最終話 ぬけがけ禁止
カーテン越しの陽射しを感じながら、俺は心地良いまどろみに身を任せていた。
梅雨の晴れ間の陽は高く、もう昼頃だろう。
リビングからはパタパタとせわしなく誰かが動き回る音がする。
花音が食事の支度をしてるのかな。
今日は桃子さんも帰ってこないし、このまましばらく布団にくるまれて過ごそう。
俺は寝返りを打ちながら、布団を抱きしめる。
……ん、やけに存在感のある布団だな。
まるで大型犬でも抱えているような。
不審に思い瞼を開けると、眼前には俺を見つめる小さな顔。
「起きたか。随分よく寝ていたぞ」
「うわっ?!」
飛び起きた俺は全身の痛みに思わず天を仰ぐ。
のそりとベッドから身体を起こしたのは言うまでもなく藍撫葉世里だ。
今日は服を着ているのがせめてもの救いか。
「なんだ、そんなに私を見つめて。チューするのか?」
しないし布団から出てくれ。こんなとこ花音に見られたら――
ずばん。菜箸片手の百合園花音が勢いよく扉を開ける。
いきなり見られた。
「藍撫葉世里! あんたいつの間に潜り込んだのよ!」
「なんかうなされてたみたいだし。身体で癒してやろうかと」
「いいからこっち来なさい!」
ずるずる引きずられていく葉世里。再び扉が閉められる。
「なんなんだ……」
思わず独り言ちた俺の耳に聞こえてきたのは回転椅子のきしむ音。
ぎょっとして勉強机の方を見ると、濡葉弥美が俺のノートを勝手に開きながら座っている。
「本当に。彼女にはたしなみというものがないですね」
「弥美っ、お前、居たのか?!」
「ええ、ずっと」
弥美はノートを畳むと、憐みの表情で静かに首を振る。
「悠斗さん、もうちょっと予習復習をちゃんとした方がいいと思います。私、教えましょうか」
余計なお世話だ。
いやしかし。昨日の今日で俺の前に現れるとは。
むしろ俺が気まずいぞ。
それでも弥美が立ち直ったのなら越したことはないのだが。
……弥美の顔をよく見ると、泣きはらしたのか腫れぼったい目にクマができている。
「あれからずっと考えていたんです。ずっとずっと」
あ、なんか語りだした。
「私、傷付きました。悠斗さん。あなたの言葉に凄く傷つきました」
言って、悲し気に目を伏せる。
「まあ俺も少し言い過ぎたというかなんというか」
「でも私、気付いてしまったんです」
弥美は何かを悟ったような澄んだ笑みを向けてくる。
そうか、気付いたか。……って、なんに気付いたの!?
俺は思わず身を引いた。
「あの言葉って、ある意味告白みたいなものなんですね」
「……はいっ?!」
何その超展開。俺は逃げ道を探すが、ここはマンションの9階だ。
壁を背に怯える俺。弥美はベッドに身を乗り出して首に手を回してくる。
恐怖と魅了。蠱惑的な笑みが俺の眼前に迫る。
「や、弥美……?」
固まる俺。
弥美は俺の頬に唇を這わせながら、そっと囁く。
「あなたを諦めてなんてやらないから」
ふっと一瞬意識が遠くなる。
いや、気を失っている場合じゃない。こんなとこ花音に見られたら――
ずばん。しゃもじ片手の花音が勢いよく扉を開ける。また見られた。
「やーみーちゃーん!」
「あら、花音さん。ご飯、上手に炊けました?」
「弥美ちゃんも何やってんのさ! はい、部屋から出る!」
花音は容赦なく弥美を引きずり部屋から出て行く。
「なあ、花音。何が起こってるんだ。」
「え、だからみんなで――。あーっ! こら、藍撫! 勝手に触るな!」
どたどたと部屋から出て行く二人。
一体なんなんだ。いや本当に。
空いた扉から、今度はふらりと羽衣先輩が入ってきた。
俺の家、フリースペース化が甚だしい。
「冥府の風が我に語り掛ける。渇きに満ちた褥のとばりは開かれた、と」
ああ、羽衣先輩まで変なことを言い出した。いや、それは前からか。
「えーと、どういう意味でしょう」
「……あの、ユートと添い寝していいって聞いて来たんだけど」
「ガセです」
いやもう、先輩まで何やってんですか。
「せんぱーい! 先輩まで何やってんですか!」
花音も同意見だ。羽衣先輩も連れてかれそうになるが、
「百合園さんちょっと待って。一つ、言い忘れたの」
強引に花音の手を振り払う。え、なんだなんだ。
羽衣先輩は俺に向かって手をパタパタと振りながら、
「ユート、おはよ」
と、小声でつぶやく。
「あ、はい。おはようございます」
照れて顔を赤くしながら出て行く羽衣先輩。
……え、それだけ? しかももう昼だし。
「悠斗、起きたんならこっち来なさいよ。みんなでご飯用意したんだから。一緒に食べるよ」
ああもう、完全に目が覚めた。
痛む体にムチ打ちながらベッドから降りる。
パジャマを脱ごうとするが、肘の痛みに上手くボタンが外せない。
と、俺をじっと見つめる花音の視線。
「なんだよ。着替えるから先に行っててくれ」
「痛むんでしょ。じっとしてて」
答えを待たず、花音は俺のボタンを外し始める。
「ちょっと待って、一人で脱ぐから」
「なによ、今更照れなくても」
機嫌良さ気にそう言うと、ゴソゴソとボタンを外し続ける花音。
時折、花音の髪が鼻をくすぐる。
少し気恥ずかしくなった俺を視線を上げると、弥美達がジト目でこっちを見ている。
「……花音さん。言った本人が何やってるんですか」
「なんかエロイ。浮気だな、これ」
「いやいや、そんなんじゃないから! 着替えを手伝ってもらってるだけだって。な、花音?」
フォローを求めたつもりだったが、花音は悪びれる様子もなくニコリと微笑み、
「悠斗の面倒は私が見て当然でしょ」
こんなことを言い出した。弥美の表情が険しくなる。
「……百合園花音」
殺気立つ弥美を制して、羽衣先輩が一歩前に出る。
「裏切りの連鎖は疑念を呼び、陽だまりに微睡し鳥籠は荒野に放逐される。分かるな?」
『えっ』
「えっ」
思わず皆の視線が羽衣先輩に集まる。
「それ、どういう意味ですか?」
注目された羽衣先輩はあたふたしながら、人差し指を花音に向けた。
「えーと、つまり。百合園さん、それって抜け駆けじゃないのかな。また喧嘩になっちゃうよ」
弥美と葉世里は意を得たりとばかりに頷いた。
構わず花音は最後のボタンを外す。そして俺の胸に手を当てると、得意気に三人を見回した。
「正妻の余裕、かな」
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Extra Chapter やっかいさんはここにいた
……暗い部屋の中、女の白い指がキーボードの上を滑るように動いている。
時折手を止めては、マグカップのコーヒーをグイとあおる。
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<候補1>
悠斗の幼馴染で姉替わりだ。少しばかり手は早いが、面倒見は抜群だ。
彼女なら悠斗を任せてもいいと思っていたが、ここ最近急に色気づいてきた。悠斗を見る目がいやらしい。
しかも私が大阪に行っている間に何かあったみたいで、今では完全に嫁気取りだ。先日は半裸で修羅場ってたし、高一でいくらなんでもそれはないだろ。
とにかく悠斗の嫁にはどうなのか。黄色信号点灯だ。
<候補2>
驚いた。どこぞのアイドルがどっきり企画で現れたのかと思った。
しかも悠斗にべた惚れだし料理は美味いし何が起こってるんだ。
だが明らかに何かがおかしい。
いや、完全にいってる。
彼女ならまだしも、嫁にあれはまずいだろ。
悠斗をいかがわしい目でしか見ていないし、友達から初めてくれ。で、友達で終わってくれ。
<候補3>
ちっこくて可愛い。悪い子じゃないと思う。
が、なんか頭と股が緩くないか。ただ脱げばいいってもんじゃない。
ちゃんとMoreLOVEシャイニング読んだんだろうな。
悠斗の嫁にはちょっと心配だ。いや、ちょっとどころかかなり心配だ。
こいつは嫁には止めておけ。
<候補4>
話を聞いたが、どんな女なんだか全く分からん。
クォーターの美人で目隠しをしていてコミュ障で年上の部長と聞いたが、この世にそんな女が本当にいるのか。
悠斗、何かこじらせて変なことになってないか。本当はそんな女いないんだろ。
二次元は嫁には出来ないぞ――――
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そこまで一気に書き切ると、険しい表情で画面を睨みつけながら、爪でコンコンと机を叩く。
と、指先に触れる奇妙な刺繍入りの小さな布袋。
……何かのお守りだろうか。
悠斗の洗濯物のポケットに入っていたのを、つい部屋まで持って来たのだ。
「ただいまー」
玄関から若い男の声が響いてくる。
女は布袋をポケットに入れると、そのまま部屋から出て行った。
「悠斗ー、お腹空いたぞ。なんか作ってくれ」
「えー、今日桃子さん夕飯当番じゃん」
「いいだろ、私がお願いしてるんだぞ」
男はまだもごねていたが、しばらくすると観念したのか冷蔵庫を漁り始めた。
30分も経った頃だろうか。湯気の立つ皿を前に、二人はめいめいに椅子に座った。
そして、二人の声が唱和する。
「それじゃ、いただきます!」
皆様。最後までお付き合いいただいてありがとうございました。
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