白い花の少女
設定はゆるめです。気楽にお読みいただければ幸いです。
遠雷
遠くに雷の音。
白く乾いた道に、ポツポツと水滴が落ちる。
馬車から放り出された少年は、右腕と左下肢だけを使い、身を隠す場所を目指す。
あちこちに傷を負っているが、少年の身なりは良い。
目の端に小屋が見える。
粒の大きな雨が降り始めた。
ずるずると這いながら、少年は小屋に滑り込んだ。
小屋には藁が積まれていた。
少年は体を横たえる。
左の頬と右のくるぶしからは、だらだらと血が流れている。
「その傷は治らないわ」
あの女は言った。
嬉しそうに笑いながら。
王妃レフコー。手に持っていたのは呪いの剣。
「これでこの国は、ブロンティのもの」
ブロンティ。第二王子。
少年の実弟。
王妃に好かれているとは思わなかったが、ここまで嫌われているとも思いたくなかった。
少年の痛みは、頬なのかくるぶしなのか、それとも。
何処か、で雷が落ちた。
小屋を激しい雨が包んだ。
小鳥の声で少年は目を覚ました。
小屋の隙間から、日が射している。
少しの間、眠っていたようだ。
雨は、上がったのか。
カタリ。
小屋の戸が開く。
少年は体を固くする。
傾いた日差しは、小屋を一気に橙色に染める。
逆光の中に立つ、小さな人影が一つ。
炎のような色の髪が広がっている。
女?
人影は少女のようである。
少女は、白い小さな花がたくさんついている束を持っていた。
目が合うと、花の束を放り出し、少年の顔をまじまじと見つめた。
そして、かけていたエプロンから布を出し、少年の頬に当てた。
見る見るうちに、布に滲みだす赤色。
少年の頬は斜めに切られていた。
少女は小さな掌で、布を押さえた。
口元は微かに動いていた。
すると
ひりつくような痛みが弱まり、流れ出る血は止まったのだ。
呪いの傷は塞がらないと少年の母は吐き捨てたのだが。
少女はにっこりと笑い、外へ飛び出した。
誰か、大人を呼びにいったのだろうか。
それはそれで面倒だが、仕方ないだろう。
痛みが和らいだだけでも、少年には有難かった。
再び少女が小屋にやって来た。
少年が片目を開けて見ると、彼女は皮の袋を抱えていた。
そし少年の口に、袋を当てる。
少年の口腔に、水が流れた。
それから7日あまり。
少年の傷口は治癒し、彼は生き延びた。
少女は日に二度、水と食べ物を少年に届けた。
木の実を細かくつぶして、蒸し上げたというものを、少年は貪るように食べた。
八日目に、ようやく少年付の老いた騎士が、彼を見つけた。少年と老騎士は、元の住まいの王宮には戻らずに去った。
少年は少女に、自分の上着の袖を切り渡した。
血で汚れていたが、確かにこの国の紋章が刺繍されていた。
「名前! 君の名前は?」
少年が尋ねる。
小さな声で、少女は答える。
「……リア」
それから幾星霜。
荒れ野には時折、稲妻が走る。
◇◇白い花の少女 ソフィーリア◇◇
今、この国は混沌としている。
先王がお隠れになってすぐ、第一王子のクローガ様と第二王子のブロンティ様が、互いに王権を争って、戦を起こした。
第一王子のクローガ様は、平民や下位貴族から強力な軍隊を作り、第二王子のブロンティ様は、王家直属の諸侯騎士団で対抗した。
その結果、クローガ様が勝利を治めた。ブロンティ様と二人の御母堂さまである、王妃のマグリーザ様は北の荒野に幽閉されたのだ。
当家は辺境の地を守る伯爵家である。
王都からは少しばかり距離があるため、父であるフランシオン伯は傍観を決め込んだ。
そして、勝敗が第一王子に傾いた頃を見計らって、王都に進軍した。
結果、まんまと父は、褒章を得た。
褒章は、フランシオン家と王家との姻戚関係を作ること。
すなわち、フランシオン家の令嬢と第一王子の婚姻である。
クローガ王子は、妃を娶ったのち、王となる。
つまりは、フランシオン家の令嬢が王妃になるのだ。元々、祖父は先々代王の従兄。血筋が王宮に戻ることは悲願であった。
第一王子は、私の姉である長女のトリアンティに求婚した。
トリアンティは御年十八。燃えるような赤い髪に、朝焼け色の瞳を持ち、その容姿は咲き誇るバラとも評される。
第一王子は高等学園でトリアンティの一つ上の先輩に当たる。学園時代に、既に王子は姉を見初めていたそうだ。
玉の輿とはいえ、父フランシオン伯は苦い顔をした。
トリアンティも、第一王子には好感情を持っていなかった。
第一王子には「破壊の炎王子」という二つ名がある。残虐非道な戦い方で、第二王子派を多数葬ったし、戦いの最中、ご本人も大きな傷を負った。そのため、顔の半分や体の一部を、皮の仮面で隠している。
しかも王宮内には、依然第二王子派の者たちが、姿を隠して存在すると聞く。
そこへ嫁ぐ者への安全は、保証されないのだ。
嫌ならば、素直に断ればいい。
だが、せっかくの王家との姻戚のチャンスを、手放したくはない。
フランシオン公は溺愛している長女ではなく、今まで会話すら、したことがなかったような次女、私のことだが、ソフィーリアを嫁すことにした。
私に、選択の余地はない。
王家との姻戚云々の前に、辺境伯として一定以上の軍事力を有するフランシオン家から、人質代わりに嫁ぐ身の上だとしても。
それに元々、フランシオン家において、私の居場所はない。
よって、フランシオン第二令嬢である私ソフィーリアは、明日、第一王子の元へ嫁ぐ。
十六歳を迎えたばかりの春である。
迎えに来た馬車は、王都を目指す。
座席で揺られながら、私の胸には期待と不安が交錯している。
王子が姉の美貌に焦がれたのなら、妹の私を見たら、さぞがっかりされるであろう。
私は、金髪というよりは、色素の抜けた灰黄色の髪と枯葉色の目を持つ、至って普通の地味な容姿である。ソフィーリアという名は、そもそも路傍の雑草に咲く、小さな白い花を指す。道行く人の目を止めるような、華やかさや愛らしさには欠ける花である。
姉よりは、貴族としてのたしなみや、知識はあると思うのだが、父は勿論、フランシオン家の使用人ですら、私の存在を無視している。祖父母からの、貴族としてあるべき姿の伝授や、二年間だけ通うことを許された、高等学院の教育がなければ、とうてい上位貴族や王族に嫁ぐことなど難しかったことだろう。
ところで。
クローガ王子に一目で嫌われたなら、どうしたらいいのだろう。なにしろ暴虐の若き王子である。姉ではなく妹が嫁いで、許されるものだろうか。
よくて放逐、普通に処罰。最悪は……ブルルッ!
放逐されても、行くあてなどない。小さい頃は祖父母の家という選択もあったが。
フランシオン家が所有する、最も隣国よりの領土にあった、祖父母の屋敷も今はない。
贅沢は言わない。せめて侍女か王宮清掃員として、残してもらえないだろうか。
清掃、庭木の剪定、動物の飼育なら得意である。
せめて、風雨がしのげる場所で、眠らせて欲しい。
ああ、これは少し贅沢な望みだ。
などと、うとうとしながら思いをめぐらせているうちに、馬車は王都の門をくぐり抜けた。
お読みくださいまして、ありがとうございます。