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小劇場で、また会いましょう。

作者: 玉響なつめ

 狭い空間、まばらな人影。

 薄暗い照明の中、段々になっている客席の一つに腰掛ける。


 電車でひとつ向こうの駅、そこから少し歩いたところにある小劇場。

 その劇場は、私が小さな頃からあるちょっとボロいビルの中にある。年季の入ったそこは利用料金も安めなのか、いつだって夢見る人たちがなにかを演じ、何かを朗読し、何かを歌い……そこは、夢にいつだって満ちている。

 私はちょっと疲れた時に、そうした夢を追う人たちを見て、励まされるのが好きだ。

 

 今日も、今日とて。

 美大を卒業して、就職もして、さりとて画家になる夢を諦めることもできずという生活の中で窮屈さを感じたから私はここに、座ってる。

 聞いたことのない劇団、メンバー、どうやらこの劇場を利用するのも初めてなのかなんとも初々しい姿に応援したくなった。


(でも、あの主演の男の子、どこかで見たことあるなあ)


 男の子、なんて言い方は失礼だったかもしれない。

 見た目、なかなかの好青年だ。役柄もそれを思わせるのに一役買っているのだろうけれど。

 だけれど、弟と同じくらいの年頃の青年は自分から見るとまるで夢に向かって笑みを浮かべているその姿が、子供のようで微笑ましかったのだ。

 演目自体はよくわからなかったけれど、舞台の上の彼らが輝いて見えたのはきっと今、見間違いではないんじゃなかろうか。応援の意味も兼ねて、その劇団のパンフレットだけ買った。自費出版しているようだけど、そんなに悪くない。寧ろこれ赤字じゃないのかなあなんて逆に心配になるような出来だった。

 そこそこのお値段はしたけど、まあ、これが応援になるなら良いんだろう。


 私はささくれだった気持ちが軽くなったのを感じて、それに満足した。

 重かった足取りが、僅かだけれど軽くなった気がするのでそのまま帰宅する。家に帰っても今日私が休みなだけで両親はまだまだ現役で仕事をしているから、休みの人が家事をするのが我が家ルール。

 昼の舞台を観たから夕飯までまだ時間もあるので、洗濯ものを取り込んで畳んで。

 洗い物をしつつお茶を飲み、うん、割と優雅だ。


 そして自分の部屋に戻って、書きかけのキャンバスを眺める。うん、構図は悪くない。だけど気が乗らないんだよなあ、なんでだろう?


(……作品展に、応募しないといけないのに)


 画家になりたい。言うのは簡単だ、資格もなんにもない世界だから。

 でも世間一般に画家だと認めてもらうためには少なくとも作品展で高評価を受けないと、だめだと思われる。私は職業としての画家になりたくて美大に行ったんだから、その事を面倒だとか世間の物差しでだとか言う気はない。

 だから認めてもらうためにも、描かなければならない。

 だけど、そこに行きつくことが――今まで、できなかったのに、先が見えない現状が辛い。

 その辛い気持ちすら描き切れば良いのではと先人たちの絵を頭に思い浮かべて描くものの、自分の求めるものとはあまりにも違って気に入らず、そうして逃して作品展は数知れず。


 はぁ、と思わずため息が出てしまうのもしょうがないと思う。

 こればかりはどうしようもない。美大に通わせてもらって挙句にこうして家の中、私の部屋を大きめにしてこうしてアトリエ兼、みたいにしてくれるだけ我が家は恵まれている方だろうと思う。だからこそ、就職して家にお金を入れて、残りを画材や他に宛てているのだけど。

 

「あれ、ねえちゃん帰ってたんだ? 作品展?」


「ああ、うん。さっきちょっと劇観に行って帰ってきたの。ほら、これ」


「へえ、面白そうなの合った? ……ってこれ、俺の知り合いだわ」


「え?」


「ほら、高校の同級生だよコイツ。へぇー男前だと思ってたら役者志望になってたんだ」


 私が差し出したパンフレットをしげしげ眺める弟はまだ大学生だ。

 そうか、あの舞台の上にいた彼は、弟と同級生なのか。だから若い子だなあなんて感想を抱いたんだ、ほら私はおかしくなかった。


「まだ新規の劇団だったのかもね、なんか初々しくて応援しようかなって思って」


「へえ、そりゃ喜ぶんじゃねアイツ。後でメールしてみるよ」


「いいよ、別に同級生の姉に応援されたって言われても嬉しくもないし同情票みたいじゃない」


「応援してくれてた人がダチの姉貴だった、なんてのも気を遣われたかもーって根深くなるかもしれねーじゃん?」


「……そういうもんかなあ」


 首をひねる私に笑った弟。日常。

 そう、日常だ。

 私は仕事に行って空いている時間に絵を描いて、作品展に応募して夢を追う。

 そしてそれに疲れた時に、別のところで夢を追う人々を見て、力をもらう。これの繰り返し。

 

 今回はそれに加えて、『弟の友人』だったというだけの話。

 だと思っていた。


 あのやり取りの数日後に、弟が彼を連れて来るもんだから……。

 弟の後ろで照れくさそうに笑った彼は、舞台の上とは違った。きらきらはしていなかったし、普通の男の人で、弟と同年代だからやっぱり若い子で、「応援してくれてるって聞いて、ありがとうございます!」って笑った顔は可愛いと思った。

 弟を間に挟んで、私の料理をつついて、飲んで、笑って。

 うん、なんだか想定外の展開だけど、悪い気はしなかった。


「ねえちゃんも、夢を追いかけてるんだよ」


「へえ、おねえさんも?」


「私は……」


「おねえさんは何してるんですか? デザイナーとか?」


「おっ、近いぞ。ねえちゃんは画家志望なのさ」


「え? 画家なんてコーショーなのがいいなんて、おねえさん変わってるね!」


「……こーしょー?」


 何を言われたのか、よくわからなかった。それまで身近に感じていた弟の友人が、急激に宇宙人に思えた、そんな感覚になった。

 交渉、鉱床、考証、……高尚。ああそうか、そういう風に見られるのか。

 同じように夢追い人だと勝手に同志と思っていたのはこちらが悪いのだろう。だけど、ああ、滑稽な話だ。私は勝手に彼に対してその夢を追う姿勢に憧れ、ある意味恋をするかの如くフィルターをかけて見ていたのだろう。

 だから、彼の何気ないその言葉は彼の感性であって、彼が持った感想であって、何一つ悪くない。

 なのにそれに対して私が落胆した。そしてそれも、誰も悪くない。


 画材だって馬鹿にならないし、描くのだって構図から一つずつ決めて、あの色は同じ色でも微妙に違って、なんて私の努力は私のもので、彼には全くわからない世界で、それは同様に私が彼の努力を知らないのと同じで。

 嗚呼、嗚呼、ぐらりぐらりと足元が揺れて、揺れて、ゆらゆらと。


「あの、ねえちゃん、アイツ悪気があったわけじゃ」


「……うん、わかってるよ、大丈夫」


 彼がいつ帰ったのか覚えてない。

 弟が、私を気遣うように何度も何度も彼の代わりにごめんというのが、痛々しくて。


 そうか、高尚……かぁ。

 画家になりたいという夢は、同じ夢追い人から見ても、甘ったるい夢なのだろうか。

 弟には大丈夫、って言ったけど落ち込む気持ちは当たり前に、存在する。


 ぐらぐら、ふらり。

 

 夢追い人を、私は眺める。

 いつもの小劇場は、いつものように薄暗くて、そしてキラキラした証明の下で、きらきらした夢追い人が演じて、朗じて、歌って、踊って。あそこに、私は敵わない。


「演劇、お好きなんですか?」


「え?」


 もう出よう。そして私は私の夢を諦めよう。あのきらきらした世界は、私には遠すぎたのだ。同士だと思うのすら烏滸がましかったのだ。

 そう思った時に、声を掛けられた。

 穏やかそうな、男の人に。


 どこかで会っただろうかと頭をフル回転させる私に、彼は笑った。


「この間も、その前も。ここに来た時に、貴女の姿があったから」


「え……そう、でしたか」


 小劇場だけに、確かに同じ人間を見かければ覚えているかもしれない。

 私は夢追い人ばかりみていて、観客の方を見ていなかったからわからないけど。


「どこかの劇団など、お好きな役者でもおいでですか?」


「いえ」


 穏やかなこの人も、夢追い人を見に来たのだろうか。

 この小劇場の中で、煌めく人たちを眺め、そして力をもらうのだろうか。


 私には、失われつつあるものを、この人も持っているのだろうか。それとも諦めて、かつて見た夢の光をここに求めてきているのだろうか?

 馬鹿らしい。初対面の人間に、私は何を思うのだろう。


「……他に、用がなければこれで失礼します」


「そうですか、お引止めして申し訳ありません」


「いえ……」


 穏やかな、大人の人。

 私よりも、きっと年上で。あの人は、どんな夢を追ったのだろう。


 ふと振り返ると、あの人は、受付の人と喋っていた。

 関係者だったのかもしれない。


(馬鹿らしい、何を気にするんだろう)


 私の夢は、あのキラキラしたスポットライトに照らされてもきっと輝けない。輝けなくなってしまったのだ。誰かに何かを言われただけで、キャンバスを真黒に塗りたくられたような、そんな感覚になってしまったのだから。


 それでも私はきっと、あの小劇場に通うのだろう。

 夢追い人を、見ていたい。私が、夢追い人であったことを忘れたくないから。


 でもその度にきっと苦しいんだ。

 だって、私は、……絵を、描きたくて。


 あのスポットライトに、私もいつか照らされる。

 そんなことを夢見ていたの。でもいつからだろう、そう思えなかったのは。


 私は主役なんかじゃなくて、あの舞台には立てない裏方ですらなくて、そう、私は観客だった。

 舞台を観て、演者に憧れる、観客だった。

 呑まれて、憧れがいつの間にか錯覚になって、私が演者になったかのように。


 演じて、朗じて、歌って、踊って、輝くスポットライトに目を細めた途端――夢から覚めた。


「また、お会いしましたね」


 演目が終わって、ロビーに出たらまた会った。

 彼は柔らかく笑っていた。


「……ここの小劇場、お好きなんですか」


「ええ、とても」


「わたしも、です」


 画家は諦めた。

 でも、絵を描くのは止めないでも良いのだと思った。


 夢を追わなくなった、ただそれだけだ。


「おすすめ、教えてもらってもいいですか」


「いいですよ、貴女のおすすめも教えてくれますか」


「良いですよ。……このビルの隣の喫茶店、コーヒーが美味しいんです」


「知ってます、良ければの見ながら話しましょう」


 目を細めて笑う彼が、この劇場から夢を追って、今は違う夢を見つけた人だと知るのはもっと先の話で。

 そして弟の友人が、いつの間にかそう言えばこの劇場ではない場所を目指してどこかに行ってしまったのだと聞いたのは、もっともっと後の話で。


 夢追い人は、今日も小劇場に現れる。

 私は、それを観客席から眺めるのだ。

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