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水嶺のフィラメント  作者: 朧 月夜
◇ 第四章 ◇
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20/20

[20]水の波音(ナミオト)、砂の音波(オトナミ) *

 全員の気配が辺りから一切感じられなくなって間もなく、アンは(まと)った衣服に手を掛けた。まずはダークグレーのベストを、真っ白なシャツを、紳士らしいスラックスを地面に落とせば、もう彼女は一糸(いっし)まとわぬ姿となる。コルセットはネビアに剥ぎ取られてしまったし、泉に浸かった残りの下着は着替えた際に取り去っていた。


 真白い肌の凹凸に漆黒の長い髪が寄り添う。髪が隠す胸元に両手を絡め、アンは神に祈りながら泉の中心へ進んでいった。


 先程感じたように水は温かみを持って、彼女を歓迎するように光を集めてくれる。白砂は繊細で足の裏に優しく、アンの歩みに合わせて舞い踊る。泉の水は透明度が高く、徐々に深くなっても足先が鮮明に見えた。あと数歩で横たわった鉄格子の真中──つまりレインが眠る地の手前、まるで断崖絶壁のように地面が途切れ、アンは水底に(いざな)われていった。


 ゆうらり、ゆらり、ゆっくりと身体が落ちてゆく。


 ゆうらり、ゆらり、黒髪がたゆたう。


 泉の底は暗くなるどころか、益々光を帯びていった。どれほどの深さなのか、なかなか底には辿り着かなかったが、アンは息苦しさなど感じることはなかった。


『レイン……』


 やがて真下の一番光が集まる場所に、柔らかな面立ちをしたレインが眠っていた。身を沈めた時と同じく白いシャツと焦げ茶色のスラックスを纏っている。サンディブロンドの肩に掛かる髪は光を吸い込んだようにキラキラと輝いて、やはり何度も見た絵画の天使みたいだとアンは思った。


『アン……どうして?』


 やがてレインは瞼を開き、真上まで近付いたアンに問い掛けた。


『貴方を独りにしないと、決めたからよ』


 レインはその言葉に哀しい眼差しを見せる。けれどアンは微笑みを絶やさなかった。


『心配しないで、ちゃんとみんなの元へ帰るわ。でもこれから毎日朝と夕、あたしは此処へ来ると決めたの。貴方に会いに、貴方と共に神さまに祈るために』

『神に……?』

『あなたと一緒に、此処で「風を継承」するのよ』


 アンはとうとう辿り着いて、レインも身を起こし二人は向かい合った。


『いや、でも君は、いつか王妃にならなくては……』

『法律は時代に合わせて変えていくものよ。必要とあらば、あたしは「王妃」ではなく、「女王」になります。それに約束してくれたのはレインの方でしょ? 必ず正式な婚姻契約書を届けてくださると。もちろん……それは無理になってしまったから、あたしが貴方に届けるわ。貴方がこの地を選んでくれたお陰で、あたしはお父さまともフォルテとも、ナフィルの民たちとも別れずに済んだの。貴方がナフィルを想ってくれたように、あたしもリムナトを想って祈りたい……一人よりも二人の方が、それに継承は昔から女性が(にな)うと決まっているのでしょ?』


 ──貴方の「想い」──貴方からの恵みの『雨』を、これからはあたしという『傘』がしっかり「受けとめて」、二人で、みんなで、二つの国を守るのだ──


『アン……』


 以前のレインさながらに愛嬌のあるウィンクを決め、アンは頬に掛かったレインの髪を寄せてやった。途端その毛先から金色の粒子が辺りに散らばった。


『本当に天使さまになっちゃったのね……』

『君はまるで天から舞い降りた女神のようだったよ』


 レインの掌もアンの頬に触れ、アンは刹那にその頬を赤らめた。


『は、恥ずかしいから、あんまり見ないで……』


 長い黒髪がその身を包み込んでくれているが、アンが何も纏っていないことは明らかに見て取れる。俯きがちに瞳を逸らしたアンの背に、レインは両腕を回して抱き寄せた。


『ごめん……でも、本当に綺麗だ』

『ありがとう、レイン。ずっと……ずっと守ってきてくれて』


 水中での口づけも地上で何度も交わした接吻と変わらず、お互いの唇は熱を感じた。と同時に、レインの全身が髪から漂う金粉に覆われて、やがてそれは彼を覆う衣服と共に消え去った。


『どうやら神は僕たちに「時間」を与えてくれるらしい』

『え?』


 まだ理解の出来ぬアンの身体を、今一度優しく抱き締める。


 初めて知るお互いの肌のぬくもりに、二人はとろけて泉の水に溶け込んでしまいそうだった。




 この(すい)(れい)に遊ぶ二つの(フィラメント)に、水が(なび)く。砂が踊る。水の波は音を奏で、砂の舞は音を纏う。


 やがて一つに(まじ)わった愛は、あたかも糸と糸が()りそうように一本に紡がれて、水面に伸びたその穂先は、地下洞にこの世のものとは思えぬほどのまばゆい光を発した。




『神さまに』


 まどろみの時を与えてくれた神に感謝の祈りを捧げる。その一瞬、アンの下腹部がほんのりと輝きを放ったことに、二人は気付いただろうか?


『心から愛しています』


 それからアンは明朝再訪することを約束し、名残惜しそうに岸辺を目指した。


 ──ありがとう、アン。


 レインは水底の砂に身を横たえ再び眠る。ナフィルとリムナトを、両王家と両国民を、二国を取り巻く全ての生ける者たちを、その幸せを祈りながら。


 そしてレインも幸せに包まれながら、明日の日の出を楽しみに待った。







 二人が結ばれたこの時、リムナトの東部と北部の峰に激しく雨が降り注いだ。


 国の東、豪雨は山の(ふもと)を削り、地下パイプ以外の出口を持たない湖に、僅かながら川を作り出し、ナフィルの大地を潤し始めた。


 国の北、豪雨は山の(いただき)を削り、ルーポワの冬に積もった雪を春に解かして湖に運んだ。


 今まで通り西風も湖に雨を落としたので、ナフィルの川が大河となろうとも、リムナトは変わらず水の都として繁栄した。







 そして──麗らかな翌春のはじまり。


 アンの元に、琥珀(アンバー)色の美しい髪を持つ(ブルー)(グリーン)のつぶらな瞳が愛らしい小さな姫君が誕生する。


 まるで聖水の如く泉の水で洗礼を受けた赤子の姫を、レインは「岸辺」で愛おしく抱き上げた。


 泉の中でのみ健やかであったレインの肉体は甦り、久方振りの甘い空気を幸福な余韻と共に深く吸い込む。


 神はアンとレインの心からの祈りに応え、ついに二国の行く末を二人に託したのだ。




 ──ありがとう、アン。


 レインは女王となったアンと穏やかな笑みを交わす。


 胸の中ですやすやと眠り出した王女と共に地下洞の出口へ──光り輝く未来の待つナフィルの宮殿へ、二人はゆっくりと歩み始めた。


 後にアンはレインと共に両国を束ね、やがて成人したパニによって更なる繁栄が築き上げられたという。







 そう──命とは神に捧げるものではない。


 命とは愛によって生み出され、愛をもって(はぐく)まれるべきものなのだから──。







      [ FIN ]







 ──* 各名称の語源 *──



[アンシェルヌ=レーゲン=ナフィル]


●アンシェルヌ 傘:エシェルニュー(ハンガリー語)

●レーゲン 傘:レーゲンシルム(ドイツ語)

◆ナフィル 川:ナハル(ヘブライ語)



[レイン=プロアイエ=リムナト]


●レイン 雨:レイン(英語)

●プロアイエ 雨:プロアイエ(ルーマニア語)

◆リムナト 湖:リムネー(ギリシャ語)




◆ルーポワ 森:ルボワ(フランス語)


◆フランベルジェ 炎:フランブワン(フランス語)




●フォルテ 強く:フォルティッシモ(イタリア語)


●パニ 水:パニ(ベンガル語)


●メティア 流星:メテオ/ミーティア(英語)


●リーフ 風:リーフ(アラビア語)& 葉:リーフ(英語)


●イシュケル 水:イシュケ(アイルランド語)


●ヒュードル 水:ヒュドール(ギリシャ語)




[ネビア=ノエ=リムナト]


●ネビア 霧:ネッビア(イタリア語)

●ノエ 霧:ノエ(ハワイ語)




●スウルム 砂:サブルム(ラテン語)


●クレネ 湖:クレーネー(ギリシャ語)




挿絵(By みてみん)




◆最後までお読みくださいまして、誠にありがとうございました!


 文章も展開もまだまだ未熟ではありますが、今後も精進していこうと思います。


 *これからもどうぞ末永く宜しくお願い致します*




[ご報告]


◆完結後、挿絵をお願い致しましたaz様のイラストに触発されまして、私も(つたな)いながらアンとレインのラストシーンを描いてしまいました(^^;


 遅ればせながら&お恥ずかしながら、本文文末に掲載させていただきました<(_ _)>


 それから他サイトの話で大変不躾でございますが・・・ジャンル別ランキングにて上位ランクインすることが出来ました♪


 皆様 ♡ 誠にありがとうございました!!



      朧 月夜 拝




挿絵(By みてみん)




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