[14]歪曲(わいきょく)の末路 〈N〉
弾丸は王宮の方角から発射され、誰を掠めることもなく暗い地下道の奥へと消えた。
闇を追いかけて流れゆく空気の音が、四人の耳に嫌な余韻を残す。
「イシュケル……折角俺がここまでお膳立てしてやったのに、まだそんなザマなのか?」
やがて幾つもの足音が近付いてきて、先頭の男がぼやくように言い放った。
「ネ……ビアさま?」
「ネビア……」
意外そうなイシュケルとレインの声に、アンとメティアは男の顔を見上げる。中背だがぎすぎすと骨張った痩せ方が不気味さを助長させる。うねった髪はオレンジがかった金色をして、まるで蔓草のように横へ広がっている。アンも数回会ったことのある人物だが、これほど威圧的な雰囲気であっただろうか? 以前の彼は寡黙で人と交わらず……ただ退屈そうにしているだけの「子爵」であった。
レインの父──前王の弟ヒュードル候の子息ネビア。レインよりも三歳年上のため、王位継承順位は第二位となる。
ネビアが連れ立ってきたのは、彼自身に仕える五名の側近であった。
「お膳立てとはどのような……」
「おやじとの会話を盗み聞きしてやったのさ。お前はおやじにそそのかされて、ずっとナフィルで裏切り者の登場を待ってたんだろ? なのにいつまで経っても奴は現れなかった。そりゃあそうだ、奴はナフィルにもリムナトにも近付かずことなく生きてきたんだからな! だから俺がちょいと裏で手を回してみたわけさ。レインの動向を調べりゃあ、そこそこ辿り着けることだったのによ。なぁ、我が自慢の従弟殿!?」
ネビアはまるで歌劇の如く、大仰な仕草と共にイシュケルとレインを嘲笑った。彼の台詞からアンが読み取れたのはたった一つだ。イシュケルは「裏切り者」を見つけるために、身元を隠してナフィル王家に潜入した。
「もしや……? レインさまがスウルムと密通しているとの情報は……ネビアさまがお流しになられたと!?」
──スウルム?
アンはその名に僅かに反応した。いつのことであったか、どこかで聞いた気がしたからだ。
「そうさ。おやじが何やら動き出したと聞いて、攪乱してやろうとイタズラついでについたウソだったんだがな。そのお陰でこの数日は本当に痛快だったぜ! レインとアン王女はこの国の貧乏人どもからやけに慕われてるだろう? そんなお姫サマをパン屋から無理矢理引きずり出したら、おやじの株は下がっちまうからなぁ。二人が自ら王宮に出向くよう、おやじとイシュケルが手をこまねいている間、俺にはたっぷり時間が出来たもんでね、遊び半分で調べてみたんだよ。そうしたら……まさかまさかの「嘘から出た実」だったなんてなぁ! ……長いこと外交に力を入れてきたレインだ。それに婚約者殿とも血を分けるスウルムとなれば、何かしらの繋がりがあってもおかしくないとは考えられた。が、確信を得るにはかなり苦労したね。こいつからは何の片鱗も見つかりゃしない……従弟殿の用心深さには随分感服させられたよ。だから俺はそいつを逆手に取ったのさ。こいつが堅強な分、周りを固める「砦」は甘いんじゃないかって、そこから切り崩してみようと一つ企ててみたんだ。案の定小さな穴でも開けてしまえば広げるのは簡単だった。ようやくたった一人、臣下を味方につけてね。いや、味方というのは間違った言い方だな……彼の大切な家族を人質に取って脅しただけだからな~! くくっ……気付かなかっただろう、従弟殿? そんなことおくびにも出さないほど、ちゃーんと教育出来てたって証拠だよ。もちろん家族を犠牲にしてでも主サマを守るのが本物だろうがね。彼も所詮「人の子」だったという訳だ!?」
自分を形勢有利と判断するネビアはいつになく饒舌であった。レインがネビアを見下したことなどもちろん皆無だが、その容姿といい所作といい、周囲から比べられてきた対象としての恨みが言葉の端々に窺われた。
レインは明かされたカラクリに酷く驚いた様子を見せたが、臣下の裏切りには怒りを表すことはなかった。ただ彼の受けた脅迫の痛手に、気付いてやれなかったことを深く悔やんだ。
「お陰でなかなか面白い話が聞けたもんだ……従弟殿が風の民と内通し、仲良しこよしだと分かった時にはそりゃあ驚いたね! そいつを聞いて俺は一人の男を探し出した。そこにいる女の前に長らく「放浪する風」をまとめていた男だ。そいつはリムナトの女と一緒になりたくて、風から離脱してこの片田舎で暮らしている。そいつも女を人質にしてやったらペラペラと喋ってくれたよ! でもまさか……ふふっ、風の長がスウルムであったとはねぇ!!」
「風の……? いや、風の首長はこの女でありましょう! スウルムが風であったとしたらすぐにでも──」
「スウルムって……首長のことなのか……? あたいの知るリーダーの名は、かりそめだったっていうのか? それじゃあリーダーは……一体何者なんだ? アンと血の繋がりがあるって……レイン、あの人は……!?」
ずっと無言で聴いていたメティアであったが、風の民に話が及んでさすがに疑問を発した。肩越しに振り向いたレインと戸惑うメティアの視線がかち合う。しかし説明しようと小さく息を吸ったレインよりも早く、ネビアが愉しそうに解説を始めた。
「イシュケル、風の民は二手に分かれてるんだとさ~世間に知られているのは、お前の言う通りその女を長とした集団だ。だがそれとは別にもう一つ「動かない風」の民がいる。赤毛の女……メティアと言ったか? 確かに男の知る首長の名もスウルムじゃなかったよ。だがそいつが教えてくれた首長の外見は、おやじから聞き出したスウルムそのものだった。で、お前が敬う首長サマとやらは誰だと思う? 何と~アン王女の叔父上サマだ!」
「おじ……?」
メティアの驚きの声に、同じ色をしたアンの声が重なった。生まれてこの方、自分に「おじ」と呼べる近親者がいたという記憶はない。だが「スウルム」という名前には微かに記憶があるのは事実だ。もしも本当にスウルムというおじがいるとするのなら──それは一体どのように消えてしまった過去なのか?
メティアもアンも意味が分からず、視点がレインとネビアの間を右往左往する。その真中では突然告げられたスウルムの現状に、イシュケルが独り呆然と立ち尽くしていた。
「お姫サマの亡き母上の弟君だよ……俺もまだ子供の時分だが、スウルムはかつて父である前ナフィル王の右腕だった。折衝を兼ねてリムナトと行き来する内に、王宮で作法見習いをしていたイシュケルの娘クレネと出逢ったのさ」
イシュケルがレインに語った「クレネの父親」──ここで二人の話が繋がった。そこから予測される結末は……明らかに裏切りの物語であった。
「二人は恋仲になったんだよなぁ、イシュケル? 相手は隣国の自他共に認める有望株だ。本来なら大歓迎すべき良縁であったのに、どうしてあんなことになってしまったのか……俺からお姫サマたちに説明しても構わないよなぁ?」
「……」
思い出したくもない過去をさらけ出された所為なのか、イシュケルは表情も見えないほどに俯いて、ただひたすらこの時が過ぎるのを待っているかのようだった。それでも僅かに首が縦に揺れた気配を悟り、ネビアはそれを了承と見なして再び口を開く。
「或る日スウルムは忽然と消えたんだよ。それも大切な儀式の前日にだ。儀式の主役はアン王女、あんたの母上サマのご予定だった。が、弟であるスウルムは、意外にも結構な「姉上想い」だったらしい。だから事前に「生贄」をクレネにすり替えて、姉君を救って差し上げたのさ」
「いけ……にえ?」
「違う……ネビア、それは誤解だ……その、儀式は──」
「うるさい! 従弟殿の言い訳は後回しだ。俺こそが真実さ……なぁ、イシュケル」
矢継ぎ早に進められてゆく展開に、アンとメティアは全てを呑み込めなかった。浅い息遣いを続けるレインの弱々しい反論も、ネビアの一喝に跳ね返されてしまう。
「むか~しむかし、この地は神の怒りに触れたんだとさ。それから何十年だか置きに王は湖に生贄を捧げてきたんだそうだ。知らなかっただろ? 俺も知らなかった。何故ならこの伝承はどこの文献にも残されていない。全ては王家の一部に口伝えで継がれてきたらしいからな。湖の恩恵を受けるリムナトとナフィルは、交互に生贄を用意した。その条件は……両王家の血を継ぐ生娘に限られるんだそうだ。そうして選ばれたスウルムの姉君は、疑いようもなくナフィル王家のお姫サマであったワケだし? イシュケルもリムナト王家の親族である奥方を迎え入れて、つまりクレネも王家の血を継ぐ娘だったわけだ」
「え? いや、ちょっと待て……アンの母親がナフィルの姫だって? じゃあ現ナフィル王はナフィルの王子じゃなかったのか?」
驚いたメティアは質問をアンに向けたが、その無知を鼻で嗤いつつネビアが得意そうに説明を続けた。
「まったく風の民ってのは何も知らないんだな。ナフィルもリムナト同様、王位は男女構わず年功序列で回ってくるんだ。だがお姫サマは決まって女王にならず、他国の王家から婿をもらって王妃となる。だから現ナフィル王はアン王女にとっての父上で、亡き母上は飽くまでも王妃、弟のスウルムこそが王子だったが、王位継承権は姉君に次いで第二位だったというワケさ。みんな口を揃えてスウルムは有能だったとのたまうが、俺にはおバカな王子サマとしか思えないね。何せ姉さえ死んでくれれば自分が王になれたのに、真逆の事をしでかしたんだからな」
「それじゃ……首長は、姉である姫を生かしてやりたくて、クレネに近付いたっていうのか!?」
「そうだろうなぁ~」
ネビアの唇は、全てがスウルムの思惑から始まったと説いていた。しかし今でもレインとメティアに慕われる自分の叔父が、そのような冷酷な過去を持つとは信じられない、信じたくない。真実を知る者はネビアなのか、レインなのか? アンは自分を見詰めるレインの瞳に括目した。その奥底に輝く本物の光が、彼の唇からつまびらかにされることを切望した。
「スウルムの思い通り姉君は生贄にならずに済んで、やがて婿を取って王妃となった。だからおやじはイシュケルお前をナフィルへ派遣したんだろ? 婿王の右腕にするべく、王妃が弟を呼び戻すのを何としても阻止したかったからだ。後々支配下に置こうと画策している隣国に、優れた人材など一人だって少ない方がいいからな。お前は元々おやじの影の守護兵だ。誰にもその名も顔も知られちゃあいなかった。だがクレネの父親であるお前がナフィルの王家にいては、さすがのスウルムも帰れないものなぁ! そこでスウルムも考えたんだろうよ。姪の婿殿となるレインを取り込んで、お前を上手いこと国外追放し、現ナフィル王の右腕として、いや……王が逝去の後には自分こそが王としてナフィルに返り咲くつもりだったんだ」
「王の右腕……」
アンはその言葉で、埋もれた記憶をようやく掬い上げた。父王が病に倒れた際に、たった一度だけ呟いたことがある──「ああ、こんな時にスウルムがいてくれたら」──と!
「イシュケル……信じないでくれ! 全てはネビアの作り話だ……クレネさまは、生きている──ぐふっ」
「レインさま……? 今、何と……!?」
ようやくネビアに横槍を入れたレインであったが、最も大切な一言を告白したのち、途端に激しく咳き込んでしまった。メティアが心配そうにその背をさする。
とネビアの合図で背後を守っていた陣営が動き、五人の内二人はレインとメティアの喉元に剣を、一人はイシュケルの側頭部に銃を突きつけた。
「ゴチャゴチャとうるさいんだよぉ~レイン! 信じられないと言うなら、俺の言葉を文献に認めてやる。さぁ、イシュケル、折角俺がここまでレインを弱らせてやったんだ。そろそろ娘の敵討ちでも何でもするがいい」
「弱らせて……? レインさまを牢に張りつけたのは、ネビアさまなのですか!? わたくしはてっきりヒュードルさまの命であったのかと……」
残りの二人を両側に侍らせたネビアは、不敵な笑みで頷きながら困惑のイシュケルに歩み寄った。
「そうさ俺さ~至れり尽くせりだろ? それもお姫サマに配慮して、色男の顔には一切傷つけずにおいてやったのさ。今アン王女にレインを嫌ってもらっては困るのでね。さぁ……やれ」
「え──?」
歩み寄られたのはイシュケルではなく──地べたに膝を突いたままのアンであった。
イシュケルを照準に銃を構えた兵士が彼をアンから遠ざける。ネビアと共に近付いた二人がアンの両手首を、そして両足首を拘束し、彼女は外套を剥ぎ取られて硬く冷たい床に押し倒された。
「姫さま!」
「アン──っ!!」
三人の叫びが木霊したが、アンの唇は震えて応える力もなかった。
天井しか見えない視界が、ゆっくりとネビアのシルエットに侵食されてゆく。アンの身体にまたがり仁王立ちしたネビアの顔は、卑猥な嗤いを宿していた。
「この時をどれほど待ったか知れないねぇ……さて美しきお姫サマ、あんたなら一体どちらを選ぶ? 湖に命を捧げるか……それとも俺に、操を捧げるかだ!」
◆ ◆ ◆
その頃リムナト王宮内は、異様な喧騒に包まれていた。
一気に山を駆け下りて既に到着したパニとリーフも、その不思議な空間に紛れている。誰も彼もがあたふたと回廊を走り回っているため、まるで「森に木を隠す」が如く容易に潜伏することが出来た。
「あ……あれ! ね、リーフ。あの柱の影に立っている人たち、格好が違うけどきっとナフィルの兵隊さんだよ! アンさまを追って別れた二人の……」
そう言いながらパニはもう二人の元へ向かっている。後ろから肩を叩かれた兵士の一人はギクリと一瞬固まったが、振り返って見えた少年の笑顔にホゥっと息を吐き出した。
「ああ……良かった、パニか。──じゃなくて! どうして君が此処に居るんだ!?」
「ルーポワへの国境を越えてすぐ、何者かに襲われたんです。あ、全員無事にナフィルへ向かっているのでご安心ください! それでこちらが心配になって……一体何がどうなってるんですか?」
パニは後をついて来たリーフを二人に紹介し、柱の向こうで依然駆け回る侍従や侍女たちを目で追った。
「うむ……どうやら皆それぞれの主を探しているらしい。レインさまは我々を解放した後、自室へ戻られた筈なのだが見つからないそうだ。それからヒュードル候とその息子であるネビア子爵もな。議会の会合が予定されていたのだが、三人が三人共に理由も告げず消えてしまったため、こんな騒動になってしまったみたいだ。我々も侍従を二人ばかり失神させて衣装を拝借出来たものだから、自分たちが囚われていた地下牢や、議会場の準備室などにも探しに行ったのだが……残念ながらレインさまに同行している筈のイシュケル隊長も見当たらない始末でね」
「うーん……」
四人は一斉に頭脳をフル回転させてはみたものの、不運にもこの王宮に精通する者がいない。しかし背後の扉が僅かに開き、良いタイミングで三人の助っ人が現れた。背筋に戦慄を走らせ振り向いた面々の内、パニだけがパッと表情に明るさを取り戻したのは、彼らが見知った者であったからだ。余り会話はしたことがなかったが、日頃レインを護衛している家臣たちであった。やがて二人の兵士もそれを思い出してにわかに表情を軟化させた。
「あなた方はレインさまの! レインさまは何処にいらっしゃるのですか!?」
手招きされて身を移した小部屋は、議会場奥の書庫室であった。
「……我々がおりながら誠に申し訳ありません。情報収集のため別行動を申し付けられていたとはいえ、レインさまのお傍にいられなかったばかりに……ましてや……わたくしがあのような……失態を演じたばっかりに……!!」
「えっ? と……あの、失態って……一体!?」
中心の一人は既に泣きそうな面持ちで謝罪をし、突然パニたちの前へ跪いた。家族をネビアに人質に獲られ、レインの隠す秘密を漏洩してしまった張本人──フランベルジェとの国境でレインと別れたのち、ナフィル兵反目の騒動を探っていたのだが、その後ネビアに拘束された彼はその脅迫に屈してしまった。
「そんなの……ボクだって、黙ってはいられないよ……もしもリーフやメーが人質に獲られたら、ボクもきっと同じことをする……!」
経緯を聞かされたパニは悔しそうに肩を怒らせながら、同じく唇を噛み締めて頷くリーフの顔を見上げた。
「あっ! あのっ、その捕まっていた場所ってどこですか!? もしかしたらレインさまもそこに!!」
「いや……私が監禁されていたのはレインさまご自身のお部屋であったのだ。私の家族も其処で一緒に拘束されていた。一時間程前に何とかこの二人が探し出してくれたのだが、他には誰も見つけることは出来なかった」
パニがふとひらめいた思いつきは速攻却下されてしまった。全員が気を落とし、うな垂れて床や足先に視線を落とす。しかし家臣の一人が溜息をつきながら見下ろした斜め下のずっと向こう、その先に在るであろう「忘れ去られた場所」を、記憶の中から手繰り寄せた!
「なぁ! 確か東の地下に、今は使われていない牢屋や食糧庫があったよな? もう随分昔に封鎖されて誰も入れない筈だが、もしあそこへの隠し扉でもあるのなら──」
「そ、それかも! とにかく行ってみましょう!!」
一筋の光明が見出され、全員の心に希望の光が射し込まれる。パニの元気な掛け声に背中を押された男たちは、再び混沌とした回廊へ勢い良く飛び出した──!
◆次回の更新は三月三十日の予定です。




