05
ユーフェミアの予想通り、発表会の翌日からめっきりデールは姿を見せなくなった。
そんな予感はしていたが、それでもデールが待っていない馬車は寂しく思え――同時に、彼に嫌われたのではないかと思うと心臓が凍るような思いがした。
だが御者が「デールは、なんかどっか遠くの国に研究に行きましたよ」と教えてくれたため、ほっとした。そういえば彼は常々、あちこちの国に行って調査をしたいと言っていた。
先日の発表会も大成功だったようだし、ユーフェミアからの報告を聞いた父も大喜びで、デールへの支援金を増額した。きっとそれで異国に旅立つ準備ができ、万全を期して出発したのだろう……たぶん。
(……無事でいるのなら、それでいいわ。私はデールを応援するんだって宣言したもの)
それに、ユーフェミアはユーフェミアでやることがある。幸い父はすっかり元気になったので実家のことは彼に任せればいいが、高等学校では学年末試験が近づいていた。
この学校は二年生に上がるのまではたやすいが、三年生以上に進級するには学年末試験で一定の点数を取らなければならない。あまりにもひどい点数だったら、問答無用で退学処分となる。
ユーフェミアも学校の制度を理解した上で入学したし、ならば一層頑張ろうという気持ちになるので燃えていた。同じ監督生のアンジーとはいつも試験の点数を競っているので、今回もよきライバルとして彼女と学力を磨き合うつもりだ。
……だが。
夏の盛りを迎えた頃から、王都である病気が流行るようになった。
初期症状は微熱程度だが、次第に体中に発疹が出てくる。症状がさらに進むと発疹が裂けて血が溢れ、いずれ出血多量で死んでしまうという病だった。
感染する病気ではなく、それ以外の何らかの要因で発病する、治療薬もまだ見つかっていない病。
それに、ユーフェミアが罹ってしまった。
最初のうちは、少し熱っぽくて咳が出ると思うくらいだった。残念ながら以前父がデールからもらった多肉植物のエキスとやらはもう残っていなかったので、デールが帰ってきたらまた譲ってもらおう……とのんきに考えているうちに、症状が重くなっていった。
体中に大きな発疹ができて、ヒリヒリと痛む。痒みも伴うのでつい引っ掻いてしまい、そこから血が出てくる。このままだとシーツやベッドを血まみれにしてしまうため、すぐにユーフェミアは王都の病院に運ばれた。
「ユフィ、必ず薬は見つかる! だから、しっかりするんだぞ!」
今にも泣きそうな顔の父は、毎日見舞いに来てくれた。デール以外の被支援者や学校の先生、アンジーも病室に来て、励ましてくれた。感染はしないので、皆が来てくれるのが最初はとても嬉しかった。
だが症状が進んだある日、包帯を取り替える最中に看護師が持っていた鏡を何気なくのぞき込んだユーフェミアは――そこに映る自分の姿に、悲鳴を上げてしまった。
全身がぶつぶつにまみれており、あちこちから血がにじんでいる。最後に鏡を見たときよりもずっと悪化している病症を見て、ユーフェミアは「もう誰も部屋に通さないで!」と訴えた。
(嫌だ! こんな姿の私を、見てほしくない……!)
アンジーたちはもちろん、父にだって見せたくない。見てほしくない。
皆に会うときには包帯を巻いているとはいえ……こんな自分が包帯の下にいると思うだけで、胸が苦しくなってくる。下手すれば、咳や体中の痛みよりもずっと辛いものかもしれない。
(本当に私、治るの? まだ薬が見つかっていないのに……?)
病室は清潔で、静寂に包まれている。
だが……ひょっとすると別室では、ユーフェミアよりずっと症状の重い患者がうめいているかもしれない。
ひょっとすると――今この瞬間、死んでしまった者もいるかもしれない。
(やだ、嫌だ! 死にたくない! まだ……生きたい……!)
まだユーフェミアは十七歳だ。
やりたいことはたくさんあるし、やり残したこともたくさんある。
それに――
(デール……会いたいけれど、会いに来てほしくない……)
なぜだろうか。
他の誰よりもずっと、デールに今の姿を見せたくないと思った。
むしろ、今デールが不在でよかったと思う。このままだと、ユーフェミアが力尽きたとしても彼の記憶に残る自分の姿はきっと、ずっときれいなままでいられるだろうから。
(死にたくない……でも、デールに会いたい……会いたくない……死ぬのは嫌だ……!)
「……じょう様!」
呼吸が苦しい。
体中が痛い。
誰かが、ユーフェミアのことを呼んでいる。
意識が遠のきそうになるユーフェミアの肩を誰かが掴み、顔や体に巻いている包帯を剥ぎ取ろうとしている。抵抗しようとしても体に力が入らないし、目も開かない。まぶたにも大きなぶつぶつができていて、それが邪魔をしているのだ。
「……お嬢様。戻ってきましたよ」
知っている。
この声は――ユーフェミアが聞きたかった、でも来てほしくなかった人のものだから。
「……ゃっ! こ、ないで……! 見ないで……!」
「大丈夫です。お嬢様は元気になります。僕が治しますから……!」
嫌だ嫌だ、とだだをこねるユーフェミアの顔からついに包帯が奪われた。すかさず腕で顔を隠そうとするが、力が入らなくてくたっと倒れ込んでしまう。
だがユーフェミアの包帯を剥いだ人はその体を優しく受け止め、そっとベッドに寝かせてくれた。そして何かひやっとしたものを顔に塗られて、ユーフェミアは息を呑む。
「い……な、に……?」
「僕が見つけた、この症状に効く薬です」
「……そ、んなの、うそ……」
「嘘じゃありません。……僕はもう、二度とあなたを死なせないと誓った。必ず、あなたを助けます……!」
ひんやりとした感覚の向こうで、力強く言ってもらえて――ユーフェミアの胸が、歓喜で震えた。
ああ。この人は、こんな状況でもユーフェミアを力づけてくれる。
あらゆる病に効く特効薬を作るという目標を達成するのだと、その態度で示してくれる。
彼の言っていることはなんだかよく分からないものもあるけれど……それでも、構わない。
「デール……」
体が、疲れている。ものすごく眠くて、だるい。
だが……これだけは、言っておきたい。
「……私、あなたのことが……好き、よ……」
ひゅっ、と小さく息を呑む音が聞こえる。
(そう、好き、好きなの。……やっと分かった。私は、あなたのことが好きだから……好きになったから、あなたの夢を支えたいと思ったのね)
すっきりした従僕姿も、もっさりとした研究中姿も、凜とした正装姿も――すべてが、好き。
好きな人だから死ぬ前に会いたかったし、おぞましくなった姿を見せたくなかった。
デールのことが好きだと分かったから……死にたくない。
そっと、大きな手がユーフェミアの頬に触れる感触があった。相変わらず目は開かないけれど、ユーフェミアの好きな人がじっと見つめてくれていることを肌で感じる。
「……僕も、です。あなたのことが……好きです。ユーフェミア……」
その言葉が、まるで機械のスイッチであったかのように。
ユーフェミアはすとん、と穏やかな眠りの中に落ちていった。




