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名もなき勇者の回顧録

作者: みけ

 波は穏やかに寄せては返す。縁の朱い雲影は途切れ途切れに水平線のその先へと続いている。


 中年の男はひとり、随分と傾いた西日が眩しく降り注ぐ中、海を眺めながら静かにため息をつく。

 男は歩き疲れていた。


 目的の町へはまだ少し距離があり、男は少し休もうと、その場に腰を下ろした。

 目を閉じてうつむき、潮風に優しく吹かれながら波音に耳を澄ませていると、砂浜を歩く誰かの足音が聞こえてくる。

 それは少しずつ近づいてくると、やがて足音が止まったので、男は目を開いて視線を向けた。

 そこには、潮風に揺れる美しい金髪と、宝石のような澄んだ蒼い瞳を持ちながらも、みすぼらしい服を着た小さな少女が、不思議そうに男を見つめていた。


「おじさん、ここで何してるの? 具合がわるいの?」

「少し疲れたから、ここで休んでいるんだ」

「ふーん、そうなんだ。おじさん見たことない人だね。どこからきたの?」


 少女は男の側に寄ると、その場にしゃがみ、男と目線の高さを合わせる。


「南にあるウェルディーンというところからだよ」

「聞いたことない場所だ。それって遠いの?」

「ああ、とても遠いよ。何度も馬車を乗り継いで、たくさん歩いてやってきたんだ」

「へえ、すごいんだね。わたしは馬車に乗ったことないんだ。いいなぁ」


 男に向けた眼差しには、羨望の想いが満ち溢れていた。


「ねぇ、おじさんはどこに行くの?」

「あそこにある町さ。人に会いに行くんだ」

「エルムノーラのこと? わたし、そこに住んでるよ! どんな人なの?」

「ずっと昔に離ればなれになった家族なんだ。今どうしているかは俺にもわからないけれど」

「そうなんだ。どうして別々になっちゃったの?」

「昔、魔王を名乗って世界を滅ぼそうとした者がいたんだ。俺の故郷は魔王のせいで滅んで、その時にね」

「魔王! 聞いたことあるよ! でも、わたしが生まれる前の話だ。ねえ、おじさん、何かおはなしをしてほしいな」


 少女は男の横へと座り、膝を抱える。男は空を仰ぎ、しばし黙考する。


「話せるような楽しいことは無いんだ」

「なんでもいいから聞かせてほしいな。わたしはこの町のことしか知らないから、めずらしい話を聞きたいの」

「そうは言ってもなぁ……」

「じゃあ、おじさんのことを教えてよ。ホントに何でもいいんだから」


 少女が向けてくる好奇心に気圧され、男はたじろいでいる。


「うーむ……それこそ大変なことばかりで、楽しくないことも多いんだよ」

「わたしは気にしないよ。それにこのまま家に帰っても、お母さんがお手伝いをしろってうるさいから、まだ帰りたくないんだ。わたしもたまには羽をのばしたい時もあるんだよ」

「なんだ、俺に興味がある訳ではないんだね」

「えへへ。でも、それはおじさんの話を聞いてみないとわからないよね」

「……まぁ、君がお母さんに怒られても良いのなら、自分のことを少し話そうか」

「いつも怒られてるから、慣れっこだよ」

「そうか。それじゃ、君の要望に応えて、俺の昔話でも話すことにしよう」


 男は目を閉じ、記憶の奥底に深く沈めた思い出を呼び覚ます。

 そして目を開けて少女の方へと体ごと向け、片膝を立てた。


「少し、長くなりそうだ」


 その言葉に、少女は期待に満ちた表情をしつつ、男の方に体を向けて無言で頷いた。






 田舎町の平凡な家庭の元に、俺は生まれた。

 覚えてる限りの一番古い記憶は、熱を出して父に背負われ、医者の元へ連れて行かれるところだ。

 父はかつて傭兵をしていたが、足の怪我が元で続けられなくなったそうで、母と共に小さな鍛冶屋を営んで、俺と2つ下で病気がちの妹を育ててくれた。

 その時は知らなかったけど、当時の生活は俺が思っていた以上に苦しくて、なけなしの金で手に入れたわずかばかりの食糧を、両親はいつも俺と妹に多く分け与えてくれていたんだ。


 最初、父のように傭兵になりたいと思っていた。

 あまり詳しくなかったけれど、父のようになりたい――漠然とそう考えていた記憶がある。

 けれども、それを父に話すと、嬉しそうな悲しそうな、子供ながらにもわかる複雑な顔をしていた。

 いつしか、傭兵のことを考えるのはなくなっていた。

 ちょうどその頃、未踏の大地を踏破したという冒険者のことを知り、俺も冒険者になりたいと周囲に話していたっけ。


 11歳の時に父は病気で亡くなった。

 当時の俺には、あっという間の出来事だった。

 苦しそうな父を前にして、何を話していいかわからず、ただ黙ってそばにいた事しか覚えていない。

 そしてあの頃の俺は、死ぬということがまだよくわかってなかったし、母の必ず治るという言葉を純粋に信じていたから、深刻に受け止められなかったんだ。

 あの時もっと色々と話しておけば……と後になって思った心残りが、今でもある。

 父が棺に入れられた時、悲しみをどうすればいいかわからず、ずっと泣いていたよ。


 父が亡くなってしばらく経つと、俺でも生活が苦しくなってきたのがわかった。

 だから、12歳になって学校へ行くのを辞めて、母の手伝いで鍛冶屋をすることにした。

 少しでも家計を助けたい、その一心でひたすらに働いていたことばかり思いだす。

 いや、そんな日々しかあの頃の自分には無かった。

 父が遺してくれた指南書を必死に読みながら金槌をひたすら振るい、刃物を扱うところなら家庭や自警団、時には離れた町にさえも訪れて仕事を貰いに行った。

 何とか生きていくことはできたものの、妹に寂しい思いをさせてしまっていたのは、今も少し悔やんでいる。


 18歳の時、千年もの眠りから魔王というのが目覚め、世界を支配しようと異形の魔物を率いて、人間たちと激しい争いを繰り広げだしたんだ。

 世間には不安が渦巻いていたが、鍛冶屋にはかつてないほどに依頼が舞い込んできていたよ。

 最初は仕事に困らないことを、正直には言えないがありがたいと思っていた。

 でも、食糧や薬も手に入れづらくなるし、何度も税金を徴収されるしで、またすぐに生活が苦しくなっていったのを覚えている。

 この時は、俺が間違った考えをしたことに対する、神様の罰なのだと思っていた。

 今となっては、神様はそんなことで罰するほど人々を深く見守ってはいないと思っているけどね。


 1年が過ぎても、争いは収まるどころか激しくなる一方で、ついに俺も徴兵されることになったんだ。

 家に立派な鎧を着た兵士が訪ねてきて、驚いたのを覚えている。

 鍛冶屋として武器の扱いを心得ていたからか、残党の討伐隊として、常に死と隣り合わせな戦いの日々を送っていたよ。

 俺のような裏方ですら前に出ざるを得ない状況であるほど、人類は劣勢に立たされていたんだ。


 ある時、王国にて魔王を直接討伐すべく決死隊が編成され、第三次選抜に組み込まれることが決まった。

 最初はとても受け入れることは出来なかったが、家族が平和な世の中で暮らせるようになるためには、もう他に手段はないのだと言われて、受け入れるしかなかった。

 そのことを家族に伝えると、二人とも涙を流してさ、俺も涙をこぼしそうになったよ。

 だけど、なんとしても生きて帰りたかったから、涙をこらえて笑顔を見せたんだ。

 何の根拠もないけど、そうすればきっと生きて帰ってこれる、ってその時は思ってしまったから。

 旅立つ日の朝、母は家を出ていく俺を追いかけてきて、強く抱きしめてくれた。

 絶対に生きて帰りたい、そう思ったら涙がこらえられなかった。


 先払いで貰った報酬の全てを母に渡して、決死隊の一員として魔王の棲む北方の地と向かった。

 決死隊には名うての武人や騎士だけでなく、魔術に長けた老人や聖なる癒し手の少女、といった色んな人がいたんだ。

 ただ、その場に居る誰もが悲しみと希望を背負いながら、覚悟をしてやってきたのは確かだったよ。


 魔王のいる本拠地へと近づくにつれ、戦いは激しくなり、次々と仲間は倒れていった。

 魔王と対峙するまでに仲間の8割が倒れて、残った者の半分も、魔物を陽動するために命をかなぐり捨てていたんだ。

 最終的に魔王の元へたどり着いたのは5人だけだった。

 魔王を見た俺は、その姿に驚いた――人の姿をしていたからだ。

 それに、魔物を従えていなかったし、魔物よりもはるかに弱かった。

 5人で確実に追い詰めて、俺が魔王を打ち取ったんだ。

 人の姿をして魔物を率いた魔王の最期は、まるでなにかを果たしたように、笑って死んでいった。

 今思っても、それが何故なのかはわからない――心の隅にとげが刺さったまま、戦いは終わったんだ。


 早く故郷に帰りたかったが、討伐を報告しないといけなかったから、先に王国へと戻った。

 最終的に生きて帰ることができたのは、魔王を倒した5人と陽動作戦で生き残った2人の、たった7人だけだったよ。

 騎士のヴァッジと、後に彼と結婚した癒し手エリア、魔術師のガルバ翁はその後も何度か顔を合わせたから、覚えている。

 ガルバ翁は随分前に亡くなってしまったけれども。

 武人はオーレンと言う名の寡黙な大男だったが、あの戦いを最後に会っていない。

 その他の2人に関しては、ルナとマルコという名前しか覚えていない。

 確か、どちらかは日常の生活にも支障が出るほどの大ケガを負ってしまって、もう片方は心を病んで失踪したと聞いた記憶がある。

 ただ、俺も何かひとつ状況が変わっていたら、そちらの立場になっていたかもしれない……二人は今も、どこかで元気に生きていたら、と思う。


 国王に討伐を報告すると、俺を含めた7人は勇者として称えられた。

 そして王国に新たな騎士団を新設し、俺はその団長に任命されたんだ。

 当時は嬉しさよりも驚きの方が勝っていたっけ。

 他の皆も、それぞれ名声や富、権力を与えられていた。

 そして、志半ばで倒れた戦没者たちは、王都の外れに慰霊碑が建てられ、そこに奉られてた。

 あまりの人数の多さに、碑に名前を刻まれることもなく。


 争いが終わって1か月ぶりに故郷に戻ったけど、町の姿は見る影もなくなっていた。

 近くの河川沿いで大規模な戦闘があって、そのせいで川の水を貯めていた堤防が壊れて、故郷の村を含めた一帯が飲み込まれたと聞いた。

 母と妹の姿はどこにも無かったんだ。

 俺は騎士団の仕事の傍ら、部下の団員も使ってふたりを探した。

 王国の周辺だけでなく、水に飲みこまれた一帯や難民の集まる集落、人の多い都市を何年もかけて探し回ったけど、それでも見つからなかった。

 途中で母の姉が亡くなったことはわかったけど、手がかりは他になく、それだけだった。


 騎士団に居た3年間、騎士団長としての実務はほぼ部下がおこない、俺が行う活動と言えば、式典参加や戦争被害者への慰問と言った、騎士団としての顔役だけだった。

 魔王を倒した勇者のひとりだとしても、元はただの鍛冶職人――そんな俺が何故、騎士団長に抜擢されたのか、言われるがまま責務を全うしていく中で、ようやく理解できた。

 戦いに傷ついた人々には、希望と言う存在が必要で、民衆のひとりである俺が世界を救ったということが、人々の希望に繋がるものだったからだ。


 そうして、俺は色んな人々と出会うことができた。

 ただ、今までであれば一生知り合うことはできないような人たちばかりで、居心地は悪くなかったけど、上手く言えない違和感はずっとあった。


 そして、その時に貴族の令嬢であるアリス・ウェルディーン――妻だった女性と出会ったんだ。

 彼女との出会いは孤児院へと慰問に行ったときに、たまたま近くに訪れていた彼女が俺の存在を聞きつけて、いきなり訪ねてきたことだった。

 初めて会った時の彼女の印象は、明るく前向きで活動的な、そして瞳が印象的な女性だった。

 辺境の没落貴族だと言っていたけど、領地を再興したいと初対面の俺に熱く語っていたのはよく覚えている。


 その出会いがきっかけで、アリスと時々顔を合わせるようになった。

 と言っても向こうから訪ねてくることがほとんどだったけれどもね。

 彼女は父から受け継いだ領地を再開発すべく、色んな場所に出向いては人脈を築いていた。

 もちろん俺にも声をかけてきたが、その時は家族を探していたので断った。

 けど、何度も粘られたし、国中にウェルディーンと俺の名を轟かせれば家族も気づいてくれる、と言われたんだ。

 勇者と呼ばれて尚気づかれていないのだから、期待はしなかったけれどね。

 でも、俺も探す場所を変えるべきだと思ったのと、何より彼女の強い押しに根負けして、騎士団長を退任して遥か南方にあるウェルディーン領へと移ったんだ。


 ベルニアの町という、彼女の祖母の名を冠した町を初めて見たとき、のどかで素敵な町並みなのに活気がなく、人々の表情も暗かったことを覚えている。

 聞くところによると、魔物の被害に及ばないところだったものの、徴用によって家族が兵士として取られ、戦いの中に散った者が多かったようだ。


 勇者という名のお飾りとしてしか実績の無い自分に、彼女は意外にも町長という役割を俺に与えてくれた。

 だが、その理由はすぐに分かった。

 実権を握るのは彼女だったからだ。

 それでも、町の人々は温かく迎え入れてくれたから、俺は気にせず受け入れたよ。


 町は着実に人を増やしていった。

 ウェルディーンは資源が豊富だけど、地形が複雑な土地で開発が難しく、かつては希少な魔石の採掘だけで栄えていたそうだ。

 だが魔石が採れなくなってくると、人々は去り、町は活気が失われて行ったと聞かされた。

 アリスは農産や牧畜から町の産業を立て直して、俺を迎え入れた後はふたりで各地を必死に回り、集まってもらった移民に道の整備や家の建築を託した。

 それが無事成功すると、樹木の伐採や鉱石の採掘を始めて、いずれも採算が取れるまでにこぎつけた。

 そうして、他の町との往来が増えて、物や金が行き交うようになって、10年が過ぎる頃にはそれなりに豊かになっていった。

 当時の町の人々は、皆希望にあふれていたと思う。


 アリスはいつも俺のおかげと感謝をしてくれた。

 それがいつしか慕情になって、やがて愛情となった。

 町長となって2年、俺は彼女の婿養子となる形で結婚したんだ。

 皆が祝福をしてくれた。

 あの時の彼女の幸せそうな笑顔は、今でも鮮明に思いだせるほど美しかったよ。


 それから1年後、初めての子供が生まれた。

 男の子で、彼女がアメルという名前を付けたんだ。

 皆、俺に似ていると言ってくれたよ。

 妻自身も喜んだし、妻の両親も喜んだけど、俺は母や妹にも見せてあげたかったと呟いてしまったんだ。

 そんな俺に、妻はまだどこかで絶対に生きている、と希望の言葉を囁いてくれた。

 1年の半分を外遊で空けていたので、顔を見ることのできない間はとても寂しかった。


 翌年、二人目の子供が生まれた。

 今度は女の子で、今度は俺がカレンと名付けた。

 妻に似て、とても綺麗な目をしていた――今も綺麗な目をしているけどね、俺が親バカなのは置いといても。


 この頃から、妻は体調不良を訴え始めた。

 彼女は仕事も家庭も全力で向き合い、無理を続けていたからだと思う。

 俺は外遊を控え、妻に代わって家庭を支え、少しでも彼女の負担を軽くしようと頑張った。

 妻は自分がやらなければ、と無理をしがちな性格で、できれば体調が快復するまですべての仕事を引き取れればよかったのだけど、流石に俺一人では無理だった。

 幸い、彼女の部下が頑張ってくれたので、町の運営に穴が開くようなことは無かったけどね。


 父が不甲斐なくても、子供はすくすくと育つものでね。

 息子は少し人見知りな性格だったが、妹を大事にする、とても優しい男の子に育った。

 娘は元気でおしゃべり好きな、人懐こい女の子に育った。


 町に来て10年が過ぎたある日、母と再会したんだ。

 その時のことは今でも忘れられない。

 執務室から邸宅の玄関まで無我夢中で走って扉を開けると、そこには身体は細く背は曲がり、ボロボロの髪でシワの深い老いた女性がいた。

 でも、すぐに母だとわかった。

 忘れられない顔だったから。

 俺は母を抱きしめ、声を上げて泣いたよ。

 そして俺と母は、共に過ごすことのできなかった14年もの空白を埋めるように語り合ったんだ。


 母は故郷が流されたとき、目を怪我してしまったと言っていた。

 それが原因で視力をほぼ失ってしまい、身体も弱ってしまった、と。

 妹と共に命からがら故郷を離れて、土地を転々としていたが、人づてにたどり着いた山奥の集落で静かに暮らしていたそうだ。

 二人は魔王が倒されて平和となったことを、随分遅れて知ったようだった。

 そして俺の名が届かなかったことで、死んだものだと思っていたと言っていた。

 もしかしたら、なんてあまり考えない性格だけど、その時だけは俺の名前が届いていれば、と惜しんだ。


 母と共に暮らしていた妹は、母を支えるべく病弱な身体をおして必死に働いていたそうだ。

 しかし、7年前に町へと出かけたっきり戻ってこず、知り合いに捜索をお願いしたが、見つからなかった。

 死んでしまったのか、それとも攫われたのかもわからず、母は生きていると信じて待ち続けているしかなかったそうだ。

 そしてつい数か月前、俺が生きていると言う話を知って、一緒にやってきた知人に助けてもらい、ここまでたどり着いた。


 俺は再び母と共に暮らすことにし、また母の過ごしていた集落の人々を町に受け入れた。

 この頃の町は、ほとんどの住民が安定した仕事をしており、家庭を形成して子に恵まれた世帯が多かった。

 反面、土地の開発はほぼし尽しており、まとまった人数を移住させて、仕事を与えるのは非常に苦労した。

 一部、反発する町の有力者が居たが、妻が知恵を授けてくれて、何とか説き伏せることができた。

 このことは、今でも自分には勿体ないほどの良妻だったと思わせる出来事だと思っている。

 それに、人々がお互いを思いやって、仕事を分け合ってくれる者たちもいた。

 その時のことを思うと、今でも目頭が熱くなる。


 それ以来、俺は仕事の合間を縫っては妹を探した。

 目ぼしい手がかりがないのは変わらないけど、母と再会できたことで、気持ちはずいぶんと前向きになることができたから。

 妻も身体は癒えて、正式に職務に復帰した。

 子供たちも魔術学院に通うようになっていて、手がかからなくなるどころか、母の世話をもしてくれるようになった。

 けれど、それだけ追い風が吹いても、妹は見つからなかった。


 この頃から、町にやってくる人が根付かずに去って行くことが増えてきた。

 仕事で求められる質が高くなったことにより、移住者がこの町で仕事を手にするのが難しくなっている、と妻は言っていた。

 それと、世帯と子供が増えているから問題はないとも言っていたので、俺はそれを信じて気にしないようにした。


 34の時、母が亡くなった。

 病気によって寝たきりとなり、そのまま還らぬ人となった。

 再会して2年、もう少し生きて欲しかったし、子供たちも祖母の死をとても悲しんでいた。

 最期の時まで、母は妹のことを案じていた。

 母は幸せな人生を歩めたのかな、と今でも時々考える――その答えはもう誰にも解らないのにね。


 ある時、町で事件が起こったんだ。

 商人の屋敷に強盗が入り、金品を奪われて家族が5人とも殺されてしまった、とても凄惨な事件が。

 犯人はすぐに捕まった――母の付添で町へとやってきた青年だったから、俺はとても驚いたよ。

 彼はこの町で新たな商売を立ち上げようとしていたが、殺された商人に出資をお願いしても断られ、それどころかその商売を自分が生み出したかのように始めてしまったのだと聞かされた。


 彼は間もなく処刑されてしまった

 罪状から考えると妥当な処罰だったけど、この事件をきっかけに、富者と貧者の間に深い溝が生まれた。

 富者は貧者を『町の秩序を乱す不安分子』だと非難し、貧者は富者を『町の資本を自己都合で独占する簒奪者』と咎める。

 かつて町の発展を願い、共に歩んでいた者同士とは思えない、悲しい景色だった。


 その問題に対処しようと、俺と妻はそれぞれとの交渉や対話を重ねたんだ。

 けれども、決着がつかないどころか、もはや仲介による解決は困難な状況になっていた。

 富者は傭兵団を雇って武装し、貧者は自警団を結成して対抗しようとしていた。

 こうなると、ベルニアは町として機能しなくなっていたんだ。


 一触即発の中、俺は王国に救援を要請し、王国軍の仲介で事態の鎮圧を図ることにした。

 俺は街全体としての経済状況しか見えておらず、こんなにも根深い格差が生まれていたことに気付けなかったのを、悔やんで恥じた。


 幸か不幸か、血は流れることはなく、双方を何とか交渉の席へと着かせることができた。

 そして最終的な解決を導くために、ウェルディーン家の財産の多くを分け与え、町民の投票によって町長を選び、その者を中心として行政を行う仕組みを採用することになった。

 領主の立場はそのままとなり、彼女が失いたくなかったものだけは、何とか守れた。


 俺はこの事態の責任を取って、町長を辞めて領外へと退去することになった。

 そうすることでしか、役割を果たすことは出来なかったから。


 そして、俺は妻と離婚することになった。

 彼女はまだ町と関わることを諦められなかったからだった。

 俺はその意見を尊重して、彼女の元から離れることを決めた。

 逆風が吹いているが、彼女が町の皆から選ばれて、今度こそ町長として夢をかなえてほしい。

 ただそれだけを祈った。


 アメルとカレンは妻の元に残ることになった。

 町に残れない俺では、子供たちが健やかに育つ環境を用意できそうにないのと、母親の居る生まれ故郷で育った方がよいと思ったからだ。

 子供たちには不自由させてしまう事がとても辛かったが、むしろふたりは俺や妻を励ましてくれた。

 ふたりが俺の元に生まれてきてくれたことを、心の底から感謝した。

 離ればなれの生活はとても寂しいが、領外でなら会うことはできるので、仕方がないと自分を納得させた。

 生活が落ち着いたら、会いに来てもらおうと思っている。


 ウェルディーンから去った後、行くあても特になかったから、久しぶりに故郷の様子を見に行ってみたんだ。

 妹の手がかりが無いかと思ったからね。

 そしたらさ、故郷の町には人が居たんだ。

 覚えている顔も、何人かいた。

 久々の再会は嬉しかった。

 俺はしばらくの間、復興の手伝いをしていたんだ。

 時々、妻や子供たちに手紙を送りながらね。


 今から少し前、故郷の町に着いて1年近く経った頃かな。

 父親の傭兵仲間だった元魔術師のおばさんが故郷に戻ってきたんだ。

 もう歳だからおばあさんだけどね。

 おばさんは俺が戻るのと入れ違いで、娘の出産を手伝うために町を離れることになって、しばらく戻って来れなかったと言っていた。


 そして、おばさんはその時に、俺の妹に会ったことを俺に教えてくれた。






「だから、俺は妹に会うために、この町にやってきたと言う訳なんだ」


 男は長い昔話を終えた。

 少女は時々知らない言葉を質問しながらも、喜怒哀楽を分かりやすいくらい表情に出しつつ、興味深く聞いていた。

 今は悲しい顔を見せている。


「おじさん、大変だったんだね……」

「そう、かもしれない。でも、もう過ぎ去ってしまったことだし、誰かと比べるものじゃないからね。自分ではよくわからないんだ」

「でも、おじさん勇者さまだったんだからすごいよ! きっと口には出さないだけで、皆おじさんのことをすごいと思ってるよ!」

「運が良かっただけさ。俺より強く勇気のある人は沢山いた。でも…………いや、何でもない」


 強くても皆あっけなく死んでいく、そんなことは子供の前ではさすがに言えやしない――男はそう思い、言葉を飲み込んだ。


「ねぇ、おじさんは妹と会ってどうするの?」

「そうだな――これまでの色んなことを、話したいな。母親のことも、伝えたいしね」

「いっしょに生活しないの?」

「それはわからないよ。妹にも家庭があるかもしれないからね」

「あー、そうだね。じゃあその時はどうするの?」

「旅をしようかな。自分を必要としてくれる場所を探すんだ……ああ、でも妹には俺の子供と会わせたいかな」


 少女は旅という言葉に反応し、羨ましそうな目で男を見つめる。


「いいなぁ、わたしも旅をしてみたいな。会ってみたい人がいるんだ」

「どんな人?」

「ないしょだよ。でも、おじさんと同じようなものかな」

「そうか。教えてくれないのは残念だけど、いつか会えるといいな。さて、そろそろ行かないと、陽が暮れてしまいそうだ」


 そう言われて少女は空を見上げる。

 空は気付かぬうちに、夕焼けへと姿を変えようとしているところだった。


「せっかくだし、町までおじさんと帰ろう」


 少女は男よりも先に立ち上がり、町の方へと歩き出す。

 遅れて男も立ち上がった。

 少女は少し先を歩くと振りかえり、早く来いと言わんばかりに手を振る。

 それでも男はペースを崩さずゆっくりと歩いて追いつくと、少女は隣に並んで歩きだす。

 置いていかれまいと歩みを少し早めながら。


「ねぇ、おじさん。おじさんは子供のことが好き?」

「ああ、勿論だよ」

「……じゃあ、子供のことがキライな親っているのかな?」


 少女は思いつめた表情で、男に疑問をぶつける。


「居ないと思うよ。我が子を抱きかかえた事があるなら、少なくとも嫌いになんてならないと思うなあ」

「どうして?」

「あの小さくて、温かくて、そしてか弱い子供が、腕の中で笑って元気を分けてくれるんだ。生きててよかった、一緒に生きていたい、って思うほどの元気をね」

「わたし、パパを知らないの。ママに聞いても、何も教えてくれないの。パパはわたしのことがキライだから、どこかにいっちゃったのかな……」


 声を細めて少女はうつむく。

 その姿を見た男は、静かに手を差し伸べた。

 少女はその大きな手に触れようとするもためらってしまい、戸惑いの表情で男の顔を見上げる。

 その瞳に映ったのは、優しい表情をして頷く男の顔。

 そっと手を差し出すと、小さな手は大きな手に包み込まれた。

 幼少の頃に握った母の柔らかい手とは違う、固くざらざらとした、優しくも力強い手。


「おじさんの手、とっても固いんだね」

「金槌や剣を力いっぱい握っていたからね――君のお父さんは、会うことができないだけで、きっと君のことを愛していると思うよ」


 もしかしたら愛されなかったのかもしれない、死んでしまったのかもしれない。

 だが、いじらしく悩む少女の未来を、例え真実でないとしても、不安で覆う必要はない――男は胸の内でそれを唱え、そして消し去った。


「そっか。おじさんがそう言うなら、わたし信じる」


 少女は明るく微笑んだ。

 男は優しく微笑み返した。




 町へ着いた。

 夕暮れは深く、町には明かりが灯り、人々は家路へと歩いている。


「わたしのお家はこっちだよ」


 少女は男の手を引いて、目指す方へと駆けていく。

 男もそれに合わせて、歩みを早める。


「ここだよ! わたしのお家、大きいでしょ」


 少女は手を離すと、扉の前で振りかえる。

 木造で古めかしいが、家族が住まうには随分大きい建物だ。


「実はここ孤児院で、わたしとママと、弟と妹が3人ずついて、8人でくらしているんだ。弟や妹とは血はつながってないけど、みんな仲がいいんだよ。すごいでしょ」


 どこか誇らしげに語る少女。


「そうか。家族の仲がいいのは素晴らしいことだ。家族を大切にな」

「うん、おじさん。送ってくれてありがとう!」


 無邪気に両手を大きく振って、見送ろうとする。

 男はそれに応えようと、小さく手を振った。

 すると、家の扉が開いて、人が出てきた。


「ただいま、ママ」


 屋内から照らされた逆光によって影に覆われており、顔は見えなかった。


「バイバイおじさん、元気でね!」


 少女の笑顔も影に覆われ、どんな表情をしていたのかはわからなかった。

 だが、その声はとても明るく希望に満ち溢れていた。


「兄さん……?」


 懐かしく、けれども決して忘れることのない声がした。


「リエータ…………なのか?」

「やっぱり、兄さんだ……ああ、まさか生きて会うことができるなんて…………」


 女性は家から出てくると、ゆっくり男へと近づく――夢、あるいは幻の中を彷徨うように、足取りは不確かながらも。

 やがて男の目にも女性の顔や姿が映った。

 少しやつれてはいるけれど、あの時の面影がある――ずっと会いたかった、ずっと探していた、血を分けた妹そのものだった。


「兄さん……!」

「リエータ……!」


 リエータは18年分の想いを込めて、男に強く抱きついた。

 男も18年分の想いを込めて受け止め、優しく頭を撫でた。


 大人びた顔は、悲しみとも喜びともつかぬ表情に歪んで、その頬を温い雫が伝い落ちた。





 ――それから数年の時が過ぎた。

 とある町の港にて。

 到着した客船から町を眺める、大人びた少女の姿があった。

 下船用の桟橋が掛けられると、少女は金色に輝く髪をなびかせながら、颯爽と降りて行った。


「おじさーん、早く早く!」

「ちょっと待ってくれよ、そんなに急がなくてもいいじゃないか」


 一足先に船から降りる少女、少し遅れて男も町に降り立った。


「へへ~、わたしの勝ち! おじさん、体の動きが鈍いよー。体力が衰えちゃった?」

「昨日遅くまでお前さんの遊び相手をさせられていたからじゃないか……」


 男は口元を押さえて大あくびをした。


「ねえねえ、昨日おじさんに手紙が来てたんでしょ? なんて書いてあったの?」

「今度の長期休暇、アメルがまた旅に連れてって欲しい、ってさ」

「アメル君が!? うわぁ、楽しみだ!」

「魔術もかなり使えるようになったそうだ。去年、旅をした後に随分と落ち込んでいたけど、悔しかったんだろうな」

「そうなの?」

「いいところを見せたかったみたいだ」

「意外。アメル君って優しいから、そんな風には見えなかったなぁ。カレンちゃんは?」

「スライムが居ない所なら一緒に行く、だってさ」

「あはは、カレンちゃんヌメヌメしたモンスターが大嫌いだもんねー。じゃあ、ふたりと再会した時は、大陸東にある古代文明の遺跡に行ってみようよ。黎明姫の墓を見つけたら、世界に轟く大発見だよね!」

「そうだな。ひとまず、今日は魔王の呪いで封印された洞窟の情報収集をしないとだな」

「その前に……」


 少女は男の腕に抱きつくと、そのままどこかへ誘導するように体重を預ける。


「わたし、お腹減った! この町、美味いお魚料理のお店があるらしいから、行ってみようよー!」

「わかったわかった。じゃあまず先に食事にしようか」


 道すがら、父親と手を繋ぎ、幸せそうに歩く小さな女の子を見かけた。少女はほんの少しの間、その光景に目を向けた後、進む道をまっすぐ見据える。


「……ねぇ、おじさん。わたしが有名になったら、お父さんは私に会いに来てくれるかな」

「ああ。きっと、会いに来てくれるさ」


 少女は、希望に満ちたまなざしで、空を見上げて微笑んだ。






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