04
まもなく発表会が始まり、デールは四番目に袖口から舞台に上がったのだが――
「……え? あれが『動く鳥の巣』なのか?」
「ちょっと! ジェフが言っていたのと全然違うじゃない!」
後ろで例の男女がひそひそ話しているが――演説台の前に立ったデールは、これまでユーフェミアも見たことのない「彼」の姿をしていた。
ユーフェミアは、髪を整えたお仕着せ姿のデールと、研究中の若干もっさりした眼鏡デールの両方を知っている。だが今、紐綴じの資料を台に置いたデールは、どちらとも違った。
着ているのは、あのだぼっとしたコートとデザインは似ているが豪華な装飾や刺繍の施されたコート。長い赤髪は首筋で結い、前髪は下ろしていた。だが前髪の長さも整えているようで、眼鏡もかけていないのでハシバミ色のキリッとした目の形がよく分かる。
拡声器を片手に持ち、もう片方の手で資料をめくりながら自分の研究内容について述べ――いずれ、異国に自生する植物から重病の治療にぴったりな特効薬を作るという目標を掲げているのだ、という形で発表を終えた。
彼が発表を終えてすぐは、会場はしんと静まりかえっていた。だが最初にボックス席の方から拍手の音が聞こえたことで、他の者たちもはっと我に返った様子で拍手を送った。
そう、ユーフェミアの拍手を皮切りに。
(すごくよかったわ、デール!)
我先に拍手をしたユーフェミアの方を、デールが見上げていた。彼にだけ見えるように小さく手を振ると――デールは一瞬だけ微笑もうとしたようだがすぐに表情を引き締め、こちらに向かって一礼してから舞台袖に下がっていった。
植物学を専攻する彼らしい視点と調査によって、植物には無限の可能性があることが分かった。彼は自分の研究で判明したことを、いずれ世の人のために役立てたい――そう力強く語っていた。
そんなデールは、とてもまぶしかった。
舞台を照らす明かりのせいだけではなくて……デール自身が光り輝いているように、ユーフェミアには思えた。
(……私、デールを応援したい)
父には、「是非ともデールの研究を、最後まで支援してあげてください」とお願いする。
だがそれだけでなくて……遥か先を見据える彼が目標を達成できるよう、ユーフェミア個人がデールという人を支えたい、と思った。
発表会が終わり、ユーフェミアは急いでデールの待機部屋に向かった。
「お疲れ様、デール。すごくよかったわ!」
「お嬢様……ありがとうございます。そう言っていただけて、よかったです」
椅子に座ってくつろいでいたデールは微笑み、差し入れにとユーフェミアが持ってきていた菓子を丁寧に受け取った。
「これならお父様にもいい報告ができるわね。私、あなたには絶対に目標を達成してほしいの」
「もちろんです。これからも旦那様からのご期待にお応えできるよう、精進しますね」
デールは笑顔でそう言ったが……それはちょっと違う、とユーフェミアは小さく笑って首を横に振った。
「もちろん、お父様があなたを支援しているというのも大きいけれど……それだけじゃないの」
「……他に何か?」
「もし万が一……いえ、億が一、お父様があなたの支援を打ち切ったとしても。私は個人的にあなたを支えていきたいって思ったの」
父はデールのことを気に入っているようなので、途中で支援を打ち切ることはまずないだろう。
だが、父のことや支援のことを抜きにして……ユーフェミアが個人的にデールを応援しているのだということを、伝えたかった。タナー家のお嬢様ではなくて、ユーフェミアという一人の女としてデールを評価しているのだと。
ユーフェミアとしてはわりと思い切って言ったのだが――いきなり目の前のデールの顔から表情が抜け落ちたため、ぎょっとしてしまった。
デールは一瞬で笑顔を消し、こわばったような……何かにおびえているようなまなざしになっていた。
(えっ? わ、私の発言、そんなにおかしかった……?)
「あの、デール……?」
「……そういうことをたやすく異性に言っては、だめですよ」
そう言いながら、少しずつデールの表情が和らいでいく。すぐにいつも通りの穏やかな微笑みに戻ったが――それでもハシバミの目の奥が凍り付いているように思われて、ユーフェミアはぞっとした。
「あなたは、資産家であるタナー家のご令嬢です。来年には十八歳になられるのですから……男を勘違いさせるような発言はどうか、お控えください。そのようなお言葉は大変光栄ですが……できれば、大切な方のためだけに取っておくのです」
デールに優しく、しかし有無を言わせぬ口調でたしなめられてやっと、ユーフェミアは自分の先ほどの発言がともすれば、異性を勘違いさせるような思わせぶりなささやきになるのだと気づいた。
「……そ、そうかもしれないけれど。……あの、私はそういうのとは関係なしに、あなたの研究をサポートしたいと思っただけで……」
「……」
「……ごめんなさい。私……うかつなことを言ってしまって」
「……謝らないでください。あなたの優しさを邪推した僕に罪があります」
デールはどこか寂しそうに笑ってから立ち上がり、部屋のドアを開いた。
「僕はこれから反省会があるので、お嬢様は先にお戻りください。旦那様のご様子も気になりますし……」
「……分かったわ。あの、デール」
「……」
「あなたの忠告は正しいから、きちんと受け止めるわ。でも」
デールが開けたドアをくぐり――振り返ったユーフェミアは、強気に微笑んだ。
「私があなたのことを応援している、という気持ちだけは変わらないから」
「……っ」
「お父様はもちろんだけど、私だってあなたの研究が大成功することを心から願っている。……それだけは、忘れないでね」
言うだけ言い、ユーフェミアはデールの返事を待つことなく歩き出した。
なんとなく、だが。
これから、デールはユーフェミアが実家に帰る際の従僕係をやめるだろう、と予想していた。
(……でも、それでいいわ)
デールはユーフェミアよりずっと大人で、頭がいい。彼の言うことは、正しい。
本当は寂しいけれど……きっとある程度距離を置いた方がお互いのためになるのだろう、と気づいていたから。
ユーフェミアが去って行ったドアの方を、デールはしばし呆然と見つめていた。
『私があなたのことを応援している、という気持ちだけは変わらないから』
「っ……!」
閉めたドアに寄りかかり、デールはきちんと整えた髪をぐしゃぐしゃに掻き乱した。
「本当に……! どうしてあなたはいつも、僕の心をこうもたやすく乱していくのですか……!」
彼女に、あんなことを言わせるつもりではなかった。
なかったのに……ユーフェミアからあれだけの信頼を寄せられていることに喜び、もっと彼女に見つめてもらいたい、と願う自分がいることの浅ましさに反吐が出そうだった。
「……馬鹿野郎。僕には……そんなことを願う権利はないんだぞ……!」
絞り出すような声を上げ、デールは拳を固めた。