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【6話】可愛くて人懐っこくてウザくない後輩ができた話

新しく後輩ができる話です。

──空から女の子が降ってきた。


とは言っても、そんなに大それた出来事ではない。

ただ、階段を下りる途中で足を踏み外した女の子が、階段の下に立っていた僕めがけて落ちてきたと、ただそれだけのことである。いや、それもまた一大事なのだが。


踏み外した彼女は、不思議な石の力でふわふわと空中に浮かぶわけでも、およそ体重と呼べるものがない異様な軽さで僕の手の中にふわりと収まるわけでもなく。

それ相応の勢いで、それ相応の重さで。ただその場で唖然と、受け止める準備もできていない僕に向かって落ちてきた。


背面には固い床の感触を、正面には女の子特有の柔らかいナニカの感触を目いっぱいに感じながら、大きな音を立てて僕らは床に倒れる。


「いったあ……」


遅れて背中に走った鈍痛に、思わず情けない声を漏らす。


僕に覆い被さるように倒れこんだ彼女は、はっとしたように顔をあげて、「ごめんなさい!」と謝った。


「いや、僕は大丈夫です……怪我はないですか?」


僕の体の上から飛びのいて、すぐ横の床に座り込んだ彼女に声をかける。

痛む体を労わりながら、僕はゆっくりと体を起こした。じっと僕を見つめる、彼女と視線がかち合う。


「……お兄さん?」


僕は、彼女のことを知っていた。頭の後ろで結んだ髪、ぱっちり開いた瞳。快活そうな顔立ち──最後に会ったのは、もっと小さい時だったと思うけれど。

当時の面影を色濃く残した彼女の顔を見て、すぐさまその名前が頭に浮かんだ。


「……七花ななかちゃん?」



香取(かとり 七花ななか。彼女は僕の妹である都子みやこの幼馴染である。

小さい頃はよくうちに遊びに来ていたものだが、小学校中学年に上がるくらいに転校してしまったのだ。

七花ちゃんがいなくなってしばらく、都子はふさぎこんでしまうくらい落ち込んでいた。その時のことを、未だに鮮明に覚えている。


「しかし──まさか、七花ちゃんもこの高校に進学していたとはね」


場所は変わって図書館。

四日間ある期末テストの二日目、時刻はまだ昼前だ。窓の外には夏を目前にした澄み切った青い空が広がっている。


「都子ちゃんから何も聞いてなかったんですね」


「まあ、家じゃあんまり話さないしな」


「……仲悪いんですか?」


「思春期の妹を持つ兄は大変なんだ」


口を開くたびに「〇ね」「キモい」「学校では話しかけないでね」と言う妹の姿が目に浮かぶ。

そんな僕を見て、七花ちゃんは「あはは……」と困り笑いをした。


「そんなことより、さっきは本当にごめんなさい。ぼんやりしてたら足滑らせちゃって」


「ううん、七花ちゃんが無事そうで何より」


「体、痛くないですか?私重かったですよね?」


「体も平気だし、重くもなかったよ」


柔らかくはあったけども。


そんなことを言ったら本当に気持ち悪がられるし最悪捕まる可能性もあるので、絶対に口にはしないけれど。

自然、すっかり成長しきった彼女の胸部に引き寄せられそうになる視線を自制し、咳ばらいをする。


「改めてだけど久しぶり、七花ちゃん」


「ええ──お久しぶりです、お兄さん」


「すっかり女子高生だね」


記憶の中では小学生のままの彼女が、成長した姿で目の前にいるというのは、なんだか変な気持ちがする。

ましてや、それが美少女になっているのだから猶更だ。どことなく口から零れる言葉もぎこちない。僕は今、緊張している。


「お兄さんも、もう受験生ですよね。勉強進んでます?」


「三年になってやっと始めたから、あんまりかな」


僕が言うと、七花ちゃんは言いづらそうに、口に出すか迷うような素振りを見せてから。


「最近、お兄さん有名人ですよね」


と、こちらを窺うように見上げた。


「……まあ、知ってるよな、そりゃ」


「学校中で話題ですから」


くすくすと、七花ちゃんは小さく笑う。


「最初聞いたときは驚きましたけど。まさか、さくらちゃんとお兄さんが本当にそうなるとはって」


「……あー」


何も言えず、ぽりぽりと頭を掻く。


「お兄さん、覚えてます?小さい時のこと」


七花ちゃんは挑発的な笑みを浮かべて僕を見た。僕は窓の外に視線を移した。そろそろお腹もすく頃だ。


「どうかな」


「とぼけないでくださいよ。本当は覚えてますよね?」


そうして、七花ちゃんは楽しそうに話始める──僕たちが、四人で遊んでいた頃の話を。



「おままごとをしよう」


「いや、しないだろ」


さくらの発言を即否定すると、「なんで?」と言いたげな顔で僕の方を見た。


「僕たち、もう小学生だぞ。それも僕は三年生。さくらは二年生」


僕が言うと、


「別に私がやりたいからやるんじゃないよ。二人が喜ぶかと思って」


そう言って、さくらは二人の方を見る。その視線の先には、ブランコに並んで座った都子と七花ちゃんがいる。


「都子ももう小学一年生なんですけど。さくらさん馬鹿にしすぎでは」


不満そうに都子が言う。しかし、七花ちゃんは対照的に、「やりたい!」と満面の笑みを浮かべた。


「おままごとやりましょう!おままごと」


「ええ……七花ちゃん本気なの」


都子は心から嫌そうに呟く。


「たまにはいいじゃん、やろうよ」


やる気満々の七花ちゃんを見て、「子供だなあ」と、さくらが小ばかにしたような笑みを浮かべる。


「ほら京ちゃん、七花ちゃんやりたがってるよ。低学年の遊びに付き合ってあげるのも上級生の務めだよ」


「上級生って言っても一つしか変わらないだろ、さくらと都子たちは」


「いいじゃんそんなの。ピカピカの一年生のやりたいようにやらせてあげようよ」


やけに偉そうなさくらを見て、「さてはこいつ後輩ができて喜んでるな」と気づく。


「お姉さんとお兄さんがおままごとに付き合ってあげまちゅからねー。ほら、七花ちゃんはどんなのがやりたいの?」


馬鹿にし続けるさくらと、それに気づかず純粋に何をするか考える七花ちゃん。そして始まった茶番にうんざりしている僕と都子。

なんだか将来の姿が目に浮かぶようだなあ、なんて思っていると、七花ちゃんは何かを思いついたように、ブランコを下りて着地する。

そして、そのまま僕の方へ小走りでかけてきて──そのまま、僕の腕をとって、ぎゅっと体に抱き寄せた。


「お兄さんが旦那さんで、私がお嫁さん!」


「は?」


楽しそうに言う七花ちゃんと、冷え切ったように言うさくら。


「それでー、都子ちゃんは子供でー、さくらさんはどうしようかなー」


「いや、それはだめ」


「じゃあ都子ちゃんはペット?」


「そういう問題じゃない。京ちゃんのお嫁さんはさくらがやる」


「えー、さくらちゃんさっきやりたいようにやらせてくれるって言ったじゃん」


言い合いをする二人から逃げるように、僕は先ほどまで七花ちゃんが座っていたブランコに座った。

隣の都子といえば、我関せずと言った様子でギコギコとブランコを漕いでいる。


「とにかくお嫁さんはさくらがやるの」


「私もお嫁さんやりたーい。二人ともお嫁さんじゃだめなの?」


「それは修羅場っていうんだよ」


「じゃあ修羅場ごっこやろー」


勝手に話を進めるさくらと七花ちゃんの間に割って入るように、ブランコを漕いだままの都子が、


「今の状況が既に修羅場なのでは?」


と呟く。


「じゃあ都子ちゃんはどっちがお兄さんのお嫁さんにふさわしいと思う?」


七花ちゃんが聞くと、漕ぎ続けていたブランコをギッと止めて、


「こんなお兄ちゃん貰ってくれればどっちでもいい」


「ひどくない?」


小学一年生とは思えない発言に、僕は悲しくなった。どうしてこんな妹に育ってしまったのか。

昔はあんなにお兄ちゃんお兄ちゃんって……来てなかったな。割と昔から僕には冷たかった。


「じゃあ、京ちゃんはどっちがいいの」


さくらが言うと同時に、三人の視線が僕に集まった。言いようのない圧を感じる。

肉食動物に睨まれた獲物のような緊張感。下手なことを言ったらとんでもないことになりそうな、そんな予感。

静寂が場を満たす。僕はゆっくりブランコを漕いだ。


そして答えに困った僕は、


「考えとく」


と、視線を逸らしながら答える。


──この後どうなったかは、言うまでもない。



「考えた答えが、さくらさんだったんですねえ」


昔の話を終えて、七花ちゃんは感慨深そうに呟く。


「いや、お嫁さんに選んだわけじゃないんだけど」


僕が否定すると、七花ちゃんは面白がるように笑い、「もしかしてですけど」と、こそこそ話をするように。

机から身を乗り出して、囁き声で。


「さくらさんと付き合ってるの、おままごとだったりして」


どくん、と心臓が脈を打った。


都子から、何か聞いているのだろうか──いや、いくら七花ちゃんとは言え、あいつがそう簡単に真実を漏らすとは思えない。

恐らく、冗談のつもりなのだろうけど。核心を突いた彼女の言葉に、僕は動揺する。


「あ」


何かに気づいたように声を上げる。


「お兄さん、髪に埃ついてる」


「え、どこ」


動揺を振り払うように、僕は頭をわしゃわしゃとかき乱した。

けれど埃は取れていないようで、「もう」と笑いながら、七花ちゃんが手を伸ばす。


彼女の指先が、そっと僕の頬に触れた。そのまま這うように、顔の輪郭をなぞる。

頬、耳、側頭部──と指が進むたび、彼女もまた身を乗り出す。自然、二人の顔の距離が近くなる。


僕が少し顔をあげれば、恐らくぶつかってしまいそうなほどの距離に、七花ちゃんの顔がある。

さくらに負けず劣らずの美少女に成長した香取七花。しばらく見ないうちに大人びた彼女。


冷たく細い指が、僕の後頭部のあたりで止まって。毛先に指を絡ませた、その時だった。


「せんぱーい、いますかー」


ガラリ、と図書館の扉が引かれる音。次いで、聞き覚えのある声。ペタペタと、間の抜けた足音がして。


彼女──花見川さくらが、姿を現した。


「……」


「あ、さくらさん!お久しぶりです、覚えてます?」


目の前に広がる光景に絶句して立ち尽くす花見川さくら。

久々の再会を喜び顔を輝かせる香取七花。


昔と変わらないその対照的な様子が、なんだか懐かしさを感じる──そんな余裕もなく。


仮にも彼女がいる身でありながら、他の女子とイチャついているように見える様を、よりにもよって彼女本人に見られた。


いや、僕とさくらは実際は付き合ってないわけだから、別に何も問題がないはずなのだが。

そんなことをどうでもいいと思わせるほどの殺気が。花見川さくらの全身から、とめどなく溢れ出ているのである。


「勿論覚えてるよ、香取七花ちゃん」


にっこりと、さくらが微笑みを浮かべる。

けれどその声音は極めて冷たく。全くもって笑えていない目の奥に、不気味な光が宿っている。


「わー、よかったぁ!会いたかったです!」


そんなさくらの様子に気づかず、七花ちゃんは両手を挙げて喜ぶ。


「せっかく久しぶりに会ったんだし、場所を変えて三人でお話しましょうよ」


「いいですね!いきましょう!」


ぞわり、と背中を悪寒が駆け抜けた。


腹も減ったし、明日も試験だ。早く帰って、勉強をしないといけない。

そんな風に現実から目を逸らしても、逃げられるわけもなく。勿論、そんなことを口に出せるような状況でもなく。

僕はぎこちなく、さくらの方を振り返った。


「たくさんお話ししましょう──ね、先輩?」


そういうわけで。

その日──可愛くて人懐っこい、ウザくない後輩ができたのであった。

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― 新着の感想 ―
[一言] やっばり女の子が降ってきたんだからいろいろと選択肢が出てくるんだね
[良い点] さては腹黒ぎみなのは両方大して変わらないのでは?
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