17 どーだ、まいったか
土曜の朝、甘い匂いに起こされた俺は眠い目をこすりながらリビングに出た。
当たり前のようにキッチンに居るのはエプロン姿の花音。
「あれ、こんな朝早くからどうした?」
「今日、桃子姐さんいないんでしょ。朝ご飯作ってあげようかと思って」
なるほど。そもそも普段昼まで寝ている桃子さんは朝飯なんて作ってくれないが。
昨日の昼は何か変な雰囲気のまま解散したので、何となく気まずい。俺は無理して明るい声を出す。
「お、フレンチトーストか。俺の好物じゃん」
「お客さんから美味しい蜂蜜もらってねー」
ウキウキとエプロンを外しながら食卓に座る花音。
「昨日の昼はなんかごめんね。焼きそばパンだけで足りた?」
「うんまあ、元々そんなにたくさん食べないし」
一応花音も気にしてくれてたみたいだな。昼飯が朔太郎の食べ掛けってのは、腹ではなく心に来たが。
「ま、これでチャラってことで。さ、食べて食べて。美味しいぞ」
ふむ、まずはナイフで切ってから蜂蜜をかける。隅々まで蜂蜜が行き渡るよう、ここで寝かせて「育てる」のが肝心だ。
「桃子姐さん今朝はずいぶん早かったみたいね。お仕事?」
トーストをがつがつ切っては口に放り込みながら、花音。
「ああ、即売会で新刊出すからって始発で出かけたんだ」
「即売会? 桃子姐さんって漫画家でしょ」
花音は不思議そうに首をかしげると、
「本って本屋で売ってるんじゃないの?」
まっすぐな瞳で見返してくる。
……うん、確かにそうだ。守らなくちゃ、この瞳。
「なんというか、即売会で直接読者に売ったりもするんだよ」
「なるほど。サイン会みたいなものかな」
スケブとかもあるし、大体そんなところだ。
「なあ、そういえば花音は弥美とその、うまくいってないのか?」
俺はフレンチトーストに蜂蜜を追いがけしながら、花音の顔色を窺う。
「元々出会ったばかりで仲がいいも悪いもないわよ。確かに弁当の件では私も少しムキになったけど」
花音は色々と思い出したのか、牛乳を一気にあおった。
「なんて言うか、世の中には触れちゃいけないものってあるよね」
空のグラスをカツンと置く。流石に花音でも弥美を制し切れないのか。
「でも昨日、悠斗に弁当作ってくのやめるって言ったら凄く優しくなってさ」
「優しく?」
「うん、料理のこととか一杯教えてくれて、今日一緒に買い物に行くことになったの」
マジか。あそこから仲良くなるとは女の子って凄い。
「あ、そういうことは弥美と連絡とれるのか?」
「そりゃとれるけど。弥美ちゃんに何か用なの?」
トーストをナイフでプスプス刺しながら、俺を横目で睨みつける。
ご機嫌だったり不機嫌だったりせわしない奴だ。
「俺じゃなくて桃子さんだけどね。弥美を売り子として目を付けてて、頼んでくれってうるさいんだ」
「売り子って、店番のこと? どうして弥美ちゃんを」
「なんか可愛い女子高生を侍らせてると、他の作家さんへのマウントがとれるらしくて」
あれ、言ってて実に馬鹿馬鹿しいぞ。
「ライバルの売り子さんが俺らとタメの可愛い娘だったらしくてさ。対抗して弥美に売り子させたいんだと」
「ふうん」
言い訳がましい俺の言葉を聞いているのかどうか。花音は気もそぞろにトーストを頬張る。
「どうかしたか?」
「……私、誘われてない」
ぽつりとつぶやく。
「私も女子高生だし、桃子姐さんとは古い付き合いなんだけど」
「えーと、花音も十分可愛いぜ?」
言ってて我ながらそらぞらしい。花音の表情が険しくなる。
「そういうのいいから」
「そうそう、桃子さんが出入りしてるジャンルって18禁だから。花音に売り子させられないと思ったんじゃないかなー。うん、きっとそうだ」
「ちょっと待って。色々疑問があるんだけど」
はい、なんでしょう。俺も言ってて疑問だらけだ。
「18禁なら弥美ちゃんにもさせらんないし。そもそもライバルの売り子がうちらとタメというのも色々と問題が」
うん、もっともだ。ぐうの音も出ない。
「花音の言うとおりだ。この話は忘れてくれ」
「いいけどさ。買い物に悠斗も来る? どうせ家でゲームしてるだけでしょ」
「ああ、ちょっと朔太郎と約束があってさ、あいつんちに呼ばれてるんだ」
「じゃあ、朔太郎んちでゲームか」
悔しいがそんなとこだ。
皿の上に注意を戻す。時は満ちた。俺は「育った」トーストを口に放り込んだ。
美味い。
思わず笑顔になる俺。ニヤニヤ顔の花音と目が合った。
「どーだ、まいったか」