6 幻獣だけが住む村
狐少年を保護したけど、私たちに警戒心マックスで困っていた。
そこを助けてくれたのが、ライムどりちゃんたちだ。この子たちの特性をうまく使って、男の子を眠らせることに成功した。
その後、彼は施設の治療室へと運ばれた。
眠っているうちに、人化が解けてしまったみたい。
うっすらとした光に包まれて、子狐になった。白い毛並み。まだ幼いことを表すかのように、ぽやぽやっとした手触りだ。
子狐に戻った体は、頼りなくて小さかった。
そっか……。彼の威嚇は、恐怖の裏返しだったんだ。だって、その体は擦り傷だらけで、痛々しかった。
この子は、こんなに小さな体で、ボロボロの体で、ずっと頑張っていたんだね。
「……大丈夫だよ。今、治してあげるからね」
私は太陽神様に祈りを捧げた。
「《ペタルーダ様の祝福を》」
光が狐くんに降り注ぐ。
すると、私の頭の中にある光景が浮かんだ。
◆ ◇ ◆
視線の先に、大好きな人の姿が見える。
兄ちゃんだ。
「楓弥兄ちゃん!」
オレが声をかけると、兄ちゃんが振り向く。そして、ふわりとほほ笑んだ。
兄ちゃんのこういう顔が好き。
「りん。私がいない間、いい子にしてかい?」
兄ちゃんの優しい声が好き。頭を撫でてくれる優しい掌が好き。
だけど、実際に兄ちゃんを目の前にすると、いつもオレはつっかかるようなことを言ってしまう。
「やめろよ! もう子供じゃないんだから」
ほら、今日だってそうだ。
村の外に出ていた兄ちゃんが、ようやく帰ってきた。兄ちゃんに会うのは、数日ぶりだった。だから、本当は会えて嬉しかったのに……つい非難するような声が出た。
「なあ、兄ちゃん。オレも里の外に連れてってよ」
兄ちゃんは優しくほほ笑んだ。
しゃがみこんで、オレと目線を合わせる。
ここは秘密の村だ。人間たちの目から隠れるために、周囲には幻術を何重にも張り巡らせている。
村に住んでいるのは、オレたち妖狐だけ。
兄ちゃんは、村の中でも特に立派で、すごい力を持っている。オレの自慢の兄ちゃんだった。
白銀色の髪を背中まで長く伸ばしている。頭の上にぴんと立った狐耳は、優雅な輪郭をしている。切れ長の目は少し鋭くて、銀色だ。
無表情だと冷然として見えるほどに綺麗だけど、オレが見る兄ちゃんはいつも、優しく笑ってくれている。
兄ちゃんのしっぽは、オレのものより立派だ。9つに分かれていて、背中側でゆさゆさと揺れている。
「りん、よく聞くんだ。村の外に出てはいけないよ。外には人間がいる。私たち妖狐を食い物にする、悪い連中だ。だけど、村の中にいれば安心だ。私たちのことは、山神リコス様が守ってくださる」
幼子に言い含めるような声に、むっとする。
だから、子供扱いはやめろよ、もう!
「でも、前はこっそり、人間のお祭りに連れて行ってくれたじゃん……。あの日はすごく楽しかった。またあのお祭りに、兄ちゃんと行きたいよ……」
「ふふ……本当はだめなんだけどね。君のような子供を外に連れ出すことは、この村の掟に反する。だから……」
兄ちゃんは声を潜めて、悪戯っぽく言った。
「――長には、内緒だよ? 必ずまた行こう。約束だ」
オレは嬉しくなって、へへっと笑った。
「うん! 絶対に、約束だぞっ!」
オレはずっとその約束を覚えていた。
その日が来るのを心待ちにしていたんだ。
――それなのに。
◇
うそ……嘘だ。
何でこんなことになっちゃったんだよ。
(助けて……兄ちゃん……!)
オレは震えながら、自分の姿を幻術で必死に隠していた。
その日の夜は、怖い色をしていた。
家が燃えている。赤々と燃える炎が、闇夜の不気味さをより引き立てている。
妖狐だけが住む村。
オレと兄ちゃんと……家族同然に暮らしていた仲間たちの、大切な居場所。
それは今、無残にも踏みつぶされていた。
人間たちの手によって。
「ははははは! やるじゃねえか、ヒョウガ!! 【マギアレープス】がこんなに大量に!」
「おい、こいつら、売ったらいったい、いくらになるんだ?」
人間のハンターの手には、子狐が握られている。ぐったりとしている。オレもよく知る、大切な村の一員。
どうしよう……どうしよう。
オレも見つかったら、あいつらに……!
家のそばの物陰に隠れながら、オレは幻術を起動し続ける。
ハンターの中で、一番偉そうな男がいた。
その男が命じる。
「ヒョウガ、他の狐どもを狩りつくせ。1匹残らず……子狐だろうと逃がすんじゃねえぞ」
「……ふふ……」
闇が笑った。
辺りに同化するかのように、気配が薄い男だ。黒い髪、ひょろひょろとした体つき。全身は黒いローブに覆われている。
顔には、狐のお面をつけている。
黒一色の中で、そのお面だけがぼうっと気味悪く、闇夜に浮かんでいた。
ヒョウガと呼ばれた男は、地面を蹴り上げる。
そして……信じられないことに、宙へと浮かび上がった。
「……了解した。狩られる側じゃなく、狩る側の『狩り』はとても楽しい。俺は、いつでも狩る側だよ」
滑らかで……だけど、どこか不気味な動き。
男は、空中に浮かんだまま両手を広げる。すると、小さな炎がいくつも浮かび上がった。
あいつ……人間なんだよな……!?
それなのに、何で空を飛べるんだ……!?
◆ ◇ ◆
私はハッとして、顔を上げた。
唇をきゅっと結んで、目元を押さえる。この子の気持ちに入りこみすぎて、泣きそうになっていた。
胸が締めつけられるように苦しい。
幻獣だけが住む村。
そんな場所があったんだ。
でも、人間がそれを踏みつぶした。
この子が……りんくんが、人間を警戒するのも当然だ。
あの後、村はどうなったんだろう。
りんくんのお兄さんは? 無事なの?
ベッドの上で眠るりんくんに視線を向ける。
こんなに小さな体で……つらかったね。
私は、この子の力になってあげたいよ……。
「うっ……」
苦しそうに体を丸めて、寝言を言ってる。
「にい、ちゃ……」
寂しそうな声に私も苦しくなった。
丸くなった背中を撫でる。
さっき見えた光景では、お兄さんからは「りん」って呼ばれてたっけ。
「大丈夫だよ……りん」
ぽんぽんと背中を叩いた。
すると、りんくんは、ホッとした様子を見せた。
穏やかな寝顔に変わる。
今だけでも。夢の中では、せめて……この子が苦しむことがありませんように。
私はもう一度、ペタルーダ様に祈りを捧げる。
朝までぐっすり眠れるように、私がそばにいるからね。