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39 嫁なら普通の事です



「ただいま……」


 俺は息も絶え絶えで玄関に崩れ落ちた。


 街中を走り回った上、ロビーを避けて裏口から避難階段を9階まで登ってきたのだ。

 マンション裏が張られていなかったのは幸いだった。


 返事は無い。


 今日は確か桃子さんは締め切り前で家にいるはずだが。

 灯りは付けっぱなしだし、コンビニにでも行っているのか。


「まさか締め切りから逃げ出したんじゃないだろな」


 俺は穴の開いた靴下をゴミ箱に放り込むと、汗だくの身体を引きずり風呂場に向かった。


 靴を犠牲にしてまでとにかく無事生還したのだ。

 熱いシャワーを浴びているとようやく肩の力が抜けてくる。


 よし、色々あった気はするが、気にするのは明日からにしよう。


 俺が出の悪いシャンプーボトルに苦戦しながら髪を洗っていると、脱衣所に人の気配がする。

 桃子さん、帰ったか。


「シャンプーの替えならその辺にでも置いといて。後で足しとくよ」


 返事は無く、風呂場の扉が開いて閉じた。


 そして思いがけなく、ひたひたと素足で歩く音が背後に迫る。


「どうしたの? 背中でも流してくれるの?」


 桃子さん、どういう風の吹き回しか。


「うむ、嫁だしな。遠慮はいらない」


 え、この声って。



「葉世里っ?!」



 驚いて振り返った俺の目に、輝くばかりに白い葉世里の裸体が映る。



「ふぁっ!!!???」



 裸?! なにやってんだ、こいつ!


 俺は慌てて正面に向き直り、頭からシャワーを被る。


「なっ、ななななな! なに、なにしてんだお前っ!」


 何なんだ。ホントになんだ。完璧に見えたぞ。丸見えだ。


「折角なので背中を流してやろうかと」


 俺の背中を手の平で撫でる葉世里。


 俺の身体を電流が走る。


「ふぁぁっ!!! なんで素手なんだ?!」

「どのタオル使えばいいのか分からなくて。ああ、石鹸付けてなかったな」


 葉世里よ、石鹸は却って駄目だ。


「もう大丈夫! 俺先に出るから、ごゆっくり!」


 その場を逃げ出そうとした俺は、シャンプーで足を滑らせた。


「おっと危ない」


 後ろから俺を抱きとめる葉世里。

 背中に当たる柔らかい感触。


「っっっ!!!!!」 


 ああもう限界だ。俺はバスタオルをひっ掴むと、リビングに転げ出た。


「まっ、待って待って! 服着ろって! 見えてるって!」


 よーし、落ち着け俺。

 吸う・吸う・吐く。吸う・吸う・吐く……


「葉世里、何でお前がうちの風呂にいるんだよ!」

「桃子おばさん、いつでも遊びにいらっしゃいと言った」


 藍撫葉世里が素肌にバスタオルを巻いただけの格好で脱衣所から姿を現す


 ピンポンピンポンピンポンピーンポーン


「ひっ?!」


 追い立てるように容赦なく鳴り響くチャイム連打の音―――




 ……そして事ここに至る。


 俺の身体の下には全裸の藍撫葉世里。


 玄関の扉が開く音、廊下を近付いてくる足音。


「悠斗っ、大丈――」

「花音! ちょっと待っ――」


 扉が勢い良く開けられ、飛び込んできた花音と目が合った。


 永遠にも感じられる一瞬の後。力任せに扉が閉められる。 


「やっ、やややややや! 弥美ちゃん駄目! 入っちゃ駄目!」

「なんでですか? 悠斗さんに何か?」


「あの、それが、悠斗の奴、風呂上がりで全裸なの! 全裸!」

「あら。それならむしろ」


 何がむしろだ。


 扉の向こうで揉み合う二人。


「いやいや、服着るまで待たないと! 優斗ーっ、私達ロビーに出てるから! 後でまたね!」


 花音は弥美を引きずるようにして出ていった。




 ……嵐のような数十秒。俺は放心しながら、立ち上がった。


 葉世里はバスタオルで身体を隠しながら、身体を起こす。


「悠斗、なんかまずかったか」


 いやそれはもう色々と。

 俺もバスタオルを腰に巻き付ける。


「そもそもなんでお前、家にいるんだよ」

「桃子叔母さんが入れてくれたぞ」


「じゃあ、当の桃子さんは?」

「2.5次元の世界に行くから探さないでくれと伝言を預かっている」


 桃子さん、締め切りから逃げやがったな。


「それで、叔母さんが男子はこうすれば喜ぶって漫画を貸してくれたんだ」


 ソファには桃子さんが集めている「MoreLOVEシャイニング」が。いわゆるラッキースケベ系少年漫画の名作だ。


 ……大体分かった。元凶は全て桃子さんだ。


「とにかく今日は服着て帰ろうか」

「え、でも漫画がちょうどいい所で。急に出てきた委員長と主人公がくっつきそうな流れなんだ」


 読んでないけど大丈夫。多分くっつかないから。


「よーし分かった。漫画も好きなだけ貸すから早く服を」


 視界の端にチラチラと映る葉世里のタオル姿に、目のやり場というかなんというか。油断すると風呂場の光景が目に浮かぶ。


 その時、俺を追い立てるように鳴り出すスマホ。この着信音は花音だ。俺は半分開き直りの境地で手に取った。


 ……よくよく考えれば俺が何をしたというのだ。

 仮に葉世里と事に及んでいたとしても、花音に色々言われる筋合いはないぞ。


 よし、ここは一つガツンと。


「もしもし、花音か」

『……お楽しみ中のところ悪いけど。屋上、鍵開けといたから。服着たらすぐに来て』


「え、あの」

『連れ込んだ女には帰ってもらって』


 俺が連れ込んだわけではないんだけど。


『返事は?』

「……はい」


 喧嘩腰なのは良くないよね。うん。


「葉世里、スペアキーを置いとくから。着替えたら閉めて帰ってくれ」

「合鍵、か」

「そういう意味じゃないからな! 郵便受けにちゃんと返しといてくれよ。いや、マジで」


 聞いているのかいないのか。葉世里は勝手に冷蔵庫の牛乳を飲んでいる。



 ……いいから早く服着て帰ってくれ。



 

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