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水嶺のフィラメント  作者: 朧 月夜
◇ 第三章 ◇
15/20

[15]禁忌の記憶

「やめてくれ……ネビア!」


 レインの声は胸下の痛みからではなく、ただひたすらに(こいねが)うその想いから打ち震えていた。


「やめるワケなどないだろう? お前の所為でどれだけ俺が嫌な想いをしてきたと思ってるんだ!? これでやっとお前に屈辱を与えられる。愛するお姫サマをお前の前で(はずかし)められるなんて……くくっ、こんなに官能的なことはないよなぁ?」

「悪趣味この上ないって! ……反吐(へど)が出るっ」


 メティアは嫌悪を()き出しに吠え、目の前の床に唾を吐き出した。が、その首に剣を突きつける男が「黙れ!」と恫喝し、彼女の脇腹をしたたか蹴り上げた。


「メティア!」

「おいおい、他人の心配なんてしている場合かい、お姫サマ? それよりこれってフランベルジェの衣装だろう? 本来あんたはその女に連れられて、南方からナフィルへ戻る計画だったってわけだ。その途中ででも捕まえて此処まで引っ張ってくる手筈だったが、自らノコノコとやって来てくれたお陰で随分と手間が省けたよ。全てのタイミングが俺に協力してくれた! おやじがまもなくの王位継承のために、ナフィル兵が謀反(むほん)を起こしたなんていうくだらないデマを流してくれたのも、イシュケルを遣ってレインをおびき出してくれたのも……そうそう~元々おやじはあんたを拘束したかったのに、レインが引っ掛かったのは傑作だったね! 俺にとっては好都合だったけれども。尚更おやじには感謝しなくちゃいけないなぁ」

「あ……あっ」


 ネビアはアンの真上から徐々に膝を曲げ、彼女の上に馬乗りになった。(おとがい)の先端にそっと指先を添え、そのまま彼女の頬を淫靡(いんび)な手つきで撫で上げる。アンは側近たちに両手両足首を握り締められて、小さく抵抗の声を上げるのが精一杯な状態だった。


「滑らかな肌だ……レインはこんなに気持ちイイ感触をずっと独り占めしてきたっていうのか」

「お願いだ、ネビア! 僕の出来ることなら何でもする! だから……!!」

「んじゃあ、そこでまばたきしないで見とけレイン。お姫サマよ、覚えてるか? あんたが初めて此処を訪れた時、王に謁見(えっけん)したあの時を。俺もあの場にいたんだぜ。なのにあんたは王への挨拶を済ませた後、レインに釘付けになったまま俺を見ることすらしなかった。あんただけじゃない、俺はずーっとそういう役回りだったんだよ! レインの光が作り出す影に隠されてきた暗い存在だった。だから俺はこの日を静かに待ったのさ。国を操ることなんて興味がないと思わせながらな。だがこれからは俺が王で、俺が神だ! だったらどうする? 俺の靴でも舐めて「王妃にして」と懇願するか? それとも生娘のまま湖の底に沈められたいか? もちろんあんたがまだレインに侵されていないと証明出来るならな。いや……レインもあんたを生贄にするために、今まで触れずにきたのかもなぁ!?」

「ぅくっ……」


 撫でた指先は首元に移り、ブラウスのボタンを外し始めた。


 アンは成す(すべ)もなく瞼を(つぶ)り、レインに見えないよう向こう側へ顔を反らした。もう誰にも止められない──そう観念して脱力したアンの耳に、聞こえた静止のお願いはイシュケルの声だった。


「ネ、ネビアさま、お待ちください! あのっ、「これからはネビアさまが王」とは一体……?」

「ああ? んなの決まってるだろ~? 前王の喪が明けたら次の王は俺なんだよ! まーだ気付かないのか? お前がナフィル兵と共に捕まった振りをしている間、おやじは一度も様子を(うかが)いに来なかっただろう? 俺はもうその前からおやじの家臣たちを買収しておいたのさ。お前についていた五人の従者だって、その前から俺に寝返ってたんだぜ。大体後先(あとさき)短いおやじなんかに、家臣はもうついて来やしないんだよ! おやじはこの数日、(やまい)に伏せって自室に籠っている設定になっている。まぁ今夜の会合には出席することになっていたから、今頃はおやじと俺──おっと、レインもか? ──どこに行っちまったんだと大騒ぎになっているだろうがな。でもそのお陰で、お姫サマとレインは感動の再会が出来たんだろ? おやじを始末する間お前たちは邪魔な存在だったからな、それくらいの猶予は与えてやったんだ。俺に感謝してくれたってイイんだぜ?」

「ヒュードルさまを「始末」って……ま、さか……?」


 ひとまず手を止め説明に専念していたネビアだが、なかなか引き下がろうとしないイシュケルにイラつき、うるさそうに髪を掻き乱した。


「あーもうっ、おやじが王位を継いだ後じゃ、また二年も喪に服さなきゃいけないじゃないか! だ・か・ら~「今」()ってやったんだよぉー」


 首を(ひね)り、驚愕するイシュケルを見上げたネビアの顔は、露ほどにも悪びれた様子はなかった。嬉しそうに口角を上げた細い隙間からは、悪魔の如く鋭い牙の幻が見えた。


「そ、そのような……実のお父上ですぞ……!!」

「父上も伯父上もあったものか。おやじは裏手の古~い井戸跡に、誤って落ちてしまっただけだ。ついでに言えば伯父上も、塔のてっぺんから足を踏み外しただけ。なぁそうだろ~レイン?」


 悪魔の顔を今度はレインに向ける。ネビアの言う「伯父上」が自分の父親だと気付いたレインは──そしてアンとメティアも、その狂気の所業に震撼した。


「父の死因は……事故ではなかったのか……!?」

「ああ、そうさ。あいつ、父親でもないのに俺に説教くれやがってよ。反省の弁を述べさせてくれと頼み込んで、尖塔の上に呼び出してやった」

「ネビアぁぁぁっ……!!」


 レインの叫びが煉瓦の壁を震わせた。アンもメティアも一瞬呼吸を止めてしまったのは、レインの口から怒号という声色など一切聞いたことがなかったからだ。そしてこれほどの苦しみと哀しみと……憎しみを含んだ絶叫は、二人にとって初めて耳にした音だった。


 あの日の父王の様子をレインは良く覚えている。散策してくると告げたその表情は、いつになく優しく嬉しそうだった。あれはきっと(ネビア)が自分の気持ちを理解してくれたことに喜びを感じていたからだ。そうして出掛けていった伯父である王に、血を分けた甥であるこのネビアは──!


 前のめりになったレインの首に剣が触れ、一筋の血がしたたる。気付いたアンは慌てて(かぶり)を振り、レインを止めてくれと懇願した。それを見つけたメティアも慌ててレインの肩を押さえつけた。


「イイねぇ~お前のそんな雄叫(おたけ)び、是非とも聞いてみたいと思ってたんだ。イイモノを見せてもらったから、もう一つついでに教えてやろうかぁ? スウルムの息子──パニとか言ったっけ? スウルムの居場所は聞き出せなかったが、「放浪する風」は簡単に探し出せたからな。ちょうどお姫サマの身代わりを演じてくれたことだし、そいつにも刺客を送っておいた。今頃はルーポワの谷底で息絶えてるだろう。ふふっ、アン王女の従弟ともなれば、スウルム共々ナフィルの王家に戻ってきちまう可能性があるからな。余計な雑草は早目に刈り取るのが一番なんだよ」

「んなっ! お前ぇ……今なんて言ったぁ!!」


 先程のレインのようにメティアが身を乗り出しそうになって、今度はレインが咄嗟に制した。けれどこの衝撃は全員の脳天を打ちのめしたに違いなかった。弟のように慕ってくれたパニが死んだ!? メティアが、レインが、アンが愕然と言葉を失う。そしてイシュケルも曖昧な真実の真中、もはや心も殺された気分だった。


 レインの言葉が嘘ではないのなら──(クレネ)は今も生きている! では何処に? どうやって? 最も有力な説はスウルムの暮らす「動かない風」の中でだ。ともすればスウルムの息子は、クレネの生んだ子である可能性が高かった。なのにネビアは彼すら抹殺する手段を講じたという。実の父であるヒュードル候、二年前には伯父である前王まで、そして自分の孫かも知れない少年パニを……イシュケルは余りの口惜しさに、砕けそうなほど奥歯を噛み締めた。


「此処にいるお前たちが全員死ねば、誰にも分からないことだからな。……そうだ、全部お前の仕業(しわざ)にしてやるよ、レイン! お前の正体を知ったお姫サマは、そうだな……抵抗するも凌辱(りょうじょく)され、果ては殺されてしまうってのはどうだ? 罪に(さいな)まれたお前も最後には自ら死を選び……くくくっ、最高のラストだ! そうしてやろう!!」


 結末までの脚本(シナリオ)をひけらかし、ネビアはレインから再びアンへ視線を落とした。まだ外したボタンは三つほど、その襟元をギュッと握り締め、思いきり両側へ引き裂いた。


「アンっ!!」


 レインとメティアが同時に叫ぶ。アンにはもう視界を(ふさ)いで耐え忍ぶしか、もはや心の逃げ場はない。


 しなやかで女性らしい鎖骨の凹凸と、真白い雪のような肌のふくらみが露わになる。しかしネビアの期待する景色は、まだ王女としての格式に守られていた。


「チッ、旅支度ですらコルセット着けてやがるとは……おい、お姫サマをうつ伏せにしろ!」


 ネビアの言いつけに家来たちはアンを半回転させ、思いがけずアンの瞳はレインのそれとかち合った。


「レイン……」


 小さく呟かれる愛しき名。レインもまた同じくアンの名前を唇で辿る。そうしてスゥと静かに深呼吸したレインは、或る一つの決意をしたようだった。刹那その眼に力が(よみがえ)った。


「アン……愛しいアン。どうか思い出して、僕との日々を」


 ──レイン?


 アンにはレインの真意が分からなかった。


「アン……愛しいアン。どうか思い出して、僕が伝えた大切な言葉を」

「うるせぇ、レイン! こいつをひんむくまで黙ってろ!!」


 ──大切な……言葉?


 苦しみに耐えながら哀しい笑みを浮かべるレインの(おもて)、その力強い瞳の中心をアンの双眸ははっきりと()た。


 途端脳内をレインとの会話が駆け巡る。三歳から語られた全ての言葉が、文字を(かたど)り心の中で舞い踊る。しかし楽しそうに湧き上がるカケラたちの中、ひときわ重そうに底を(うごめ)く一節を見つけた。ああ、そうだ──思い出した。「どうか無事の帰国を、愛しいアン。万が一にも危険に(さら)された時には、「あの呪文」を(ささや)くんだよ。覚えているね?」


「やぁっとほどけた! ふん……思った通り美しい背だ。この表がどれだけ美しいか……これはお楽しみだな」


 クロスに編み込まれたコルセットの紐を全て引き抜き、ネビアは強引にその生地を端までめくった。アンの腰の上で大袈裟に舌なめずりをしてみせる。しかし()き出しの背中越しに首を振り向かせたアンは、


「ネビア、さま」


 恥ずかしそうにその名を呼んだ。


「どうした~? ようやくかしずいて王妃の席を乞う気になったか?」

「一つ……お伝えしたいことが」

「ほぉ、何だ?」


 ネビアは嬉しそうに片手でアンの背中を撫で回し、もう片方を床に着いて、「お伝えしたいこと」を聞いてやろうとアンの唇に耳を寄せた。


「ネビア=ノエ=リムナト、さま……」




『ニテ イ リト ティ トゥウダ』




「……え? あっ……──ぅあっ!?」 


 ネビアの顔面がみるみるうちに蒼褪めてゆく!


 ネビアは自分の首を両手で押さえながらアンの上から転げ落ちた。(うめ)き声を上げて(もだ)え苦しむその姿に、上下の家臣たちは驚き狼狽(うろた)え──アンの身体から手を離した。


「アンっ!!」


 メティアは急いで自分の外套(マント)()ぎ取り、アンの元へとダッシュした。胸元を隠すように身を丸めて横になるアンを、大きく広げたマントで包み込む。しかしその背には先程まで剣を突きつけていた家臣の一人が迫っていた。


「危ない、メティア!」


 レインともアンともつかない声が、メティアを咄嗟に後ろへ振り向かせたが、


「良くも……ネビアさまをっ!!」


 振り上げられた剣がギラリと光り、そして再びの銃声が辺りの空気をつんざいた──。




◆次回の更新は四月三日の予定です。

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