54 俺と君と君
俺は痛む喉から荒く息を付きながら周りを見渡すが、車の影も形もない。
もちろん羽衣先輩の姿もない。
しかし、位置はここのはず。
俺の居場所を示す矢印と羽衣先輩の矢印は重なっている。
俺はあることに思い至り、羽衣先輩のスマホに電話をかけた。
スマホから聞こえるコール音から一瞬遅れて、足下の植え込みから聞こえた猫の声は。
―――羽衣先輩のスマホの着信音だ。
全身から血の気が引いていく。
音の先、埋め込みの中にヒビが入ったスマホの着信画面が光っている。
恐る恐る手に取る。
画面には「ユート」の名とうたた寝している俺の横顔。
……いつ撮ったんだ。
羽衣先輩、俺の寝顔を撮って。それを着信画面にして。
そんな羽衣先輩を俺は大変な目に合わせようとしているのか。
「くそっ!」
考えろ考えろ考えろ。
奴らの目的地はこの界隈のはずだ。
なにしろ相手は車だ。
俺に気付いていて「まく」つもりなら造作もない。
目的地が旧市街で無ければ、そのまま向かえばいいだけだ。国道に出れば自転車では追いつけない。
意味もなく旧市街に来るメリットは一つもない以上、ここが目的地であるはずだ。
経由地である可能性もあるが、奴らのイベントのSNSはこの界隈での話題が多い。
過去にBDイベやその下のグレードのPLイベが行われた形跡もある。
SNSか。俺は奴らのサークル主催者のアカウントを確認する。
『今日は久々のBDイベ開催、これから会場入りです! 二人の女神が降臨予定!』
サングラスをかけた自撮り顔と、背景はどこだこれ。
……なんか見覚えがあるぞ。
確か古い投稿で見たことがある。
旧市街の川沿いは遊歩道になっていて、夏場にはライトアップもされている。
投稿時間は15分前。
俺はふらつく足でもう一度ペダルに力を込めた。
◇
「み、見つけた……」
駐車場の黒いミニバンの姿に、俺は半ば感動しながら自転車から降りた。
車にはすでに誰も乗っていないが、羽衣先輩を連れ去った車に間違いない。
なによりご丁寧にWINGSのステッカーまで貼ってある。
さあ、次はどうやって探すか。
あたりには人っ子一人見当たらない。
この辺りなのは間違いない。
手あたり次第走り回るか? しかし、会場がマンションの一室とかなら、それだけでは難しい。
俺はふと、車のガラスに貼られた「警報装置作動中」のシールに目が留まった。
ガラスをガンガン叩いてみる。
――何も起こらない。
体重をかけて車を揺らしてみる。
――やはり何も起こらない。
どうしたものかと見回すと、車止めにブロックが置かれている。
……おもむろにそれを持ち上げる。
一つ深呼吸。
俺は覚悟を決めてブロックを振り下ろした。
◇
鳴り続ける警報装置。
間もなく駆けつけてきた日焼けをした男は激しく悪態をつきながら、車の凹みを調べている。
なんか男の悪態に「殺す」って単語がやたら含まれてるのが気になるが。
俺は物陰で様子を見守っていたが、出て行くよりも男の後をつけようと心に決めた。
なんか怖いし。
早いとこ、会場に向かってくれないか。
「お前、ここで何やってんの?」
聞こえるが早いか。俺の腕に激痛が走る。
「痛たたたっ!」
背後から俺の腕をねじり上げるのは3年の阿久津だ。
阿久津は俺と車を見比べるとおおよその事情を察したのか。
問答無用で俺を引きずっていく。
「田代さん、なんかこいつそこに隠れてましたよ」
「は? 誰だよそれ」
「うちの一年で、濡葉弥美の元カレっすよ」
「車壊したのお前か?」
田代とかいう日焼け男はくわえ煙草で怒りの表情を俺に向けてくる。
まあ、そりゃそうだ。
「あの、その」
言葉に詰まっていると、阿久津は苛々と俺を掴む腕に力を込めた。
痛みに思わずうめき声が漏れる。
「うわ、まじ酷いっすね。ちゃっちゃと警察呼びましょうよ」
「警察は駄目だ。見せらんねーよ」
この車、見せられないような何かがあるのかよ。
日焼け男は俺の顔をじろじろ眺めると、煙草の煙を吹きかけてくる。
「しゃーない、こいつも連れてくぞ。金はこいつの親から取りゃいいや」
「いいんすか?」
男は煙草を投げ捨てると、冷たい目で俺を見下ろした。
「弥美ちゃんの元カレとか、盛り上がるじゃん。最高のオーディエンスだろ」