06
ユーフェミアが昏睡している間に、デールはすさまじい動きを見せた。
異国から帰ってきた格好のままユーフェミアの体に謎の液体を塗りたくった彼は、駆けつけてきた看護師たちに「この病気に効く薬だ。これで全員治癒できる!」と説明した。
デールが植物学研究者であると分かっても看護師たちは半信半疑だったが、デールに薬を塗られたユーフェミアの体からあっという間に発疹が消えたのを見て、驚いた。すぐに担当医師が呼ばれ――デールが持ち込んだ薬を塗布したことで発疹部分の毒素が抜けていることが判明した。
その後もう少し調査をしたが、「今はこの薬に頼るしかない」という結果になり、ユーフェミアと同じ症状の出ていた者たちにこの薬が塗布された。すぐに薬はなくなったが、「材料になる植物を、国の許可を取って引っこ抜いてきた」とデールがえげつない見た目の植物を片手に言った。
そもそもこの症状の原因は、今回デールが持って帰ったグロテスクな見た目の植物とよく似た、別の種類の植物だった。この植物の汁は化粧品でよく使われる材料と似ているがそれと違って非常に強い毒性を持っており、化粧品を作る際に間違って混入したと考えられる。
その化粧品を使ったユーフェミアたちは植物の毒により、体中に発疹が出た。それを治せるのは――その植物と同じ異国の湿地帯に自生する植物の汁だった。
そもそもこの二種類の植物は兄弟のような存在で、その国の者たちは毒と薬、二つの相反する効果のあるこの汁を日常から使っていた。どうやら二種類を同量混ぜることでほどよく調和し、木材にテカリを出す塗布剤などとして活用できたそうだ。
デールが持ち帰った植物をギリギリ絞って、その汁と他の薬品とを混ぜる。軟膏状態になったそれを患部に塗りつけることで、毒が中和される。そして調和するとテカリが出るという特徴もあり、患者の肌はいずれ潤いとつやを取り戻すことができたのだった。
多くの人の命を救ったことで、デールは国王からも感謝の言葉を賜り、研究所の首席研究者に任命された。彼が望むならデールの名を冠した巨大な研究所や記念碑を建てることもできただろうが……デールはそれらすべてを固辞し、むしろ「僕がこの研究結果を出せたのは、支援してくださったタナー家のおかげです」と自分の支援者を持ち上げた。
この謙虚な姿勢がますます国王の気に召したようで、国王は「王女と結婚して王家に入らないか」とまで言ったそうだが、これに関してはデールは真顔で拒否したそうだ。
季節は、秋になっていた。
夏の間は療養を命じられたユーフェミアも、涼しい時季になってからは自由に出歩けるようになっていた。夏の終わりに控えていた学年末試験も、特例ということで追試を受けさせてもらい――無事に三年に進級し、今年もアンジーと揃って監督生に任命されている。
「それじゃあ、今晩と明日の朝までよろしくね」
「了解了解。今回のお土産はチョコレート系でよろしく」
「ふふ、それじゃあお父様のコレクションの中からとっておきのを探しておくわね」
監督生の仕事を依頼したアンジーと「賄賂」の話をし、彼女に見送られてユーフェミアは裏門に向かった。そこにはタナー家の馬車と、赤髪の従僕――姿の研究者がいた。
以前は彼が来るたびにファンの女子生徒たちが集まっていたが、あの従僕風の青年がただの使用人ではなく、今年の夏に起こった皮膚病を完治させる薬を発見した主席研究者だと知ると、皆恐れ多いとばかりに散ってしまった。
(それにしても、またこの姿なのね……)
「お待たせ、デール」
ユーフェミアが声をかけると、従僕姿のデールは微笑んでその荷物を受け取った。
「お嬢様のお帰りを、お待ちしておりました。……さあ、中へどうぞ」
「ありがとう」
前のように彼の手を取り、馬車の中に入る。もうわざわざユーフェミアが言わずともデールは向かいの席に座ってくれて、御者が馬車を走らせた。
「……見て。馬車の周り、人だかりができているわ」
「タナー家のご令嬢のお通りだからでしょうか」
「あなた、分かっていて言っているわね? これは絶対に、あなたのファンよ」
「さようですか。僕は特に関心がないので、どうでもいいです」
「あなたはそういう人よね……」
ユーフェミアは微笑み、さっと窓にカーテンを引いた。噂の研究者の姿を見ようとする野次馬から、デールを守るかのように。
ユーフェミアが退院してから、デールはまた従僕姿で送り迎えをしてくれるようになった。「あなたはもう、主席研究者様でしょう」と言ったけれど、「僕がしたいのです」とけろっとして言われるので、もう彼のやりたいようにさせることにした。
馬車の中は、静かだ。ちらっと前を見ると、デールは先ほどユーフェミアがぴっちりカーテンを閉ざした窓の方をぼんやりと見つめている。
デールがユーフェミアの病気を治してくれてから、しばらく経った。聞きたいことはいくつもあるけれど、今日まではなんとなく流していたのだが。
「……今日は確か、お父様は夜まで帰ってこないのよね」
「はい。また新しい被支援者候補がいるとかで、隣町まで行かれており……」
デールは少し緊張したように言う。それもそうだろう。
これまで、父が不在だと分かっているのにユーフェミアが実家に帰ることは一度もなかったのだから。
ユーフェミアはデールを見つめ、一つ深呼吸をした。
「……今日は、あなたに用事があって屋敷に帰ることにしたの」
「……」
「今日はお父様もいないし……屋敷に帰ったら、話をしたいの。あなたが私を助けてくれたときのことについて」
ユーフェミアが意を決して言うと、デールはさっとこちらを見て――観念したようにうなずいた。
おかしい、とユーフェミアは思った。
なあなあで流しているが、自分たちはかつて「好き」と言い合った者同士のはずだ。死の淵をさまよっていたユーフェミアでさえちゃんとあのときのやりとりを覚えているのだから、デールはもっとはっきり記憶しているのではないか。
それなのに……一応好き合っている者同士のはずなのに、どうして自分たちはこんなに離れた位置に立っているのか。というよりデールはなぜ、ソファに座るユーフェミアから最大限の距離を取るかのように壁際に張り付いているのか。
「……デール、もう少しこっちに来て」
「い、いえ。僕はここで十分です」
「それだと話がしにくいの。ほら、そこのソファに座って」
「……」
「デール」
「かしこまりました」
なかなかデールが動こうとしないので、命じるように強い口調で――ではなくて、遠慮がちにおねだりするように名を呼ぶと、デールはあっさりうなずいてソファに腰を下ろした。
以前、アンジーがデールについて「靴を舐めなさい」云々の話をしていたが……案外デールは命令口調よりお願い口調の方が指示を受けてくれるのかもしれない、とユーフェミアは思った。
ソファには座ったものの表情が硬いデールを見つめ、ユーフェミアは口を開いた。
「それじゃあ早速、本題に入るけれど」
「は、はい」
「私とあなたはお互い好き合う者同士、ということでいいのね?」
「……そっちですか!?」
なぜかデールにむちゃくちゃ驚かれたので、ユーフェミアまで驚いてしまった。
「ええっ!? だめなの!?」
「い、いえ、だめではないのですが……その、僕、あのときにもっといろいろ言ってしまったと思うので、それについてかと……」
デールがしどろもどろに言うので……そういえば、とユーフェミアは思考する。
(あのときのデール、二度と死なせないと誓ったとかなんとか、言っていたわね……)
あのときはデールも必死だっただろうから、何か言い間違いか言葉の綾かだろうと思っていた。だがデールの様子を見るに、彼のあれは失言であり――好きだの何だのよりずっと重要な案件だったようだ。
「確かにそうだけれど、私としてはまず、あなたと両思いなのかどうかが気になって」
「り、りょうおも……」
「どうなのかしら?」
「……」
最初はあわあわしていたデールだが、やがてすうっと表情が抜けていった。前にもこんな感じのデールを見たことがある気がする。
「……。……お嬢様のご質問を後回しにするようで心苦しいのですが……それについてお答えするためにもまず、あなたにご説明しなければならないことがあります」
「……もしかしてそれが、二度と死なせないとかなんとかというのについて?」
ユーフェミアが問うと、デールは「……やはり覚えてらしたのですね」と悔しそうに言った。
「……荒唐無稽な話だとは思いますが、聞いていただけませんか」
「ええ、聞くわ」
「よ、よろしいのですか?」
「荒唐無稽かどうかなんて、実際に話を聞かないと分からないもの。……ということだから、まずはあなたが話そうと思っていることを、話したいように話してくれる?」
ユーフェミアがそう言って微笑むと、デールはぽかんとした後に少しずつ頬に笑みを浮かべた。
「……本当に、あなたには勝てません。そんなあなただから、僕は――」
「んっ?」
「……え、ええと、それはまた後にして……で、では、お話しさせていただきます」
「よろしく。……何について、なのかしら?」
ユーフェミアが問うと、デールは一度ぎゅっと目を固く閉ざしてから、ゆっくり開いた。
「……僕が今、二度目の人生を歩んでいることについて、です」
そう告げるハシバミの目は、どこまでも真剣だった。




