2 クラトスのデレが半端ない
ミュリエルとお泊り会をした、翌日。
「泥棒! 泥棒が現れた! カウキ地方の港街!」
外からそんな声が飛んできて、私は起こされた。
あ、これは『事件のお知らせ』だ!
この保護施設には、全国で起こる幻獣がらみの事件についての情報が入って来る。どうやって、その情報を集めているのかはクラトスしか知らないし、クラトスに聞いても「誓約があるから言えない」とはぐらかされてしまうけど……。
その情報の伝達役は、小鳥の幻獣であるシルクが担っている。
私の部屋のベッドは窓側に置いてある。上体を起こして、すぐそばの窓を開けた。
身を乗り出して中庭を見下ろすと、シルクが騒ぎながら飛び回っていた。
そして、もう1人。
クラトスだ!
下の方で浮かんでいて、シルクに手を伸ばしている。
もう起きてたんだね。早いなあ。
シルクはぱたぱたと飛んで、クラトスの手に乗る。そして、「お仕事完了!」とばかりに、もふー、と体を膨らませてから、しぼませた。
「クラトス、おはよー!」
私は声を張り上げた。
クラトスはこちらを見上げると、ふわ、と体を上昇させる。
私の部屋の前まで飛んで来た。窓を挟んで、顔を合わせる。
そして……信じられないことが起きた。
「おはよう」
クラトスは私を見て、ふわりとほほ笑む。とろけそうなほどの甘い笑顔だった。
ええ……!?
あの不愛想で、社交性ゼロで、何を考えているのかまったくわからない謎の男、クラトスが……!?
こんな甘い笑みを浮かべるなんて事件だよ!? 今日は空から氷のお花が降ってきちゃうのかなあ?
実を言いますと、王都で事件を解決したあの日から、クラトスの私に対する態度は変化していた。他の人がいる前では、いつも通りクールな感じなんだけど。
私と2人きりの時だけ、こんな風にほほ笑んでくれることが増えて……。
この態度の変化に、私はまだ慣れない。
うう、クラトスは見た目がいいから、笑顔がすごく魅力的で……心臓に悪いよ……!
いつもよりずっと柔らかい雰囲気で、クラトスは続けた。
「エリン、寝てた? 起こしちゃってごめん」
「その……! 今、起きました、大丈夫! って、あ……!?」
そこで私はハッとする。
わー、クラトスを見つけたから、思わず声をかけちゃったけど!
私、寝起きじゃん!?
きっと寝ぼけた顔をしているし、髪だってまだセットしていないのに! こんな姿を見られたら恥ずかしい。
私は両手で顔を覆った。
「寝起きだから……あんまり、顔は見られたくないかなあ、なんて……」
「どうして。エリンはいつも可愛いよ」
「へっ……!?」
えええ、幻聴!?
クラトスってそういうこと、さらりと言える人だったの?
私がびっくりしていると、
「……え、誰?」
隣からも声が上がった。
ミュリエル(小竜)が首をもたげて、クラトスを見上げている。
「クラトスって、エリンの前だとそうなるの?」
「わー、ミュリエル!」
「ミュリエル……いたんだ」
「いたわよ! っていうか、普通にあたしも起きてたから!」
「ちょうどよかった。ゲート開くから来て」
「あたしには業務連絡しかないの!?」
ミュリエルを見ていたのは2秒くらいで、クラトスはまた私に視線を戻した。
「僕は出かけてくるから。エリンはもう少し寝ててもいいよ」
ふわっ、と、空中で方向転換する。私は咄嗟に手を伸ばして、クラトスのローブをつかんでいた。
「あ……ま、待って!」
クラトスがこちらを振り向く。
わー、だから、目が合うと恥ずかしいんだけど!
「また幻獣に関わる事件でしょ? 私も一緒に行くよ」
だって、約束したんだもん。太陽神ペタルーダ様と。
クラトスと一緒に、これからはたくさんの幻獣を助けるって。
クラトスは私の顔を見て、また綺麗なほほ笑みを見せる。ローブをつかんでいる私の手を、上から包みこむように握った。
「――展望台で待ってる」
窓を挟んで、室内と外。
つながった手が、少しだけ名残惜しそうにして離れていった。
そ、それだと、デートのお誘いみたいになってません……?
私は顔を赤くして固まる。展望台へと飛んでいくクラトスを、ぼうっと見送った。
うう……視線を感じます。いつの間にか人化していたミュリエルから。
私の隣に座って、窓枠に両腕を載せて、私のことをじっと見ている。
「ねえ、エリン。昨日、お風呂で言ってたこと……」
「さ、さあ、早く準備しないとな~……」
「付き合ってないって、嘘よね?」
「もう~! その話はしません!」
ミュリエルのにやにやとした視線を振り切って、私はベッドから降りた。
◇
もう!
ミュリエルに見られたせいで、散々からかわれたよ。
私はドキドキが収まらないまま、支度を終えた。
髪もいつものように、片方の横髪を三つ編みにして、リボンを結んで、完成!
これなら……クラトスに見られても大丈夫だよね?
念入りに鏡でチェックしてから、ハッとした。
だから、デートじゃないから! これは幻獣を助けるための、大切なお仕事なんだから。そんな風に思い直して首を振っていると、ミュリエルにまた笑われちゃった。
ミュリエルと一緒だと、塔の上に行くのもすぐだから、助かるんだよね。竜は『空間転移』が使えるから。
私はミュリエルと手を握って、転移した。
スゥちゃんも今日は一緒に行きたいみたい。私の肩にきゅっとつかまっている。
施設の中央に立っている高い塔は、展望台になっている。その頂上部に【ゲート】と【クリスタル】がある。
私とミュリエル、スゥちゃんは、その場所に空間転移で降り立った。
クラトスはクリスタルのそばで、浮かんでいる。私たちに気付くと、空中で優雅にくるりと体を回した。
「行先は、カウキ地方の港街カナリアだ。ミュリエル、頼んだよ」
「任せて」
ミュリエルは頷いて、【ゲート】に歩み寄った。この【ゲート】は空間転移の力を増幅させる効果がある。ミュリエルの転移では、移動できる距離はせいぜい施設内の範囲だけだ。
だけど、この【ゲート】に触って力を使うと、大陸全土、どこにでも行くことができる。本当に便利だよね。
欠点は、『空間転移』は人間には使えない力なので、【ゲート】を開くには必ず、幻獣の力を借りる必要があるってこと。
ミュリエルが【ゲート】に触れると、緋色の光があふれた。
「つなげたわ」
「うん。エリン、行こう」
クラトスがふわりと下がってきて、私のすぐ隣に浮かぶ。
彼が私に手を差し伸ばしかけた、その時。
「ちょっと!? 当然のように省かないで! あたしも行くわよ!」
ミュリエルが声を張り上げた。
クラトスがそちらを向いて、クールな顔で尋ねる。
「……君も?」
あ、ねえ、何でちょっとだけ嫌そうなのかな?
ミュリエルも同じことを思ったらしく、むっとしている。
「前に王都で迷惑をかけちゃった分は、働くわ」
「いいけど……。でも、その姿のまま、人の住む街は歩けないよ」
そうだった。ミュリエルは人化できるけど、頭の角と翼はそのままだ。一目で人外であることがわかる。
こんな格好で街を歩いたら、大騒ぎになっちゃうね。
すると、ミュリエルは得意げにふふんと笑って、何かをとり出した。
「マーゴちゃんに借りておいたの!」
猫ちゃんのお面だ! それにはマーゴの幻術がかかっている。
ミュリエルはお面を頭に斜めがけにして、つける。すると、幻術が発動して、ミュリエルの角と翼が見えなくなった。
「わー、ミュリエル、可愛い!」
ディルベルの時は、あんなに似合ってなかったのに!
ミュリエルがつけると、普通に可愛い!
私は嬉しくなって、ミュリエルと手を打ち合わせた。
「でしょ!? それじゃあ、エリン、行きましょう!」
「うん!」
私たちはそのまま手をつないで、デートへと足を踏み入れた。
……あれ? クラトスがちょっとだけ嫌そうな顔をしている?
「…………エリンはすぐに、幻獣をたらしこむ……」
ゲートをくぐる直前、そんな声が聞こえてきた気がした。
そうして、私たちはカウキ地方の港町――カナリアへと降り立った。