38 女子中学生の口を塞いで物陰に
……俺は塀の陰から通りの様子をうかがった。
人影はない。俺はさらに数秒待ってから、次の物陰に移動する。
手首から革ベルトを外しつつ、俺は思わず身震いをする。
放課後に行われる連日の儀式から、四日目にしてついに脱出に成功したのだ。
俺は荒い息を付きながら横目でスマホを確認する。
《あの小娘に汚された魂を浄化しないと》
《早くしないと》
《ねえいま》
《どこ》
俺は増え続ける弥美からのメッセを見ながら、冷静に考えを巡らせる。
《逃げても》 《見つけるから》
《無駄》
《だから》
彼女の自宅は隣の市だ。しかも学校に転入してきて一月も経っていない。
土地勘が無い彼女は探すにしても大通りを中心に探さざるを得ないはず。
俺は大きく迂回しながらマンションへの距離を詰めていく。
その時スマホに着信が。花音からだ。俺はためらいながらも通話にでる。
「花音か。悪い今、ちょっと忙しくて」
『あー、弥美ちゃんでしょ。ちょっと頭に血が登っちゃてるかな』
花音は随分と冷静さを取り戻しているようだ。思わず胸を撫で下ろす。
『任せて。私が上手いこと言っておいてあげるから。で、今どこに居るの?』
「塚田団地の方を回ってきてるから、えーとどこになるかな」
『周りに何か場所が特定できそうな目印とかは?』
俺はあたりをぐるりと見まわす。
「えーと。あ、平和マートの看板が見えるな」
『分かった。じゃあ、そこで合流しましょ。着いたら動かないでね』
良かった。これで助かりそうだ。
平和マートに向かおうとした俺の足がピタリと止まる。
……何か話がうますぎやしないか。
「花音、今一人なんだよな?」
『うん、そうよ』
「…………」
『……で、悠斗いまどこに居るのかな?』
俺は通話を切ると周りも見ずに走り出した。
百合園花音、お前もか。
◇
マンションと目の鼻の先にまでたどり着いた。
さて、問題はここからだ。
用心して大回りをし過ぎた。逃亡が判明してからの時間からすると、追手はマンション近くにいるはずだ。
ふと、弥美からメッセが届いているのに気付く。
《嘘だから》
《ねえ私がそんなこと》
《嫌いになった?》
《みんな学校で待ってるから》
《早く戻ってきて》
なるほど、みんなは学校に居るのか。
では今の内に真っすぐ帰れば逃げ切れる。
俺は物陰から出ようとして、何かを感じて身を留めた。
……弥美に限ってそんな分かりやすい隙を?
俺はマンションの管理人室に電話をかけた。
「すいません、901の笹川ですが」
『ああ、君か。相変わらず隅に置けないね』
……予想通り。
ロビーに「こないだも来た凄く可愛い女の子」が待っているとのことだ。
「あ、このことは彼女には秘密にしておいてください。ええ、そうです。サプライズがあるので」
よし、これで弥美の居場所は押さえた。
では花音はどこだ。ロビーに弥美が張っているということは、マンションの周りで俺を探しているのか。
一か所に留まると危険だ。俺はマンションの裏手に向かって移動を開始した。直後、俺は視線を感じて立ち止まる。
……つけられている?
俺を追う黒い影が視界の端にちらついている。
俺は再び足を早めてその場を離れる。
黒い影は付かず離れずでついてきているようだ。
黒と言えば羽衣先輩だが、あの人は目隠しで回りがよく見えないはずだ。
はたしてこんな機敏な動きができるのか。
俺は一旦やり過ごそうと、大人一人が通れるほどの建物の間に身体を滑り込ませた。
「っ?!」
途端、片足が引っ掛かったように地面に張り付く。
慌てて踏み出そうとしたもう片方の足も動かないことに気付いた時には、何もできずに地面に倒れていた。
え、なんだこれ。
「粘着シート!?」
そう、俺は一面に張られた粘着シートに足を取られ、無様に転んだのだ。
こんなことをするのは。
「哀れなものだ。我が秘奥義『逡巡の無限回廊』にこうも簡単にかかるとは」
「藻瑚ちゃん?!」
余裕の笑みを浮かべながら俺を見下ろす五所川原藻瑚。
いや、流石にこれは危ないって。
俺の抗議の視線に気付いているのか、藻瑚ちゃんは誰かに電話を掛けている。
「弥美さん、笹川悠斗を確保しました。現在位置は――」
「ちょっ!」
俺は靴を脱ぎ捨てると、藻瑚ちゃんの口を塞いで物陰に引きずり込んだ。
「むぐぐっ! むぐっ!」
「おい、大声を出すなって!」
「むぐむぐっ! むがっ!」
……あれ。ちょっと待て。
女子中学生の口を塞いで物陰に連れ込むとか、かなりやらかしてないか俺。
しかし、このまま開放しても連絡されるし、家まで連れて行く――って、それは完全アウトだ。
「藻瑚ちゃん。危害は加えないから落ち着いて!」
「むぐーっ! むぐーっ!」
バタつく足が脛にガンガン当たって痛い。
「俺は弥美や皆が落ち着くまでちょっと時間を置きたいだけなんだ。何か犯罪を犯して逃げている訳じゃないんだよ」
むしろ現在進行形で犯罪を犯している気がしないでもない。
「……分かってくれるね?」
しばし後、涙目の藻瑚ちゃんがこくりと頷く。
「じゃあ手を放すけど、大声を出さずにちゃんと話し合――」
「きゃーっ! へんた――むぐっ!」
もう一度、藻瑚ちゃんの口を塞ぐ。
まずいぞ、このままでは社会的に色々アウトだ。
何か良い手はないか、何か――俺の目に粘着シートが映る。
藻瑚ちゃんの怯えた瞳が俺を見詰める。
「……悪かったな。後でお姉さんに助けに行くように言っておくから」
「むぐぐーっ!」
俺は革ベルトと粘着シートで拘束した藻瑚ちゃんを物陰に転がすと、逃亡を再開した。