1 ヒョウガ、現る
クラトスといつの間にか、お祭りデートみたいな感じになっていた。
クラトスは普段より雰囲気が柔らかくて、たくさんほほ笑んでくれる。気がついたら、私の手を握られてたし……。
もう完全にデートだよ!
私の心臓はバクバクして、持ちそうにありません。
こういうの、初めてしたけどすごく楽しいね。こうして一緒にいられると、嬉しいな。本当は……いつまでもこうしていたいと言いますか……。
難しいことは全部忘れて、楽しいことだけを考えていられたら、幸せだけれど。
でも、そういうわけにもいかないんだ。
私たちには、やらなきゃいけないことがある。
そろそろ気持ちを、お仕事モードに切り替えないと。今日、ここに来たのは会場の下見のためだ。
今から2日後。この近辺で幻獣の売買取引が行われる。私たちの目的は、その現場を取り押さえ、捕まっている幻獣を助けることだ。
出店が並んでいる通りは、1本道の平地だった。そこはすべてクラトスと歩いた。人が多いところでは取引をしないと思うので、そろそろ楽しかった会場とはバイバイして、周辺を散策してみないと。
今いるのは、山のふもとだ。ここから先は階段が山頂まで続いている。
出店の並んだ通りは人がごった返しているけど、山の上まで行く人はいないみたい。階段道は提灯によって薄ぼんやりと照らされて、閑散としている。
「あ、ミュリエルとりんくんは大丈夫かな」
「うん。出発前に、2人に位置を特定できるようになる魔法をかけておいた」
おお、さすが、クラトス。抜かりがないね。
ミュリエルは【フロガルド】、珍しい竜だし、燐太郎も【マギアレープス】だ。
幻獣ハンターからすれば、2人は垂涎ものの存在にちがいない。幻獣売買の取引が行われるのは今日でないとしても、警戒しておくのは当然だ。
「それに、人気のないところには行かないように言ってある。さっきから、この出店の並ぶ通りから出ていないよ」
「そっか。じゃあ、まずは2人と合流しないとだね」
私が言った、その時。
どん! と大きな音が響いた。
私とクラトスは目を丸くして、音の発生源へと視線を向ける。空の上だ。
宵闇を切り裂くように、鮮やかな火花が広がった。大きな花が空で開いて、その色が目に焼き付く。
祭り会場の人々が「わあ!」と歓声を上げた。火の粉がぱちぱちと散ると、星屑のようなシャワーに変わって、余韻を残して消えていった。
これが燐太郎が言っていた花火!? すごく綺麗……!
どん、どん、って次々に打ち上がっているよ。私は声をなくして、その光景に見とれた。
すると、
「エリン! クラトス!」
会場の人たちはみんな、花火を見るために足を止めている。その隙間を縫って、ミュリエルと燐太郎が駆け寄ってきた。
どうしたんだろう。焦ったような顔をしている。
「大変、さっきから匂いがするの! 幻獣たちの匂いよ」
「オレの耳もだ! さっきから大きなものを運んでいるような……変な音がしてる!」
その言葉に、私もクラトスもハッとした。
それって、まさか?
「取引が行われるのって、3日目じゃなかったの!?」
「ハンターから情報を聞き出そうとした、王子のやり方は正しい。だけど、尋問された側が、必ずしも真実を述べているとは限らない」
「日付の方が嘘だったのね!?」
何てことだろう。
でもよく考えたら、花火が打ち上る今が絶好のチャンスだ。だって、みんなの注目は空に釘付けになる。他の音はすべて、花火の破裂音にかき消されてしまう。
クラトスは真剣な表情で、ミュリエルに向き直った。
「ミュリエル……1つ頼みがある」
「えっ、なに?」
「もし、ヒョウガと遭遇した場合、彼とは僕が戦う。ミュリエルは、エリンとりんを守ってほしい」
「……あたしの仇は、自分で打ちとりたいところだけど。でも、あたしは一度、あいつに負けてるんだもん……仕方ないよね。わかった」
「それで、もし危険を感じたら、僕のことは置いて、ゲートを使って施設に戻ってほしい」
「クラトス……!?」
私の胸は、鋭い痛みを抱えた。
悲しいというより……今はむしろ、むっとしたかな。
だって、クラトスは本心で言っているんだ。それが正しいことだと思いこんでいる。そのことが許せなかった。それで、クラトスの身に何かあったら、私がどんな気持ちになるか、わかる?
私はクラトスの腕を引っ張って、無理やりこっちを向かせる。その目を正面から見つめながら言った。
「これ以上、クラトスがそんなことを言うなら、私はクラトスのことを引っぱたいて、ミュリエルにお願いして、このまま施設に帰ってもらいます」
「え、エリン……?」
「ヒョウガは普通の人間とは、ちょっとちがう相手かもしれない。でも、クラトスは絶対に幻獣ハンターなんかには負けない。私はそう信じてる。だから、クラトスも言ってよ。『絶対に負けない』って。それが言えないのなら、私は引っぱたいてでも止めるから」
クラトスは唖然としている。
やがて、私の言葉が浸透したように……笑った。
「――エリンには、敵わないよ。わかった、言い直す。僕が必ずヒョウガを止める。だから、幻獣たちを助けに行こう」
嬉しそうに、そして、気合が入ったように、ミュリエルと燐太郎が頷く。
「ふふ、そうこなくっちゃ! ねっ!」
「オレたち、妖狐の守り神はリコス様だ。それに、これはリコス様のためのお祭りだ。きっとリコス様が守ってくれるって、オレも信じてる」
クラトスも力強く言った。
「ミュリエル、りん。その場所まで案内して」
私たちは2人の先導で、山の上に向かっていた。
狭くて長い階段を上った先。
そこは、開けた場所になっていた。リコス様の像が立っている! 燐太郎が前に幻術で見せてくれた、人の姿だ。
奥には小さな社が見えた。
ここはリコス様を祀っている場所? その近くで幻獣の取引をしようだなんて、何て罰当たりな!
人の声が聞こえる。
社の裏手は、林となっていた。
そこにいたのは複数の人間。そして、檻に入れられた幻獣たちだ。
その光景を視界に入れると、クラトスの雰囲気が一瞬で変わる。冷酷な眼差しになって、迷わず魔法を撃ち出した。
「何だ、お前ら!?」
ハンターたちがぎょっとしてように、こちらを向く。
「命を売買するなんて、狂っている。今すぐに捕らえた幻獣を解放するんだ」
背筋がぞっとするほどの、冷たい声と雰囲気だったけど……。
言葉だけで、彼らが大人しく降伏してくれるわけがないよね。
「てめえに口出しされる筋合いはねえ!」
「これは商売だ、邪魔すんじゃねえ!」
ハンターたちの中には、魔導士もいたみたいだ。すかさず攻撃魔法を撃ち出してくる。
しかし、その魔法はあっさりとクラトスに無効化される。
さすがクラトス!
普通の魔導士相手なら、クラトスに敵う人なんているわけがない。
だって、魔法を作ったのはこの人なんだから。
って、呑気に見ている場合じゃなかった。
クラトスがハンターたちを蹴散らしている間に、私たちは幻獣を助けてあげないと。檻に駆け寄って、中を覗きこむ。
小さな幻獣たちが中で震えていた。
「もう大丈夫だよ」
本当は早く出してあげたいけど、安全を確保してからの方がいいよね。
もう少しだけ、この中で我慢していてね。必ず助けてあげるから。
他の檻も覗きこんでみると、狐の姿をした幻獣を見つけた。
【マギアレープス】だ!
燐太郎がハッとして、檻に近寄って来る。
「よかった、無事だったんだな!」
燐太郎が幻獣化した時よりも、もっと小さい体躯。
赤ちゃんなのかな?
口を開いて、きゅうきゅうと鳴いている。まだ言葉を話せないのかもしれない。
「りんくん、知り合い?」
「うん。村にいた赤子だ」
見つけた【マギアレープス】の数は1匹だけ。
他にはいないみたいだ。
残念ながら……燐太郎のお兄さんは見つからなかった。
クラトスの方は、そろそろ片が付いたかな?
そう思って、私はそちらを向いた。
――その時。
炎の玉が降ってきた。
クラトスがすばやく避けると、火は地面を焦がす。
え!? 今の攻撃……まさか空から!?
私たちはハッとして、そちらを見上げる。
同時に、涼やかな声が降って来た。
「――レピニアに古くから伝わる、こんな言葉がある。『火に惹かれて飛ぶ虫は、その美しさに身を焼かれる』」
その声は即座に、その場を支配した。私たちも、他のハンターたちも、視線が空に釘付けになる。
遠くの空では、未だに花火が打ち上っている。だけど、こっちの空はとても静かだ。離れた夜空が鮮やかで、賑やかであればあるほど、何もない空はより一層冷たく感じられた。
――今日は半月だったんだ。
紺碧の夜空と、黄金色の半月。それらをバックに人影が浮かんでいた。
男が、飛んでいる。
顔には白い狐のお面を着けていた。
まるで、もう1つの月が現れたみたい。
そう思ったのは、お面の口の部分が三日月のような形をしていたから。まるでこの状況を嘲っているかのような、そんな不気味な表情に見えた。
黒髪が風に揺れていて、怪しげな雰囲気が倍増している。
身にまとっているのは、レピニア伝統の衣装なのだろう。私たちが着ている浴衣とちょっと似ている。
白一色のその服は、通常時であれば神聖な雰囲気となるのだろうけど、宵闇の中に浮かぶ白はまるでお化けみたい。
一目見ただけで、ぞわっとした。だって、どこからどう見ても、得体が知れない。
間違いない。この人がヒョウガってハンターだ。【マギアレープス】の村を襲って、ミュリエルとディルベルを捕まえた人!
ヒョウガは悠然と浮かびながら、言葉を続ける。
「まるで、君たちのことを言い表しているかのようだ」
そして、軽やかに指を鳴らした。
その瞬間、
「「え!?」」
ミュリエルと燐太郎が声を上げる。
あ、2人の幻術が解除されている!
すると、他のハンターたちが目を輝かせて、2人を見た。
「竜……!? それに、【マギアレープス】も!?」
「はは……ずいぶんとお買い得な狩り場になったじゃねえか!」
舌なめずりせんばかりの様子で、彼らはミュリエルたちを見つめる。
そこに空から声がかかった。
「君たちは手を出すな」
ヒョウガだ。高度を下げて、私たちに近づいてくる。
「俺が捕らえる。飛んだ先が、調理火であったことにすら気付かなかった、哀れな虫どもを」
ハンターたちはヒョウガには逆らえないのだろう。顔をしかめて、素直に後退した。
クラトスが険しい表情で、ヒョウガを睨みつけている。
地面を蹴り上げ、自分も空へと躍り出た。
ヒョウガと対面するように浮かぶ。すると、ヒョウガは怪訝そうな様子でクラトスを眺める。
「君は……? 飛べるのか」
「お互い様なことにね」
「…………ふふ……」
仮面から零れる声。その楽しそうな笑い声に、私は胸をぞわぞわさせる。無機質な仮面が、まるで喜びに塗れたように見えた。
「ああ……今宵の祭りは、とても楽しいものになりそうだ」
うっとりとした声が、夜の静謐な空気を震わせた。
私は祈るように空を見上げる。
クラトス……絶対に負けないでよ。