1 妖狐に懐かれる
狐の子……りんくんに祈ったら、彼の記憶が見えた。
彼は幻獣だけが住む村で、お兄さんと暮らしていた。でも、人間のハンターに村は襲撃された。ハンターの1人は、『ヒョウガ』と呼ばれ、不思議な力を持っていた。
――りんくんに一晩付き添って、その翌日。
「おい! おい、あんた!」
そんな声で私は目覚めた。
目の前には、りんくんの姿。人型に戻っている。ベッドの中で上体を起こして、私を見ていた。
窓からは陽射しが差しこんでいる。朝だ。
そっか。私、寝ちゃってたんだ。
りんくんは奇妙なものを見る目で、私を眺めている。
「あんた……ここで何してるんだよ?」
「心配で……。そうだ、傷はもう大丈夫?」
思わず手を伸ばしかけて、『彼は人間が嫌いなんだった!』ということを思い出して、慌てて手を引っこめた。
「あ、ごめん。触られるのは、嫌だよね」
「………………。べつに」
えっ?
りんくんは顔をしかめて、赤面する。
布団を引き上げ、口元を隠した。もごもご。そうしながら、話し始める。
「寝ている間……誰かが祈っている声が聞こえた。まるで兄ちゃんみたいに、すごく優しい声。その声を聞いていたら、オレ、ぐっすり寝ちゃって……怖い夢を見ないで、朝まで寝れたの……久しぶりだよ……」
「りんくん……」
私が呟くと、りんくんは訝しげに首を傾げた。彼の頭の上で、大きな狐耳が一緒にふわっと揺れる。
「何でオレの名前、知ってんの?」
「えーっと……」
「オレ、もしかして、寝言でなんか言った?」
「その……ね? うん……」
頷いてから、気まずくなって頭を下げた。
「勝手に聞いて、ごめんね」
「…………。べつに」
「……えっ?」
てっきりまた怒られるかと思ってたのに。
りんくんの様子がおかしい。
そわそわとした様子で、私の顔をちらちらと見ては、慌てて目を逸らすということをくり返している。
「…………、っ、燐太郎!!」
「ん? ……あ、名前?」
「そうだよ!」
「そっか、教えてくれてありがとう。私はエリン! 聖女だけど、一度、ポイ捨てされて、また聖女に戻った女です」
「どんな経歴だ!!?」
燐太郎は勢いよくツッコんでから……ぷっと吹き出した。
「あはははは! あんたみたいな、ぼんやりとした顔をした女が聖女!? 捨てられた聖女! エリン!」
「む……笑いすぎじゃないかなー……」
「そっか、聖女か! 兄ちゃんから聞いたことあるよ。神様に祈ると、どんな怪我や病気も治せるすごい人なんだって。……ああ、そっか……」
そこで燐太郎は何かに気付いたように、しみじみとした顔をする。
「痛いのも、苦しいのも、どっかに行ったよ。あんたがオレのために祈ってくれたの?」
「はい……僭越ながら。聖女として、祈らせてもらいました」
「…………うん」
燐太郎の顔が、一瞬だけ、くしゃっと歪んだ。
それを隠すようにそっぽを向いてしまう。
私の方にしっぽが向いて、ふわふわと揺れていた。
「エリン。………………りがと」
「ん……?」
「な、何でもない!」
ぶっきらぼうな声が辺りに響いた。
◇
「エリン! もういいのか?」
「うーん……もうちょっとかなあ」
「まだ? まだかよ?」
私はそれからというもの、すっかり燐太郎に付きまとわれていた。
いつものようにパンケーキを焼こうと、キッチンにやって来たんだけど……。燐太郎がずっと私の周りをうろちょろしている。
そして、催促されまくっていた。
……【マギアレープス】も、甘いものを食べるのかな?
そんなことを思いながら、パンケーキを焼き上げて、お皿に移す。
「よし! できたよー! りんくん、運んでくれる?」
「ん、わかった」
お皿を両手で持つと、燐太郎の目が輝いた。狐耳が嬉しそうに、ぴこぴこと揺れていて、とても可愛い。
「うまそう……。魚以外の食事は、久しぶりだ!」
「そういえば、お魚泥棒はりんくんだったんだよね……。事情が事情だから仕方ない面もあるけど、漁師さんたち、困ってたよ? 後で謝りに行こうね」
燐太郎の耳は、今度は不服そうにぺしゃんと下がった。
ふふ……感情が耳に出るタイプだ。
「……ん。……わかった」
「おいおい! どうやって手懐けた?」
食堂の入り口から声が響く。
ディルベルが驚いた顔で、こちらを見ている。
「エリンは本当にすげえな。もういっそのこと、才能か?」
そう言いながら、こちらへと寄って来る。
すると、あれれ? 燐太郎がお皿を抱えこんで、私の後ろに隠れてしまった。
ディルベルはにやにやと笑いながら、燐太郎を覗きこむ。
「おい、子狐。昨日は逆立てまくってた毛並みが、今じゃすっかりビロードだな?」
「は? ああ……くそ雑魚竜のおっさんか」
「あ゛あ゛?」
声! ディルベル、その声~! 私も思わず、身を縮めちゃうからやめて!
「りんくん……! このヒトはディルベルだよ。大丈夫、怖いのは顔だけだから」
「おい、エリン! 紹介の仕方!?」
私は燐太郎に、施設の人を紹介してあげることにした。
でも、ディルベルのこともミュリエルのことも怖いみたいだ。私の背中に隠れたまま出てこなくなっちゃった。
シルク、マーゴ、スゥちゃんといった小さな幻獣が相手だと、少しだけ警戒が解けるみたいだけど……。
あれかな、竜って他の幻獣からすれば、ちょっと恐れ多い存在だったりするのかな?
それとも、ディルベルの怖い顔のせいかなあ? 私はそんなことを考えながら、ディルベルを見上げる。ディルベルはイラッとしたようにしかめ面をして、
「言いたいことが丸わかりなんだよ! 別に脅してねえ!!」
「うんうん、そうだね。ディルベルは恐喝屋さんみたいでも、本当は繊細で優しいってこと、私はちゃんとわかってるから」
「そのフォローもむかつくんだが!?」
「ねえ、ところで、クラトスは?」
「あー……たぶんまた、徹夜じゃねえ?」
もう。またかあ。
あの研究熱心な博士さんは、いつになったら健康的な生活を送ってくれるようになるのかな?
それなら、書庫の方だね。
私がそちらに向かおうとすると、燐太郎が焦ったように私の服をつかんできた。
「エリン……。離れるなよ」
「大丈夫、すぐ戻るから。りんくん、お腹すいてるでしょ? 先に食べてて」
燐太郎の目が、私とパンケーキを行ったり来たり。そして、くるる~、と可愛くお腹の音が鳴った。
燐太郎は恥ずかしそうに頬を染める。そして、ふんっ、と顔を逸らした。
「遅かったら、エリンの分まで食べちゃうからなっ!」
それは大変だ。
不健康博士を引き連れて、一刻も早く食堂に戻らないと!