51 羽衣さん頑張る2
――目の前に飛び出してきた男子生徒。
猫をこねくり回していた先輩から小さな悲鳴が上がる。
「朔太郎。そんなに急いでどうした」
その男は朔太郎だ。走ってでも来たのか、ぜいぜいと息を切らして座り込む。
「ゆ、悠斗……ここ……に、いたのか」
「ああ、朔ちゃんか。随分イメージ変わったね」
ホッとしたように警戒を解く羽衣先輩。
あれ、なんだその親し気なあだ名。
ちょっと聞いてないんだけど。
「悠斗、ちょっと話があるんだが」
……俺も朔ちゃんのこと詳しく聞きたいんだが。
朔太郎はまだも大きく息をしながら、ちらりと羽衣先輩を見る。
「弥美のことなら、先輩も事情は知ってる。構わないからここで話してくれ」
「ああ、分かった。聞いた話によると、今度開かれるWINGSのBDイベに弥美が参加するらしい」
……構わないが全然分からん。
「つまりだな、連中の開催するイベントにはグレードってのがあるらしくてな」
「グレード?」
「ああ、そうだ。筒井も参加できるような合コンイベントはクリスタルとかいうグレードで」
「はあ。クリスタル」
「規模や参加費によってオパールとかエメラルドとかグレードが上がっていって、一番上はブラックダイヤモンドってのがあるらしいんだ」
「はあ、それでBDか」
待てよ。奴らのSNSの書き込みに、OPイベとかBDイベとかいう言葉があった気がする。
「筒井が言うには、一番上のグレードは一部の幹部やスポンサーだけが参加できるイベントで、中身は完全非公開。つまりは幹部お気に入りの女の子を連れ込む場になってるんだ」
「そんなところに連れ込まれたら、流石にヤバいんじゃないか?」
「ああ、かなり黒い話が聞こえてくる。流石の筒井も心配みたいで、こっそり俺に教えてくれたんだ。だけど時間や場所は分からないみたいで」
筒井君、結構いい奴だ。
「じゃあ、この辺のカラオケや居酒屋に手当たり次第に問い合わせれば」
「基本、貸し切りのパーティールームやマンションで開かれるんだ。会場も幹部しか知らないし」
ではどうする。
とにかく、弥美を捕まえて参加を止めるしかない。
弥美が家から出てくるのを待ち伏せて、説得するか?
「ブラックダイヤモンドって奴なら。3年の阿久津が参加するみたいだぞ。弥美の『お披露目』って言ってたな」
いつの間にか隣に居た葉世里がお菓子の袋を俺に差し出す。
「葉世里、居たのか」
「ああ。食うか?」
「食うけど。なんでそんなこと知ってるんだよ」
カリカリカリ。これ、雛あられだ。
確かにこれも余るよな。
「ここんとこずっと連中が話をしているところに居たからな。話の内容から自ずと判明する」
カリカリカリ。最近姿を見ないと思ったらそんなところに。
「居たって、あいつらと知り合いなのか?」
「その場に勝手に居ただけだ。堂々としてれば意外とどうにかなるもんだぞ」
どうしてまたそんなことを。
「ひょっとして、弥美のためか?」
「それも正妻の気遣いだ。惚れ直すだろ」
葉世里は雛あられのカスを頬に付けながらドヤ顔をして見せる。
惚れ直そうにも惚れては無いが、今回ばかりは見直した。
脱ぐ以外にも特技があるんだな。
「じゃあ、阿久津先輩からイベントについて聞き出せば――」
「無理だろ」
「無理だな」
朔太郎と葉世里のユニゾン攻撃。
うんまあ、俺もそう思う。じゃあ、どうすれば良いのか。
悩む俺を見かねたか、羽衣先輩は膝の猫をデッキに下ろすと、
「秘密の扉は力ずくでは開かぬものだ。得てして符牒は寝物語の囁きにて語られる」
そんなことを言い出した。えーとつまり。
「色仕掛けってことですか?」
とはいっても一体誰が。
思わず葉世里に視線を向ける。
……なんというか。
背徳感こそあるが、色々と無理がある。
女に不自由してなさそうなイベサー幹部を色仕掛けれるほどの女性に心当たりなど――
え、まさかひょっとして。
「羽衣先輩?」
「……我が一年生の時も、その者に随分しつこく勧誘されたのだ。その時は邪眼の力で退けたのだが」
うっかり忘れがちだが、羽衣先輩もかなりの美人だ。
良からぬ連中に目をつけられていても不思議ではない。
「遊宴に加わるのを希望すれば、シュレディンガーの猫すら箱から這い出てくるだろう」
何言ってるか微妙に分からんが、多分イベントに参加するふりをして場所と時間を聞き出してくれるのだろう。
「でも、危ないですよ。何かあったら」
「案ずるな。部の可愛い後輩のためだ」
羽衣先輩はきっぱり言うと、大きく息を吐いてから目隠しをほどき始める。
「目隠し、外していくんですか?」
「え、付けたままでも大丈夫かな」
「……すいません、駄目だと思います」
嘆息して羽衣先輩が目隠しを外し終える。
葉世里がちょこちょこと歩み寄り、先輩の髪を手櫛で直した。
「うん、これで大丈夫。流石悠斗の第四婦人だ」
何か随分失礼な事を言っているが、先輩は構う余裕もないらしい。
青い顔でふらつきながら立ち上がる。
「ちょっと、先輩。大丈夫ですか?」
「だ、だだ、だ、大丈夫だ。悠斗が練習、してくれたからな」
言葉とは裏腹。ちっとも大丈夫そうではない。
羽衣先輩は自分の頬をパチンと叩くと、それでも勇気が出ないのか。
俺に震える手を差し出した。
「……途中まで手、繋いでくれる?」