!」
顔が赤くなってるし。作れないなら、無理しなくていいのに。
すると、私の隣に座っている燐太郎が震え出した。俯いてるから顔が見えない。
彼の気持ちを考えて、私はハッとする。
「あ、ごめん……りんくん。今、そんな空気じゃないよね……」
「本当にごめんね……。うちのくそ雑魚竜が……」
「くっそ! この空気じゃ、怒るに怒れねえ……! おい、りん……! パンケーキなら、ちゃんとしたのを焼き直してやるから! だから、泣くな!」
燐太郎は何かに耐えるように、肩を震わせてから……。
突然、ぷっと吹き出した。
「ふ……あはは……! バッカみたいだ……っ」
「りんくん……?」
「さっきまで、この世の終わりかってくらいに落ちこんでたオレが、バカみたいじゃん……!」
私たちは唖然として、燐太郎を見つめる。
この子がこんなに明るい顔で笑っているところ、初めて見たよ。
「あんたらは、本当にどうしようもない馬鹿だよ!!」
「おい……また言いやがったな。生意気な狐が」
しばらく笑ってから、燐太郎は目尻の涙を拭った。
「だから……そんなあんたらと一緒にいるから、オレも馬鹿になるよ。今はいくら悩んでも仕方ないんだって」
燐太郎はしんみりとした顔で、ディルベル作のパンケーキを見る。そして、また笑い出した。
「あのさ、ディルベル。これは食いもんじゃない。廃棄物を食卓に並べるなよな」
「うるせ~!!」
ディルベルが怒鳴って、みんなが笑った。
ディルベルの不器用な励ましのおかげで、燐太郎の元気が出てきたよ。
私も昨日よりは、気持ちが明るくなった。
朝食後、私と燐太郎は治療室を訪れていた。昨日、保護した【マギアレープス】の赤ちゃんの面倒を見るためだ。
昨日は疲れていたのか、ぐっすりと眠っていた。この子はまだ幼く、人化することも言葉を話すこともできないみたいだ。
でも、燐太郎のことは覚えているらしい。彼が顔を見せると、赤ちゃんは嬉しそうに駆け寄ってきた。
まだ歩くのもへたくそだ。ぽてぽてと小さな足音が響く。
「元気そうでよかったよ」
燐太郎は、くしゃくしゃとその子の頭を撫でる。
ふわふわの毛が揺れる。耳はまだ三角ではなくて、ちょこんとした丸耳だ。燐太郎を見上げた後、彼らは私の方を見た。好奇心いっぱいの大きな瞳をぱちぱちと瞬かせている。
「きゅー…」と、か細い声で鳴いた。
うう……そろそろ限界なんだけど。だって、私の保護欲はさっきから刺激されっぱなしだ。
ぬいぐるみみたいな体も。ちょっと不安そうに体にしっぽを巻きつけているその姿も。
可愛い! 【マギアレープス】の赤ちゃん、なんて可愛いの~~~!
でも、ここで私が叫んだり、触ろうと手を伸ばしたりしたら、怯えさせてしまうよね。だから、心の中だけで叫ぶだけにとどめておいた。
本当は、抱きしめたくてたまらなかったけどね!
「少し擦り傷とか負ってたけど、昨日治したよ。それ以外は異常がなさそうで、よかった」
「そっか。……エリン、ありがとな」
燐太郎は小さく笑って、赤ちゃんを抱き上げた。それをこちらへと向ける。
「抱っこするか? したいんだろ?」
「え? でも……いいの?」
「……ん」
燐太郎は、自分の顔の前に赤ちゃんを持ち上げて、言って聞かせる。
「このお姉さんは命の恩人だ。わかるな? オレもこの人にはたくさん世話になってる」
りんくん……!
私はじーんと胸を熱くさせていた。はじめは反発ばっかりだった燐太郎が、ここまで言ってくれるなんて。
それなのに……私は何の役にも立てなくて、ごめんね。昨日はお兄さんを引き留めることもできなかった。
【マギアレープス】の赤ちゃんは、「きゅう」と小さく鳴いた。燐太郎は頷いて、私の腕に抱かせてくれる。
「ほら、エリン」
「わ、ふわふわ……軽いね。ありがとう」
赤ちゃんの毛! 極上のふわふわ! それに軽すぎて、綿毛を持っているみたいだ!
赤ちゃんはくるくるのお目めで、私を一生懸命に見上げている。どうしよう、可愛すぎる……!
怯えさせないように気を付けながら、私はその子の体を優しく撫でた。
すると、指先が不思議なものに触れた。
「ん? あれ?」
何だろう。ふわふわの中に、ちょっとギザギザしたものがある……? 首の後ろのあたりだ。
「この子、このあたりに何かあるよ」
「ああ、それか。オレもあるよ」
燐太郎は狐の姿に変わると、私に背中を向ける。
そっと手を伸ばして、彼の首を撫でる。すると、燐太郎の毛の中にも、その感触はあった。
これって、手術の痕……?
「これは、リコス様の祝福を受けるために必要なんだって。村では、『魂継の儀式』って呼ばれていた。村で生まれた子供は、この儀式を受けるんだ。それによってリコス様の加護を授かり、一生災いから守られるんだってさ」
「ふーん……そうなんだ……?」
私はその言葉に、少し胸がざわついた。
祝福を受けるための手術? 本当にそれだけのことなの?
でも、【マギアレープス】たちは、リコス様への信仰が厚いみたいだ。それは燐太郎の様子を見ていればわかる。だからこそ、村の人たちはみんな信じて疑わなかったんだろう。
それにしても、まだこんなに小さな赤ちゃんなのに。どうしてこんなに早く、手術をしなければならないのか……。
「ねえ、りんくん。りんくんたちの村って、どのあたりにあるのかな?」
「レセプトの森の中だ。前までは結界で周囲を守っていたから、人間は入れなかった。……今は……残骸しかないと思うけど」
燐太郎は目を伏せて、苦しそうな顔をした。嫌なことを思い出させてごめんね。でも、儀式のことを聞いたら、どんな村だったのか気になる。
「……もし、りんくんさえ大丈夫なら、村に行ってみない?」
「そうだな……。オレもあの後、村がどうなったのか気になる。わかった、行ってみよう」
燐太郎は本当に強い子なんだね。
悲しそうな気配をすぐに吹き飛ばして、彼は頷いた。
私はさっそく、このことをクラトスに相談した。そして、その日のうちに村のあった場所まで行ってみることになった。
ミュリエルもまたついてきてくれるみたい。お祭りの時のメンバー4人で、向かうことになった。
出発前、ディルベルが意地悪そうな顔で言った。
「おい、子狐! また、びーびー泣いて帰ってきやがったら、俺の特製パンケーキ食わせてやっからな」
「どんな罰ゲームだよ!?」
おお、意外と仲良くなっている?
いいことだ。燐太郎もだいぶ、みんなに馴染んできたね。
ミュリエルが【ゲート】を起動した。
緋色の輝きを、私は少し複雑な思いで見つめていた。
【マギアレープス】だけが住んでいた村。
そこはいったい、どんなところなんだろう?