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水嶺のフィラメント  作者: 朧 月夜
◇ 第二章 ◇ 
6/20

[6]救われた心

 それから数分後。雨が上がったのだろう、暖かみに包まれ始めた屋根裏部屋には、自分の姿に動揺を隠せないアンと、パニの目を手で覆いつつ困惑するフォルテ、そして惚れ惚れとした視線を王女へ送るメティアが居た。


「あ、あの、あの……やっぱり自分の服装に……」

「ダ~メ! 思った通りお似合いじゃん。アンに見とれるレインが目に浮かぶねー!」


 見とれるどころか視線を逸らされるのではあるまいか? メティアでさえも相当な露出度と思われたが、アンの着衣はそれを上回っていた。加えて彼女のスタイルの良さが、色気を十二分に誇張させている。


「フランベルジェの女性が、このような格好をしていたとは記憶にないのだけど……?」

「そうぉ? あの国は常夏(とこなつ)みたいな気候だからね。薄着でいなかったら熱中症で死んじまうよ?」


 数回父王に連れられて外遊した記憶があるが、春に当たるこの季節にこれほどの装いが必要であっただろうか? 夏には痛いほどの熱射に襲われる国とはいえ、それならむしろ肌を守るような長衣であるべきだ。アンは余りの気恥ずかしさに、ベッドから思わずシーツを手繰(たぐ)り寄せた。


「あ~もうっダメだったら! こんなに白くてスベスベな肌、見せなかったらもったいないって!!」

「も、もったいない……?」

「フォルテさん、お願い! ボクも見たいー!!」

「幾ら十三歳と言えど、姫さまのこのようなあられもないお姿、殿方にはお見せ出来ません!」

「あられもないだって~~~プププ!」


 それぞれの台詞が一周し終えたが、二周目はアンの番で止められることとなった。メティアの妨害と格闘している間に、まだ膨らみのある布鞄をメティアの背後に見つけたからだ。


「ひどいわ、メティア。あたしをからかったのね?」

「ん?」


 登場したてのメティアのように腕を組んで──案の定バストが強調される結果となったが──アンは眼下のメティアに憤慨してみせた。その視線を追って、メティアも布鞄の存在を思い出したようだ。


「あちゃ、バレたか」

「本物はそちらなのでしょ? どうしてこのような衣装を着させたの? ……早く支度するように急かしたのはメティアなのに」

「だって~」


 相変わらずしれっとした調子で両腕を後頭部に回したが、上目遣いにアンを捉えたメティアの表情は、今までで一番柔らかく女性的だった。


「だってさぁ……レインの恋人があたいより優れていなかったら悔しいじゃないか」

「え?」


 まどろみの眼差しに、アンは驚きの面差しを返した。メティアの言い分を聞かされても、この衣装を着用させた理由がアンには理解出来なかったからだ。


「アンには家柄もある。頭もいいって噂も聞いてる。お初にお目に掛かったけれど、あたいに負けず劣らず美しいことも分かった。あたいのハスキーボイスとは違って、声も透き通って綺麗だ。長い黒髪には(つや)もあるし、好い匂いまでしてるってもんだ! でもどうせだったら全部(まさ)ってほしいと思ってさ? あと残すはお肌とスタイルの良さだったというワケさ」

「……それを確認するためだったということ?」

「ご名答」


 満足げにウィンクを投げたメティアに対して、アンは呆れたように──もしくは感心したように? (みどり)の瞳を見開いて立ち尽くした。


「それで……メティアの判定は?」

「もちろん合格さ! さすがレインはお目が高いねぇ」

「そんなんじゃないわ……」


 メティアはやりたいことと言いたいことを済ませ、ようやく満足がいったのだろう。後ろ手に本来着るべきフランベルジェの衣装を引き寄せて、ウィンクと共に王女へ差し出した。アンはその布地を素直に受け取りはしたが、メティアの判定には反論した。レインはいつでも誰にでも優しい。彼は見た目や身分の差に囚われることなく、全ての民と同等に接してきた。彼女の知る限り、彼にはそうした対等を重んじる心が常にあった。


 だからレインが自分を外見で選んだとは思っていない。では彼はどうしてアンを選んだのか? 幼少からの長い付き合いが安易に結んだ縁なのか? それとも王女としての孤独な立場に同情されたのか? そんな風には思いたくもないが、どんなに自問自答を続けても、アンには明確な答えが導き出せなかった。


「あたいだってレインの外見だけに惚れ込んだワケじゃないんだ。だから分かってるって! レインがアンを選んだのは、見た目だけなんかじゃないってことはさー」

「……え」


 いつの間に心の言葉を口にしてしまったのだろう? アンはその返事によって(こも)った殻から引き戻された。すっくと立ち上がったメティアに一瞬ビクッと震えてしまう。そんな様子を特には(いと)わず、メティアはおもむろに目の前に進み、手渡したばかりの衣装を取り返した。真っ赤な指先が広げたのは、繊細なレースが胸元に施された長尺のブラウス。上品な白さが清潔感や涼やかさを印象づける。メティアはそれをアンの背に(まと)わせながら微笑んだ。


「レインはアンの中身に惚れたんだって。だからさ、もっと自分に自信を持ちなさいよ? あれだけの男に選ばれたんだから」


 語らずとも応えてくれる親しい友人など、レインとフォルテの他にいた記憶はアンにはない。恋人でもなく侍女でもない、本当の意味での友という存在。アンはこの出逢いを作ってくれたレインに深く感謝をした。いや、もしかするとレインはアンのため、他の誰でもないメティアを寄越してくれたのかも知れない。


「ありがとう、メティア」


 一生大切に出来る宝物を、レインから戴いたのかも知れない。

 そして──いつの日か見つけるための糸口を手にした気がした。彼が自分を愛する理由を。




 ◆ ◆ ◆




 四日振りの「地上」は、屋根裏部屋とは違って騒がしかった。本来の変装に扮したアンとメティアは、パン屋の裏手に建つ水車小屋へと移動した。屋根裏部屋では万が一近衛兵(このえへい)に踏み込まれたら、他に逃げ道がないからだ。一方水車小屋では小麦を()くための設備が常時音を立てているため、それなりに会話も出来るし、いざという時に備えて川べりには小舟も用意されている。しかし総勢六名が待機するにはスペースが足りず、全員が夜までを過ごすにはかなり窮屈と思われた。


 そこでメティアの発案により、侍従の一人とパニを空き家へ偵察に(うかが)わせてみることにした。近隣を知る店主と、そして昨夜一晩を過ごしたパニによれば、空き家の周辺は夜半にだけ開くような、飲食店がひしめく歓楽街の一角らしい。戻ってきたパニの報告により、日中からでも潜伏可能との判断が下されたので、数時間おきにまずはフォルテを、お次は夕闇に(まぎ)れて残りの侍従を、最後に闇夜に隠れてアンとメティアが空き家に集結するという算段となった。


 というのも大勢での移動はどうしても目立ってしまうからだ。計画通りであれば、既にパニとフォルテはパン屋の入り口から親子と装って、大量のパンを抱えて出ていった筈である。実際にはパンと見せかけた旅の荷物であるが。小一時間もすれば陽が暮れるので、店主が友人と酒場へ出掛ける振りをして、残りの侍従と出ていく予定だ。そちらは大して搬送出来そうもないので、ルーポワへの往復十名分という大荷物の殆どは、屋根裏部屋に置いていかざるを得ない。が、それも店主への謝礼と思えば安いものだ。


「はぁ~! この終わりのない騒音に、そろそろあたいの気も狂いそうだわ。これが風車小屋だったら、風が止まれば静かになるのに~」


 徐々に赤みを含んだ光の差し込む水車小屋で、メティアは両掌を耳に押し付け、とうとう弱音を吐き出した。


「静かになったらこうしてお喋りも出来ないでしょ? 音の波長も一定であるのだから、子守歌と思えば心地良いじゃない。小麦の挽かれた匂いも(かぐわ)しいし、音のない屋根裏部屋に比べたら天国だわ」


 対してアンは地べたに腰を下ろし、抱えた膝に乗せた小首を(かし)げて、メティアにニッコリ笑ってみせた。


「辛抱強いお姫サマだこと。だからってそんな硬い板っぺらにしゃがみ込んでたら、そのうち尻が痛くなっちまうよ。ほれ、その袋に腰掛けな。少しはマシだ」


 そう助言するメティアはと言えば、三段に積まれた麻袋にドッカリと腰を据えている。おまけに一袋を壁に立て掛けて、背もたれまで(しつら)えるなどやりたい放題だ。


「あたしはこれで十分快適よ。それよりそろそろ潜伏中の五人も空き家で合流したかしら? あたしたちは……確か九時を回ったら此処を離れるのよね?」


 彼女自身が麻袋をクッション替わりにしなかった理由は、その中身が穀物であったからだ。人様が口にする物に腰掛けるのには抵抗があった。だが、メティアにも同じ想いのカケラはあるのだろう。丁寧に畳んだマントを敷いていたので、アンもメティアを(とが)めるまでには至らなかった。


 実際水車小屋に移ったのはアンとメティアのみ、フォルテと侍従には店主の寝室にてパニからの報告を待ってもらった。そのためアンは屋根裏部屋を後にした時点で、フォルテと別行動が始まった訳だが、案の定フォルテは早々の別れに号泣寸前であった。夜半には空き家でしばしの再会が待っていると分かっていてもこうなのだから、まったくフォルテの心配性はあなどれない。

 とはいえ、そういうところがフォルテらしく、侍女らしい一面でもあるのだが。


「そうだよ、少なくとも九時は回った方がいいと思ったんだ。あの辺の酒場は遊郭も兼ねてる。その頃になれば酔っ払いも増えて、路地には娼婦も立ちんぼし始めるからね。あたいらの美貌じゃ、うっとおしい男どもが買いたいとまとわりついてくる可能性もあるが、いい目くらましにもなるだろ」

「しょ……うふ……」


 メティアの口から飛び出す単語は、どれもアンには衝撃的だった。言葉としての理解はもちろん、そういう裏の世界が存在するのも知識としては持っている。それでも直接目にしたことのない黒い(ただ)れのような闇に、アンの心はざわめいてしまった。

 そんな悲しそうな王女の様子に、メティアは、


「あたいが十四の時だから……レインは十八の頃だったね」


 ふっと懐かしそうな笑みを浮かべて、回り続ける歯車を目に語り出した。

 アンは初めてメティアの年齢を知った。彼女自身はレインの二つ年下なので、メティアはそのまた二つ下ということになる。


「メティアってあたしより年下だったのね」


 この時アンは二十二歳であったから、メティアはまだ二十歳(はたち)そこそこということだ。大人びた色気を(まと)うその外見から勝手に年上だと思い込んでいたので、驚きと共に、若くして大勢の民をまとめる統率力にも、益々畏敬の念を(いだ)いた。


「わーるかったな~老けてて! それでなくとも女はすぐにナメられるからな。こういう濃い化粧は有効なんだよ」

「そういう意味じゃ……でも、そんなに若いのに立派ね」


 偽りのないアンの言葉は、メティアの鼻先を微かに赤く染めた。そんな照れ臭さを隠すように鼻を(こす)りつつ話を再開する。


「この赤毛でもうお分かりと思うけど、あたいはフランベルジェの片田舎で生まれたんだ。家は貧しいのに親どもは後先考えずポンポン子供を作りやがった。あたいはその年長でね……下の弟妹(きょうだい)たちを食わせる為に、結局売春宿へ売られちまった」

「……」


 これだけやさぐれてしまったのには、よっぽど過酷な過去があるのだろうとは推測していたが、いざ言葉にされるとその振盪(しんとう)は計り知れなかった。頭を鈍器で殴られたような、胸元をナイフで(えぐ)り取られたような、今までに感じたことのない痛みが全身を駆け抜ける。


「ああ、悪かったね……この話には続きがあって、あたいは売られはしたけど、身体は売らずに済んだんだ。あの日あたいは売人に連れられて、遠い都くんだりまで歩かされていた。まもなくってところで悪態ついてね──最後の悪あがきってやつだよ。お陰で大通りは大騒ぎになっちまった……その時ちょうどリムナトの旅団が通りかかって、その中の色男があたいを助けてくれたんだ。それが……レインだった」


 メティアとレインの出逢い。俯いたまま横目をアンに向けたその仕草は、僅かに乙女の恥じらいを垣間見せた。その時の二人を想像して想いを馳せる。メティアにとってレインは救世主以外の何者でもなかったに違いない。それこそ……彼女には光り輝く王子さまに見えたことだろう。


「あのままあたいが逃げてしまったら、あたいの家族は身売り代をもらえずにのたれ死んだろうさ。だけどレインはあたいを売春宿から解放するために、法外な身請け金まで支払ってくれた。結果的にあたいはレインに買われたワケだし、てっきりあたいに一目惚れでもしたんだと思ってさ、礼も兼ねて寝所(しんじょ)を訪れたが、レインはあたいに指一本触れることはなかった。自分には心に決めた女性がいるからって。まぁそれがアンだったというワケだ。まさかこうしてレイン抜きでお目に掛かるとは思いもしなかったけどねー」


 おどけながら話を終えたメティアであったが、その奥底からレインへの深い忠誠心が(うかが)い知れた。幾らその時の恩があろうとも、命すら危ういこの計画に乗ってくれたのはそういうことだ。


「……良かった」


 アンは一言、嬉しそうに微笑んだ。じんわりと喜びを噛み締めるその横顔に、


「そりゃあ~あたいの魅力でも動じないほど、レインのアンへの愛情は深いってことさね」


 アンが呟いた「良かった」こととは、レインがメティアの「誘惑に乗らなかったこと」とメティアは察したが、


「あ、ううん、そうではなくて」


 アンが「良かった」と感じたのは、メティアがその身を売らずに済んだこと・彼女の家族が未来を紡ぐための金銭を手に入れられたことであった。


 レインもアンも、それが貧しい民たちを根本から救える手立てだとは思っていない。


 ──それでも。


 目の前の惨状に手を差し伸べてくれたレインを、アンは心から誇りに思った──。




◆次回の更新は三月六日の予定です。

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