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02

 王城の官僚であるアンジーの父親情報によると、「ぼさぼさの赤毛にもっさりしたコート姿のデール・セネットは、よく『動く鳥の巣』と呼ばれている」そうだ。

 だと、いうのに。


(……おかしい。これは、アンジーのお父様の情報が誤っているのか……それとも、この人は実はデール・セネットではない別人なのかしら……?)


 噂とはかけ離れた姿のデール・セネットを前にしてユーフェミアは固まっていたが、御者台にいた御者が首をひねってこちらを見てきた。


「お嬢様、そんなところに立っていないでお屋敷に参りましょう」

「え? ……え、ええ。でも……」

「ああ、デールのことですか? なんかそいつ、二ヶ月ほど前からいきなり変身したんですよ」


 ユーフェミアが生まれるよりも前から実家で働いている御者はそう言ってにっこりと笑い、「早くお乗りくださいな」と急かしてきた。彼が言うのだから、この美青年が――なぜか急成長を遂げたデール・セネットであるとみて間違いないようだ。


 だがユーフェミアが馬車に乗ろうとしたら、デールはスマートに手を差し出してきた。


「お手をどうぞ」

「あなたは従僕ではなくて、父の被支援者でしょう。それなら手を借りることはできないわ」

「いいえ、僕の方から旦那様にお願いして、本日お嬢様をエスコートする役目を賜りました。ですから、お気になさらず」


 そう言いながらも、デールは微笑みを絶やさない。

 これまでにも、兄代わりや姉代わりになってくれる者や「お嬢様」扱いしてくれる者はいたが――こんな風に使用人の立場を所望する者はいなかった。


(……いやでもデール・セネットは変人らしいし、こういうのも変人ゆえなのかもしれないわ)


 そう結論づけて、ユーフェミアは彼の手を取って馬車に乗った。

 二人が乗り込むと、馬車がゆっくり動き出した――が。


「……あの。あなたも、座れば?」


 揺れる馬車の中でもデールが突っ立ったままなのでそう言うと、彼はとんでもないとばかりに首を横に振った。


「今の僕は、お嬢様のエスコート係ですからね。このままで大丈夫です」

「そうは言っても、往路では座っていたでしょう? それなら座ればいいわよ」

「いえ、座っておりません」

「……立っていたの?」

「床にしゃがんでおりました」


 なぜそんなところで頑固なのだろうか。

 最終的にユーフェミアが「そこに立っていられると邪魔。座られたらもっと邪魔」と言ったことで、デールは遠慮しながらも向かいの席に座ってくれた。だが、自分が座面になるべく触れないようにしているのかとても浅く腰掛けていたので、「ちゃんと深く腰掛けなさい」と言ってやっと、きちんと座ってくれた。


(……変な人ね)


 家に着くまでもう少しかかるので、せっかくだからとユーフェミアは口を開いた。


「それで。あなたは王立研究所に勤める研究者で、植物学を専攻しているのだったかしら」

「はい。僕は植物系の毒について研究をしていたのですが、そこに旦那様からお声がけをしていただきました。研究資金も実績もほとんどない若造の僕に手を差し伸べてくださった旦那様には、感謝しかありません。……もちろん、お嬢様にも」

「……私は何もしていないわよ。あなたへの挨拶だって、言い訳をして半年もずるずる引き延ばしてきたのだから」


 ユーフェミアが正直に言うと、デールはふふっと小さく笑った。


「……いいえ。むしろ、お嬢様とご挨拶するまで時間があったおかげで、僕の方の準備も整いましたからね。僕にとってもちょうどよかったです」

「……そういえばあなたって、もうちょっと、こう……もっさりした印象があるって聞いていたのだけれど」


「動く鳥の巣」を本人の前で言うのはさすがにはばかられたので言葉を濁すと、デールはうなずいた。


「二ヶ月前までは、そんなのでした。ですが汚らしい身なりだと旦那様やお嬢様にとって不名誉だろうからと、一念発起しました」

「え? いや、そんなことは……」

「今の僕、見るに堪える感じですか?」

「十分よ! さっきもうちの下級生が、あなたのことをじっと見ていたのよ。素敵な方がいる、って言って」

「おや、そうでしたか。お嬢様のことばかり考えていたので、全く気づきませんでした」


 デールはさらっと言うが……かなり、なかなか、パンチの効いた台詞である。


 初等学校は女子校なので異性との関わりがほとんどなく、高等学校は共学だが男女交際にはかなり厳しいため、ユーフェミアは今までの人生でこんな風に言われたことがなかった。


(……こ、この人、よくこんなことを平気で言えるわね……。……まさかこう見えて、かなりのプレイボーイだったり……?)


 もっさりした野暮ったい研究者という噂だったが、髪型や衣装を整えるとこれだけの美形なのだ。案外もっさりスタイルは皆を騙すための仮の姿で、こちらが彼の素顔……なのかもしれない。というか、その方がしっくりくる。


(……まあ、お父様の厚意をむげにするような人じゃなかったら、何でもいいけれど)


 そう思いながら窓の外を見やったユーフェミアは――向かいのデールがどこか切ないまなざしでこちらを見ていることに、気づかなかった。












 久しぶりに帰宅すると、ユーフェミアの予想以上に父は娘の帰りを喜んでくれた。


(もうちょっとドライな感じかと思ったら……まさか、「やっと帰ってきてくれた!」って泣かれるなんて)


 夕食を終え、自室に上がったユーフェミアは先ほどのやりとりを思い返していた。


 ……父親は決して、悪人ではない。ただ実の娘なのにユーフェミアより被支援者たちの方を優先しているようで幼い自分が嫉妬してしまっただけだと、子どもながらに分かっていた。


 だが今はユーフェミアもまた、昔ほど嫉妬していないしひねくれてもいないと気づいた。

 自分も十七歳を迎えてある程度大人になり、落ち着いた気持ちで父と顔を合わせられたからかもしれない。もしくは、将来有望な皆と自分は違う、それでいいのだ、と割り切れるようになったからかもしれない。


(……それはいいとしても、お父様のデールの気に入りようはすごかったわね……)


 本日はユーフェミアとデールの挨拶が目的なので、食卓にデールも同席した。それはいいのだが、父はデールのことをべた褒めしていた。

「彼は必ず大成する」「きっと、誰もが驚くような発見をして、この国の発展に寄与してくれる」と太鼓判を押していた。しかもデールの方も、「ご期待に添えるように努力します」と微笑んで言っていた。どうやら、自分の研究内容にかなりの自信があるようだ。


(まあ別に、何でもいいけれど……)


 ユーフェミアとしても、デールは愛想がよくて気遣いのよくできる、素晴らしい男性だと思えた。男性としては少し高めの声はゆったりとしていて聞き心地がよく、その反面研究内容について父と語るときには少年のように目を輝かせている。


(ああいう情熱とか目標とかがない私には、ちょっとまぶしいのよね……)


 ユーフェミアはそんなことを考えながら着替えをして、部屋着用ドレスになったところで部屋を出た。アンジーのために、父親がこっそり買っている菓子をもらっておくのだ。


 食堂に向かったユーフェミアは、細い明かりがともる食堂のテーブルに向かって何やら書き物をするもっさりとした後ろ姿を見つけた。


(……んんっ? まさか、あれは……)


「もしかしなくても、デール?」

「うわっ!? ユッ――お嬢様!?」


 ぎょっとして振り返ったのは、デール――のはずだ。きれいに整えていた髪は下ろし、ぱりっとしたお仕着せからだぼっとしたコート姿に変わり、目の形が全く分からないほど分厚くて大きな眼鏡を着用しているが。


(こ、これがまさに、アンジーのお父様がおっしゃっていた姿ね!)


 やっと本物のデールを見られたような気持ちになり感動していると、デールは恥ずかしそうに前髪で顔を隠すようにうつむいた。


「ど、どうかなさいましたか? あ、その……すみません、こんな姿で……」

「気にしないで。私はちょっと、お父様のお菓子をくすね――じゃなくて譲ってもらいに来たの」


 もっさい姿を隠そうと一生懸命になっているデールに微笑みかけ、ユーフェミアは彼の横を素通りして戸棚に向かった。

 母を亡くしてしばらくの間、ユーフェミアは一人で泣いていた。そんなユーフェミアを抱きしめて父は、「可愛いユフィに、とっておきの宝物の場所を教えてあげる」と、お菓子の入っている戸棚のことを教えてくれたのだ。


 父がこの戸棚に高級菓子をためこむのには、彼自分が甘い物好きであるのももちろんだが――ユーフェミアを甘やかすためでもあった。だからこの戸棚から菓子が消えたとしても、父は何も言わないどころかにっこり笑うのだと、メイドが教えてくれたことがある。


 アンジーのためのクッキー入り缶を抱えて振り返り、デールのもとに向かう。彼の手元には、少し古びた用紙が広がっている。


「それは……地図?」

「あ、はい。いずれこの地域に行って、植物サンプルを採取しようと思うのです」


 そう言って彼が指さす場所は、ユーフェミアの行ったことのない地域だった。


「そこ、昔お父様が行かれたことがある場所だわ。聞いたことがあるの」

「……そ、そうですね。僕も旦那様からそのお話を伺い、是非とも行って新種の植物を見てみたいと思ったのです」


 なぜか一瞬言葉に詰まりつつもデールは言い、「その」と少し言いにくそうに言葉を濁した。


「……僕は目的があってあちこちの地域に行くのですがそれについて、旦那様の金を食い潰しているのではないかと批判する者もおりまして……あ、えと、この屋敷の人ではなくて、主に研究所の者ですが」

「……ひょっとして、自分は支援金をもらえないのにデールだけ潤沢な資金をもらっているから、ひがんでいるのかもしれないわよ」

「そう、かもしれませんね。……でもそんな者たちを見返すために、そして旦那様やお嬢様の恩に報いるために、僕は研究を成功させたいのです」

「お父様はともかく、私は関係ないと思うけれど?」

「え、あ、そう、ですね。あはは……」


 ごまかすように笑いながらデールがさりげなく地図を手で隠そうとしたことに気づき、ユーフェミアはクッキー缶を抱えて一歩下がった。これ以上絡んだら、彼の邪魔になるだろう。


「私はあなたの研究とか、よく分からないけれど……でも、お父様の支援を受けているからには成功してほしい。いや、失敗してもいいけれど夜逃げだけはしないでほしいわ」

「絶対にしません! それだけは誓います!」

「それならいいわ。……研究、お疲れ様。でも、体を壊さないようにゆっくり休んでね」


 ユーフェミアは微笑んでひらひらと手を振り、デールに背を向けた。


(……多分彼は誠実な人だし、踏み倒しだけは……しないと信じたいわ)


 そう思いながら、ユーフェミアは自室に向かった。

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