失敗
別館に戻ると、何故かルカが留守番をしていた。
ハインに鍵を渡され、ここを死守しておけと言われたらしい。俺も駆けつけようと思ってたのに! と、地団駄を踏むルカだったが、俺たちはハインに、心の中で称賛の声を送った。
ルカが駆けつけてたら絶対に死んでる。異母様にも平気で盾突きそうだからな。
「ルカを走らせて本当に良かったと思います」
マルがぼそりと呟く。
俺たちのところにルカを向かわせたのも、マルの采配であったらしい。
「適切な判断だったな」
「マルさん、素晴らしいです」
執務室に向かい、マルを長椅子に座らせてから、サヤが退室していった。すぐに小走りで戻ってくる。手には薬箱と、盥に水差し。その間に俺は、マルに衣服を脱がせて、ルカを手招いた。
「うええぇ、水、かけるんですかぁ? し、沁みません?」
「沁みるだろうけど耐えろ。サヤは呻き声ひとつ漏らさなかったぞ」
「そんな無茶な!」
「傷を開いて中を見る時の時が痛いですから、頑張りましょう!」
「ルカ! マルを押さえるの、手伝ってくれ。結構暴れると思うから」
「おぅ! 任せろっ」
「嫌っ! 離してくださいっ! 僕もう元気ですから‼︎」
「うん。怪我と元気は関係ないな」
往生際が悪い。必死でもがくマルだったが、ルカの筋力に敵うわけもない。
ガリガリの上半身に、もうちょっと肉を食べさせないとな。と、考えながら、ルカに指示し、マルの肩が長椅子から出る様にして押さえ込ませた。
傷口に水をぶっかけると案の定な悲鳴。傷を開いて中を確認すると更に凄い悲鳴。汚れ等が残っていないことが確認出来たので、ぐったりしたマルの身を起こし、傷口を油紙で押さえ、包帯を巻いていく。
抵抗する気力も失せたのか、呻きつつも、動かない。肩と胸部を包帯で巻いて、治療を終える頃には、死体の様になっていた。
「よし、よく我慢した。気絶する者もいるからな、マルは頑張ったよ」
「出来ることなら、そうしたかったです……」
ぐったりと背もたれに身を任せて、マルが零す。本気で言ってるな、これは。
「夜にもう一度、包帯を換える。マルは言わなくても安静にしてくれるだろうけど、あまり、肩を使うなよ」
「肩どころか、動く気力も湧きません……」
「夜、熱が出るかもな……ルオード様にお願いして、看病の為に隊員を借りた方が良いかな」
「それなら、俺らの借家に連れ帰るぜ。
応急処置くらいなら、うちの連中にも出来る奴は居るし、任せろ」
ルカがそんな風に名乗り出てくれたので、じゃあと、マルのことをお願いすることにした。
ここは本当、人手が足りないからな。
とりあえず、マルの手当てもひと段落がついた。ホッとすると同時に、ルカは先程のやりとりを思い出し、腹が立ってきてしまったらしい。怒りながら、先程何があったのかを教えてくれた。
「しにても、なんだありゃあ! あの連中本当にレイ様の身内か⁉︎ なんか凄ぇ居丈高つーか、氾濫対策だって言ってんのに、指示した覚えが無いから即取り壊せって言いやがったんだぜ!
マルの旦那が、今年はこの方法に決まりましたのでって言ったら斬れ! だしよぉ。
もうここまで出来てんの取り壊せってどんな神経してんだ⁉︎」
「まぁ、あれが基本的な貴族ですよ。レイ様が特別なんですって。
よく分かったでしょう? ルカがすぐ死ぬって言われてた理由」
「ぐぅ……。お、俺はあんな奴に、媚びへつらいたくねぇ!」
「それ言ってる限り死にますからね。
仕事だって割り切ってくれないと、またレイ様やサヤくんの手を煩わせちゃいますよ。
あー、あとルカ、僕、ちょっと暫く、動きたくないんで、現場の片付けお願いして良いですか? 僕とルカが両方抜けると、指揮が滞っちゃいますよ」
今日が実質的な、工事の最終日だ。明日の午前中のうちに、残りの作業や片付けを全て終えれば、工事も終了。今日のうちにある程度進めておかないと、明日に障る。
そう指摘されたルカは、しょうがねぇなと外に向かった。今、マルが動きたくない理由は重々承知なので、折れてくれたらしい。
ルカを見送った後、マルはふぅ……と、息を吐いた。そして右手で、額を抑える。背もたれに身を任せたまま、辛そうに息を吐くから、痛いなら、横になるかと声をかけたら、小さく首が、横に振られた。そうじゃないんです。と、マル。
「申し訳ないです、レイ様。上手く、手を回せると思ってたんですけど、結局、僕が要らないきっかけ、作っちゃいましたねぇ」
そんなことを言うものだから、俺はこの飄々とした男が、俺のことを一生懸命考えて、動いてくれていたのだということを、改めて実感した。軽く、気にしてない風を装っていても、凄く、気に掛けてくれているんだよな……。
「何言ってる。充分だよ。
マルは、人足や組合の皆を、庇って前に立ってくれたんだろう?
普段のお前なら、一番避けることなのに……。マルのおかげで、皆が無事だったんだよ」
「あーぁ、レイ様を異母様の毒牙から解放したかったんですけどねぇ……。
まさか僕が、真っ先に鉢合わせするとは、思ってませんでした……。
サヤくんが来てくれなかったら、もっと迷惑かけてましたよねぇ。
さっきはほんと、格好良かったですよぅ、惚れちゃうかと思いました。
剣振りかぶった騎士の懐に飛び込むとか、僕なら怖くて出来やしません。
サヤくんだって、生身なのに、こうも違いますかねぇ」
昔見た胡桃みたいでしたとマルは言い、目を細める。
サヤはその言葉に、モジモジと恥ずかしげに身をよじらせて「初めてお役に立てました」と、はにかんで笑う。うっ、か、可愛すぎる……っ。
そもそも、初めてって何、いつも役に立ってくれてるのに初めてって!
サヤは本当に、無闇矢鱈と謙虚だよな……。
「一つ失敗してしまいましたけど、ルオード様も駆けつけて下さいましたし、まあ、予定は概ね、変更なく進められると思いますけどね。
僕的には、ルオード様とレイ様に、もっと親密さを表現して頂きたかったんですが……何かありました? 妙にレイ様と距離取りましたよね?」
こんな状況でも……情報収集優先かぁ。
ブレないマルに苦笑が溢れる。あの場でも、マルが冷静に情報分析をしていたことに脱帽だ。
俺は頭を掻きつつ、マルに謝罪する。
「失敗は俺の方にもある。
先程、ルオード様とはちょっと、仲違いのようなことを、してしまった。
ルオード様宛の早馬が、クリスタ様からの書状を届けに来たんだけど、その内容が……クリスタ様がここに来るってなっててね……。サヤが咄嗟に、部屋の帷を暗色にした方が良いと、助言してくれたのだけど……それが何か、引っかかってしまったらしいんだよ」
「私の不手際なんです。ルオード様がいらっしゃる所で、つい、私の世界の知識を持ち出してしまいました!
気を付けなければいけなかったのに、申し訳有りません‼︎」
勢いよく頭を下げるサヤ。
マルが、えー? と、首を傾げる。
「えっと……なにを言ってしまったんです?」
「クリスタ様の病についてです。陽の光を浴びることが毒となる病が、私の世界にもあって、多分、それの類だと……。なので……」
「え? ちょっと待って下さい。病ですって?
クリスタ様のあの体質は、病なんですか?」
「あ……はい。……多分……」
「多分ってことは、確実と言い切れない、何か理由があるってことですね?」
「は、はい……それは……あ、ありますけど……」
マルの興味の琴線に触れてしまったらしい。表情が抜け落ちた。そのままブツブツと口の中で何かをつぶやいていたのだが、くいと顎を上げて、顔を俺の方に向けた。
「分かりました。後ほど、その辺の話を細かく教えてもらいますね。サヤくんは今から賄い作りに戻る必要があるのでしょうし。
あ、レイ様。先程の状況とやらを、極力再現して下さい。
出来れば、僕と別れた、食事処から帰る瞬間から。出来るだけ精密にお願いします」
ええっ、お、俺お前じゃないんだから、そんな事細かに状況を覚えちゃいないんだけど……。
ええと、何があったかなと思考を巡らす俺だったが、そこにサヤが待ったをかけて来た。
「ちょっと待って下さい。誰かいらっしゃいました。
あ、ガウリィさんたちですね。大きな調理器具を、取りに来られたんでしょうか……」
「ああ、丁度良かった。呼んで下さい」
無表情のマルにそう指示され、サヤがガウリィらを執務室に呼んで来る。
呼ばれて来たガウリィが、マルの様子を見て顔を歪めた。
「うわぁ、マジか。さっきあんたが貴族に斬られたって聞いたけど、そりゃねぇわって思ったのに……」
「本当に、胡桃姐さん怒らせる様なことやめてよねぇ。あんまりこういうのの矢面に立つの、得意じゃないでしょうに」
「あ、はい。ちょっとね。次からは気を付けます。それよりエレノラ、サヤくんについて賄い作りに行って下さい。で、極力早く済ませて戻って来るように。
ガウリィは村の散策、出来れば近衛の者らと接触して、情報収集しやすそうな人を見繕ってくれると嬉しいですね。ダニルはここに残って、護衛よろしく」
「ええっ? 私も賄い作りに行くわけ?……まぁ、抜け駆け出来るのは嬉しいけど……」
「今日来て今日から働けってか。いいけどよぉ……」
「いってらっしゃ〜い」
ダニルがひらひらと手を振って、ぶちぶち言いつつも、二人がそれぞれ動き出す。サヤとエレノラを組ませたのは、まあ、彼女が女性だからであるのだろう。ダニルを残してガウリィに情報収集ってのが、ちょっと不思議だけど。
「さてレイ様。じゃあお願いします。極力、細かく、再現してください」
「ええと……細かくって……じゃあ、まず……」
食事処を出てからって言われてもな……何から話せば良いんだか……。
そう思いつつも、マルが必要だと言うならばと、努力してみることにした。
とにかく思いつく限りを話し、マルが聞き返す事柄に関しては再度考え、思い出す。そんな感じに、状況を伝えて行く。
そうこうしている間に、近衛隊を借家に案内して行ったハインも戻って来た。今日は、ルオード様も近衛隊の方々と食事を共にしたいとのことだ。
「食事処で食事をして頂けると伝えておきました」
「ああ、温めるだけなら、今日からでも大丈夫っすよ。食器は運ばせてもらったし」
ダニルがそう言って、じゃあ、護衛が戻ったんなら、荷車に調理器具を移させてもらいます。と、執務室を後にする。
良かった。ここからサヤの世界に関わる話になるから、どうしようかと思ってたんだ。
ハインにも、再度聞いておいてもらう。先程はかいつまんで話しただけだったからな。
ほんの数時間の出来事なので、サヤたちが賄いを作り終え、戻ってくるまでに話し終えた。
エレノラと連れ立って帰って来たサヤが、まずは俺たちに報告する。
「三十食分は、食事処に運ぶ為、ここに持ち帰っております。
エレノラさんが、調理器具類と一緒に、荷車で運ぶって、仰って下さったので。
では、ダニルさんが、まだ調理器具の運び込みを一人で続けてらっしゃったので、お手伝いをして来ます」
「サヤくんは却下。今から僕の情報収集に付き合っていただかないと。
エレノラはもう良いですよ。ダニルの手伝いに行って下さい」
「人使い荒いわねぇ」
文句を言いつつも、エレノラは了承した様子で外に向かおうとする。その手前で、サヤの頭にポンと手を乗せて、じゃあねっ。ありがとうございます。と、言葉を交わして行った。
「仲良くなったの?」
「はい。気さくな良い方ですよ」
それは良かった。サヤを女性だと分かっている、女性の知り合いは本当に貴重だからな。
兇手の彼女なら、サヤの秘密も守ってくれるだろう。
そんな風に考えていたら、サヤが頭の図書館に滞在しっぱなしのマルに、休憩しませんかと声を掛けた。
「マルさん、夕食を先に済ませましょう。
それからでしたら、しっかり時間を取ってお付き合い出来ますから。マルさんが欲しい情報は、クリスタ様の病に関することですよね?
あれをきちんと話そうと思うと、結構時間が必要です」
「そうですね。サヤくんの世界の、病の概念から話して頂くことになりますし、時間が掛かるでしょうねぇ。了解しました。では、夕食後に時間を頂くことにします」
マルが承諾したので、そこで一旦、情報収集は終了となった。
サヤが、荷物運びを手伝いに行きますと、俺たちに背を向ける。
そして、頭の中の図書館から戻ったマルが、ふぅ、と、息を吐いた
「楽しみです。病の概念……とても不思議なお話でしたし。もしそれが本当なら、クリスタ様の病、直す術があるかもしれない」
しかし、その言葉にサヤの動きが止まる。
そうして、少し目を伏せた。ぎゅっと眉間にしわを寄せ、意を決した様に、顔を上げる。
「いえ……私の思う病である場合、治療の術は、私の世界にもありませんでした。
あれは、不治の病と言えるものです。遺伝子が絡みますから」
「イデンシ……とは、なんでしょう?」
「親や先祖から受け継がれる、特性に似たものです」
「親や……先祖か、ら……?」
マルの表情が、また抜け落ちた。
そうして、肩の怪我も忘れてしまった様子で、両手を使ってサヤの手を掴む。
身をすくませたサヤに顔を寄せて、マルは、壊れた人形のように繰り返した。
「親や、先祖から、受け継がれる、特性?」
「は、はい……」
「それには、先祖返りのようなものも存在しますか⁉︎」
「は、い……。そもそも、先祖返りが、遺伝によるものです」
その時の、マルの表情を、なんと言えば良いのだろう……。
絶望の中に、やっと一雫の希望を見出した。
まさに、そんな感じだったのだ。
ゆるゆると、表情が動く。笑えば良いのか、困れば良いのか、分からないといった風に。
そうして、もう一度、引き継がれる、特性……と、呟いた。
「……早く……急いで夕飯を済ませましょう。僕、待っていられる自信が、ありません」




