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水嶺のフィラメント  作者: 朧 月夜
◇ 第四章 ◇
16/20

[16]血の繋がり、泉の力

 弾丸は刀身を砕きながら襲いかかる家臣の眉間を貫いた。同時にイシュケルが背後で構える狙撃手を、更に残った剣使いを──彼らの喉元を見事な剣(さば)きで掻き斬る。鮮血がほとばしり、紅い霧が宙を埋め尽くす。そのヴェールのこちら側で立ち上がったメティアも、ネビアを介抱する男二人を金色の短剣(ナイフ)で鮮やかに仕留めた。




 残るは(あえ)ぎながら地面をのたうち回るネビア独りのみ──。




『ニテ イ リト ティ トゥウダ』──リムナト周辺の言語で「自分の罪に(あらが)え」という意味だ。




自分(ニテ) () (リト) (ティ) 抗え(トゥウダ)


 ネビアは自分の犯した深い罪に、おのれの首を締め上げられていた。




「ネビアさま……どうか悔い改め、罪を(つぐな)うとお約束ください」


 イシュケルは依然苦しそうに唾液を垂れ流すネビアの頭上に立ちはだかった。


「うあっ、んんっ! ひっ……ひやぁだっ!! あううっ……うー!」


 首を掻きむしりながらネビアは言葉にならない言葉を発したが、その内容と目つきと態度は……明らかに反発を示していた。


 血を(したた)らせたイシュケルの剣が、ゆっくりと持ち上げられ再び天を仰ぐ。それは閃光の如く空気を斬り裂き──ネビアの背に()き立てられた。


「地獄で我が身を(かえり)みられよ」


 剣を一振り、濁った血液を振り払うイシュケル。それでも遺骸に向けて一度目を伏せたのは、ネビアへの(とむら)いであったのだろうか。







「メー! 無事か!?」


 一瞬の静寂を打ち破ったのは、メティアにとって聞きなれた青年の声であった。その声に後ろを振り返り、ツカツカと歩み寄る。黄緑がかった尖った頭を一発ゴツンと殴りつけ、メティアは腰の両側に手を当てた。


「コラ、リーフ! あたいを一番に心配すんなっ!!」

「何だよ~心配してやってるのに、何で怒られなきゃいけないんだよ~!」


 メティアに襲いかかった剣を撃ち抜いたのは、ようやく秘密の入口を見つけて駆けつけたリーフの弾丸だった。叩かれた前頭部をさすりながら言い返すも、「想い人」の無事な様子にリーフもさすがに嬉しそうだ。


「ご無事で良かった……アンさま、レインさま! それにもちろん、メーもだよ!」


 そしてリーフの後ろから聞こえた明るい声が、全員の瞳をパッと見開かせる!


「パニっ!! 生きてたのか!?」


 先程のリーフとは打って変わり、メティアは喜びの声を上げ、両腕を掲げて少年の元へ走り寄った。メティアのマントはアンをくるんでいるため、強く抱き締められたパニの顔は、上半分を露出した豊満な胸の谷間に押し付けられている。背後では指を(くわ)えたリーフが羨ましそうな表情で唖然としているが、当のパニも「どうして今日は何度も生死を問われるの?」とフォルテに驚かれたあの時を懐かしそうに思い出した。


「パニ……」


 パニから遠く真正面のイシュケルも、心から安堵したようにその名を呟く──しかし。


「レイン! レイン!!」


 その余韻も束の間マントで身を包んだアンが、意識を保てず横倒しになるレインの隣で呼び掛けていた。


「レインさま!!」


 パニの後ろで見守っていた兵士と家臣の面々も、メティアたちと共にレインを囲んで平伏する。


「ごめん、アン……君に残酷な、ことを、させた……」

「そんなこと……! あたしこそ、すぐに思い出せなくてごめんなさい」


 兵士や家臣たちのマントを幾重にも束ね、その上にレインを仰向けに寝かせる。レインは薄っすらと瞼を開き、淡い笑みを浮かべて謝罪した。


「パニ……後でちゃんと、説明、するけど………イシュケル、彼は……君のご祖父、だ……」

「えっ!」


 パニはレインの視線の先を見上げた。白髪混じりの髪を後ろに撫でつけた、厳しげな面立ちの細身の剣士。お互いの目がお互いの姿を捉えたが、イシュケルは瞳を逸らすことはなきにせよ、どういう表情をして良いものかと戸惑っている様子であった。


「レインさま……誠に、誠に申し訳ございませんでした! わたくしが風の民との関係を口外してしまったばかりに……!!」


 家臣からの謝罪に顔を向け、レインは(ゆる)すように首を振る。震えながら伸ばした手を彼の肩に置き、ただ家族の無事を確認して、微笑みと共にホッと息を吐いた。


「アン……ごめん、此処では、もう……。あの泉へ、連れていって……くれる? 泉の水には、傷を癒す、力も、あるから……」

「レイン? レイン!!」 


 そこまでを何とか伝えたレインは、眠るように気を失った。







 アンは気丈に立ち上がって、レインを運んでもらいたいと皆にお願いをした。ナフィルの兵士二人とレインの家臣三人、そしてリーフの計六人で、レインを乗せたマントの端を持ち上げてもらい、あの泉へ向けて出発する。


 地下道をイシュケルに襲われたあの分岐まで登って、もう使われていない食糧庫の並ぶ下り坂へ折り返す。やがて数人が見知ったとおりに行き止まりとなったが、先頭のアンが掌を向けると壁が回転し、案の定後ろから男たちのざわめきが聞こえてきた。


 アンとレインが壁の向こうに身を移せば、外界の時は止まってしまう。アンは先にメティア・イシュケル・パニを通し、男たちにもレインを一旦地面に降ろして中に入るよう指示をした。六人はあちらの世界に移動してひとかたまりとなり、壁の隙間からマントごと少しずつレインを引き寄せた。


 レインの身が半分ほど通ったところで、奥の暗がりが徐々に光を(まと)い始める。湖畔の秘密の入り口からメティアと共にやって来た時同様、洞窟はほんのり灯りを燈して「行くべき」方角を示してくれた。


 其処から再びアンが先頭に戻り、レインに負担を掛けぬようゆっくりと歩みを進めていった。アンの隣にはメティアが並んでいるが、彼女も何も言葉を発することはない。その代わりにアンの左手をギュッと握り締める。それだけでアンは救われていた。メティアの掌から伝わる熱は、アンの凍りそうな心を温め、勇気を与えてくれていた。


 中央には六人の手で運ばれてゆく眠りについたレインの姿、最後尾にイシュケルとパニが並んでいる。レインを想ってなのか誰もが口を閉ざしたままなので、聞きたいことを山ほど胸に詰め込んだパニも、何もイシュケルに問い(ただ)すことが出来ずにいた。


 イシュケルの靴音はカツカツと一定のリズムを刻んでいる。それが少しずつスローテンポになったとパニも気付いた頃、隣を占めていた筈の高い影は消え、振り向けばイシュケルは歩みを止めて少年を見詰めていた。


「えと……? あの……」


 パニも不思議そうに首を(かし)げながら足を止めた。


「良く……生きていてくれたな」


 イシュケルの表情に変化はない。けれどその声には喜びらしき感慨があった。


「ボクも……これでも、剣士のはしくれですから」


 パニも嬉しそうに答えた。この資質はきっと祖父(イシュケル)から受け継がれたものに違いない。二人は言葉も時間も超えて、確かに目には見えない繋がりを感じた。


「そうか」


 イシュケルの靴音は先程よりも軽快なリズムを奏で、再びパニの隣を歩き始めた。







 地下道の分かれ道を右へと進み、やがて一行は目的地に辿り着いた。


 城の東部に隠された不思議な空間は、岩に囲われていながらほんのり明るかった。左手半分は澄んだ水を湛えていて、右半分には真っ白で細かな砂が敷き詰められている。しかし見通せる奥までのちょうど中間に、まるで牢獄のような鉄格子が天井まで貫かれていた。それは端から端までずっと巡らされていて、見れば水の底までも深く刺し込まれているようだった。


「ココが……アンとレインが出逢った場所、なのか?」


 ぐるりと見渡しながら『はじまりの物語』に想いを馳せるメティアの感嘆は、劇場のように弧を描く岩の天井によって拡散された。


「そう……もちろんいつものあたしはあちら側にいたのだけれど。ありがとう、みんな。どうかレインを岸辺に寝かせてあげてください」


 六人は目の前の泉に進み、アンの願いどおりにレインを砂の上に優しく降ろした。怪我をしている胸元から足先までを()からせて、その傍らにアンも腰を下ろした。


「ごめんなさい。レインが目覚めるまで、待っていていただけますか?」


 一同は言葉もなく、深く(こうべ)を垂れて承諾する。やって来た入り口に近い岩壁まで下がり、遠くから二人を見守るように一列に並んでしゃがみ込んだ。


「レイン、お願い……どうか、良くなって……」


 全員の気配が感じられなくなったのを機に、アンは添い寝のようにレインの隣に横になった。左腕を首の後ろに回し、右手で波を胸元へ引き寄せる。小さな波紋はレインのシャツに寄せては返し、アンの掌で何重にも繰り返されて大きな波動へと変えられていった。


 何処からか射し込む光の筋が、レインのみぞおちを中心に照らす。波立つ度に輝く細かな粒子が、まるで星のように瞬く。気付けばそれは数えきれぬほどレインの身を散りばめて、やがて彼の中に吸い込まれるように消え去った。


 そうして時が十五分も経った頃──。


「ありがとう……アン」


 波を作るアンの手が、レインの手によって包まれた。


「だいじょうぶ……なの? レイン」


 レインとアンの微かなやり取り、そしてレインの頭頂部が頷くように振られたのに気付いて、一同も慌てて集まってくる。


「全快とはいかないけどね……お陰で話せる程度には……回復したよ」


 そう言いつつも、レインには起き上がろうとする気配はない。確かに言葉は外界に居た時よりもスムーズだが、アンにはレインが無理をしているように感じられた。


「レイン、でも……」

「イシュケル、パニ」


 レインはアンの懸念(けねん)(さえぎ)って、二人の名前を呼んだ。


「パニ……君の父上は、アンの叔父上で、スウルムという。そして母上は、このイシュケルのご息女で、クレネという名だ」

「スウルム、クレネ……」


 レインを挟んでアンの向かい側にしゃがみ込んだパニは、両親の名を噛み締めるように繰り返した。


「イシュケル……貴方のご息女は、スウルムさまと共に健在です。ネビアの言った生贄の話は、王家では通説となっていても、真実ではない……詳しくは、スウルムさまから聞いてください。僕が……クレネさまを、貴方の娘であると気付いてさえいれば……こんなことには……どうか、僕を許してください」


 謝罪の言葉で一旦話を止めたレインは、一度瞳を伏せると大きく息を吐き出した。


「許すも何も……わたくしこそ、これまでの無礼を何卒お赦しください。レインさまがお気付きになられなかったのは、スウルムが語らなかったからでございましょう? それはレインさまにすら語れなかった、ということではありませんか? 彼は娘と共に身を隠す必要があった……それがレインさまの口から漏洩(ろうえい)することを怖れていたからだと」


 レインの体調が見た目よりも悪いと(かんが)みたイシュケルは、レインの語りたい言葉を推測して代弁し、レインの負担を和らげようとした。理解したレインはただ首肯(しゅこう)するだけに留めて、その思いやりに小さく笑みを洩らした。


「……メティア」


 次に呼ばれたのは、パニの後ろに座ったメティアであった。


「何だ!? レイン」


 メティアは自分の名が呼ばれることはないと思っていたのだろう、驚きながら一気に膝立ちをして、レインの視界に入るようパニの頭上から顔を寄せた。


「落ち着いたら、イシュケルとパニを、風の渓谷へ連れていってもらえるかな。それから……遅くなったけど、アンを守ってくれて、本当にありがとう……これからも、彼女の相談相手に……なってくれるかい?」

「あ、あったり前だろ! アンはもう、あたいのマブダチだからね!」


 焦って答えるメティアの大声に、レインはただ嬉しそうに笑いを零した。


「アン……」


 視線を逆側に移動させ、ずっとアンの手を包んだままのレインの手が、ギュッと握り締める力に変わる。


「ええ、レイン。ええ……」


 こんな時、恋人として自分はどう接すれば良いのだろう? 何が出来るのだろう? アンはひたすらその問いの答えを探していた。レインの傷を癒したい。けれどその為に自分はどうあるべきなのか?


「アン、ごめん……僕の命は……きっとそう長くない。だから一つだけ、君にお願いが、あるんだ……僕が、生きている内に……どうかこの身体を、泉に、沈めて……」

「えっ……?」


 レインの語るどれもこれもが、アンの耳には一切受け入れられなかった。アンの脳も一切理解が出来ず、やがて全てを拒絶し始めたアンの心は──




 一切の機能を停止した──




◆次回の更新は四月六日の予定です。

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