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【3話】先輩がいない放課後の話

さくら視点のお話です。

モノローグ多めです。

「……暇だ」


時計の針が17時を指すのを横目に、私は小さく呟いた。

机の上に手を伸ばして、飾ってあったクマのぬいぐるみの顔をぎゅうっと押しつぶしてみる。

ふにゅう、と頼りない音を立てて、クマの愛らしい顔はひしゃげた。鞄の中で潰れた温泉饅頭みたいだ。色も茶色だし。


「……暇です」


意味もなく言い直してみる。暇がつぶれるわけでも、返事をしてくれる人がいるわけでもないのに。

私は椅子から立って、すぐ横のベッドに身を投げた。冷たい布団の感触が心地いい。

スマホもいじらず、ただぼんやりと天井を見つめた。ここは花見川家の二階にある、花見川さくらの部屋。生まれて十数年暮らし続けている、私のおうち。


開け放たれた窓から風が吹き込んで、薄桃色のカーテンを揺らす。上体を起こして窓の向こうを見る。

窓から数メートルの距離に、隣の家の壁があって。ちょうど向かいの位置に、同じくらいの大きさの窓がある。

カーテンが閉め切られて、中の様子を窺うことはできない。隙間から光も漏れていないし、その部屋の主は不在なのだろう。

再び寝転んで、天井を見上げた。どれだけ見上げても変わらない景色。そして、頭に浮かんでくることも変わらない──いつも私の頭の片隅に居続ける、あの人のこと。


気づけばあの人のことを考えていて。

いつもあの人のことを気にかけていて。

ふとした瞬間に、会いたくなって、顔を見たくなって。


あの人のことを、独り占めしたくなる。


私だけのものにしたくなる。


他の女に渡したくないと思ってしまう。勿論、他の男にもだけど。


「……あー、もうどんだけ好きなの」


あの人のいない放課後が、これほどまでに退屈だとは思わなかった。


寝返りとももんどりとも言える何かを、ベッドの上でごろごろごろごろ繰り返し打ってから、再び上体を起こした。

窓の外を見る。隣の家の窓──あの人の部屋からは、変わらず人の気配はしない。まだ帰ってこないのか。浮気してんじゃないかしら。


苛立ちや不安そのままに、ベッドに倒れこむ。スマホを手に取って時間を確かめた。17時4分。時間が経つのが遅い。いつもの1/10くらいの速さで時が進んでいるような気がする。


──あの人といる時は、あっという間に時間が過ぎてしまうのに。普段から、これくらいの遅さで時間が進んでほしい。そうすれば、もっと長い時間一緒に居られるから。


先輩のいない放課後は、本当に退屈だ、なんて。またあの人のことを考えている自分に気づいて、ため息を吐いた。



『今日眼科行くのに早く帰るから、教室来るな』


『じゃあ何時に校門行けばいいですか?眼科どれくらいかかります?晩御飯どうしますか?』


『なんで一緒に行く前提なの?しかもなんでご飯も食べる気なの?一人でさっさと先帰れ』


『クソ彼氏!エセ彼氏!陰キャ!』


ラインでそんなやり取りをしたのが、お昼休みのこと。

今日は先輩の顔見れないのかあ、話せないのかあ、なんてしょげながらも午後の授業を乗り切って、まっすぐ家に帰ってきた。

毎日先輩の勉強に付き合って(邪魔して)遅くまで学校にいるので、こんな早い時間に家にいることは最近あまりない。

両親は共働きできょうだいもいない私は、家に独りぼっち。しんと静まり返った家にいると、余計に寂しさを感じる。

いつもなら、先輩と楽しくお話している頃なのに。


とはいっても、放課後を先輩と過ごすようになったのは、比較的最近のことだったりする。

本当に、ここ数か月──先輩が学校に残って受験勉強をするようになってから。学年が変わってからのことなのだ。


それまでの放課後の過ごし方というと、友達と遊びに行ったり、まっすぐ家に帰って寝たり。たまに先輩を待ち伏せして一緒に帰ることもあったけど。

そんな放課後の過ごし方が、ここ最近になってなぜ急に変わったのかと言えば。


「──もう、時間がないからなあ」


先輩が卒業するまで、残り一年もない。

たぶん先輩は東京の大学に行ってしまう。そうしたら、私たちは離れ離れ。十数年一緒に過ごしてきた私たちの人生が、初めてはっきりと分かれてしまう。

そうしたら──先輩は私のことなんて忘れて。都会の女に鼻の下を伸ばしっぱなしになるのだ。


だから、チャンスはあと一年もない。

先輩が卒業するまでに、あの人の首にしっかり首輪をかけてリードで繋いでおかないと。

私のことしか考えられないくらい骨抜きにしないと。私にべた惚れさせないと。じゃないと。


──私の十年あまりにも及ぶ片思いは、儚く散ってしまうから。


「……うむぅ」


体を起こして立ち上がる。机の所まで歩いて行って、ひしゃげたクマの隣に飾られている写真立てをそっと手に取る。

写真の中で、一人の少年と一人の少女が仲良さそうに手を繋いで、笑顔でピースをしている。

小学校2年生の先輩と、小学校1年生の私。確か、入学してすぐに撮った写真だ。


「京ちゃん」


いつからだろう──あの人のことを、先輩と呼び始めたのは。昔はずっと、名前で呼んでいたはずなのに。

久々に口に出したその名前は、懐かしい響きを含んでいて。不意に、脳裏を幼い頃の記憶が蘇る。先輩と過ごした日々。京ちゃんと笑いあった日々。


たぶん、あの人は。私がずっと向け続けている好意に、気づいていないんだろうな。鈍感馬鹿だし。

私のことを、妹程度にしか思っていないんだろう。


私はずっと──優しくて、まじめで、なんだかんだ面倒見がよくて、ウザがりながらも構ってくれて。陰キャだし、たまに本気でムカつくこともあるけど、そんな先輩のことが、京ちゃんのことが。


ずっと、大好きなのに。


「……京ちゃん」


もう一度、その名前を呼んだ。本人に向かって、再びそう呼べる日は来るのだろうか。


もし、本当に付き合うことができたら。昔みたいに、そう呼びたいなって思って。


「もう少しだけ、頑張ろう」


不意に、涙がこぼれそうになる。そんな自分を鼓舞するように、小さく呟く。

ハッタリとはいえ、偽物とはいえ。今、私と先輩は付き合っている、ことになっているのだ。

今までの先輩後輩の関係よりも、ずっと前進している。少しずつ、物事は前に進んできている。

もう少し──もう少し。もう少しだけ、頑張ればいい。


だから、今はまだ。


先輩にとっての花見川さくらは、ただのウザい後輩でいいのだ──そう自分に言い聞かせる。


ウザさもそのうちくせになる、はず。たぶん。知らんけど。


写真立てを大事に机の上に戻してから、もう一度クマのぬいぐるみをふにふにと弄ぶ。

ひしゃげた顔を縦へ横へ、ぐにぐにぐにぐに伸ばして縮めて。私の想いに気づかない鈍感馬鹿への色々な感情をぶつけられたクマは、情けなくふにゅうふにゅうと喚きたてる。

そんな時──ベッドの上に投げ出されたスマホから、ラインの通知音が鳴った。


『カーテン開けろ』


誰からのメッセージか、なんて言うまでもない。

言われるがまま、私はベッドの上によじ登ってカーテンを開けた。

向かいの窓もカーテンが開け放たれていて、部屋の灯りを背に、制服姿の先輩が立っていた。


「ちょうど今帰ってきた」


「変なことした後は手を洗ってから目を触るようにしてください」


「なんか勘違いしてるみたいだが、眼科に行ったのはコンタクトレンズ作るためだからな」


「コンタクトつける前もちゃんと手洗わないとですよ。先輩は特に」


「いや、わかってるけど。なんで特別僕の手が汚いみたいな言い方するの?」


それからしばらく、私たちは言葉を交わした。さほど長い時間ではなかったと思う。

いつも通り、放課後の教室でするような会話を少しして。


「じゃあ、また明日の放課後に」


と私が会話を打ち切ると、


「うん。また明日な」


と、先輩は言った。


その言葉が、少しばかり意外で──私の心臓は、どくんと高鳴った。

明日も、放課後邪魔しにいっていいんだ。

明日も、一緒に帰ってくれるんだ。


やっぱり、少しずつ──関係は、前進しているんじゃないかって。


淡い期待を抱きそうになる自分を、ぐっとこらえて。

私はいつも通り、悪戯な微笑みを浮かべて。精一杯の、ウザい後輩を演じる。


「なんだかんだ、先輩も私と放課後過ごすの楽しみなんじゃないですか」


先輩の返事を聞く前に、私は窓を閉めて、カーテンも締め切った。


そのまま、窓にもたれ掛るようにベッドの上に座り込む。心臓はまだ、どくんどくんと高鳴ったままだ。


正直、全然話し足りないけど。もう少し、先輩の顔を見ていたかったけど。幸せな時間を過ごしていたかったけど。

放課後は、明日もやってくる。だから、また明日。楽しみは、明日の放課後にとっておこう。


スマホが、新着メッセージを知らせた。私はそれを見て、思わず頬を緩ませた。


『うっざ』






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