03
「ねえ、またあの彼が迎えに来ているわよ」
「……仕方ないわ。今回は、デールの発表会を見に行くから。ついでなのよ」
寄宿舎にある自室の窓辺に立ってアンジーが言うので、ユーフェミアはやれやれと思いながらそちらに向かった。
ユーフェミアがデールと出会って、二ヶ月が経った。季節は初夏で、寄宿舎棟の周囲の木々が青々とした葉っぱを茂らせている。
あれらからデールはしばしば、従僕の姿で現れるようになった。基本的にはユーフェミアが実家に帰る際や出かける際のお付きで、本人曰く「仕事ではないので無給ですが、僕がやりたくてやっているのです」とのことだった。
そのたびにこうしてアンジーにからかわれるし、一年生や上級生たちから熱いまなざしを向けられるデールの姿を見ることになるのだが……正直なところ、男性の従者というのは非常にありがたい。
城下町は治安がいいとはいえ変な連中はいるし、ユーフェミアが良家のお嬢さんだと分かると身代金目当ての者が寄ってくる可能性もある。だがユーフェミアの隣に従僕姿のデールがいると、そういった連中もおいそれとは寄ってこなくなる。おかげで、安心して町の散策ができた。
あとは単純に荷物持ちや高いところのものを取る際にも、高身長で力のある男性の存在はありがたい。デールは無給だというのに細やかに気を遣い、「お嬢様のためなら」と言って雑用までしてくれる。
アンジーが以前、そんなデールのことを「あの人なら、ユフィが『私の靴をお舐めなさい』と命令しても、喜んで舐めそうね」と言ったことがある。
いやそれはさすがにないだろう、とその場では反論したのだが――彼の献身ぶりを見ていると、本当に喜んで舐めるかもしれないと思えてきた。無論、そんな命令をすることは絶対にないが。
ユーフェミアが仕度を終えて門の前に向かうと、いつものお仕着せ姿のデールはこちらを見て嬉しそうに笑った。本当にこの男は、何度ユーフェミアを見ても飽きることなく嬉しそうな顔ができるものだ。
「ごきげんよう、お嬢様。……本日は僕の発表会に出席してくださり、ありがとうございます」
「仕方ないわ。お父様はちょっと体調が悪いらしいし。こういうのも私の仕事だからね」
もう慣れっこになっているのですぐにデールの手を取って、彼と一緒に馬車に乗る。背後から上級生のお姉様方の悔しそうな声が聞こえてきた気がするが……そっとしておいた。
父は出資者として、デールたちの研究発表会や演奏会、展覧会などに出席する必要がある。それらは、デールたちが被支援者としてきちんと研究や自己研鑽を行っているかを確認する場であり、もしあまりにもお粗末であればそこで支援を打ち切ることも十分考えられる。
父はあまり契約途中で支援を切りたくないそうだが、どうしても……ということでこれまでにも何回かは、切ったことがあるそうだ。
そんな父はここしばらく、咳がひどいそうだ。おそらく季節の変化による体調不良だろうということなので安静にしており、その間は学生ではあるがユーフェミアが父の仕事の代わりをしていた。実家の都合などという理由があれば、あっさり学校を休むことができるのだ。
「前に行った地域で、いい感じの植物サンプルが採取できたのだったっけ?」
「はい、そうなのです! 南方にのみ自生する多肉植物のエキスなのですが、これは現地では古くから薬湯の材料として使われていたのです!」
「あ、そういえばお父様が、デールが持って帰った植物の汁を飲んだらちょっと喉の調子がよくなったって言っていたわ」
「はい、それです。甘くて喉の通りもよいので、いずれ飴などの形にできれば……って、これ、今日の発表会で言う内容でした……」
調子づいていた様子のデールだが、「しまった……」と口を手で押さえてうつむいてしまった。
(デールって、私より三つくらい年上だって言っていたし、基本的に落ち着いていて大人びているけれど……なんだか、たまに)
「可愛い」
「……え? ど、どれのことですか?」
「ああ、いえ、あなたのことだったの。気を悪くしたなら、ごめんなさいね」
さすがに二十歳の男に対して「可愛い」はまずかった、と思って謝罪したが、デールは口に当てていた手をゆっくり下ろし、なぜか無表情でユーフェミアを見てきた。
今の彼は髪を上げているしあの眼鏡――偽眼鏡らしいが、あれを装着していると研究が進むそうだ――もないので、彼の整った顔がはっきり見える。美形の真顔は、なかなか迫力がある。
(……え、ええと、もしかしてものすごく嫌だったかしら……)
「……あ、あの。そんなに嫌だった……?」
「……いえ、そういうわけではありません。ただ……。……あなたに言われて喜ぶ自分を、情けなく思いまして」
「そうなの?」
「はい。……さて、この話は置いておくとして……そういえば今日の発表会の主催者は、僕の上司でして――」
話を無理矢理変えて、デールは窓の外を見やった。
(……デールって、何か隠し事をしているような気がするのよね……)
それを無理矢理暴く趣味はないが……たまに彼がユーフェミアをとても切なそうなまなざしで見るのだけは、気になっていた。
デールの研究発表会は、王城にある王立研究所の大ホールで行われた。
デールは仕度があるので入り口のところで彼と別れ、ユーフェミアは会場係の案内を受けて関係者席に向かった。観劇会場でいうようなボックス席で、ここからならデールの顔もよく見えそうだ。
「……聞いたか? 最近、『動く鳥の巣』がやたら活躍しているみたいなんだ」
会場係からもらったドリンクを手にわくわくしながら開会を待つユーフェミアの耳に、誰かの声が届いた。
「そうらしいわね。なんでも、どこかの成金から支援を受けているらしくて……」
「貧乏研究者は、金持ちに媚びへつらうしか研究資金を得る方法がないからな。……もしかすると、研究に大成した暁にはそこの娘をもらおうとしているとか、そんなのじゃないか?」
「あら、いやだわ。でも『動く鳥の巣』って見るからに異性からの人気がなさそうな不細工らしいし、そうでもしないと色恋の経験なんてできないのではないかしら?」
失礼な、と思って振り返ると、噂話をしていた男女とばっちり視線がぶつかった。
彼らはユーフェミアに見つめられてもつんとしているので……自分の前の席にいるのがデールの支援者の娘であると分かって、悪口を垂れ流したのではないか。ユーフェミアと同じ場所にいるということは、彼も発表者の関係者――きっと、身内か何かだろう。
(……馬鹿馬鹿しい! そんなくだらない噂話で花を咲かせるくらいしか、デールを貶す材料がないということじゃない!)
きっとデールは、見事な発表をしてくれる。そして……今もユーフェミアの後ろでクスクス笑っている者たちを、けちょんけちょんにしてくれると信じ、ユーフェミアは前を向いた。