表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

姉のものを欲しがる美しい妹を持つヒロインが幸せになる話

作者: けい

ざまあはありません。

全員が幸せになる話です。

「お姉さま、そのドレスくださいな」


にっこりと笑う妹は、姉の目から見ても美しい。姉妹なのだからパーツパーツは似ているはずなのにこうも違うのは根本的な何かが異なるからだろう。


ちらりと両親に視線を向けると、彼らは気まずそうな顔でこちらを見てくれない。まあ、ここで両親に文句をいったところでただの八つ当たりだ。ヴィオラは小さくため息をつき、自室に戻っておとなしく着ていたドレスを脱いだ。


優しい妹が代わりにと渡してくれたドレスは、先ほどのフリルやレースがたっぷり使われた最先端だというドレスとは正反対の、飾り気のないシンプルなデザインだった。

奇抜な服装ではなくてヴィオラはほっとする。


妹のローズマリーは姉の物をよく欲しがる。


最初は大きなリボンのついた帽子だった。ローズマリーはいつもくださいの一言と共にヴィオラから物を奪っていく。両親も幼少期はローズマリーを叱っていたが、今となっては何もいわない。

仕方ないだろう。ローズマリーは美しいのだから。


ヴィオラかローズマリーかと聞かれれば、男性は皆ローズマリーを選ぶだろう。

ヴィオラの魅力は長子であること。つまり、婿として裕福な伯爵家を継ぐことができることのみだ。


今日はその婿候補との顔合わせだ。時間に遅れてはならない。

メイドに手伝ってもらいドレスを着替えたヴィオラが玄関に戻ると、一緒に出掛ける両親と見送りに来たローズマリーが待っていた。

ローズマリーはヴィオラを見ると薄く微笑む。


ヴィオラは、その顔を直視できなかった。

視線を下げるとローズマリーの手には先ほどまでヴィオラが着ていたドレスがあった。あれはこれからどうなるのか。あのフリルは間違いなくとられるだろう。色も変えられるに違いない。

そして、原型を留めていない別物となってヴィオラの元に返ってくるのだ。


この家は、ローズマリーを中心に回っている。



◇◇◇◇◇



18歳になろうというのに伯爵家の長子であるヴィオラに婚約者がいないのは少々珍しいかもしれない。

しかし、これには複雑でもなんでもない単純な理由があった。


ヴィオラの家、フルール家は歴史があり、裕福な伯爵家だ。

二人姉妹でこの国は女性の跡継ぎが認められていないので婿が必須である。


つまりこの家は、家格が上の高位貴族にとって、嫡男以外の次男三男以降の受け皿として最適だった。

縁談は掃いて捨てるほどやってくる。


だから変に焦る必要がなかった。

婚約してから愛を育むのも一つの選択だが、わざわざ早々に一人に絞ることもない。結婚は一生のことだ。ある程度交流を重ねて相性がいい人間と婚約すればいい。

いよいよどうしようもなくなった時は相手を選ぶ余裕もなくなるが、幸いまだ縁談はたくさん来ている。

両親はそのうち決まると楽観視していた。


ヴィオラとしては、次から次へと婚約者候補が現れるのに次から次へと去っていくのだからむしろ自分に合う相手などいないのではないかと悲観していたのだが。


そんなわけで、今日は何人目かももはや覚えていない婚約者候補との顔合わせである。

場所は王都にある植物園。軽い挨拶を終えた後、早々に二人きりになる予定だ。(もちろん侍女たちが控えているから厳密には二人きりではないのだが)


今日も断られるのだろうな、とヴィオラは予想する。

男性は女性より結婚適齢期が遅い。だから結婚に対する意識が薄く、婚約者がいなくとも焦らない。


見合いですらない交流会のようなこの場は合わないと思えば双方断りやすく、縁談がなくなったとしても大した醜聞にはならないのだが、いつも断られるのはヴィオラの方だ。

それもしかたがないだろう。

ヴィオラは背ばかり高く、痩せ細っていて、顔もぱっとしない。しかも身内に美しいローズマリーがいるのだ。男性からすればわざわざヴィオラを選びたくないのだ。


「初めまして。息子のベンジャミンです」


相手の父親である侯爵から紹介された男性は、分厚い眼鏡が印象的で、黒髪が目元近くまで伸びていることも相まって表情がよく読めなかった。ローズマリーが見たら野暮ったいと眉をひそめそうな容貌である。


しかし、格下の伯爵令嬢にペコリと頭を下げるその姿はヴィオラには好意的に写った。


互いの紹介が終わり、二人で植物園を回ることになる。

ヴィオラもコミュニケーション能力は高くないが、相手のベンジャミンは彼女以上に口下手なようだ。


ヴィオラがおそるおそる当たり障りのない質問をして、ポツリと返される。そんなやりとりが数回繰り返された。


ただ、気まずそうに視線をさ迷わせているあたり、ヴィオラをないがしろにしている訳ではなく、本当に会話の糸口が掴めず右往左往しているだけのようだ。三男とはいえよくこれで貴族の子息が務まったと思わず感心してしまう。


「あの、」


ベンジャミンが立ち止まる。ヴィオラもそれに合わせて止まり相手を見上げた。彼はなかなかに背が高い。

しかし、顔が俯き気味なので、長身のヴィオラからすると表情がよく見えた。決まりの悪そうな顔だ。


「僕、いえ私はその、気のきいた会話もできませんし、女性の扱いも慣れていません。両親には良縁だから絶対に手放すなと言われましたが、私には良縁でも、あなたにとっては違うでしょう。いい夫になれる自信がありません。

だから、無理なら遠慮なく断ってください」


こんなにも正直な言葉をかけられたのは初めてである。

伯爵家の当主としてふさわしいかはともかく、とにかく彼は人がいいようだ。

ヴィオラは眉を下げて微笑む。


「私も似たようなものです。私の家は魅力的でしょうが、私自身に特別な魅力はありません。

それよりも、今日はこの植物園を楽しみませんか?私、草花を見るのが好きで、ここに来るのを楽しみにしていたのです」

「…そうですね。植物園に来たのは初めてですが、なかなか見所があります。その、私たちの今後のことは置いておいて、楽しんでもいいですか?」

「もちろんです」


ぎこちなく微笑み合う二人はゆっくりとまた歩き始める。今度はベンジャミンの方からも話しかけてくれて、ようやく会話らしい会話が成立してきた。


そんな中で、ふと、ヴィオラの歩みが止まる。合わせてベンジャミンも立ち止まってくれたが、ヴィオラは気がつかなかった。

彼女の意識は目の前の植物ただ一点に注がれていた。


ベンジャミンにも言ったように、ヴィオラは草花を見るのが好きだ。だが、それ以上に育てるのが好きだった。

ヴィオラの家には温室があり、そこではいくつもの植物がヴィオラの手によって育てられている。

今眼下にあるものは、幾度か挑戦しているがなかなか花が咲かないサボテンだった。さすがプロの手が入っているためか、綺麗な花を咲かせている。


どうしたら咲かせられるのだろうか。

日当たりは?

水やりの頻度は?

肥料は何を使っている?


ヴィオラは今誰と何をしているかも忘れてしげしげとサボテンの観察を始めてしまう。

ハッと我に返った時には誤魔化すのが不可能なほど時間が経過していた。


やってしまったとヴィオラは青ざめる。


彼女の()()は初犯ではなかった。

植物のことになるとヴィオラは周りが見えなくなってしまう。

以前も同じことをやって、呆れた男性が帰ってしまったこともある。そこまでではなくても不快な気持ちになるに決まっている。あちらの声掛けすら耳に入らなくなるのだから。


隣に気配がある。

ベンジャミンはまだいる。

そのことにホッとしつつ、ヴィオラはおそるおそる隣を窺う。怒っていないだろうか。気を悪くしていないだろうか。呆れていないだろうか。


しかし、ベンジャミンはそのどれでもなかった。彼はヴィオラの横で彼女と同じようにしげしげとサボテンの説明が書かれた立札を眺めていた。右手が顎に触れていて、真剣な様子だ。


思わずじっと彼を見つめると、視線に気付いたベンジャミンがヴィオラの方を向き、微笑を浮かべる。


「もっと見ていても大丈夫ですよ。僕、いえ私も、楽しんでいますから」


とすっ


それは、誰かが何かを落とした音かもしれないし、そもそも全くの幻聴だったかもしれない。

けれど、ヴィオラの耳にはキューピッドの矢が己の心臓に刺さった音に聞こえたのだった。



◇◇◇◇◇



「それで、お姉さまは恋に落ちたのね」


元々はヴィオラのものだったドレスをいじりながらローズマリーがため息をつく。ヴィオラはそんな妹に顔を赤らめて頷き肯定した。


「私、どうしたらいいかしら?」

「どうしたらも何も、婚約者候補なんだからそのまま話を進めればいいだけじゃない」

「でも、私は魅力なんてないし、ベンジャミン様はお嫌じゃないかしら?」

「お姉さまはなんでそんなに自己評価が低いの?」


だって、我が家にはローズマリーがいる。


ヴィオラはそう心の中でつぶやき、曖昧に微笑んだ。


過去何度も婚約者候補と会ってきたが、一度も婚約には至らなかった。全て、男性側が断る形で。

断りの理由は大きく分けて二つ。


一つは、植物に夢中になり蔑ろにしたから。

そしてもう一つは、相手がヴィオラよりもローズマリーがいいと望んだから。


どちらも当然の理由だ。

相手を大切にしない、美しくもないヴィオラを誰が選ぶというのか。


ヴィオラの諦めきった表情を見て、ローズマリーがムッと口を曲げる。


「お姉さまは十分魅力的よ!ただ、魅せ方をわかっていないだけ!これを着ればそのベンジャミン様とやらもイチコロよ!」

「…それ、ずいぶん丈が短くない?」


ジャーンという効果音と共にローズマリーが差し出してきたのは、ベンジャミンと会った日に奪われたドレスだった。

しかし、フリルやリボンの大半がとられ、丈が短くなっている。あれでは足首どころか膝まで見えてしまう。


「だって、お姉さまは美脚なんだから活かさないと!これで色をもう少し濃くすれば完璧!できる?」

「やってみるけど、成功しても着ないからね」


もう短くした後では元の長さに戻れない。とてももったいないが染物の実験に使わせてもらおう。

ヴィオラはため息をつきながらドレスを受け取った。


いつもそうだ。

ローズマリーはヴィオラのものを奪ってはあれこれアレンジして姉の元へ返却する。


そもそもヴィオラはファッションに欠片も興味がない。

親にほしい服があるかと聞かれればそれよりも苗か種、もしくは肥料がほしいと主張するか、土いじりがしやすいズボンがほしいとまでいってしまう始末である。


しかし、歴史ある伯爵家として長子のヴィオラに何度も同じ服装をさせるわけにもいかない。男性と同じ服装など論外だ。

そのため、必要な時に両親はその時の流行の服をヴィオラに用意する。

だが、ヴィオラと正反対にお洒落が大好きなローズマリーからすれば、それらは尽くヴィオラに似合っていないらしい。


「お姉さまは長身で目鼻立ちがはっきりしてるから、フリルやリボンは最低限でこんな淡い色より濃い色が似合うの!

それに、温室の管理で鍬とか鎌とか扱うから引き締まった体をしてるじゃない!見せないともったいない!」

「さすがに私だって、こんなはしたない格好はできないわよ」


着るものに頓着しないヴィオラでも人並みの羞恥心くらいは持ち合わせている。ローズマリーが言うのだから、きっとこの手の中のドレスはヴィオラに合っているのだろうが、いかんせん露出が高すぎる。

ローズマリーもそこは自覚があるようで、拗ねた顔で「だって、こっちの方が似合うんだもん…」と人差し指同士をツンツンとつついていた。


昔からそうだ。

最初は大きなリボンのついた帽子だった。

後から聞くとヴィオラは豊かに波打つ金髪が綺麗なのだから黄色のリボンが邪魔だと感じたらしい。ヴィオラの帽子を欲しがり、当時から服飾に興味のなかったヴィオラがそのまま渡すと、ローズマリーはもっと姉に似合う帽子にしたいとリボンをとろうとした。


しかし、幼い少女に大きなリボンをとるのは難しい。ローズマリーはリボンを切り取ったまではいいものの、一緒に帽子まで傷つけてしまい大泣きした。


その時両親はローズマリーをなだめつつ危うく大怪我をするところだったと叱りつけたが、あいにく娘は聞き入れなかった。

その後も幾度となく主にヴィオラの服飾品を実験台にしてローズマリーはリメイク能力を上げていった。


ちなみに、ローズマリーはヴィオラに嫌がらせをしているわけではない。完全に厚意である。本人は自分の気に入るものを自ら選んで身に付けるためわざわざアレンジなどいらないが、ヴィオラのものは本人に合っていないのだから手を加えないといけないのだ。

ヴィオラがお洒落に興味がないこと、両親にセンスがないこと、流行りが尽くヴィオラに合わないこと、これらが絡み合って起こる悲劇といえる。


ローズマリーは美しい。


当たり前だ。

元々目鼻立ちが整っているだけでなく、美容に人一倍気を遣っている。

白く輝く肌。毛先までも艶やかな髪。均整のとれた体つき。そのどれも、彼女の並々ならぬ努力の結晶である。たいしたことをしていないヴィオラが敵うわけがない。


ヴィオラは自分の指先を見る。

毎日土いじりをしているせいで、どうしても爪の奥に土が入ってしまう。それに、ローズマリーから相談されたのをきっかけに植物での染物にも手を出してしまったので指先は常に汚れている。

外に出る際はグローブが欠かせない。


貴族の令嬢として日焼けはするなと厳命され、温室でしか園芸はしていないが、ローズマリーに比べると肌の質は数段劣る。


自分の育てる植物たちは自慢だ。

一介の令嬢が手掛けるには広すぎる温室いっぱいに育った植物たちは全て生き生きとしていて、育てにくい種類もいくつも存在している。

それらを卸し、染色にも手を出し、少しずつ稼ぎを得た。これを貯めて領地に特大の温室を作るのが目標だ。


それらが令嬢としてふさわしくないのは十分承知だ。それでも己の趣味いや、もはや生き甲斐を否定せず、応援してくれる家族には感謝しかない。

けれど、両親が求めるような、ヴィオラの全てを受け入れてくれる男性がいるとは思えなかった。


ベンジャミンもきっと幻滅する。そして、ローズマリーに会えば彼女を好きになるだろう。


黙り込んでしまったヴィオラにローズマリーは目を吊り上げる。


「お姉さまは卑屈すぎます!

お姉さまの魅力に気付かない見る目のない男も、お姉さまとの縁談を望みながら他の女()に目移りするだらしない男も、全部男運が悪かっただけよ!」

「…でも、これまでの方全部よ?」

「この世界に男が何人いると思っているの?お姉さまが会った男性なんて、百分の一にも満たないのよ?」

「でも」

「でもも何もありません!

せっかくいい人に出会えて、婚約できるかもしれないのに、お姉さまは諦めてしまうの?」


あきらめる?


ヴィオラの心臓がどくりと跳ねる。


初めて、人を好きになった。

たった一度会っただけの人だ。

まだ何も、好きな花、色、食べ物、趣味。何も、何も知らない。

それに、ベンジャミンだってヴィオラのことを何も知らない。

まだ、何も始まっていない。


幻滅されるのは怖い。

ローズマリーを好きになってしまった彼の顔など、想像したくない。


それでも、だからといって手放してしまうのは何かが違う気がした。


目に力が戻った姉を見て、ローズマリーはくすりと笑う。


「手紙でも書いてみたら?今までだって、最初で断られなかったら手紙のやりとりくらいしていたでしょ?」

「そうね。マリー、ありがとう。あなたは自慢の妹よ」

「ふふ、私もよ、自慢のお姉さま」



◇◇◇◇◇



ベンジャミンは五人兄弟の末っ子である。

兄と姉が二人ずつ。年の離れた弟を彼らはめいっぱい可愛がってくれた。


美味しいものを口に運び、あちこち遊びにつれていって、したいことはなんでもしてあげて。それはもう、目に入れても痛くない可愛がりようだった。


そのおかげで、ベンジャミンは自己主張の乏しい幼子になった。

それもそうだろう。

ベンジャミンが望みを言葉にする前に兄と姉が食べ物を用意し、おもちゃを用意し、着替えさせ、風呂に入れ、全てが揃った。

長らく弟の面倒を率先して見ていた彼らは表情、しぐさを見るだけで弟のしたいことが分かってしまう。


そんな、望むものが全て思った通りになる幸福な人生を送っていたベンジャミンだったが、彼が六歳の時、それが異常だったことを知る。


きっかけは、同世代の同格の貴族の子どもたちの交流会だ。

ベンジャミンは初参加だったが、その場で彼は愕然とする。


誰も、彼の望みを察してくれない。


ずいぶん傲慢な発想だが、当時の彼にとってそれは当たり前の日常だったのだ。


しかたなく言葉で伝えようとしたが、初めてに近い言葉での意思表示は三歳児と同じくらいの拙さで、周囲の同い年の子どもたちはそんなベンジャミンを笑い、揶揄った。


ベンジャミンは恥ずかしくて恥ずかしくて、顔を真っ赤にして逃げ出した。彼は齢六歳にして言葉の重要性を思い知った。


不幸中の幸いは、ベンジャミンの性根が善良で生真面目だったことだ。

その後彼は家に引きこもるが、家族に当たることなく図書室の隅っこでひたすら本を読み漁った。兄姉のおさがりの絵本から始まり、それら全てが読み終わると絵が一枚もない子ども向けの本を読み始めた。そしてそこから図鑑や大人向けの蔵書に移るのにそう時間はかからなかった。


おかげで語彙力は増えたが、今度は別の問題が発生する。どの言葉を選べばいいのか分からない。

また、おかしなことを言って嗤われてしまうかもしれない。ベンジャミンはあの時の子どもたちの笑い声がトラウマになっていた。


こうして、内気で自己評価の低いベンジャミンが出来上がったのである。


「ベン、フルール家から手紙だ」

「ありがとう」


ベンジャミンは手紙を受け取ると、口元を綻ばせながらベンジャミンの名が書かれた文字をそっと撫でた。

その姿を見て手紙を渡してきた長兄のアッシュが嬉しそうな、それでいて寂しそうな笑みを浮かべる。


「ベンもいよいよ結婚か。他の弟妹(きょうだい)もみんな家を出たし、また寂しくなる」

「婚約もしてないよ。ただ、手紙のやりとりをしているだけだから」

「ベンが女の子と文通なんて、もう婚約しているようなもんだろ。好きなんだろ?」

「…うん」


ベンジャミンの頬が赤く色づく。


両親に強制的に導かれた出会いだった。

綺麗な人だった。

例によって例のごとく言葉選びができなくて狼狽えるベンジャミンを気にかけてくれる優しい女性。


「…でも、僕じゃ当主なんてできないよ」


ベンジャミンが婿入りしようとしているのはフルール家。家格は下の伯爵だが歴史がある名家だ。そこの跡継ぎになるには社交と無関係ではいられない。むしろ引っ張っていく立場だ。

侯爵家の生まれでありながらこれまで最低限の社交で許されたのはベンジャミンが三男だからだ。それに心底ほっとしていた彼がフルール家の当主になれるわけがない。


「そう難しく考えるなよ。フルールなら豊かな土地があるから税収は安定しているだろうし、仕事は今の当主がやっている通りにすればいい。

社交だって、苦手ならヴィオラ嬢と一緒に乗り切ればいい。彼女だって長子なんだ。一通りの教育は受けているだろう。当主が全てをするなんて無理だ。助け合っていけばいいんだよ」

「…部屋に戻るね」


まだ何か言いたげな兄の顔を見ないようにして、ベンジャミンは逃げるように部屋へと帰る。

そして、ほっと息をついて机に向かった。ペーパーナイフで慎重に手紙の封を切る。手紙からほんのり香る花の匂いに知らず知らず笑みを浮かべていた。


手紙はありがたい。

どれだけ言葉を悩もうとも問題がなく、顔を合わせずとも相手の人となりがある程度把握できる。


ヴィオラの文字は女性らしい丸みがあり、一文字一文字が丁寧だった。きっと別の紙に下書きをしているのだろう。文字に迷いがない。

そして、ベンジャミンの何気ない言葉にも丁寧に返事をくれる。最初に会った印象の通り、優しくて気配り上手な人だと思った。


手紙の内容は実に他愛のないものだ。

ベンジャミンは読んだ本の内容を紹介したり、家族の話をしたり。ヴィオラの方は温室で育てられているという植物の話題が多かった。


出てきた名前を全て調べてみたが、どれも育てにくく手間のかかる植物たちで、中にはどうやって手に入れたのか外国の花もまざっていた。


植物園で草花が好きだと言っていた笑顔を思い出す。ベンジャミンに気を遣った言葉だと最初は思っていたが、本当に好きなのだろう。それは、手紙を読むまでもなく、真剣にサボテンを見つめていた横顔からも窺えた。


ベンジャミンは植物園にいったことがなかった。

そもそも外出をろくにせず、家にこもって本ばかり読んでいた。たまに出ても書店や図書館を訪れるだけだ。

だから、植物園では見るもの全てが新鮮で、ためになった。


実はベンジャミンには誰も知らない趣味がある。

それは、詩を書くことだ。

いつか自分の詩集を出せたらいいなと非実現な夢を見ている。


ヴィオラと知り合ったことをきっかけに、植物の知識が増えた。知るだけでなく実際に見ることで新たな表現が生まれることも知った。

誰の目にも止まることのない作品たちだが、このところ出来上がったものは以前よりも出来がいいと感じている。


ヴィオラがもたらしてくれたものだ。

彼女のことを考えるだけで体が熱くなる。

ベンジャミンは、ヴィオラに恋をしている。


手紙はありがたい。

そう、思っていた。

でも、今ではそれだけでは物足りない。

もう一度、会いたい。

けれど、伯爵家当主は身の丈に合わない。ヴィオラにはもっとふさわしい相手がいるだろう。


分かっている。分かっているのに、この文通を楽しみにしている。

そして、


『今度の休日に我が家でお茶を楽しみませんか?』


この一文に、どうしようもなく胸が高鳴ってしまうのだ。



◇◇◇◇◇



「ねえ、この格好、変じゃない?」

「よく似合っているわ。だって、私が選んだのですもの」


勇気を出してベンジャミンに手紙を書いた。

ベンジャミンが返事をくれた。

そのまま何度も何度もやりとりを繰り返して、数ヵ月が経過した。

そして、一向に進展しないヴィオラ達に焦れたローズマリーがせっついたことで、もう一度、ありったけの勇気を出してベンジャミンをお茶会に誘った。

今日がその日だ。


いつもは服装など気にせず親任せにするのだが、今回に限っては最初からローズマリーに相談した。

ローズマリーは嬉々として行きつけのブティックにヴィオラを連れていき、あれでもないこれでもないと服や小物を吟味した。ヴィオラは目を白黒させて、美の奥深さの片鱗を垣間見たような気になり、改めてローズマリーには敵わないと悟ったのだった。


そんな紆余曲折ありつつ迎えた本日。

ヴィオラは胸の内の全てをベンジャミンに打ち明けるつもりである。

初対面であんなにも誠実にヴィオラと向き合ってくれたのだ。こちらも彼には正直でありたい。

そのためにローズマリーに同席を頼んだが、妹は呆れたように肩をすくめて辞退してしまう。


「イヤよ。お姉さま達を見てると、絶っ対口出ししたくなるもの」

「口出し?」

「お会いしたことはないけれど、お姉さまとお相手のベンジャミン様、お似合いだと思うわ」


ローズマリーの言葉の意味が分からず首をかしげるヴィオラに手を振って、ローズマリーは自室へと戻ってしまう。

そして、それとほぼ同時にベンジャミンがやってきた。


「お久しぶりです。あの、こちらは、全て私の家でとれた花です。つまらないものですが」

「ありがとうございます」


瑞々しい花がまとめられた花束にヴィオラは目を輝かせる。中央のバラは一つ一つのトゲが丁寧に取られていて、花々を包み込む紙も主張は激しくないが上品に浮き出た蔓の模様が美しい。


ヴィオラは花束を両手で受け取り、花の匂いを嗅ぐ無理をしながら、ちらりとベンジャミンを見上げる。


「…髪を切ったのですね」


前髪を覆うくらい長かった髪が眉が見えるくらい短くなっている。全体的にこざっぱりとしたその姿にヴィオラはドキドキしていた。

胸の高まりが止まらない。


淑女は感情を表に出さず常に微笑みを浮かべるようにといわれているが、他の人たちはこういう場合どうやって己の感情を抑えているのだろうか。

体の熱が上がり、頬が赤く色づくのを、どうやって止めろというのか。


しかも、ヴィオラの言葉にベンジャミンが照れたようにはにかんでいる。

笑顔を初めて見た。

ああ、顔が真っ赤になってしまう。


幸いにも、ベンジャミンは自らの頭頂部に手を伸ばし上を見上げているため、ヴィオラの淑女らしからぬ恋する乙女の表情は見られずに済んだ。


「その、嫁いだ姉が里帰りをしていまして、半ば無理矢理切られました。あなたと会うのに少しは見合った格好になっているといいのですが。

その花束も、花を選んだのは私ですが、姉が手配してくれました。私ではそのようなセンスのいい品はできなかったでしょう」


黙っていれば誰が用意したのかなど分からないのに、正直に話してしまうあたりが実にベンジャミンらしかった。


「すごく、嬉しいです。ベンジャミン様が私のために選んでくれたのですね」


変ににやけていないだろうか。自然な笑顔になっているだろうか。

おかしな姿を見られる前にヴィオラはくるりと背を向ける。


「おいしいお茶とお菓子を用意していますので、案内しますね」

「ヴィオラさん」


初めて、名前を呼ばれた。


「申し訳ないのですが、緊張で何も喉を通らなくて…。その、まずあなたが大切にしている温室を見てみたいのですが、ダメでしょうか?」


ドクン、と心臓が跳ねる。

頬の熱が急激に下がっていく。

文通の際に温室の話題を出した。臆病風が吹いて、ヴィオラ自身ではなく庭師が育てているかのような書き方をしてしまった。

ベンジャミンはヴィオラの話題にした植物たちを調べてくれたようで、珍しい花はどうやって手に入れたのかとか、生育が難しいと書物にあったが具体的に何が難しいのかとか、ヴィオラを決して否定せず、むしろ興味を持って話を広げてくれた。


誠実で、優しくて。

彼の書く手紙は表現豊かで何気ない文章一つ一つに彼の博識さが滲み出ていた。


こんなに素敵な人に、嘘をつけない。


「…案内しますね」


声が少し震えたことにはどうか気付かないでほしい。

そんな思いを込めつつ温室へと足を向けようとしたところでふとベンジャミンを振り返る。


「ベンジャミン様、マナーなど気にしなくていいですから、どうぞうちの者に上着を預けてください。温室は熱がこもっていますので、たとえシャツ1枚でも汗をかくでしょう。せっかくのお召し物が汚れてしまってはいけません」

「ヴィオラさんはいいのですか?」

「はい。私は、慣れていますので」


どうせ温室に連れていくのだろうとローズマリーが気を利かせて見た目よりも涼しい服を選んでくれた。

それに、ヴィオラは衣服に興味がないので、まあ汚れてもいいか、と呑気に考えている。ローズマリーやメイド達は悲鳴を上げるだろうが。

ベンジャミンは戸惑いを見せたものの、執事にスーツの上着を預けシャツとネクタイだけになった。そして、「失礼します」と断ってからシャツの袖をめくり上げる。細い腕があらわとなってドキリとした。


「温室は茹だるような暑さだと聞きます。こちらの温室はどうやって温度を一定に保っているのですか?」

「それは、」


会話を進めながら、ゆっくりと移動する。文通の甲斐あって、前回よりもスムーズに会話ができた。互いに相手のことを知り、話題ができたからだろう。初回は双方に手探りすぎた。


あっという間に、ヴィオラにとって見慣れた温室の目の前までついた。中を開けるとむわっとした空気が一瞬にして体に纏わりつく。

背後でベンジャミンの感嘆の吐息が聞こえた。


「…すごいですね」

「ありがとうございます。私の自慢の場所なんです」


ヴィオラが毎日様子を見て可愛がっている植物達(子どもたち)。かなりの種類があるが、雑多にならないように区分けされ、景観にも気を遣っている。

そのどれもが生き生きとしていた。


「ベンジャミン様」


目を見開いて温室内を見渡しているベンジャミンに声をかける。他者に会う時には欠かせない、グローブを脱ぎながら。


「この温室は私が自ら管理し、育てています」

「これを、あなたが?」

「はい。ですから、私の手はこんななのです」


振り返ったベンジャミンに素手の右手を広げて見せる。指先が汚れ、手荒れもある、淑女らしからぬ手だ。


「私は、植物を見るだけでなく育てるのが好きなのです。貴族らしくないのは分かっています。当主の妻にふさわしいのは、私ではなく、私と違って美しい妹のローズマリーでしょう」


ヴィオラはぎこちない笑みをベンジャミンに向ける。


「以前申しました通り、私自身の魅力はフルール家の長子であることだけです。ローズマリーのような美しさもなく、こんな、淑女らしからぬ趣味を持つような女です。けれど、」


ごくりと唾を飲み込む。唇が震えてしまう。それでも、ヴィオラには伝えたい言葉がある。


「けれど、私はあなたを好きになってしまいました。あなたと、共に生きたいと思ってしまいました。こんな私を、許してくださいますか?」


逃げ出してしまいたい。

相手の反応が怖くて俯こうとしたヴィオラの、開いたままだった手を、温かい何かが包み込む。

ハッと視線を向ければ、ベンジャミンが両手でヴィオラの右手を優しく握りしめていた。


「そんなこと、言わないでください」

「…っ、ごめんなさ」

「魅力がないなんて、言わないでください」


ベンジャミンの手の力が強くなる。至近距離になって、眼鏡の奥の瞳が見えた。吸い込まれそうな深い青だ。


「あなたに魅力がないはずがありません。だって、私はあなたに夢中なんですから」

「え…?」

「私は、温室の管理に関して無知です。でも、これほど多彩な植物を育てるのは並大抵の苦労でないことくらい分かります。ヴィオラさんのこの手は、あなたの努力の証でしょう?」


そこで、ベンジャミンはハッとした様子で慌てて手を放し、「無遠慮に触ってしまいごめんなさい」と頭を下げた。

けれど、ヴィオラはそれどころではなかった。心臓がうるさい。体から跳び出してしまいそうな勢いだ。


「ベンジャミン様が、私に、夢中…?」

「はい。そうです」

「でも、妹の方が、美しくて、」

「妹さんのことは知りませんが、私にとって一番美しいのはあなただと確信を持って断言できます。そもそも、美的感覚なんて人それぞれですし、美しさは比べるものではないでしょう?」


ほろほろ


それは、ヴィオラの涙腺が決壊する音だった。けれど、ヴィオラには心の中の頑なだった何かが剥がれていく音に聞こえた。

ベンジャミンが慌てているが、涙は止まらない。


ずっと、ローズマリーには敵わないと思っていた。でも、比べること自体が間違っていた。

ローズマリーはローズマリー、ヴィオラはヴィオラ。

姉妹であっても全く別の人間なのだから。


「ありがとう、ございます」


わっと泣き出すヴィオラにひとしきり狼狽えた後、ベンジャミンはおたおたとハンカチを取り出し、彼女に差し出す。


「…正直、私にフルール家の跡継ぎは荷が重いです。でも、あなたのためなら、苦手な社交もその他の苦労も、努力しようと思えました。

私はずっと、逃げていました。周りの目を気にして、周りから離れる手段を選んできました。

でも、これからは、あなたのために、立ち向かっていこうと思います。

こんな頼りない僕で良ければ、ヴィオラさん、僕を、選んでくれますか?」


返事なんて、決まっている。

ヴィオラは何度も何度もうなずいた。


その後、ようやく我に返った二人だが、蒸し暑い温室の中、方や不馴れな環境、方や号泣による水分の喪失で、揃って顔を真っ赤にして倒れそうになり、それぞれ侍女と護衛に助け出されるのはご愛嬌だった。




◇◇◇◇◇



(お姉さまにいいお相手が見つかってよかった)


ローズマリーはヴィオラの幸せ溢れる笑顔を見て微笑む。


今日はヴィオラとベンジャミンの結婚式だ。

ローズマリーが姉のためにデザイナー達と共に悩みに悩んで仕立て上げたドレスは細身のヴィオラによく似合う流れるようなラインで純白の布にヴィオラが深い青に染めた糸による繊細な刺繍がよく映えていた。


妹としては、今この世で一番美しいであろう姉の隣が着飾っていてもどこか冴えない男なのは少々不満だ。けれど、ベンジャミンでなければヴィオラはこれほど美しい花嫁にはならなかっただろう。


二人が婚約を結んでから一年。

本人達は順調だったと思っているだろうが、周りからすればヤキモキする一年だった。

ふと見てみれば、ベンジャミンの兄姉達もローズマリーと似たり寄ったりな、喜ばしいけれどやっと結ばれてくれた安堵の気持ちが勝っているような、そんな表情を浮かべている。


何せ二人は似た者同士だ。

相手が隣にいればいい。手を繋ぐのだって恥ずかしい。

そんな、子どもだってもっとませているのではなかろうかと思うほどの純朴同士。

近くで見ている人間からすれば、大変焦れったく、こそばゆく、ローズマリーは何度けしかけようかせっつこうかと思案したことか。


そもそもヴィオラは自己評価が恐ろしく低い。ローズマリーからすれば訳がわからない。


女性の後継が認められていないため婿をとるが、婿に家を乗っ取られるわけにはいかない。そんなわけで、ヴィオラは領地経営を中心に当主としての教育を一通り受けている。婿に領地を丸投げしないように、むしろ影の当主としてフルール家を切り盛りできるように。

それに加えて夫人の主な仕事である社交の勉強もしているのだから、下手をすると長女の方が長男よりも教育が厳しいかもしれない。


しかし、ヴィオラはそれらを文句なく受けている。社交に苦手意識はあるがそつなくこなす技術はある。

そして、あらゆる教育を受けながら、温室の管理を自ら行っている。


ローズマリーはヴィオラが自主的に休憩をとっている姿を見たことがない。それくらい、彼女は常に動き回っている。

しかも、自ら地面を耕し、重い土でも肥料でも運んでしまえる彼女は、そこらの令嬢よりよほど体力がある。むしろ細長いベンジャミンよりも力は強いのではないだろうか。


聡明で、体力があって、努力家で。


つまり、ヴィオラは婿を受け入れる令嬢としてはこれ以上ないくらいの逸材なのだ。婿が何もせずともヴィオラ一人で領地経営ができる程度には。


それなのに、これまでヴィオラに縁談を求める男性は皆、そんなことにも気付かなかった。ローズマリーの方が美しいからと縁談相手の妹の方をちやほやする姿には呆れるしかなかった。


ローズマリーは気楽な次女の立場。姉ほど厳しい教育を受けず、その分の時間を趣味と実益兼ねて美容やオシャレに注ぎ込んだだけである。

姉と妹では求められているものが違う。

そんなことにも気付かない男性に大切な姉をどうして任せられようか。


そもそも、フルール家は縁談が来るのを待っている時点で間違っているのだ。

幼少期ならともかく、この年齢になって文官や騎士など他の道があるわけでも、高位もしくは同格の令嬢との縁談があるわけでもなく、格下の家に親が何とか結びつけようと必死になるような男性は皆何かしらの問題があるに決まっている。


両親は良縁を待つのでなく、探さなければならなかったのだ。姉も含め家族はいつかいい人が現れるはず、などと呑気なことを考えていたが。

まあ、人から指摘されるまでそのことに気付かなかったローズマリーも同類だが。


「マリー」


ローズマリーの自慢で、この瞬間一番幸せであろう花嫁が美しい笑みを見せてくる。


ああ、ヴィオラが丹精込めて育て上げた花を髪飾りに加えたのは正解だった。彼女の魅力がこれ以上ないほど引き立っている。


「お姉さま、今行きます」


ローズマリーは満面の笑みで姉のもとへ駆け寄るのだった。




◇◇◇◇◇




「案外、何とかなるものですね」

「そうだな」


木漏れ日の下、二人並んで読書をしながらヴィオラとベンジャミンはポツリポツリと会話する。


二人が夫婦になってから三年が経った。ヴィオラの父はまだ現役なのでベンジャミンは彼の補佐として働いている。だが、ベンジャミンに任せる割合も増えてきたそうで、当主交代の日も近いかもしれない。


最初の頃は他家との繋がりを作るために社交に力を入れたが、最近ではシーズン以外は領地に籠っている。

領地経営は何の問題もない。

ベンジャミンの速読と速筆をフルール伯爵は評価していて、ヴィオラも長年植物を育てていた経験から、領民に質のいい肥料を提供したり、作物の異変にいち早く気付いたりしているおかげで、事業は滞りなく、実りの多い年が続いている。


苦手な社交は双方の家族がサポートしてくれた。

ベンジャミンの兄や姉は侯爵家次期当主であったり、それぞれ名家の子息や令嬢と結婚している。彼らが後ろ楯になってくれるのは大変心強かった。

そして何よりヴィオラの妹、ローズマリーが力を貸してくれた。


ローズマリーは元々は彼女の行きつけだったブティックを経営する商会の会長と結婚した。そして、オーダーメイド専門店を開き、流行に左右されないその人自身の魅力を引き立てるドレスやアクセサリーなどを作り上げている。なかなかの人気店で予約待ち状態だそうだ。


本人は広告塔になってもらっているだけだと言っていたが、社交シーズンのたびに何着もドレスを仕立ててくれるので、ドレスが話題となって社交界で取り残されずに済んでいる。


「今度、マリーがお腹が膨らんでも綺麗に見えるドレスを作ってくれるんですって」

「それは楽しみだけど、無理はしないでほしい。僕が、ヴィオラの分も頑張るから」


ベンジャミンの手が、そっとヴィオラの腹を撫でる。

膨らみが少し目立ってきたそこで、二人の子が少しずつ命を育んでいる。

幸いつわりもなく順調そのものなのだが、妊娠が発覚してからというものベンジャミン含め周囲が過保護で仕方がない。


最近では植物の管理も庭師に任せるよう言われてしまった。それならばせめて植木鉢で花を育てるくらいはと提案したが敢えなく却下された。

特にローズマリーには「お姉さまが植木鉢なんかで満足するわけないでしょ!きっぱりやめちゃいなさい」と腰に手を当てて命令されてしまった。図星なので何も言い返せなかった。


「でも、あまりやることがないと落ち着かないの」

「…僕の詩でも、読んでくれる?」

「え!?」


ヴィオラは勢いよくベンジャミンを見上げる。

夫の趣味は結婚してからほどなく本人から直接教えてもらった。彼の作った詩はもう何冊にもわたっているそうだが、一度も見せてもらったことがない。

心の準備ができたら読んでほしいと言われたので楽しみに待っていたのだ。


「いいの?」

「うん。ヴィオラに読んでほしい。その、あくまで趣味だから、期待はしないでほしいけど」

「嬉しい。ありがとう」


ヴィオラはベンジャミンの肩に頭をのせ寄りかかる。口元は自然と弧を描いていた。


幸せだ。

こんなに幸せでいいのだろうかと怖くなるくらい。


その後、ヴィオラはベンジャミンの作品を読み始める。最初は美しい風景の描写に瞳を和ませていたが、読み進めるにつれ、中身がヴィオラへの愛一色になり、もはや熱烈なラブレターとなっていたそれらに顔を真っ赤にするのはここだけの話である。

ヴィオラと同じくらいファッションに興味のない人間が書いています。ローズマリーのオシャレ談義はふわっと読んでください。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ