【2話】ありったけの敵意をタピオカに向ける話
1話完結の日常編スタートです。
「タピオカってめっちゃキモくないですか」
心底嫌そうな声でさくらが言うので、僕は「急にどうした」と少しばかり驚いた。
「だってカエルの卵じゃないですかどこからどう見ても。見た目も、食感も、味も──いやカエルの卵食べたことないですけど」
ある日の、帰り道のこと。
いつものように二人並んで歩いていると、不意に思い出したように、さくらがタピオカをディスり始めたのである。
「友達とか、みんなインスタにタピオカの写真上げたりしてるんですけど。それ見るたびに、うわあ友達辞めようかなって一瞬思いますね」
「タピオカへの嫌悪感やばくない?それとも友情が薄いだけ?」
「まあ、どっちもじゃないですか」
さして冗談でもなさそうな呟きは、聞かなかったことにして。僕は「ちょっと意外だな」と、心からの感想を漏らす。
「何がですか?」
「いや、だって女子高生みんなタピオカ好きじゃん?そういうの大好きなタイプだろ、お前。流行ってるから好き、みたいな」
「私のことなんだと思ってます?ただのバカだと思ってません?」
「否定はしないな」
「うぜー」
さくらは悪態を吐きながら、スマホの内カメを鏡代わりに髪をいじっている。
黒髪が纏うキューティクルが、きらきらと光の粒子を散らした。
「そもそも、タピオカとかもう時代遅れじゃないですか?もうブーム過ぎたでしょ。私の中では一生ブームなんか来ませんけど」
「まあ、前に比べたらだいぶ落ち着いた感はあるな」
僕たちの住む街は田舎で、都市部からはだいぶ離れた位置にあるけれど、それでもタピオカブームの波は押し寄せてきた。
市街地には小さなタピオカ屋が乱立し、子供から大人まで幅広い年代の人が昼夜を問わず列をなして、あの黒い球体の沈殿した液体を啜っていたわけだけど。
最近は、そう言った光景もあまり見なくなった──閑古鳥が鳴いているかと言われれば、そこまでの寂れ具合ではないが。一時期に比べたら、だいぶ人が減ったほうだ。
「なんか東京ではもう閉店ラッシュ始まってるらしいですよ」
「物事の流行り廃りってのは残酷なもんだな」
「さっさと潰れてしまえばいいんです、あんなキモイ飲み物を売るような悪徳業者は」
「言いすぎだろ……どんだけタピオカ嫌いなの」
そんな話をしているうちに、市の中心を流れる大きな川にかかる、長い橋にたどり着く。これを渡ってしばらく行くと、僕らの家がある住宅街に繋がる。
帰宅ラッシュの時間帯ともなると、橋の上の車道はとても混雑をしていた。ヘッドランプとテールランプが列をなし、絶え間なく流れを作っている。
ふと欄干の外を見れば、眼下を流れの激しい川が轟轟と音を立てていた。山の向こうに、橙色に燃える大きなタピオカが沈んでいく。
違うあれは夕陽だ。タピオカの話をしすぎて、球体がすべてタピオカに見えてきた。
「泥水にカエルの卵沈めて渡したら、大半の女子高生はタピオカミルクティーだと思って飛びつくんじゃないですか。嬉しそうにゴクゴク飲んで──うわ、想像しただけで気持ち悪くなってきた」
「もう何言ってんだよお前……」
橋を渡りながらも、さくらのタピオカdisは止まらない。
普段は本心を隠しながら多くの男を手玉に取っているさくらが、ここまで心の内を曝け出すとは。タピオカ恐るべし、とでもいうべきか。
しかし──彼女がよりにもよって、女子高生の必須アイテムとも言えるタピオカにここまで嫌悪感を示すなんて。
女心というのはわからんもんだなあ、なんて。口には出さず、さくらの話に相槌を打つ。
話しながら橋の中央あたりまで来たところで、対岸の街並みがだんだん見えてくる。
橋のふもとにあるコンビニの看板が、白色の光を煌々と放っているのが見えた。
そこで。僕はふと、とあることを思いつく。
「なあ、さくら──ちょっとコンビニ寄っていいか?」
〇
「おそい」
レジ袋を提げてコンビニから出てきた僕を見るや否や、さくらは不機嫌そうな顔で言った。
「いや、入って五分も経ってないだろ」
「体感一時間でした」
「お前の体内時計どうなってんの……」
コンビニの軒先で仁王立ちして待つさくらの隣に並ぶ。
僕は、緩みそうになる口許をこらえながら、「じゃあ、待たせたお詫びに」と言って、レジ袋の中に手を入れた。
「え、なになに?なんです?」
一瞬にして機嫌が直ったさくらは。飼い主を待つ飼い犬のように、全身からワクワクを滲ませる。
僕は少しもったいぶってから、
「ほら」
と、レジ袋の中から取り出したそれを、彼女の掌に上に乗せた。
──タピオカミルクティーである。
ちょっとした思いつき。いつもさくらに振り回されっぱなしの僕だが、今日は違う。
彼女が心底嫌いなタピオカを不意打ちで渡すことで、彼女が素で嫌がるリアクションを楽しむ。
これは僕だけの復讐ではない。今までさくらの思わせぶりな態度に振り回され、挙句玉砕してきた数多の男たちの期待を、一身に背負っているのだ。
花見川さくらに天罰を。
タピオカを受け取ったさくらは、自分の手の中にあるものを見て。
目を開き、大きな悲鳴を上げる──わけではなく。
「ごちです」
と短く言って、ストローを刺し。ズズズ、とタピオカミルクティーを啜り始めた。
「……あ、あれ?」
おかしいな?
思っていたのと、そして先ほどまでの話と違うさくらの反応に、僕が狼狽えていると。さくらは「なに?」と言いたげな目で僕を見上げる。
「……タピオカ死ぬほど嫌いなのでは?なんで嫌がらないの?なんで普通に飲んでるの?」
わけもわからないままに聞くと、
「まんじゅうこわい、って落語知ってます?」
まんじゅうこわい──まんじゅうが怖いという男を怖がらせるためにたくさんのまんじゅうを買ってきたら、逆にすべて食べられてしまったという話。
その男は本当はまんじゅうが大好物だった、とそういう話だ。
「別に私、タピオカが大好物なわけじゃないですけど。たまに飲みたくなるじゃないですか」
「……お前、まさか最初から僕にタピオカ買わせるつもりで」
あの過剰なまでのタピオカdisも、全てはこの瞬間のための布石で──僕はまんまと、彼女の思惑に絡めとられた、と。そういうことなのか?
僕は彼女の手の上で踊らされていたと。そういうわけなのか?
さくらはストローを吸った。黒い球体が、ミルクティーとともに、彼女の口の中へ吸い込まれていく。
それから、口の端を歪め。悪戯な微笑みを浮かべて、言った。
「女の子って、計算高いんですよ」