かぐやSF テーマ未来の色彩 落選応募作品
このショートショートを2日で描き終えた後、ボストンバッグにアンデス猫のぬいぐるみを詰めて雨の中、夏への扉を観に行けました。帰ってきてからぬいぐるみの猫もご機嫌です。良かったね。
ボーイの季節
拝啓
ルーの飼い主さま
先生さま
あなたは仮想現実の僕を
ルーと呼ぶ
コールドスリープで眠っている僕は誰ですか?
ぼくはルーですか?
金色の目をしたルーはアンデスで誕生し実験体として育てられた。
誕生の一年後に突然冷凍睡眠の研究対象に選ばれて、宇宙の果てを三万年間漂っている。
ぼくも宇宙船の氷の棺に長い間眠っている。
夢の中でルーが笑う。
《♪ぼく男の子だよね》
《♪ぼく男の子だよね》
《♪ぼく男の子だよね》
そうとも。ルーは雄猫で立派なアンデス猫で女医の先生が名付け親でずっとずっと先生の猫として飼われている。
ぼくは現実の僕がどんな顔をしているのかまだ知らない。
夢の中で鏡を見たことがない、ので自分では想像も出来ない。
ぼくは僕の写真を見たことがない。人の姿をしたアンドロイドには慣れている。実際アバターみたいな制服姿のぼくはバンパイア的な白い奴だ。
仮想現実の自分が現実世界の誰なのか本気で考えたことある?
一生自分が誰なのか分からないなんてことが普通ある?
そんなのはぼくだけだ。
VR仮想現実の架空のアバターの少年のぼくには記憶がない。人間的な感情がある。
誰かに作られている過去のデータからの固定観念としての印象を日々脳内で整理して、人間のような夢を見ている。
ぼくが先生に疑念をいだく一番の理由はそれだ。昨日見た景色のように地球のことを記憶している。
海、女の人の声、家族の声。ルーの声、ルーを飼っている先生の想い出……ではなくて、夢の中でいつもぼくが猫を飼っている。
仮想現実の夜空を見上げると天の川が輝き、未来の色彩を探し出すプロジェクトのチームが星の上で暮らしている。
仮想現実の学び舎に集うぼくは冷凍睡眠から目覚める時を待望している人々とは少し違っていた。
地球のような四季の風景を仮想現実の学校で探しているぼくは、桜の木の下でタブレットのパレットを見ている。
教壇に立ち、チョークを持ち、普通の先生のようにぼくを叱る彼女は時々窓を開けて黒板消しをバンバンと叩く。
粉まみれの空気の入れ替えがなければぼくは教室を苦手に思わずにずっと彼女の側にいただろう。
先生は生徒が愛想良く微笑み返したりすることを期待しているわけではなく、結果ぼくもぼくの研究パレットの上に目を落とすだけだ。
他惑星を落ちゲーのように探索しているこの母船ではまだ誰も起きていない。
冷凍睡眠の眠りについている。
冷凍睡眠に抵抗し、十代の反抗まがいのやりがいがあるとしたら、ぼくは女医の先生を拒絶する。
天蓋の向こうの彼女はスクリーニングドームシアターの真下で眠るぼくの姿を凝視している。夢じゃない。
『ルー、どうしたの? まだ終わっていないのよ?』
ビープ音に取り巻かれたあなたは本当に僕自身です。
僕の記憶はルーではないことにぼくは気が付いています。
先生は猫がとても好きで、もっと地球人の人生を過ごしたかった人だ。
動物は希少な存在で、誰もがペットの猫を宇宙船に連れてきていいわけではない。
堅苦しい管理社会の規約や規則。
決まり事が多すぎて、仮想現実の中で生きているぼくは学校という目的のない憧憬に絶対的に飽きている。
猫が学校の昇降口を降りてゆくのを見た気がした。
急いで追いかけて辺りを見回してルーの名を呼ぶ。
何もなく、いつものようにまた一人、気ままに勉強を開始する。
満開の桜の木の下でメルトストームをプレイすると精神感応に呼応するように桜の花びらが舞い降りた。
夕方になると先生と僕以外誰もいなくなる。
いつだってそんな感じだ。
白衣に赤いスニーカーの先生は肩より長い三つ編みを後ろで止めている。
僕は水色の上着にグレーのスラックスの制服を着ている。
フランクな語り口調の愛らしいぼくのことを先生はルーと呼ぶ。
自分の存在価値とは何か。
猫なのか、真顔のルーに問い詰められて彼女は何と応えるのだろうね。
僕はいつか彼女にこう言ったことがある。
『僕と一緒に桃色の月が沈む夏の夕凪を見に行ってくれませんか』って。
地球にいた頃の憧憬と想い出が溢れて止まらない。
宇宙船の仮想現実の架空の人生が溢れてくることはない。
ぼくは猫じゃない、永遠に終わらない夢だった。生きる目的がない自分が消えそう。
プロジェクトチームは光速ワープ航法で三次元シャッフルしながら一万二千年前に第二の地球を見つけた。
彼女は地球管制官のエールと母船への賛美の最中に僕に答えて『ルー』と静かに言った。それが答えだった。
追伸
ルーの飼い主さま
先生さま
いつになればテラフォーミングが完成し、第二の地球への移住が始まりますか?
学校に退屈している僕は単純にエスケープしたいわけではない。
研究対象として氷の棺に閉じ込められたまま死ぬかも知れないとなると仮想現実がゆらぎ、不安がよぎる、実験体ルーだったと考えるぼくの宇宙は闇が深く、今は怖くて仕方がない。
将来の夢を書く作文の課題は真っ白な原稿のまま何も書けなかった。とても先生に咎められた。
先生は"ぼく"のことなんか見ちゃいない。
長い長い長い夢の終わりに、ただ一度だけの別れを僕は告げる。
ノスタルジックなヨーロッパのクリスマスカードに永遠にさようなら。
テーブルに揺らめくグロー放電するランプのオブジェの光よ、グッドナイト、フォーエバー。
女医先生が集めていた趣味のアンティーク、レトロな色彩のミントとカモミールとラベンダーとローズのハーブティーのパッケージの前で、ぼくは待つ。
ルーが待っている。
地球に帰って、ルーを思いきり抱きしめ、ルーにペットフードを山盛りにして出してやり、チュールを舐めさせ、ジンジャーエールでルーの誕生日を二人で祝う、絶対だ。
オルゴールの音色をもう一度ルーに聴かせてあげたい。
白木のオルゴールに雪とモミの木の絵が蓋の部分に描かれている、本みたいに扉を開くと中にオルゴールが入っている。
木の箱のオルゴールがルーと先生の宝物だ。手回し式で、箱の側面から側面へとメロディーシートが移動して綺麗な和音の曲を奏でる。
和音を全て並べただけのやけっぱちの音階の最後にクリスマスソングをくっつけた曲は、丸まってロールされたシートの五線譜に彼女がぱちん、ぱちんと穴を開けたメロディだ。
押さえたパンチからは雪みたいな小さな丸い紙くずが和音の数だけ転がり落ち、木製のローテーブルの上にはパンチ穴がスターダストみたいにたくさん広がっていた。
猫は聴覚がとても良い。
サンタクロースがやって来るをルーのように歌える猫はそうそう多くはない。
いつか誰もいなくなったなら、桜の木の真下で静かに死ぬことにトライしてみようか。
死んで目が覚めるかも知れない。
死んだらルーに会えるかも知れない。
覗き込む漆黒の闇のパレット。
赤と紫と青と黄色と緑。
メルトがゆっくりと落ち、ノーマルステージをオールクリアする。
オレンジのほうがもっと遅いけど赤と紫と青と黄色と緑が全部異常な速度で早く落ちてきてゲームをクリア出来なかった。
オールリセットするしかない。
仮想現実でオレンジの新しいステージに進むために僕は自分で何をすれば良かったのだろう。
眠ったままのぼくには救われる方法がない。
天才プレイヤーの彼女がオレンジのステージをクリアし、タイムリープのアイテムを手にするのを待つ?
実験体の僕にはバーチャルリアリティの仮想現実の幻想を生きる価値がない。
冷凍睡眠に二律背反のプロジェクトを組み込まれた彼女とぼくの命。彼女の未来はぼくが地球の色彩に輝く星を探し出すまで続いている。
テーマに比して、キャラクターの素材そのものも、悩み無く、深い内容ではないかもしれません。
ショートショートなので、さらっと読み飛ばして頂けたら、読んでくれた人に感謝します。
何よりも、ルーより。ありがとうございます。