[12]月下の標的
──そして十分後。
「リーフ、一体どうやって……?」
既にルーポワ側の小道をゆく一行の中、パニはリーフに耳打ちした。周囲に聞こえないよう配慮したのは、リーフの使った越境の「手口」が、どうせ正統なやり方ではないと推察出来たからだ。
そんなパニの勘繰りに気付いたのだろう、リーフも小声で白状した。
「……実はさ、検問所の監視の一人はオレの幼なじみなんだ。あいつ、メーの根っからのファンでさ! ……メーの下着くすねてきてやったら、何でも言うこと聞くって前からの約束だった」
「えぇ……?」
自慢気なリーフの種明かしに、パニは横目を寄せつつ閉口する。確かにリーフが監視員の一人とやり取りをした後、必ず二人以上が常駐する検問所から一人が消え、リーフと話した職員が何のチェックもすることなく一行を通してくれたのは事実だ。おそらく何かしら上手いことを言って、もう一人をしばし検問ゲートから引き離したのだろうが……しかしその見返りがまさかメティアの下着であったとは、一体誰が予測出来たであろう?
「それって……メーに知れたら、きっと半殺しじゃ済まされないよ?」
自分の荷から下着の消えたことに気付いた憤怒のメティアを妄想すれば、パニの唇は自然と震えが止まらなかった。
「わーかってるって! だからココまでの道中に、適当な洗濯物見つくろってくすねてきてやったまでよ。メーの下着に手を付けるなんて、オレだって命が幾つあっても足りないもんな」
「!? リーフ……そんなの完全に「下着泥棒」じゃないか!!」
「後でもっと色っぽいヤツ返しておくから心配すんな!」
「……」
悪びれる様子もなくニカッと笑ったリーフに、もはやパニは反論する気力もなく、はぁぁ~と一つ大きな溜息をついた。
しかし「メティア」と「検問所」と言えば、彼女が目撃したというフランベルジェ出国時の厳しいチェックが思い出される。
それが何故だかルーポワ側では、自分たちに限らず誰に対しても皆無に等しいのがパニには気になるところであった。よもや難航ルートである北路でアン王女が脱出するなど、万に一つも考慮に入れられていないという証拠だろうか? このまま何もなければ良いけれど……パニは胸元に微かな不安を抱えつつ、リーフに気付かれぬよう今一度溜息をついた。
「おっ! ココだココ。この裏に小さな入口があるんだ。しばらくせせこましいが、頑張ってついて来てくれ!」
リーフは斜め右側に聳える断崖の手前、大声で一行にストップを掛けた。ゴツゴツとした岩肌からところどころうねった木が伸びていて、闇夜を一層おどろおどろしく見せる。
一度振り返ってパチンと元気なウィンクを飛ばし、リーフは岩陰と木陰の暗がりに消えた。パニたちも繁る葉群れを掻き分け、慌ててその後に続いていく。
岩壁を伝って辿り着いた行き止まりは、グルリと崖に覆われた小さな谷間のようだった。リーフが灯したランプも辺りには散らばらず、奥にある坑道の入口を淡く照らし出すだけだ。確かにパニがギリギリ屈まずに通れる程度の高さであるから、他に悠々と歩ける者はフォルテくらいだろう。全員揃っていることを確認したリーフは、無言で頷いて入口に足を踏み入れた。ランプの灯りが徐々に遠ざかってゆく。その光を頼りに、一行は細く長い坑道を進んでいった。
人の手で掘られたと思われる洞穴内は、幾つもの横坑や竪坑が入り組んでおり、湿気を帯びてひんやりとしていた。「森の国」と呼ばれるだけあって、樹木が化石となって出来る石炭の採掘が盛んに行われた時期もあるという。しかしそれもやがて採り尽くされ、この坑道も既に忘れ去られた遺跡と化した。
腰を曲げながらの歩みは辛く、十五分は掛かってしまっただろうか。限られた空間の暗さとは違う淡い紺色の視界がようやく現れて、皆の表情にも明るさが甦った。坑道の切れ目から飛び出すと、全員が思いきり背筋を伸ばして深く息を吸う。三灯のランプ以外には上空に大きな半月が輝くだけだが、ぼんやりと漂う闇の中に、切り立った山並みに貼りついたような細い崖路が伸びて見えた。
「あの道をひたっすら進めば、いつかナフィルの北町へ辿り着けるぜ。んじゃあオレはリムナト王宮へ向かうから。パニ、フォルテさんのお世話は頼んだぞ!」
「うん! リーフも王女さまとメーを宜しく!」
それぞれがリーフにお礼を言いながら、一列になって狭路へ向きを変える。手を振って見送るリーフもやがて自分の行き先へ振り返ったが、その刹那目の前に大きな影が降ってきた。
「──なにっ!?」
「此処から先へは通さないぜ」
影はそう嗤って短剣を一閃、リーフは瞬間ランプを投げつけ後ろへ飛び退いた。背後の不穏なざわめきに気が付いて振り向けば、列の先頭に一人、後尾である自分の後ろにも一人、同じくナイフを手にした影が立っている。
「諦めろ、お前たちに逃げ場はない──この谷底以外にはな」
前後を取られたリーフは横へ避けようとしたが、その言葉通り右側は深い谷だ。仕方なく勢いをつけて左の急な斜面を駆け上がった。身二つ半ほど登りつめて地面を思いきり蹴り、背面飛びで影の一人へ銃を向けた。幸い影の構えたナイフが、投げつけたランプの反射でキラリと光る。それを照準に捉えた弾丸は、影の手首を見事に貫いた。
「──ぐっ!!」
弧を描いて落ちるリーフの身体は、崖の先の何もない空間へ向かっている。その目の端に一瞬葉影が捉えられ、リーフは一心不乱に腕を伸ばした。どうにか間一髪、彼の手は枝先を握り締めて難を逃れた。
一方列の前後に立ちはだかれ進路も退路も断たれた一行は、パニの扮する姫とフォルテを中心に二つの戦場と化していた。
「ヒュードル侯の差し金ですね! 姫さまには指一本触れさせません!!」
と叫びつつも、フォルテの身はほぼパニによって守られている。兵士三人と頼りなくも侍従の二人が影二人に応戦する中、まだまだ余裕があるのか影の一人がご丁寧にもフォルテの質問に返答した。
「どなたの命であるかなど、分からぬまま死ぬがいい! ……いや、死ぬのはお前だけでも十分だ──風の子よ!!」
──え……!?
全員が驚きで固まった一瞬、答えた影が一気にパニに向かって走り込んできた。その勢いに侍従の一人が尻もちをつき、兵士の一人は弾き飛ばされて必死に崖下へしがみついた。振り上げられたナイフの煌めきにハッと我に返り、パニも手にしていた短刀の鍔で寸前それを受け止める。
「どうして……ボクを!?」
大人の男の力には、さすがに十三歳の細腕では及ばない。ナイフの刃先が徐々にパニの眉間に近付いてゆく。しかし背後から襲いかかる兵士の気配に気付き、影は一旦身をひるがえして斜面の上へ跳び上がった。
「さぁな、そんなものは知らん。だがこれがご主人様のご命令なのでね。悪いが死んでもらうぞ、小僧!」
もう一本のナイフを懐から取り出した影は、両刀の構えで頭上から飛び降りてきた。パニは頭を覆う義髪を手にし、落ちてきた影に投げつけながら坑道の方向へ身を退く。長い黒髪がナイフに斬り裂かれ、散り散りになって風に流れる。
背後では捕まえた枝からどうにか戻ってきたリーフが、手首からの出血で意識朦朧とする大男の身体を幹に縛りつけている。一人分の道幅しかない崖路では、一人ずつでの攻撃がやっとだ。先頭の闘いでは影の後ろに回れなかったため、ほぼ兵士一人での格闘が続いているし、先程襲いかかった影は崖から這い上がった兵士を加えて前後に二人を相手にしているが、両刀を見事に操ってなかなか懐に寄せつけなかった。敵もこの狭さを鑑みて、敢えて長い剣ではなく、扱いやすい短剣を選んだのだろう。
「どけっ、パニ! ……ちくしょう、こんなに入り乱れてちゃ銃も使えん!」
ようやく加勢の準備が出来たリーフも、状況を呑み込んでパニの後ろで舌打ちした。
「リーフ……理由は分からないけど、標的はボクみたいだ。だからボクが囮になる。出来るだけみんなを斜面側に押し倒すから、その隙を狙って撃って!」
パニはリーフに背を向けたまま、後半声高に叫んだ。握り締めた拳が肩を怒らせて、今まで優しさに包まれていた少年のオーラを、迫力すら感じさせる強い波動に変えていく。
「パニ……わ、かった。気を付けろよ!」
その不思議なエネルギーに度肝を抜かれ、リーフの言葉は一度途切れたが、彼も覚悟を決めたのだろう、パニの左肩越しに銃身を真っ直ぐ伸ばして、少年の言うその時を待った。
「こう見えてもメーのパートナーだからね。大丈夫! じゃあ行くよ!!」
傾げて見せた片目でウィンクをして、パニは瞬間重心を落とし俊敏に駆け出した。
一人目──向こう向きに両刀の影と闘う兵士の左脇腹を、後ろから力いっぱい右へ引く。現れた影の顎下を足先で思いきり蹴り上げて宙返り、着地した先の影の足首を掬い、崖側にバランスを崩させる。同時に影の背後から闘いを挑んでいた兵士にタックルを掛け、全体重で押し倒すと、左耳に銃声の響きと影の喘ぐ声が吸い込まれてきた。
二人目──パニは兵士の上から立ち上がり、唖然とする侍従二人とフォルテの肩をトンと押して通り過ぎた。三人は斜面によろよろと寄りかかるように崩れ落ちる。残るは兵士一人と影。が、どちらもパニの作戦を把握したのか、兵士がギリギリを狙って道をあけた先には、既にナイフを構える影が待っていた。
「俺はそう簡単にはやられやしない」
言うや鋭い切っ先がパニの首スレスレを掠めた。勢いを押し留めて罠からの回避に無理矢理体勢を変えたパニの身体は、残念ながら影の手中に捉えられてしまった。
「パニっっ!!」
リーフが叫びながら走り寄ったが、捕まったパニの後ろに隠れられて、影に照準が定められない。
「さて……どうやって始末してやろうか。俺も命は惜しいんでね。逃げ道を確保してからゆっくりと楽しませてもらおう。こいつを落とされたくなけりゃ道をあけろ」
「……!」
ナイフを突きつけたパニを盾にして、ジリジリと近付いてくる影は不敵な笑みを宿していた。
後ろ手に両手を拘束されたパニはまだまだ身が軽く、宙に浮かんだ足先は時々地面の石を転がした。斜面に貼りついて悔しさを滲ませる兵士を一人、しゃがみ込んで固まる侍従を一人、そして切なそうな瞳をパニとかち合わせたフォルテの前を通り過ぎた時、敵側に優位であった形勢は突然逆転した。
「──……させませぬっ!」
ジッと怒りに震えながら膝立ちしていた細い身体が、まるでその衝動に押し出されたかのように影の肩先へ飛びついた。握り締めた両手の間に、フォルテは思いっきり噛みついた!
「いっ──!?」
「フォルテさん! 離れて!!」
影は左肩の衝撃に驚いてナイフを落とし、咄嗟にパニの手首も放した。その隙を狙ったパニはフォルテに叫び、地面に着地した身をグンと大きく跳躍させる。影の頭上で一回転、肩車の状態で腰を下ろしたパニは、後ろから影の両目を覆い隠した。更に影の前で組んだ脚で、その首をきつく締め上げる。視界を遮られ呼吸困難になった影は動揺し、首に絡みついた脛と目隠しを外そうと暴れ出した。
もう三年、剣舞の舞姫であるメティアの相手を務めてきたパニだ。剣捌きはもちろんのこと、その身の素早さから軽業でも人々を魅了してきた。
「ぐっ、ぐふっ ──っんあ!?」
息も絶え絶えな上、抉ってしまいそうなほど喰い込ませた指先がよほど痛いのだろう、崖を落ちる危険も顧みずフラフラと辺りを動き回り、影はとうとう足を滑らせた。
「飛べっ、パニ!!」
誰とも分からぬその声を合図に、パニは目隠しも脚のクロスも外して、咄嗟に影の肩に立ち上がり跳んだ。目の前から眼下の谷底へ消える影の身体、そして投げ出した自分の身体は兵士の一人にキャッチされて、気付けば四方八方からみんなの手が伸ばされていた。
「パニっ!!」
全員の歓声がパニを取り巻く。誰一人大きな怪我をすることなく命を落とすことなく、敵を撃破出来た高揚感が辺りの空気を熱くした。
「やったな、パニ!」
「いえ、フォルテさんのお陰です!」
お姫さま抱っこされたお姫さまの装いのパニは、満面の笑みをフォルテの笑顔と交わした。全員からの手荒い祝福を受け終えて、ふわりと地面に降り立った。
「ふん……どうせ死ぬなら……道連れだっ!!」
「……──えっ!?」
しかしその足先から呻くような叫び声が聞こえてきて、突如パニの足首が何者かに掴まれた。パニが戦場へ突進し、リーフが撃ち倒した一人目の影──気絶したのか機を窺っていたのか、ずっと身じろぎもしなかったその身体が、気付かれないようにムクリと腕を上げ、パニの足首へその手を伸ばしたのだった。
影は肩で呼吸しながら、うつぶせの身を崖側へずらした。左半身が宙に浮き、続いた右半身も重力に従って落ちる。撃たれた傷口からドクドクと溢れ出る血液が、残像のように赤々と舞い散った。その景色を一緒に流れ落ちたモノとは──
「パニ──っ!!」
先刻悦びを持ってパニの頭を撫で回した全員の手は、もはやその幻すらも掴み取ることは出来なかった。
まるで死神に引きずられてゆくかのように、パニの身体が暗黒へ消えた──。
◆次回の更新は三月二十四日の予定です。




