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水嶺のフィラメント  作者: 朧 月夜
◇ 第一章 ◇ 
4/20

[4]燻(くすぶ)り出した炎

「もうっ、レインの意地悪! どうして訂正してくれなかったの!?」


 レインが到着した朝と同様、フォルテの階段を駆け上がる音が響いて。

 アンはやっと自分の(あやま)ちを知った。中性的な顔立ちの上に、まだ声変わりもしていないのだ。言われなければ少女と勘違いしてしまうのも仕方あるまい。速攻パニには謝罪を入れたが、もちろん「彼」は気にしてなどいない。その分気持ちの収まりどころが見つからなかったのか、アンの追及はレインに向けられた。


「ゴメン、ごめん! アンが「少女」と言っても、パニが正さなかったからさ。それに……少女といえども女性を連れてきたら、少しはヤキモチ焼いてる顔を拝めるかと思って?」


 フォルテのように頬を膨らませて怒るアンも、レインのおどけたウィンクにはつい調子が狂ってしまう。その一瞬の隙をついて、レインはアンをつと抱き締めた。


「ヤキモチなんて……焼かないわ」

「そ? それはちょっと残念」


 既に帰還計画はまとめられて、侍従もフォルテもパニも階下に待機していた。

 レインが現れた時と同様に、その背に腕を回したアンは、


「だって、ちゃんと信じているから」


 上気しそうな頬を、レインの肩先にそっと押し当てた。


「うん。ありがとう、アン」


 彼女の言葉に満足したように、柔らかく口角を上げるレイン。熱い口づけを何度となく交わし、おもむろにアンを解き放した。


「ごめん、そろそろ行かなくちゃいけない」

「そ……よね」


 分かっていても愛する人との別離とは常に辛いものだ。特に今回は会えない日々がどれくらい続くのか、全く予想もつかなかった。だからこそ、この瞬間一秒一秒が、このぬくもりが、この声が、どれほど愛おしいか知れなかった。

 もう一度レインは長い長い抱擁を捧げて、


「どうか無事の帰国を、愛しいアン。万が一にも危険に(さら)された時には、「あの呪文」を(ささや)くんだよ。覚えているね?」


 そう言ってアンの耳を優しく愛撫した。


「あ、の……?」


 ──「あの呪文」とは。


 懐かしいフレーズだった。その呪文の文言が、ではない。「あの呪文」という言葉自体が、だ。以前は会う度に告げられるレインの別れの挨拶だった──「アン、またね。「あの呪文」を忘れずにね」


 けれどいつ頃からかその挨拶は失われ、アンはすっかり「あの呪文」のことは忘れていた。内容を聞かされたのも、まだ小さい子供の時分だ。それもレインは一日に一文字しか教えてくれなかった。会う度に一字ずつ、それを繋げれば「あの呪文」になる。でも言葉にしてはいけないと、必ず念を押されたものだった。呪文が発動してしまうからと。発動したら恐ろしいことが起こるからと。その時のレインの表情がとても真剣で、また(おそ)ろしくて。決して声には出さなかった。いや、出せなかったのだ。なのに今になってそんな呪文を……? もう随分昔のことだが、記憶を辿(たど)れば思い出されるだろうか?


「いいね? 僕はずっと君の傍にいる。それをどうか忘れないで。ナフィルの民の──「砂の民」のためにも、今は国王代理として国を支えることを優先するんだよ」


 ──レイン……?


 ナフィルの民をわざわざ「砂の民」と言い直したことに違和感を覚えた。アンは疑問を口にしようとしたが、再びのキスで遮られてしまった。


「──はい」


 やがて自由にされた唇で、力強く応えてみせる。あたかも敵陣に乗り込まんという恋人に、これ以上不安な姿など見せたくはなかった。きっと次に会う時は共に笑顔で。一点の曇りもなく、清廉(せいれん)として。その「次」がいつになるかは分からずとも──。


「レイン、本当にありがとう。どうか無理はしないで……あの……愛しています」

「僕もだよ、アン。ずっと愛してる」


 最後に二人は愛を誓った。薄暗がりの屋根裏部屋にひらり、(つや)やかなブロンドとベージュのマントが(ひるがえ)って、涼やかな微笑みは一瞬の内に闇へと消えた。







 独りに戻った小さな部屋で、しばらくは微動だにせず彼の残像を目に焼きつけていた。

 それも数分ののちには我に返った。フォルテの階段を上る足音が聞こえてきたからだ。きっとレインが出ていったのを知って、様子を見にやって来たのだろう。アンは慌てて寝台に腰を下ろし、何事もなかったような表情を取り(つくろ)った。


「姫さま、朝食をお持ちしました」


 トレイに山盛りのパンと温かな飲み物を抱え、フォルテは優しい笑顔で参上した。アンが淋しさに取り巻かれてしまった時には、必ず其処から(すく)い上げてくれる癒しの存在だ。昔から(まつりごと)で傍にいられなかった父王に代わり、レイン、そしてフォルテの母とフォルテがアンを守ってきてくれた。


「ありがとう、フォルテ。一緒に戴きましょ」


 小さなテーブルに乗せられた十分な食事を見下ろして、フォルテに同席の誘いを掛ける。と共に今更気が付いた。レインにも焼き立てパンを味わわせてあげたかったものだと。


「わたくしめは後ほど戴きますので、どうかご心配なさりませぬよう。それから、レインさまにも沢山のパンをお持ち帰りいただきました」

「相変わらず至れり尽くせりね、フォルテ」


 アンは驚きと尊敬の眼差しで、フォルテを一瞥(いちべつ)し苦笑した。けれど用意された椅子には着かず、テーブルを挟んだ向こう側にフォルテのための一脚を寄せる。


「姫さま、そのようなことはっ」

「此処は王宮じゃないのよ、これくらい自由にさせてちょうだい。さ、フォルテ、冷めないうちに戴きましょう。フォルテが嫌だと言うなら、あたしもハンストするわよ?」

「姫さま!?」


 レインのように元気な目配せをして、アンは自分の席に着いた。フォルテもとうとう観念したらしく遠慮がちに続いたが、姫自ら小皿に取り分ける姿にあたふたと立ち上がってしまう。慣れない状況に取り乱すフォルテはいつになく愛らしい。アンは(こら)えきれず笑い声を上げた。その声に点火されたように、フォルテも口元を隠して笑みを(こぼ)した。


 不安に押しつぶされそうな今など忘れてしまえばいい。手に入れるべきは輝かしい未来だ。そのためにも──今必要なのは「エネルギー」と「休息」である。真夜中の脱出に備えて英気を養わねばならない。


「フォルテ、貴女にも苦労を掛けるわね。食後は夜まで自由にしてちょうだい。……一緒に帰ることは出来ないけれど、必ず無事に戻ること。いいわね?」

「姫さま……」


 折角笑顔を取り戻した矢先だというのに、フォルテはその言葉を引き金に、(くわ)えていたパンをそっと離してしまった。表情は刹那にメソメソとするが、それでも今は泣いている場合ではないと彼女も分かっているのだろう。グッと我慢するように口元を引き締める。両手で包み込んだパンを見下ろし、フォルテはやっと唇を動かしたが、それは既に涙声だった。


「お役に立てるとは思いませんが、お傍に()いていられぬことだけが悔やまれます。わたくしめがパニの衣装合わせをしている間に決めてしまわれますなんて……レインさまも意地悪でございますわ」


 こうなることが分かっていたからこそ、レインもフォルテを遠ざけたのだろう。アンは目の前の彼女に気付かれぬよう失笑し、フォルテの偽りない愛情に心から感謝をした。


「ありがとう、フォルテ。でもパニがあたしに扮している限り、貴女が傍に居ないのは不自然でしょうし……そちらのグループの方がよっぽど危険でしょうから、本当に気を付けてちょうだいね」

「い、いえ……もったいないお言葉でございます! パニは姫さまのお衣装を着用致しますが、その上にこの国では一般的な外套(マント)(まと)う予定でございます。わたくしめたちもそのような上着で身を隠しますから、当面ナフィルの者とは気付かれないでしょう。人数分のマントは目下(もっか)店主が掻き集めてくれております。姫さまにもお召しいただかなくてはならないのは、大変心苦しいのでございますが……」

「フォルテ、あんまりあたしに気を遣っていると、出発前に疲れちゃうわよ? レインだってなかなか似合ってたじゃない。あたしも結構悪くないと思うのだけど?」

「まぁっ、姫さまったら!」


 慰める対象が存在するというのも、時には良いことなのかも知れない。アンはふとそんなことを思った。彼女を「元気づけなければ」という想いは、自己にある恐怖を一瞬忘れさせてくれる。そして自身を鼓舞するキッカケにもなるからだ。


 と同時にそんな対象にされたフォルテにも、思いがけず不安を忘れる良いキッカケとなったらしい。アンの王女らしくない物言いに神妙な(おもて)を一変させたのは、途端に「日常」を取り戻せたからだ。礼節を教えてきた侍女としての使命が、アンの口調を(とが)めようと唇を大きく開かせる──も、アンは制するようにフォルテの面前に掌を広げた。


「ご心配なく、これからも言葉遣いには気を付けます。だから、ね、食事を続けましょ。久し振りに屋外へ出る上に、険しい峠越えが待っているのだから。特にルーポワ側の山道はとても狭くて危険だというわ……お願いだから気を付けてね。今後のあたしの世話を焼くためにも」


 思いやり深いアンの言葉に、フォルテは真一文字に唇を引き結んだ。やがて──


「……はい、姫さま。姫さまがお嫌だと申されましても、フォルテは死ぬまで姫さまのお傍を離れません!」

「そうこなくっちゃ!」

「まぁっ、姫さまったら!!」


 久方振りに活気のある食卓が、二人の食欲を刺激した。







 それからしばらくは現実を忘れ、アンとフォルテは遅い朝食を楽しんだ。一休憩して店主が借りてきた外套(マント)を試着してみたが、その中身はまだアン自身の身支度のままだ。パニによればのちに合流予定の副首長が、アンのための衣装を持ち込んでくれるとの話であった。


「──そこまでしていただかなくとも、あたしがパニの衣装を纏えば良いのではないかしら?」


 ひとまず自分の支度に戻ったパニを見詰めて、アンは質問を投げ掛けた。

 少々胸元は苦しいかも知れないが、山を越えるには身軽そうなシンプルな出で立ちだ。


「いいえ、アンさま。わたくしの古びた衣服など、王女さまにお召しいただく訳にはまいりません。それにこの装いは風の民の物。遠目には分かりませんが、見る者によっては気付かれますゆえ。フランベルジェを経由してお帰りになられるのですから、フランベルジェの服装が宜しいかと思います」

「そうねぇ……」


 確かに日頃余り見かけることのない風の民だと誤解を受ければ、どうしても目を引いてしまう。パニの言い分には一理あり、ともすれば、まず先決は副首長の到着を待つしかないということだ。


「副首長さんにまでお手を(わずら)わせてしまって、本当に申し訳ないわ。何かお礼をさせていただかなくては。そう言えば……パニは首長さんの御子だとレインは言ったけれど、今回協力いただいていることはもちろん首長さんのご意向なのね?」

「さぁ……」

「え?」


 アンの問いにパニは仄かに口元を歪めて、一言息を吐くように呟いた。が、それも刹那、アンとフォルテの疑問の声に慌てて(おもて)を上げる。パニはすぐさま低頭し陳謝した。


「も、申し訳ありません! 実は……生まれてすぐ「旅」側に引き取られましたので、「山」に住む両親とは会ったことがないのです」


 聞けば風の民には流浪する「旅」側と、隔離された山間部で暮らす「山」側という二つのグループがあり、「山」で生まれた者はまもなく「旅」に預けられ、「山」に属する年齢になるまでは両親に会うことも叶わないのだという。


「そのようなことが……知らなかったとはいえ、不躾(ぶしつけ)にごめんなさいね」

「い、いえ」


 一般的に世間では「旅」側の風の民しか知られていない。アンは遠慮がちに「山」について尋ねてみたが、その場所を知る者は「旅」側のリーダーである副首長(サブ・リーダー)のみだということだった。


「会えなくとも、元気にしていることは聞かされております。「旅」側は皆陽気で楽しいメンバーばかりですから、寂しいことなどありません。特にサブ・リーダーのメーはボクの……あっ、し、失礼致しました! わたくしのっ──」

「どうかそんなにかしこまらないで。いつものように話してくれたら、あたしも嬉しいの」

「は、はい」


 大人びた口調であっても、見た目も中身もまだまだ子供だ。自身の話題に及んで気が(ゆる)んだのだろう。一瞬落ち込んだ様子を見せるも、アンの優しい微笑みがパニに笑顔を取り戻させた。照れたようにはにかむその表情は、憂いを知らぬ十三歳の少年のものだ。


 両親を知らないパニを、アンは昔の自分に重ねた。生まれてすぐに母を亡くし、仕事に掛かりきりであった父を持つ自分。それでも隣に目をやれば、必ず誰かが傍に居てくれた。パニにもそのような仲間が常に在ることを知って、アンも安堵の微笑を少年に向けた。


「副首長さんはメーさんと仰るの?」

「あ、いえ。本名はメティ──」


 と話し掛けた矢先、階下から店主らしき男の慌てふためく声が響いてきた。徐々に大きくなるのは近付いているからだ。何かトラブルだろうか? アンは心配そうに立ち上がり、フォルテが守るようにその前を陣取る。しかしパニだけは笑顔を失わなかった。同じ風を感じたからだ。店主と共に現れたのは副首長だと察せられた。


「あんた、本当にレインさまのお使いなのかい? そんな格好で……おいおい勝手に上がらんでくれ! ナフィルの姫さまがこんな所にいらっしゃる訳もないだろう!?」

「やっぱりメーだ!!」


 足止めしようと試みる店主の声を聞き、パニは嬉しそうに戸口へ駆け寄った。開かれた空間から、店主の焦燥と二人分の足音が直接耳に反響(こだま)する。


「メー! 待ってたよ!!」


 パニは待ちきれないように、階下へ向かってその名を呼んだ。


「ほ~ら、聞いたか? れっきとしたお使いだろ!? いや、ホントはお使いなんかじゃないんだって。お姫サマが聞いたら驚くだろうねぇ~あたいがレインの愛人だって知ったらさ!!」


 ──……え?


「あ、あ、あ……あい……!?」


 アンの目の前、泡を吹いたフォルテが卒倒した──!




◆次回の更新は三月一日の予定です。




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