俺の名は
日本生まれ日本育ちの母ミアが語る秘話。
6月末の日曜日、母に電話をしたが出なかったのでまた後にしようと切った。
それから1時間程してから折り返しで電話が来た。ボクシングの日だったそうでジムに行っていたらしい。スマホを家に忘れたので今まで繋がらなかったのだそうだ。
「相変わらずトレーニングしてるんだ。もうさ、プロテストとか受けちゃえば?」
「何言ってるの。プロテストに受かっちゃったら気軽に人を殴れないじゃないの」
「え?」
「道で通り魔に出くわすかもしれないしさ。それに、もうすぐ孫が生まれるじゃない。成長してグレたらあたしが戦って抑えないといけない日が来るかもしれないじゃないの」
母さん、孫と戦う事を想定してトレーニングしてるのか?
「そういう想定でやってるの?」
俺は驚いて聞いた。すると「当たり前でしょ!」と返って来た。当たり前なの!?
「なんで?何でそんな想定!?」
「まあ、元はゴッドフリッドよ」
「伯父さん?」
「そう、兄さんはね中高とグレて族に入ってた事があるの」
「ぞく?盗賊?」
「ばかだね、族って言ったら暴走族に決まってんだろが!」
暴走族の北欧男子…なんだそれ。初めて聞いたぞ。
俺の祖父母は昔、仕事で長年日本に住んでいた。親に連れられ5歳で来日した伯父ゴッドフリッドと、日本で生まれた母は、それぞれに高校卒業まで日本で過ごした。ゴッドフリッドは母国の大学に行くと一人で日本を離れ、その後、母の大学進学の際に一家で国に帰った。
それから日本からの留学生だった父と母が出会い結婚。俺が生まれる少し前に父が仕事で先に日本に帰国し、その後母が赤ん坊の俺を連れて来日し今に至る。
つまり、母方の祖父母や伯父は現在は日本に住んではいない。
日本で成長し、難しい年頃を見た目が違う人達の中で過ごした伯父と母。特に伯父ゴッドフリッドは、中学から高校に進む頃に親や学校に反発してグレたらしい。
ガタイがデカく腕っ節も強かったので、何かある度に腕力に訴え、恐怖で周りを抑え込む様になった。
「あいつはね、恐怖の大王だったのよ」と母が言う。
当時、幸い祖父が更に腕っ節が強く、祖母もなんだか強かったらしいので(気迫?)、ゴッドフリッド少年が暴れても押さえる事が出来たのだそう。
母には優しかったが、いわゆる不良となってしまった兄と、それに対峙する為に両親もピリピリした雰囲気を醸し出していた家庭を体験していた母は、後に俺が生まれた時に親類縁者が口を揃えて「ゴッドフリッドに似ている」と言うのを聞き、「やべえもんを生んじまった」と思ったのだそうだ。
ひどいよ。俺、おとなしかったのに。
「パパが優しいじゃない?体格も平均的な日本人だしさ。その内あんたがでかくなって暴れたら、絶対パパじゃ押さえられないって思ったのよ。それで、いよいよの時にはママがやるしかないと思って、あんたが中学に入る前からボクシング始めたの。そしたらさ、やっぱ我が家の血筋よね、ママすごく筋が良かったみたいで、まあメキメキ強くなってさ〜」
あっはっはと笑う母。
そうだね、父さんよりパンチ重いよね。中学の頃、ちょっとだけ俺が拗ねて生意気を言ったら、いきなり腹を殴られた事があるけど、腰が入っていて捻り込むような良いパンチだったよね。
まさか自分が、漫画みたいに「ぐはっ!」と言う日があるとは思ってもいなかった14の俺だったよ。
「母さんがボクシング始める時、俺も一緒にやるって言ったのに却下されたのは、目的が俺を抑え込む事だったからなのか…」
「そうよ。敵を育てるわけにはいかないじゃない。でもまあ、実際はあんたはおとなしくてさ。妹の美織の方が暴れ者でびっくりしたわ。まさか美織がゴッドフリッドに似るとはねえ…」
いや、それは伯父さんじゃなくて母さんに似てるんじゃ?言わないけど。
「その美織の子でしょ?男でも女でもどうなるかわからないからさ。まあ、一応ね、今のうちから準備よ」
あんたは見た目はゴッドフリッドだけど、性格はパパに似たんだね、良かった。と、しみじみと言う母。まあ、確かに父は優しいからな。
「美織は見た目は父さんに似てるけど、中身は母さんだもんな。ははは」
「は?」
しまった!口にしてはいけない事を言ってしまった。誤魔化そう。
「いやほら、だから父さんはもう美織が可愛くて仕方ないじゃないか。ベースは母さんへの愛だよね」
「ああ、まあそうね。美織の美はミアのミだっていつも言ってるわね」
「美だしね」
「そうね、ふふふ」
よし。乗り切った。
「あれ?それじゃ俺の黎音ってどこから来てるの?父さんは直光だから関係ないよね?
「ああ、黎音はお祖父ちゃんの親友が由来」
「まさかの他人!?」
「すごい人だったらしいよ。ママも会った事あるみたいだけどあんまり覚えてないのよね。なんか薄ぼんやりとした記憶では髪が黒くて目が水色か何かで、綺麗な顔してた気がするなって感じ?
でもね、お祖父ちゃんが心酔するっていうの?崇拝と言っても良いくらい「彼は素晴らしい人だった」っていつも言ってたっけな」
「…だったということは、亡くなってるのか」
「そうね。割と若いうちに亡くなったみたい。お祖母ちゃんもさ、「素敵な方だったわね」って。二人してよく言ってた」
「へえ。どこの国の人なの?」
「知らない」
「え」
「知らないよ。リオンっていう人らしいけど、何人かは知らない。誰も知らないんじゃないの?」
「そんな謎の人にあやかった名前…」
「大変だったんだから。あんたがお腹の中で男の子だってわかった時点で、この子はリオンだ!って決められちゃってさ。ママは光一とか創とか、そういう和風の名前にしようと思ってたのに。もう、毎日お祖父ちゃんとケンカよ。
そしたらゴッドフリッドが、お腹に話しかけて本人の反応みてみればとか言い出してさ。あいつ、自分の娘をそれで名付けたもんだから先輩ぶって『子供は生まれてくる時に自分の名前を決めてるもんなんだぞ』とか、偉そうに…」
ぶつぶつ言っている母。
「それでどうしたの?」
「やったのよ、お腹に呼びかけてさ。何だっけな、翔太、一輝、光一、創、あとゴッドフリッドが漢字を獅子にして読みをレオにしろとかバカ言ってさ、それもやったけど。あとお祖父ちゃんの一推しでリオンね。
それぞれに何回かお腹の中に呼びかけて反応見たの。そしたらさ、リオンの時だけお腹を蹴るんだよね、あんたが」
「マジで?」
「それでもうお祖父ちゃん達が、この子はリオン様の生まれ変わりじゃ〜!みたいに盛り上がっちゃって、で、決定」
え?俺ってリオンって人の生まれ変わりなの?
「ゴッドフリッドが、音がリオンでも漢字は獅子にすればいいんじゃないかって言ってさ。どんだけ獅子が好きなんだ?って。お前の子供につけてみろって。でまあ、そこでパパが「漢字はボク達が決めますから」ってビシって言ったのよ」
…よかった、獅子じゃなくて。
「美織はさ、最初パパがアリスとかミカエラって言ってたの。あと、カリナとかアレクサンドラとか。アリスととカリナは良いけど、ママはミカエラとアレクサンドラは無いなって思った」
「そうなの?」
「ママもさ、従姉妹とか友達とかがそういう名前で、それはそれで普通に受け入れてたんだけどね。でも、日本社会で日本人として生きて行くって考えるとどうよ?って思ったのよ。
しかもあの子は顔も色合いも和風でしょ。名前がアレクサンドラとかミカエラってどうかなって。学校であだ名にアレとかソレとかドラとか鰓とか付けられたらって考えちゃってさ」
「ああ、子供は容赦ないからな。俺もカーニバルって言われた事あるよ。リオンのリオが一致するだけで」
「リオンは見た目が西洋風だからアレクサンダーとかミカエルだったとしても違和感ないかもしれないけどさ。和風のあの子に洋風の名前だと、名前で苦労しないかなって。大人になっちゃえば別に関係ないんだろうけどね。
そしたらゴッドフリッドが言うのよ。「俺は子供の頃にみんなに変な名前って言われて、それが元でグレたようなもんだ。日本で育つなら違和感のない名前にしてやれよ」って。
まあね、あんたの時に『獅子と書いてレオと読ませろ』と言った男が何を言ってるんだとは思ったけどさ。でも、今でもミカエラとかアレクサンドラにしなくて良かったとは思っている」
そうだな。美織は美織が似合うっていうか、かわいいな。ミカエラだったら、それはそれで強そうで箔はついたかもしれないけど。
「魚のエラとかドラちゃんとか揶揄われたら、絶対蹴り入れてただろうからね…」
「蹴りなら良いけどさ、仲間引き連れて鉄パイプで殴り込みやっちゃったらまずいからねえ」
そっちか!
「そんな美織も、今は我が子の名付けで色々悩んでるみたいよ」
「性別は?」
「生まれるまで聞かない事にしたんだって。生まれてからのお楽しみって」
「ああ、それも良いかもな。本当にもうすぐだしな」
「ヒロト君は娘がいいみたいよ」
「なんか娘だったら美織2号みたいになりそう」
「ママもそう思う。でもあれよ、あんたより先に美織が結婚して良かったよ」
「なんで?」
「美織はお兄ちゃん大好きだからさ、あんたが先に嫁さん連れて来たらいびっていたかもしれない」
「まさか」
「…ね、本人は知らないのよね。美織はもうお兄ちゃん命ですごいんだからね。いつもクソ兄貴とかバカ野郎とか言ってるけどさ、大好きなんだから。
あんたが大学入って少ししてから、一人暮らしするって家を出た時なんか毎日泣いてたのよ、リオンがいないって。
ママも寂しくて泣くと思ってたのに、あれ見て泣きそびれちゃったわよ」
「嘘でしょ?うざいのがいなくなってせいせいする、帰って来んなって言われてたぞ」
「朝なんか、リオンが焼いた目玉焼きじゃないから食べないとか、毎日ぐずぐず言ってさ。近いんだから遊びに行けばって言っても、自分から行くのはやだって。で、休みの日なのにあんたが帰って来ないと、電話してってうるさくてさ。だからママ、しょっちゅう用事を頼んで帰って来てもらってたのよ」
「まじか。居ると何しに来たって言われるし、マンションに帰るって言うと帰るなら最初から来るな!って言うし…あれ?帰るなってことか?靴を隠したのも嫌がらせじゃなくて?」
「ね。居て欲しかったんだよね。あんたが一人暮らしやめて帰って来た時、事前にあんたの部屋掃除したの美織だからね」
「俺が一方的に構うからウザがられてるって思ってたよ。まあウザかろうが可愛がるけども」
「そもそも美織が不良になったの、あんたが一人暮らし始めたからだからね」
「え」
「今はバランスいいよね。優しい旦那さんに甘えられるし。だからさ、今のうちだからね。サクッと安全なうちに話を進めちゃいな。遥ちゃんの為にもね」
「あ、はい」
「ちゃんとそのうち会おうね。パパも楽しみにしてるから。じゃあね」
「あ、ちょ、あの…。えー、切れた」
唐突に電話は切れた。まだ俺が電話した要件を伝えてないんですけども。本当に自分の言いたい事だけで終わらせるよねマミー。
ま、いいか。別に急ぎじゃないしな。後でハルがいる時にまたフェイスタイムしよう。






