[7]散らばる砂
「……それからレインはあたいを、風の民が暮らす「山」へ連れていってくれてね。今の首長と対面して、あたいは風の「旅」側に迎えられたんだ」
「え?」
メティアの続きにアンは疑問を呈した。レインは「山」の所在をどうやって知り得たというのだろう?
「ああ……詳しくは知らないが、レインはリーダーと懇意みたいだね。ただあたいも「山」のことについては一切他言するなと固く言われてるから、これ以上は話せないけど」
「そう……」
何かが引っ掛かっていた。元々レインは以前から外交に力を入れていたが、首長とすら付き合いのある風の民について、今まで一度も口に出したことがないからだ。
「あたいも二十六を越えたら「山」の一員になれる! あの集落は穏やかでイイもんさ~アンもいつかレインと遊びに来たらいい」
「他言しないようにって口止めされているのに?」
「レインの口から聞けば行けるんじゃないか? あくまでも口外を禁止されてるのは風の民だからね」
隠し通してきたのか、単に話すキッカケがなかったのか、これまで話題にもしなかったレインが、今後自分に打ち明ける機会はあるのか……分からないが、メティアが未来に暮らすであろう地と、パニの両親である首長夫妻には、いつかお目通し願いたいとアンも思った。
「でも意外ね。華やかな世界を好みそうなメティアなのに」
その地が本当に山岳部であるのなら──そうでなくともメティアが「穏やか」だと言うのであるから、決して都会ではないのだろう。そのような地方へ居を構えることを夢見たメティアを、アンは不思議に感じた。
「こんな生活はあと数年で十分さ。世の中を存分に楽しめば、おのずとひとところに落ち着きたくなるもんだよ。あたいがこんな格好をしてるのは、男共に虚勢を張るためだしね。あたいだっていつかはちゃんと家族を持ちたいんだ……残念ながらレインはもう「お手付き」だから、他のイイ男を見つけなくちゃいけないけどさ!?」
「お手付き?」
すぐには理解の出来なかったアンを、メティアは楽しそうに笑う。
「でも……ご家族の元へは戻らないの?」
「そうさね~弟妹たちのことは気になるけど、娘を売った親には会いたいとも思わないからね」
「そう……よね」
幾ら幼子たちのためとはいえ、家族の一員を犠牲にした家長の罪は重い。母国ナフィルにもそうせざるを得ない一家があるやも知れない。他人事とは言い切れない世情を、やがては国の長として見詰めなければいけない日々が来る。
「あの……アン王女さま、メティア……ご無事であられますか?」
沈黙してしまった数秒、突如戸外から声を掛けられて、二人は同時に飛び跳ねてしまった。声の主はパン屋の店主だ。見れば曇り硝子の向こうはすっかり黒い闇と化している。きっと残りの侍従を送り届けて戻ってきたところだろう。
「はい、大丈夫です。何から何までお世話を掛けますね」
アンは僅かに引き戸を開いて、すぐ傍に見つけた店主の面に応答した。
「いえいえ。全員ご無事に移動完了となりましたので、夕食をお持ち致しました。宮廷料理とは雲泥の差ではありますが、宜しければお召し上がりください」
「ありがたく戴きます。貴方の作るパンは本当に美味しかったわ。あの、近衛兵たちももう集まっていたかしら?」
扉から差し込まれた食事を受け取って、アンは店主に質問した。
「はい、わたくしが到着する小一時間前には、兵隊さんたちもお着きになられていたそうです。ですがどうもおかしなお話なんですよ……兵隊さんたち六名さまは、一昨日の夜リムナトの近衛兵たちに見つかって、ずっと王宮の地下牢に閉じ込められていたというのです。昨朝市場でしっかりお会いした筈なのですけどねぇ……」
「どういうこと……?」
困惑気味の店主の説明に、アンとメティアは思わず顔を見合わせた。
では店主が密会した筈の兵たちとは、一体何者であろうというのか?
「あのっ、昨日のメンバーは、その前日にも会った兵たちと同じでしたか!?」
焦燥が唇に微妙な力みを加えて、アンの発した言葉は震えていた。
「申し訳ありません……どちらの際にも扮装したリムナトのマントを深く被っておられましたので、どなたのお顔も確認致しませんで……約束しておりました場所で声を掛けられたものですから、特には警戒しませんでした」
「そう……二日続けて同じシチュエーションとなれば、疑わないのも無理はないわ」
アンはそれきり口を閉ざして考え込んでしまった。
確かレインも昨夜「潜伏中の兵たち」によって所在を知り、空き家で一晩を過ごし、早朝此処まで会いに来てくれたのだ。しかし今聞かされた状況では矛盾が生じてしまう。レインも店主と同様に偽りの使者によって情報を吹き込まれたということなのか? それとも既に地下牢に閉じ込められた兵たちから聞かされたということか? けれどレインはあの時「君たちの使者が見つけてくれた」のだと、そして「まだ城へは戻っていない」とも言った──。
今朝も店主は約束を交わした場所へ、兵たちからの報告書を受け取りに出掛けてくれていた。しかし一時間を過ぎても誰一人現れず、諦めて戻ってきたのだった。レインが真夜中の脱出計画を指示したことで、今夜の再会までは身を隠すことを優先したのだと、アンたちは前向きに結論づけてしまったが、ニセモノであったならそろそろ正体がバレると見込んで、二度目の接触は避けたのかも知れない。
どちらにせよ、その者たちは明らかに、アンの一行がパン屋の屋根裏部屋に身を隠していることを知っていたということになる。なのに彼らが今でも踏み込んでこないのはどうしてなのか? アンがレインに対しての「人質」となるならば、レインが彼らに見つけられた時点で、レインもアンも連行されている方が自然な筈だ。
「それでその、地下牢から救出してくださったのがレインさまだそうで……まだ数時間前のことですから、おそらくレインさまが王女さまにお会いになられた後のことだと思われます」
「レインが……?」
──もしかしてレインがあれから早々に王宮へ戻ったのは、兵たちを助けるためだった……?
脳内に巡らせていた手掛かりの断片が、一つずつ少しずつ、結ばれては形を成してゆく。その途中でアンはハッと息を呑んだ。声に出してしまいそうな驚きに、慌てて唇を掌で塞いだ。
「あの、アン王女さま。実はこのような事態が発覚致しましたので、兵隊さんの内お二人がわたくしと一緒に戻ってきております。今は店の奥にてお待ちいただいておりますが、こちらにお呼びしても宜しいでしょうか?」
「えっ……」
アンは一瞬戸惑いを示したが、再び手にした全ての情報を一巡させて、やがて店主と視線を合わせた。
「では、三十分後に二人を寄越してください。それまでに食事を済ませ、支度を整えておきます。「腹が減っては戦が出来ぬ」と申しますでしょ? 事情はそれから聴くことにします」
「え? あ、はい……承知、致しました」
アンの凛とした眼差しと口調に、やや違和感を寄せつつも、店主はひとまず引き下がっていった。
「なぁ……イイのか? 今すぐ兵たちから話を聴いた方が──」
再び二人となった空間で、何やら荷物をゴソゴソと探し始めたアンの横顔を見詰めて、メティアも困惑を隠せない様子になった。
「いいの。聴いている時間はないから」
「え!?」
メティアの問い掛けにも答えている暇はないらしい。アンは見つけ出した探し物の二通の中身と、上着のポケットに収めておいた一枚の紙片を取り出して、計三枚を床に並べてみせた。
探し物の二通とは、一昨日の朝と昨朝に店主が兵たちから預かった報告書である。そしてもう一枚は、レインが空き家までの道のりを書き込んだ便箋であった。
前者はリムナト政府の陰謀に対する重要な証拠として、後者は自力で空き家を目指すために、アンに託されたものである。
「メティア、マッチを持っていないかしら?」
「あ、ああ……ちょっと待って」
今度はメティアが懐をゴソゴソと探って、小さなマッチ箱を取り出した。
「ありがとう。どれも色や柄が違うから気付かなかったわ……でも、レインはこれに気付いた」
「え?」
手早く三枚の端をちぎり、アンはマッチを擦った。途端その火を中心にした光が、二人の頬をオレンジ色に灯す。アンはまず一昨日の報告書の断片を燃やし、次に昨朝の断片を、最後に地図の切れ端を燃やして、「やっぱりね」と呟いた。
「どういうコト!?」
何をして「やっぱりね」なのかに気付けなかったメティアが、三つの燃えカスを見下ろして問う。
「微かに香らない? 甘い花の蜜のような……一枚目にこの匂いはなかったわ。でも二枚目と三枚目には同じ香りがしたの」
「……確かに……仄かに残り香がするわね」
言われてクンクンと鼻から強く息を吸い込んだメティアも、ようやく納得したようだった。
「でもこんなの偶然じゃないのか? 同じ店の商品だったんじゃ……」
「ううん、違う。レインが使ったのは、リムナトの王族のみが使うことを許された書簡箋よ……昔レインが燃やして教えてくれたのを、今思い出したの」
「それじゃ、ナフィル兵の振りをして店主に近付いたのは──!」
──間違いなくリムナト王家の誰か、もしくはその誰かに指図された家臣や下僕たちだ。
その前夜に兵たちを捕獲したとあらば、彼らが店主と落ち合う約束の場所も、アンたちの所在もおのずと知れよう。そしてレインも侍従から二通目を手渡された時点で気付いたのだろう。あの一瞬、レインが表情を変えたのはそういうことであった。
「アン、一体どうするつもりだい?」
分かったと同時に報告書を裏返したアンは、その紙面に何やら文字を綴り始めた。覗き込んだメティアの瞳には、空き家に集まったメンバーに向けての伝言らしき文章が映り込む。
「メティア、悪いのだけどこれを店内の兵士たちに渡して。彼らに同行して空き家へ向かってちょうだい。フォルテたちを守って、ナフィルへ連れ戻してほしいの。あたしは……王宮へ行くわ」
「ええっ!?」
一心不乱に書き続けながら、同時に指示されたその内容に、メティアは脳天から大声を上げてしまった。
「んなっ、何をアホなこと言ってんだ! レインはあたいらに頼み込んでまで、あんたを母国に帰したいって思ってるのに……アン自身がそれを拒んでどうすんだよっ!?」
書き上げた内容を今一度黙読する。メティアの言い分はもちろん重々承知の上だ。レイン自身から言われた台詞を反芻しても、彼の希望に反していることは理解している──「ナフィルの民の──「砂の民」のためにも、今は国王代理として国を支えることを優先するんだよ」──あの言葉は、何が遭ったとしても国に帰れというお達しだったに相違ない。そう頭では理解出来ているのだ。けれど心が納得しない。納得出来ない……アンは胸騒ぎを覚えていた。何か……嫌な予感がすると。
「ああっ! んじゃあ、あたいが王宮へ行く! ルーポワ側の検問所で控えているリーフに伝令を飛ばして、速攻来てもらうからアンは空き家で待ってろって! これでもあたいは剣舞の舞姫なんだ……あたいなら王宮で襲われても上手く立ち回れる!!」
目の前で着々と準備を始めるアンへ向け、メティアは困ったように後頭部を掻き回しながら、苦肉の策を搾り出した。だがアンは応じる気配すら見せない。とうとう支度を終えて「お願いね」と一言、封書をメティアの胸ポケットに突っ込んで戸口から出ていこうとした。
「待てよって! レインが心配なのは分かるけど、これじゃあレインの努力が水の泡じゃないか!!」
飛び出そうとする身体が強い力で引き止められた。きつく握られた手首の先を振り返れば、初めて見せる必死な形相のメティアが居た。
「お願い……行かせて。あと十分もしたら二人が来ちゃう。そうしたら絶対反対されるもの。その前にどうか……お願い!!」
「アン……」
そうしてメティアも、初めて見せた王女の悲愴な表情に、込み上げた言葉も胸につかえてしまった。
だが、それも数秒ののち、
「わ、かった……それならあたいも一緒に行く。二人だったら怖いモノなしだろ? んで、こいつはココに置いてゆくよ。そのうち兵たちが来て気付くだろ……さっき話したリーフは風一番の射撃手だ。検問でパニたちと合流するから、あっちのことは心配すんな!」
「ありがとう……メティア」
二人の希望は一致した! メティアはポケットに押し込まれた封書を床に投げ、自分の荷物を右腕に抱え込んだ。
「行こう、アン! レインの元へ!!」
お互いの手を握り締め、メティアとアンは広がる闇へ身を投じた。
暗い黒い──深い闇へ。
◆次回の更新は三月九日の予定です。