33 五所川原藻湖1
「前世は良かった……」
部室の改装以来の羽衣先輩の口癖だ。
その他、最近の先輩には良くない兆候が多く見られる。以下に例を示そう。
・窓際で猫が来るのを待つばかりで何もしようとしない。
・俺がティーバッグで淹れた紅茶を啜りながら「やっぱり人に淹れてもらったお茶は美味しいねえ」等と若さの感じられない発言が多く見られる。
・「ユートと轡を並べて軍団を指揮したのが昨日のように思い出される」、「グランパレス会戦でアドグルドの炎に翼を焼かれて堕天したのが全ての終わりで始まりだ」等々、昔話ばかりする。
・花音と弥美を見ると「初めまして」と言う。もしくは怯える。
花の女子高生がこれではいけない。やはり最近のゴタゴタで心労が溜まっているのだ。
……何というか俺のせいな気もするが。
そんなこんなのある日の放課後、俺は部室に顔を出した。
「こんちわー、羽衣先輩来てますかー」
返事はない。まだ来ていないようだ。
カーテンを開けると、最近すっかり居着いた黒猫がデッキでとぐろを巻いている。
花音と弥美にはしばらくは部室に近付かないよう言い含めており、引き換え条件にカーテンは常に開けておくことになっている。
「猫、来てますよ……っと」
俺は先輩にメッセを送ると、お茶の準備をしようと流しに向かう。
今日は封を開けたアールグレイを先に使おうか。氷があればアイスティを作れるんだけど――
「煉獄縛傀儡子舞踏!」
「っ?!」
謎の叫び声と同時、俺の頭上から突然何かが覆いかぶさってきた。
うわ、なんだこれ。足を取られた俺はその場にすっ転ぶ。
「ふっ……ノコノコ一人で来るとは油断したわね」
え、なんなんだ。何が起きた。
「私に禁則術式を使わせた己の罪深さを呪い、そして祈りなさい」
落ち着いて良く見ると、降ってきたのはナイロンの網だ。
カラス除けで良く見る奴で、縁には丁寧に五円玉が括りつけられている。
そして声の主は棚の上で仁王立ちをしている少女。しかも制服からして他校生だぞ。
……誰?
俺は網を被った間抜けな格好で少女を見上げた。
「えーと君は一体」
身にまとったフリフリの改造制服には銀糸でそこかしこに刺繍が施され、何より厄介値が高いのは右目を覆う黒い眼帯だ。
誰とは言わないが、完全にキャラ被りしてる気が。
「お前がパラルティアからの刺客であることは、私の右手の堕天紋が示している。観念するがいい」
「えーと、はい。そうですか」
それはそうと、この網は外しちゃってもいいんだろうか。
なんか技名もついてるし、簡単に外したら悪い気が。
ふと、俺の目がこの子の瞳に吸い寄せられた。
あれ、この瞳の色って――
「藻瑚! あなたここで何やってるの!」
響いてきたのは羽衣先輩の声。
ああ、やっぱり。
「ふっ、その名で呼ばれていたこともあったな。今世での我が仮初めの名はすでに――」
「いいからそこから降りなさい! しかも靴履いたままじゃない!」
「え、あの」
「お姉ちゃんの言うこと聞けないの? はい、ちゃんと降りる」
羽衣先輩は足早に歩み寄ると、手を貸して棚から少女を下ろす。
今、お姉ちゃんとか言ったよな。
「勝手にここに来ちゃダメって言ったでしょ。中学でお友達出来た? ここにばっかり来てると、周りと仲良くできないよ」
「クラスメートを紋章大戦に巻き込むわけにはいかないわ。私は――」
「ほらまた、制服に勝手に刺繍とか飾り付けして。先生は何も言わないの?」
「これはパラルティアの刺客から身を守る83の守護術式で――」
「もーこー!」
腰に手を当て、藻瑚ちゃんを叱る羽衣先輩。
「……先生が、ちゃんと学校に来てくれるんならそれでもいいって」
「あとその眼帯も。外では付けないって約束よね?」
「こ、これは封印されし邪気眼の代わりに私に道を――」
藻瑚ちゃんの目に涙が浮かぶ。
羽衣先輩は溜息をつくと優しく頭を撫でてやる。
「うん、そうよね。ただ、車とか危ないからお家の外では外そうか。あと、目が悪くなっちゃうから本を読む時もね」
羽衣先輩、なんか正論だぞ。このまともさを自分にも適用してほしい。
姉妹でこれって親御さんの心配が凄そうだし。
とはいえ、他ならぬ先輩の妹さんだ。
俺は笑顔で藻湖ちゃんに歩み寄った。
「君、先輩の妹さんなんだ。俺は後輩の笹川。お姉さんにはいつもお世話に――」