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55 俺と君と君と君



 二人の男に挟まれるようにして、俺は一棟のビルに近付いていった。



 どことなく見覚えがあるのは、おそらくスマホの画面越しで見た光景なのだろう。

 ビルのエントランスはピロティになっていて、地下に続く階段が見えている。



 ……ここが会場の入り口か。



 そしてちょうど、二人組の女性が着いたところだった。


 一人は先日学校で俺を勧誘してきた二年生の薬師とかいう女生徒だ。



 そしてもう一人は――濡葉弥美。



 俺に気付くと、彼女は驚いた風に固まった。


「……悠斗さん、どうしてここにいるんです?」


 俺が答える前に、阿久津は笑顔で俺の腕を更にねじる。


「特別ゲストだよ。さ、濡葉さん。始まっちゃうよ、入ろうか」


 ただななぬ雰囲気に弥美が薬師の顔を見る。


「薬師先輩!? 一体これは」

「弥美、入っちゃだめだ! 早く帰れ!」

「大丈夫だって。さ、弥美ちゃん入って入って」


 薬師が弥美の背中を階段に向かってグイグイ押す。

 日焼け男は咥え煙草をふかしながら、弥美の肩に手を回す。


「いらっしゃい、弥美ちゃん。雑音は気にしないで入ろうか」

「え、あの」

「ちょっとあんた、なに触ってんだよ!」


 日焼け男は俺を無視して、弥美を強引に階段に連れていく。


「やくちゃん、お疲れさん。このお礼はするからねー」

「楽しみにしてまーす。じゃ、引き渡したんで私はこれで」


 この女、マジ怖い。そこまでやるか。


「え、薬師先輩。帰るんですか?」


 弥美もようやく状況を理解したようだ。

 怯えが顔に浮かび、助けを求めるように俺を見る。


「ちょっと、あんたらなにやってんだ! 弥美から手を放せ!」


 阿久津先輩は「あー、はいはい」と言いながら俺を引きずりながら階段を降りる。


 動こうにも腕をねじられてて身動きが取れない。

 腕は痛みを通り越して感覚が無くなり始めている。


 俺が暴れようとするたびに階段の壁に身体を叩きつけられる。


 それを5回ほど繰り返された頃、半ば朦朧とした意識の中で階段を降り切ったことに気付いた。



 奇妙なほどの静けさの中、部屋の扉が開く。



 扉の向こうはまるでホテルのスイートルームのような雰囲気だ。


 2~30人は優に寛げるテーブルやソファーが並んでいて、壁には大きなスクリーンがかかっている。



 ……そして、部屋には誰もいなかった。



 不自然なほど静まり返った部屋の中にはさっきまで誰かがいたように、グラスや酒瓶が並んでいる。


 スクリーンにはプロジェクターの設定画面が青く写っている。


 まるで神隠しだ。


「田代さん、誰もいないんですけど!」

「はあ? んなわけあるか。おい、暴れるな!」


 阿久津は慌ててスマホを取り出す。


 腕が自由になった隙に俺は階段に駆け寄った。


 階段の中ほどでは弥美と男がもみ合っている。俺は階段を駆け上がると日焼け男に飛びついた。


「弥美、逃げろ!」


 全力でしがみついているにも関わらず、簡単に振り回されて壁に叩きつけられた。


 やばいぞ、こいつにも全然勝てる気配がない。


「お前、離れろ! おい、阿久津、こっちを手伝え!」


 ここで引きはがされたらもう終わりだ。

 俺は相手の腰にしがみ付きながら、階段の角に靴の裏を当て、思い切り足を延ばした。


 タイミングが合ったのか、二人の身体がふわりと宙に浮く。


 俺はそのまま男の身体を持ち上げるようにのけぞった。

 俺達はもつれあうように階段を転げ落ちる。


「……いてて。って、うわっ!」


 飛びかけた意識を必死に捕まえながら体を起こす。


 俺の身体の下には気を失った男の身体。


 良く考えれば、階段の上から思い切りぶん投げたようなものだ。

 まさか、死んじゃいないだろうな。


「くそっ、誰も電話に出ねえ。おい、笹川! これはどういうことだ!」


 そんなこと俺だって知らないぞ。


 満身創痍の俺に、殺気立った阿久津が近付いて来る。

 無駄とは分かりながらも、それっぽく構えてみる。


 よし、今度は一対一だ。少しはいい勝負をしなくては。


 ……と、思うのだが、立ち上がった俺の足は生まれたてのトムソンガゼルのように震えている。

 

 うん、完全に電気切れだ。

2秒でやられる自信がある。


 せめて、時間だけでも稼いでみよう。目標は15秒だ。 


 俺は構えを解くと、余裕たっぷりな表情で腕組みをしてみせた。足はプルプル震えているが。


「先輩。ひょっとして、まだ気づかないんですか?」

「は?」


 阿久津の足が止まり、俺を訝し気に睨みつける。よし、5秒は稼いだぞ。


「この部屋に誰もいない理由、ですよ」

「どういうことだ。説明してみろ」

「説明、ですか?」


 ……特に考えてない。少し時間をくれないか。


「めんどくせえ。お前の身体に聞けばいいだろ」


 やばい、俺の身体に聞かれちゃう。


 ……いや、冗談言ってる場合じゃないぞ。

 これで15秒は稼いだが、この隙に弥美、逃げてくれただろうな。


 残り2秒の命を覚悟した刹那、横から小さな影が飛び込んできた。


「悠斗さん、逃げて!」


 弥美だ。


 弥美は阿久津の胴体にしがみつくが、小柄な彼女は簡単に投げ飛ばされた。


「弥美!」


 もう、駆け引きしてる場合じゃない。

 俺は覚悟を決めて阿久津に飛びついた。


「弥美に手を出すな!」

「うるせえ! 離せよ!」


突き飛ばされてよろめいた俺の耳に、階上からの複数の足音が聞こえてくる。

 

 まずい、仲間が戻ってきたのか。



「留蔵、車出すのちょっと待って」

「!?」



 聞こえてきたのは思いがけない、しかし聞き慣れた声だ。



 開け放しの扉から、階段を降りてくる見慣れた安全靴が見える。


「まだ二匹残ってたわ。回収するから一緒に乗せて行って」


 スマホ片手に指示を出しながら、部屋の中に入ってきたのは言うまでもない。



「花音! どうしてここに?!」



 花音は厳しい顔で部屋をぐるりと見回すと、片手を上げて背後に合図をする。

 数人の男がずかずかと部屋に入ってくると、床にのびている日焼け男を抱えた。


「お嬢、これで最後ですね」

「ええ。あ、その細いのと女の子は置いてって。私の友達だから」

「お前ら、なんだよ! 放せよ!」


 阿久津もガタイのいい男達に両脇を抱えられて運び出されていく。



 ……ちょっと待って、何この光景。今日一番怖いんだが。



 呆然と立ち尽くす俺に、花音はスマホをしまいながら軽い口調で、


「じゃあ悠斗、弥美ちゃんを送ってあげて。後はこっちで始末つけとくから」


 言って部屋を出て行こうとする。


あれ、もう一個、大切なことがあるぞ。 


「羽衣先輩! 先輩を見なかったか!? こいつらに連れてかれて」

「ああ、先輩なら無事よ。家まで送らせたわ」


 花音は更に何か言おうとして、首を振りながら溜息をついた。


「朔太郎は道で行き倒れてるし、あんたら一体なにやってんのよ……」

「いや、ごめん。えーと、でも」


 何から聞いていいのやら。


「しかし、なんでこの場所が分かったんだ?」

「GPSのアプリ」

「え?」 


「あんたの位置情報を追いかけてきたのよ。で、後は人海戦術。WINGSの代表がここに入ってくのを、うちの若いのが見つけたってわけ」

「いつの間に俺のスマホ情報を」


「朔太郎も、先輩も。……まあ、ついでに藍撫葉世里も」


 苦々し気に付け加える。


「揃いも揃って、あんたが無茶するんじゃないかって私に相談してきたのよ。後は秘密」


 そうなのか。花音に無茶をさせないようにと余計な気を使い、却って迷惑をかけたのか。


「……相変わらずだな、俺」

「ん? なにが?」

「ひょっとして、この部屋に誰もいなかったのって」


 いやまあ、さっきの光景を見れば大体想像はつくけれど。

 花音はそれには答えず困ったように頬を掻いた。


「まあ、悠斗が来る前に全部済ませちゃいたかったけど」

「あの、その、連れて行かれた人はどうなるの……かな?」



「心配しないで」


 花音は少し自慢げににやりと笑って見せた。



「うちの留蔵は”教育”がとても上手なの」



                 ◇



 嵐のように全てが過ぎ去った。


 地上に出た俺は大きく息を吸おうとして、口に溜まった血混じりの唾を吐き捨てた。


 あー、なんか歯も欠けてるぞ。


 改めて息を吸うと、呆然と立ち尽くす弥美に気付いた。

 そうか。これがまだ残ってたか。


 俺は頭を掻きながら、弥美に歩み寄る。

 俺に気付いた弥美は不安そうな瞳で俺を見上げた。


「弥美、途中まで送るよ」

「あの、でも」

「いいから」


 俺は弥美の手を掴むと歩き出す。


 胸の中を色々な感情が渦巻いている。

 口を開けば何を言ってしまうのか分からない。俺は黙ったまま弥美の手を引き続けた。


「ごめ、ごめんなさい。私、こんなことになるなんて」

「もういい。いいから」


 俺達は黙って歩き続けた。

 川沿いの遊歩道に来ると、ようやく手を放す。


「ここ抜けて、駅の方に戻ろう。タクシー拾うから、ちゃんと家に帰るんだぞ」

「ありがとう。もう大丈夫だから、私に構わないで」


 言い残して立ち去ろうとする弥美。俺は思わず腕を掴んだ。


「……なんですか?」

「朔太郎の奴だけどさ」


 奴の無邪気な表情が目に浮かぶ。


 あいつは自分の興味にも気持ちにも正直だ。

 女の子が好きで、友情に厚くて、ちょっとばかりずれている。


「お前を心配して。クラスの筒井だっけ? あいつと友達になって、WINGSの情報を仕入れてくれて。それがなけりゃイベントの存在自体、俺達は知らなかった」


 俺、何を言ってるんだろう。


「葉世里の奴も、あんなんだけど。色々なところに入り込んでスパイ役を務めてくれた」


 弥美の表情が険しくなっていくのが分かる。


 この話って、今言うことじゃないかもしれないが、でも言わなきゃいけない気もする。


「羽衣先輩は。気を失いそうな思いをしながら今回の情報を阿久津から聞き出して。今日なんてもう少しで、弥美の巻き添えになるとこだった」


 あの日、三年生の教室の近くまで手を繋いで行った時。先輩の手はずっと震えていた。


「花音だって、現在進行形でやばい橋渡ってんだぞ」


 俺に何も言わず、会社の人達まで巻き込んで。


「……全部、私が悪いんですね」


 弥美は絞り出すように低く呻く。


「みんなにこんな迷惑かけて。私のこと、怒ってるでしょうね」


 こいつ、何言ってんだろう。


 俺は一瞬、本気で他の生き物でも見ている気分になる。


「皆に合わせる顔がないです。本当、私は最低なんです。私なんて、みんなに呆れられて当然です」

「ああ、最低だよ。ホント呆れるよ」


 弥美は俺を睨みつける。


「好きなだけ私を責めればいいんです。だって私が全部悪い――」

「少し黙っててくれ!」


 思わず大声が出る。

 俺は弥美に向き直ると、彼女の目を正面から見据えた。


「お前さ、仲間をこんな目に合わせて、それでも私、私って!」

「私、そんなつもりで言ったんじゃ――」


 弥美は傷付いたように顔を曇らせ、目を逸らす。

 俺は弥美の肩を掴むと、強引に俺を向かせる。


「それでも俺達のところに戻ってこい! お前、一人で居ちゃだめだ!」

「なんで?! 私なんてこんなに最低で――」

「知ってるよ!」


 俺は噛みつくように叫ぶ。


「弥美のどうしようもない所なんて、俺達みんなとっくに知ってるよ!」

「ならなんで――」


 弥美の瞳には混乱と怒り、そして期待の色が入り混じって浮かんでいる。


 いたたまれなくなり、今度は俺が目を逸らす。


 弥美の抱えている心の闇。


 それはずっと彼女の一部で、ずっと抱えていかなきゃいけない。


 俺はそれを代わりに抱えてやることはできないが、でも。


「それでも、それでもだぞ! どいつもこいつも弥美を助けようって集まったんだ。つーか、揃いも揃ってあいつらお人好し過ぎだろ!」



 俺はもう一度、弥美の瞳を正面から見つめた。



「諦めろ。俺達みんな、お前を見捨ててなんかやらないから」



 スッと、弥美の瞳から涙が一筋流れた。



 それを合図に、弥美の瞳から大粒の涙が次から次にあふれ出す。



「悠斗さん……悠斗さん……私……私……」



 それ以上は言葉にならず、弥美はわんわんと子供のように泣き出した。



 こんな時、映画のヒーローなら抱きしめて慰めてやるのだろうか。


 ――でも俺は、彼女のヒーローにはなれない。


 

 俺はぎこちなく弥美の頭をポンポンと叩く。



「俺達みんな、弥美のことを待ってるから。戻って来いよ」




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