28 これは放課後デート……ではない
「か、構わない。それより、もう少し練習をさせてくれ」
羽衣先輩が身体を乗り出してくる。
「あの、なんか近くないですか」
「覚えているか? 前世で二人が夫婦であったのを」
先輩、そんな重要な設定を急にぶっこんでこないでください。
「えっと、あの、羽衣先輩。身体、当たってますよ」
オブラートに包んだが、俺の腕に当たっているのは胸ではないのか。
いやいや、やばいです。ここ学校ですって。
「少しくらいくっついても罰は当たらん。なにしろ我らは仲睦まじく三男二女に恵まれ、同じ日、同じ時刻に天に召されたのだ」
なんか設定増えた。
この少子化時代に感心な二人だが、前世のことは一旦横に置いておきませんか。
「まずいですって! こんなとこ誰かに見られたら!」
ゆっくりとにじり寄ってくる羽衣先輩。
離れなければいけないと思いつつ、緑色の瞳から目が離せない。
やばい。羽衣先輩なんかいい匂いだし。
「案ずるな。この部屋の不可視の術式は強固だ」
確かに厚手のカーテンで外からの視線はきっちりカット。扉の鍵も二重になっている。
羽衣先輩の細い指が俺の頬に触れる。
いいのか? このまま身を委ねてしまってもいいのか?
「先輩、こんなのやっぱり――」
ドン! ガチャガチャガチャ。ドアノブが激しく回った。
思わず固まる俺達。
「大丈夫だ。扉の守りは強固だ」
ギュイイイイイィィィ……
扉の向こう側から響いてくるモーター音に俺の背筋が凍る。
この学校でこんなものを持っている奴は決まっている。
ガギギギギギ。
金属同士が擦れ合う、甲高い音が耳を突き刺す。
ガキュ。扉の鍵を貫通したドリルの先が、今度は逆回転でゆっくり引き抜かれる。
薄暗い部屋の中、ドリルで空いた穴から光の筋が一本伸びてきた。
羽衣先輩は怯えるあまり言葉も出ないのか。口をパクパクさせながら、青ざめた顔で俺にしがみついてくる。
再び響くドリルの音。
光の筋が一本、また一本と増えていく。
鍵を思うがままに蹂躙した後は狙いを変えたのか。今度は正確に蝶番を打ち抜いていくドリルの刃。
光の筋が20本を超えた頃、一旦静まり返る。
聞こえるのは壁掛け時計の秒を刻む音と、羽衣先輩の早く浅い吐息だけ。腕には心臓の鼓動が伝わってくる。
張り詰めた緊張の糸が切れる寸前――
ドン。扉を激しく叩く音がする。羽衣先輩の喉から、小さく悲鳴が漏れる。
しばらく間をおいて、スローモーションのようにゆっくりと扉が倒れてきた。
扉が床に叩きつけられる大きな音で、靄のようにかかっていた非現実感が一気に吹き飛んだ。立ち上る埃が傾いた陽の光を反射し、怪しくうごめく。
安全靴で扉を踏み付けながら、ゆっくりと近づいてくるのは百合園花音。
逆光と埃の中、表情は見えない。
花音の右手、電動ドリルが時折うなりをあげる。
「私がこれだけ苦労しているのに……」
絞り出すような低い声。更に一方踏み出す足。
「こんな暗がりで随分楽しそうなことしてるのね」
ガタガタと震えながら俺にしがみ付く羽衣先輩。
「五所川原先輩、ですっけ。うちの悠斗が随分お世話になったようで」
「ユ、ユートは前世からの私の連れ添いで、その、何も後ろ暗いことは」
健気にも抵抗を試みようとする羽衣先輩。
嗚呼、いけない。こんな時の花音に逆らうと。
「ごめんなさいね。前世はともかく、今世では悠斗は私のだから」
ゆっくりと、電動ドリルの切っ先を俺達の目の高さまで上げる。
「今世を前世にしたいってことなら、先輩の助けになれると思いますよ」
キュイイイイィィィ
やばい。羽衣先輩、気を失う寸前だ。
「か、かかかかか花音! ちがっ、違うんだ! 俺達そんなんじゃなくて、部活の先輩後輩で、勧誘の相談をしてただけで!」
花音は横目で机の入部届を眺めやる。
「ふうん。悠斗、入部したのか」
「そ、そうそう! もっと部員が必要だから、どうやって集めようかって相談を」
散らばる白紙の入部届をじっと見ていた花音はおもむろに自分の名前を書き殴る。
「へ? 花音も入るのか?」
「なによ。悪いの?」
「いや、悪くはないけど。どうして」
「悠斗さん。私達の間で隠し事はいけないと思うんです」
花音の背後から音もなく姿を現したのは濡葉弥美。
「うわ! 弥美、どうしてここに」
弥美は俺を無視して羽衣先輩ににこりと微笑みかけた。
「五所川原先輩ですよね。悠斗さんが大変お世話になっていると聞きまして」
彼女も入部届に名前を書くと、小刻みに震える羽衣先輩に手渡した。
「今後は私共々よろしくお願いしますね、先輩」
なぜだ。なぜこんな展開に。呆然と入部届を眺める羽衣先輩。
とはいえ、不幸中の幸いか。
喉から手が出るほど欲しかった部員を一度に二人も取得できたのだ。
残る一人は朔太郎にでも声をかければ。
「え……。やだ」
あれ。羽衣先輩、何言うの。
「だってこの二人、なんか怖い。ユート、断って」
羽衣先輩は目に一杯の涙を浮かべ、俺の腕にしがみ付いてきた。
俺か。俺が断るのか。
ふと視線を上げると、花音と弥美が不自然なほどの真顔で見返してくる。
「あの、その、この入部届ですが」
俺は三人の視線にさらされながら、
「……一旦、俺預かりということで」
日和ることに決めた。
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