37 第一次正妻戦争
「特に用事は無いが。嫁が一緒に居るのは普通のことだ」
なるほど。確かに嫁が一緒に居るのは普通のこと――
「はっ?! いや、お前、何言ってんだよ!」
……いけない。
カップとソーサを持つ羽衣先輩の手が、半端なく震えている。
「ユ、ユート。よ、よ、嫁というのは一体、どっ、どういう意味なのだ」
いや、俺も知りたいです。
「お前、突然来て何言ってんだよ。からかうのもいい加減に」
「よくよく考えたのだが。お前の一糸纏わぬ”部位”を眼前に突き付けられたのだ。もうこれはなるようになるしかないものと」
「はっ?! いや、あれはお前、事故みたいなもので」
「ユート、一糸纏わぬ、ぶ、部位とは、その、あの」
耳まで真っ赤にした羽衣先輩のカップは、震えの余りすでに空だ。
うわ、辺り一面お茶まみれだぞ。
「あなたも見たかったのか?」
葉世里は豆をつまみながら、不思議そうに言う。
「なっ!? いや、わ、我はそのような部位など前世で散々」
先輩も引っ張られて変なこと言わないで。
「悪いが期待するようなものでは。一糸纏わぬというのもある意味誇張と言えるかも」
「いやいやいや! 纏ってないから! 小学生とはわけが違うから! お前、ちゃんと見たんだろうな?」
俺も何言ってんだ。こいつ人を引っ張る能力持ちか。
「ユート?! やっぱりこの子とっ?!」
「違いますって! 葉世里、ちゃんと誤解を解いてくれ。あ、いや、やっぱいい」
多分却ってこじれるのは目に見えている。
花音と弥美が来る前に、せめて先輩の誤解を解いておかねば。
「こんにちわー。先輩、今日からよろしくお願いしまーす」
「よろしくお願いいたします」
うわ、全然間に合わなかった。このタイミングで花音と弥美が来たぞ。
よし、頃合いを見て逃げよう。俺は横目で出口までの動線を確認する。
「こんにちわ、あなたも部員?」
「いや、私は部員ではない。A組の藍撫葉世里。悠斗の嫁だ」
「へえ、そうなんだ。よろしく、私はB組の百合園花音」
そう言って笑顔で椅子に座る。ややあって、
「はああっっ?!!」
と大声を上げる花音。
いやいや、リアクション遅いって。
弥美は何故か動じるでもない様子で……いや、違うぞ。
いつの間にか笑顔で出口までの動線上に立っている。やばい、逃げ道も塞がれた。
「ねえ、悠斗。嫁ってどういうこと? 説明してもらえないかな」
それが俺にもなにがなんだか。
「この子と俺とはそもそもが単なる顔見知りだ」
「ほう、ユートお前は顔見知りに全裸を見せつけるのか」
やばい。このタイミングで羽衣先輩が緊急参戦。
もう駄目だ。我が軍は包囲殲滅を待つだけだ。
うろたえる俺を助けるつもりか、葉世里が口を挟む。
「皆、何を心配しているか分からないが。悠斗の家でシャワーを浴びてノーパンを要求されたりはしたが、行為には至ってないぞ。安心しろ」
助けどころか上空から爆撃を食らう始末。
こいつ、誰のせいでこんな目に合っていると思ってるんだ。
「桃子さんが家に居たし、二人切りじゃないから! さあ葉世里、ここ超常研の部室だし部外者はそろそろ席を――」
「私の豆を食べたじゃないか」
「そりゃ食ったけど」
ん、なんか花音が真っ赤な顔で震えているぞ。
いやいや、待って。下ネタじゃないからな。殺し屋みたいな目で俺を見るな。
「豆、大豆な! 節分の豆をもらって食ったんだ」
葉世里は殺気立った周りの空気にようやく気付いたか。
首をかしげながら、俺の肩をつついた。
「悠斗、良くは分からんが私は構わないぞ」
え、何が。全く分からんが俺は構うぞ。
葉世里はぐるりと3人を見渡す。
感心したようにうなずくと、
「悠斗は若い男なんだし。遊びなら少しくらい」
テーブルを大きく揺らし、花音が立ち上がる。
羽衣先輩は空のカップとソーサを持ったまま硬直中だ。
弥美については――怖くて見る勇気も無い。
「あ、藍撫葉世里さんだっけ。そ、それは随分寛容ね……」
「気にするな。正妻の余裕だ」
これで解決と言わんばかりに葉世里は僅かに表情を緩めて立ち上がった。
「今から担任面談があるので私はこれで」
「お、おう……」
食べかけの豆を俺に渡すと、葉世里は顔色一つ変えず出て行った。
静まり返る部室。あれ、つまり今から3人の攻撃を俺一人で受けることになるのか。
「じゃ、じゃあ俺もそろそろ……」
立ち上がろうとする俺の肩を花音が押さえる。
花音は絞り出すような声でポツリと、
「……埋めようか」
何か物騒なことを言い出した。
「は?」
「新嵩山の現場ならうちで上手いことできるし。弥美ちゃん手を貸してくれるかな」
「はい。私でお役に立てるなら」
えーと、君達。何の話をしてるのかな。
「それより悠斗、あの小娘の詳しい話を聞かせてくれないかな」
「それが俺も良く知らなくて。いやー、参ったよな。彼女ちょっと変わった子だよなー」
あれ、弥美さん。まだ明るいのになんでカーテンを閉めてるのかな。
花音も部屋の鍵まで閉めなくても。
羽衣先輩まで何故床に五芒星を書き始めているのだろうか。
なんだこのチームワーク。
いつの間にこの3人、言葉すらいらない間柄になったのか。
「ね、ねえ皆、どうしたのかな?」
羽衣先輩の手には何故か拘束用の革バンド。
あの、なんでそんなものがあるんですか。
「百合園さん、濡葉さん。儀式に手を貸して欲しいのだが、頼めるか」
「ええ、先輩。喜んで」
「私にできることならなんなりと」
3人はゆっくりと包囲の輪を縮めてくる。羽衣先輩は革バンドをパチンと鳴らすと、俺に向かって歩み寄ってくる。
「ユート、汚れた身と心を浄化するため、克魔の儀式を執り行う」