20 待ち伏せ
「畜生、あいつめ。何で即死コンボばっかりあんなに上手いんだよ……」
24勝45敗。なんとかダブルスコアにならずに済んだってだけの勝敗だ。
夕暮れの弱弱しい日差しの中、マンションに帰った俺はロビーの応接セットに見知った顔がいるのに気付いた。
濡葉弥美。水色のワンピースに身を包んだ彼女は、文庫本を畳み花のような笑顔を浮かべた。
「おかえりなさい。ずいぶん遅かったね」
「弥美、どうしてここに」
あれ、ここってマンションの中だよな。オートロック、仕事してくれ。
「管理人さんが中に入れてくれたの。優しい人ね」
弥美は俺の考えを見透かしたかのように答えると、笑顔でトートバッグを差し出してきた。俺は思わず受け取ってしまう。
「悠斗さん、お昼ご飯食べてないでしょ? お腹空かせてると思って」
え、どういうこと。お昼ご飯食べてないとか、どこからそんな話に。
「朝ご飯、花音ちゃんの作ったフレンチトーストだったんでしょ? 困ったね、相変わらず栄養のバランスとか考えてないんだね」
弥美は上機嫌で俺の腕を取り、エレベーターに向かおうとする。
「昼飯は朔太郎んちでカップ焼きそばを食ったんだけど」
弥美の足が止まる。目を丸くして俺を見つめつつ、笑顔のまま首を傾げる。
「あれれ。おかしいな、どうして私のお弁当を食べずにそんなもの食べてるのかな」
「あの、今日も弥美が弁当を作ってくれてるとか、聞いてなくて――」
「毎日作るって言ったでしょ。そうか、私が届けるの遅れてお腹空いちゃったよね。でも――」
弥美は錠剤の入った小瓶を取り出す。
「お腹の中で混じっちゃうよ。その前に中身一度出しておく?」
なんだその錠剤。瓶にラベルがないのがひたすら怖い。
「だ、大丈夫! 胃の中は空っぽだから。うん、丁度お腹空いてたんだ」
「じゃあ早く悠斗さんのお部屋に行きましょう」
「うちに?」
今日、桃子さんいないよな。いくら何でもよろしくない。倫理的な面とか俺の身の安全とか。
「待ちきれないからここで食べていいかな! お腹ペコペコでさ」
「それは構わないけど。お茶もあるし」
「うん、じゃあ早速!」
俺は弥美の気が変わる前にソファに腰を下ろした。
今日の弁当のテーマは休日のピクニックあたりか。重箱に卵焼き、おにぎり、タコさんウィンナーなど、お馴染みの面々が詰まっている。
「量多いけど、ひょっとして弥美の分と二人分?」
「はい、一緒に食べようと待ってました」
夕方までずっと食べずに待ってたんだ。なんだか重いぞ。
「そ、そうなんだ。あれ、箸は」
「一膳しか持ってきていなくて。じゃあ、食べさせてくれますか」
弥美は悪戯っぽく微笑むと、目をつむって口を開いた。
「え、あの」
まじか。なんなんだこれ。俺は恐る恐るアスパラベーコンを弥美に食べさせる。
「ふふ……自分で作ったのに、いつもより美味しいです」
咀嚼し飲み込む弥美の白い喉が艶めかしく蠢く。
呆然と見惚れる俺に再び口を開ける弥美。操られるように今度は卵焼きを食べさせた。
マンションの住民がこっちをじろじろ見ながら通り過ぎていく。ふと目の合った管理人さんがなんか笑顔で俺に親指を立てている。
! いや違う、そうじゃない。まずい、弥美がこのマンションに顔パスになる流れだ。
「俺、後はおにぎり食べるから、箸は使ってくれ!」
自棄になっておにぎりをぱくつく俺をやたら見つめてくる弥美。
「……あの、どうしたの?」
「今日、桃子さんいないんですよね。夕飯はどうされるんですか」
え、そもそも今食べてるのが夕飯じゃないのか。
「ああ、いつものことだし腹減ったらコンビニで適当に」
「じゃあ、私が夕飯を作りますね。近くのスーパー、野菜が結構新鮮ですし」
まずいぞ。即売会の日の桃子さんは朝帰りが必定。週末、マンション、二人切り、濡葉弥美。
……並べてみると超えてはいけない一線が目の前に迫っているのが分かる。
「そうだ! 夕飯は弁当のお礼に何かごちそうするよ! ほら、駅のあたりに新しいカフェができててさ」
「え、でも」
「ああいった店って男だけじゃ入りにくくてさ、一度行ってみたかったんだ」
「……花音さんや桃子さんと行ったりしないんですか?」
「桃子さんが行くのは決まって居酒屋だし、花音と外食とか精々ファストフードくらいだな」
それを聞いて弥美は目を輝かせた。
「はい、悠斗さんからデートのお誘いなんて嬉しいです!」
「いやデートと言うほどのことでは」
あれ、これって一般的にはデートのお誘いなのか。ひょっとして俺、なにか間違った選択肢を選んだか。
戸惑う俺の心を知ってか、弥美は箸でタコさんウインナーを掴むと俺に向けて差し出した。
「じゃあ、まずはお弁当全部食べちゃいましょう」
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