戻ってきた男
「すっかりお姫様になったもんだ」
ファラの部屋に現れたサタハは、彼女の姿を見て笑みをこぼした。ファラは色鮮やかな三色の染め糸で織られた豪華な長衣をまとっている。コルナと呼ばれるインティ・パチャに一般的な女性用の礼服で、トゥパク・ユパンキがファラに着せ与えたものであった。そして後ろにはファラに比べると簡素な青地のコルナを着た侍女を従えている。それは彼女を「お姫様」と表現するには十分な姿であった。
「おかしいかしら」
「いや、おもしろい。人生はそう捨てたものじゃないのだなと思えるよ」
北の言葉でファラと話すサタハは、しかしこの地に特有の浅黒い肌をしている。
「砂漠を越えれば世界は変わる。オレも経験したことだ。悪いものじゃないだろう?」
サタハはインティ・パチャに生まれた男である。彼が北の言葉を話すのは、砂漠を越えて北の地に暮らした経験があるためだった。
「それなら、なんで戻ってきたの?」
サタハはその切れ長の目を一瞬細め、そして軽く笑うと、肩をすくめながら答えた。
「捨てたものをしばらくしてから拾い上げると、愛おしく見えるものだろ?」
ペトロ・コステロを誘い、一座をここインティ・パチャへと案内したのはこのサタハだった。彼はインティ・パチャの豊かさを語り、ペトロとその一座を砂漠越えに連れ出したのだ。
「おかげでこの身分だ。だから人生はおもしろい」
サタハは購入された芸人たちの通訳として、トゥパク・ユパンキに雇われていた。その待遇はかなりのものであるらしく、サタハは首に下げている赤、白、黄色の数種類の貴石で飾り立てた豪華な首飾りをつまみ上げると、これみよがしにファラに見せた。
「な?」
ファラは目を細めてサタハをしばらく眺めていたが、やがて静かに息をつき首を横に振った。
「わからないわ」
「わかる必要なんてないさ。幸福は信じるもんだ。まあ、まだお姫様には早い話かな」
ファラの返答にサタハは一笑する。ファラが眉をひそめると、サタハはそこで急に顔を引き締め、ファラの背後に目を配りながら言った。そこにはファラの侍女がいる。
「さて、雑談はこのくらいにして、お勉強のお時間だ。後ろのお嬢ちゃんが恐い顔をしているからな」
コヤと呼ばれる多くの妃妾を持つトゥパク・ユパンキは、夜ごとに過ごす相手を変える。ファラの寝所に彼が訪れるのは五日に一度のことだった。そのため暇を持て余したファラにトゥパク・ユパンキはある命令を与えていた。
「しばらくはこの地に住むんだ。話せて損なことはないだろう。それに……ここに骨を埋めることにならないとも言えんしな」
それは語学の勉強だった。ファラは毎朝サタハから、インティ・パチャの公用語であるムルカ語を学んでいた。
「お気遣い、ありがとう」
「ふふん、覚えがいいな。あまり早く覚えられると俺の仕事がなくなるんだが……」
サタハは顎を掻きながらそう苦笑すると、部屋の奥にある椅子を目で示し、いつものように座るよう促した。