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05 幼馴染 ~百合園花音

 夢を見ていた気がする。


 どんな夢かは思い出せなかったが、俺は寝ぼけ眼に映る光景に胸を締め付けられるような懐かしさを感じた。


 朝日の差し込む部屋の中、壁に掛けた俺の制服にブラシを掛ける彼女。

 慈しむような横顔は、印象も薄れつつある母親の面影だ。


「……あれ、花音かのん。おはよう、来てたのか」

「おはよう。悠斗、早く起きないと学校に遅れるわよ」


 百合園花音ゆりぞのかのん

 朔太郎と同じ、幼稚園の頃からの幼馴染だ。


 すらりとした細身の肢体にも関わらず、やたらエネルギッシュで俺を引っ張り回す。


 ……月曜日かー。

 俺は今日から始まる一週間を思いながら大きく伸びをした。


「しっかり朝ご飯食べないと大きくなれないよ」

「あーうん、ちゃんと起きるから。ご飯、先に食べてて」


 いつの頃からだろう。花音かのんが俺の家で時々一緒に朝ご飯を食べるようになったのは。

 ぼんやりと思い出そうとしながら、机の上に並んだ着替えを手に取った。


 あれ、着替えの準備なんてしてたっけ。


 モソモソと服を脱いでいると、俺の身体をじっと見つめる花音かのんの視線。


「なんだよ。エッチ」

「悠斗、あんた相変わらず細いわね。そんなんじゃ現場の職人に舐められるわよ」


 なんだその価値観。そもそも俺、現場に出ないし。


「ちょっともう、着替えてんだから出ててくれよ」

「ほいほい、朝ご飯冷めちゃうから早く来なさいよ」


「あ、ちょっと待って花音かのん。俺の部屋、鍵かかってなかったっけ」

「大丈夫、合鍵持ってるから。ほら。このマンション、パパの会社で施工したから」


 えーと、全然大丈夫じゃない気がします。


「だからその、俺にもプライバシーとかあるわけで」

「やーね、朝からいやらしい話は止めてよ。朔太郎じゃあるまいし」


 え、嘘。今の会話にいやらし要素あったっけ。

 上着に袖を通しながらリビングに出ると、食卓には叔母の桃子さんがついたところだ。


「おはよう、桃子さん」

「おはよう。そしてお休みだ悠斗」


 眠そうな顔に笑みを浮かべながら、缶ビールの蓋を開ける桃子さん。

 おそらく徹夜明け、一杯やって寝るつもりだろう。


 そんな桃子さんは母の年の離れた妹で、俺と一回りも離れていない。

 謎の漫画家活動を生業としており、8年前からこのマンションで俺と二人で住んでいる。


「桃子姐さん、お疲れ様。寝る前だしこのくらいでいいかな」 


 花音かのんは手早く酒の肴を並べ出す。

 茹でピー、さつま揚げ、肉豆腐。


「いいねぇ。うち、ほとんど男所帯みたいなもんだから、こんな気の利いたものなんか出てこないし」

「作ったの肉豆腐だけですけどね。悠斗の分もあるから、夕ご飯に食べて」

「ありがと。花音かのん、出汁変えた?」


 味噌汁を啜りながら納豆をかき混ぜようとして、小鉢を倒しそうになる。


「ちょっと、いっぺんにやんないの。ほら、混ぜといてあげるから」


 花音かのんは俺から納豆の小鉢を奪い取ると、猛然と混ぜ始めた。


「悠斗、辛子苦手よね。醤油とネギだけでいい?」


 俺達を眺めながら桃子さんはニヤニヤ顔でビールを啜る。


花音かのんちゃん、もううちにお嫁に来ちゃえばいいのに」


 飲むと決まって出てくる桃子さんの口癖だ。

 今まで何十回聞かされたか分からないが、そのたびに動揺する俺はやはり修行が足りない。


「あはは、ないない。悠斗は弟みたいなものだし」

「いやいや、悠斗じゃなくて私のところに嫁に来ないか。大事にするぜ」

「あー、桃子姐さんのとこならいいかなー」


 もう、勝手にやっててください。

 俺は焼きサバをほぐしながら、先日のことを思い出していた。


 おっぱい、じゃなくて占い師から譲ってもらったお守りはポケットに入っている。

 あの話を本気で信じているわけではないが、ひょっとしたらという気持ちがどこかにあるのは否定しない。


 うわの空で味噌汁を飲んでいると、花音かのんが俺に向かって何か話しかけている。


「出汁、アゴをもらったから少し入れてみたの。美味しい?」

「ああ、なんか香ばしくて美味しかったよ」

「へえ、使う前にちょっと炙ったのよ。良く気付いたね」


 お褒めにあずかり光栄です。


「へへ、そうか分かったか」


 なぜだか花音かのんは嬉しそうに呟きながら、味噌汁を飲んでいる。

 まあ、機嫌がよいならそれが一番。


「はい、ごちそうさまでした」


 食べ終えた俺が手を合わせると、桃子さんがグラスを箸でチンチン叩く。 


「おーい、悠斗。私のグラスが空なんだけど―」

「もう、酒くらい自分で用意しなって」 


「桃子姐さん、次は麦のロックで良かったよね」

「あれ。花音かのん、もう食べたのか」 


 俺らの世話を焼いていたはずの花音かのんの茶碗はすでに空。

 焼きサバに至っては骨一本残っていない。


「現場監督は早飯も仕事の内だからね」

 

 花音かのんは手早く焼酎のグラスを桃子さんの前に置くと、食器を流しに運ぶ。


「桃子姐さん、すいません。食器はお任せしますね。悠斗、歯を磨いたら早く出ないと。あんた顔も洗ってないでしょ」


 食後のお茶でも飲もうと急須を取り出していた俺は洗面所に引っ張られ、並んで歯を磨く。


「ほら、まだ目ヤニが残ってる」

「痛いって! 顔くらい自分で拭くから」


 なんだか今朝の花音かのんはやけに世話焼きだ。俺はタオルを洗濯カゴに放り込む。


「さあ行くよ。ハンカチ持った? トイレも大丈夫?」


 これじゃ弟どころか完全に子供扱いだ。


「大丈夫だって。桃子さん、それじゃ行ってきます」

「ほいほい、いってら~」


 茹でピーを口に放り込みながら上機嫌の桃子さん。

 酒宴はこれからが本番のようだ。


 花音かのんは安全靴に足を入れ、玄関の鍵を閉めると急ぎ足でエレベーターに向かう。

 ここまではいつもの光景。が、何か違和感が一つ、


「なあ。そういえばお前、なんで玄関の鍵まで持ってるんだ」


 俺のもっともな疑問に、花音かのんは腰に工具ベルトを巻き付けながら当然のような口調で応えた。


「この部屋の合鍵は一通り持ってるから。言ったでしょ、施工はうちの会社だって」

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